「自閉症治癒への道」解読・《37》追記 プレコップ博士の中間報告

◎要約
《追記》
【プレコップ博士の中間報告】
・ドイツのプレコップ博士は、(ニコ・ティンバーゲン博士の情報を得て)1981年からウェルチ博士の「強制抱きしめ療法」を37組の親に始めてみた。対象児37例のうち8例は、子どもの力が強すぎる、母親の体調が十分ではない、母親の時間がとれない、両親にとってこの方法が信じられない、などのことがわかった。残りの29例は以下のように分類される。①カナーが記述した典型的な自閉症19例、②アスペルガー型の子ども6例、③脳の構造上の損傷がある二次的影響として起こる「結果的自閉症」4例。子どもの年齢は2歳半から17歳半にわたっており平均年齢は7歳半であった。①②群に入る25名のうち21名は、生まれた時から(驚くほど)おとなしく「よい」赤ちゃんであり、(あまり)母親の注意をひきつけることがなかった。21名のうち6名は身体接触を(はっきりと)いやがった。12名の母親は、子どもが泣き叫んだ時、ひとりにして放っておくといちばん早く静まったと報告している。25名のうち4名はよく「泣く子」であった。そのうち1名は泣きやむまで終始抱いてばかりいたが、他の3名はそういう手のかけ方は不規則であった。おとなしい赤ちゃんの母親は全員「きょうだいの他の子が泣いた時にはいつも普通に反応していた」という。このきょうだいたちは皆、接触を好む、積極的な魅力的な子に育っている。ということは、この親たちは子どもを正常に育てる能力のある人たちであり、彼らのひとりが自閉症になったのは基本的には子どものパーソナリティーによるものであることを示唆している。
・プレコップ博士が調べたところでは、この子どもたちのカルテには(生育歴に関して)「体重、頭囲、授乳量、歩き始めや話し始めの時期などのような客観的かつ測定可能な具体的な情報ばかりで、子どもが母親からの接近やなぐさめを求めていたかどうか、受けていたかどうかなど、愛着的行動に関しては、まったく記述されていなかった」。
・自閉症児のうち24人は、以前からプレコップ博士の治療(統合的なもの)を受けていた(数ヶ月~4年間・平均2年間)が、結果は(自閉症児の場合には)失望すべきものであった。
・29名の自閉症児に対して、1981年8月から12月の間に「強制だきしめ法」(原則としてひとり1日1~2回、1回に1時間)を行った。
【結果】(4か月後)
・ただひとりの例外もなくこの子どもたちは全員が、よりリラックスし、より静かになり、受容力が高まり、より機敏、より快活になり、母親とも速やかにより多くの接触をもつようになり、よりじっと目を合わせるようになった。「抱きしめ」が、それ以前の治療で得られたものよりずっとめざましい重大な変化をひき起こした。抱かれることに対する最初の極端に強い抵抗は、まもなく母親との接触による明らかな喜びに取って替わった。母親との関係は全体として親密かつ「より意識的」になった。逆に、不機嫌、反抗、破壊的傾向は弱まっていった。母親たちは、最初にはひどくためらっていた人も、たいへん努力を要した人も、子どもとの親密な接触をひどくいやがっていた人も、すべて子どもの変化を見て大喜びした。治療者が強引に勧めてくれたことを感謝する人もいた。どの母親も「抱きしめ」によって子どもの真の情緒面の進歩が現れはじめたことを認めている。また、自信をもち始め、将来「抱きしめ」をやめようという人はひとりもいなかった。
【補遺】
・4人の母親は、子どもの物の扱い方に多様性が増したと報告している。5人の子どもには、周りの環境とかかわることへの興味が出ている。そのうちの2人(11歳と12歳、いずれも3年間プレコップ博士に3年間指導を受けていた)は、初めて「意識して」クリスマスをすごし、プレゼントを配る間も自分の番を待ち、自分のプレゼントを人に見せたりした。またオウム返ししか話せなかった3人の子どもは、抱いてもらっている間、以前に経験したことを母親に話しはじめた。(それまで不定詞と電文体だけを使っていた)ひとりの子どもは、初めて「ぼく」という語を使い、感情を自分の声の調子で表した。2人の子ども(3歳と3歳半)は、母を「ママ」、祖母を「ババ」と呼ぶなど、初めてことばを人とのやりとりに使い始めた。「自閉症だけでなく筋緊張低下もある」とされていたひとりの子どもは、まもなく筋の緊張を回復し、力強く動き回ったり、冬には元気よく雪かきをするようになった。アスペルガー型の子どもたちは、興味の範囲が広がり、新しい人間関係の形成にも関心をもち始めた。人との接触はよりやさしくなり同情心も増した。チェス(高い能力の片鱗)をしていた9歳の子どもはクリスマスプレゼントに、機械的な玩具ではなく、抱っこできるぬいぐるみのくまを欲しがった。そして初めてベッドで母親に寄り添うようになった。今まで時計と自動車道路の絵だけを描いていた6歳半の男の子が、今では動物や人間の物語を描き、ごっこ遊びでも相手の子どもの意見にそって役割がとれるようになった。
・どの例でも真の進歩がみられてはいるが、プレコップ博士は「まだ完全に回復した子はいない」ことを強調し、この結果だけではウェルチ法への心酔も全面拒否も正当化することはできない、としている。
*しかし、ウェルチ博士、ザッペラ博士、われわれ自身が、この本の中で紹介している多くの例は、より長期にわたる治療を受けており、実際に完全か、あるいはそれに近く回復している。プレコップ博士は「抱きしめ法」を、より大規模に行うべきだと感じているが、われわれも同意見である。(著者・ティンバーゲン夫妻)

《感想》
 以上は、ニコ・ティンバーゲン博士の講演記事を契機に、ドイツで「抱きしめ法」を導入したプレコップ博士の「中間報告」である。最も興味深いことは、博士が治療対象としていた37例のうち8例(22%)が、「抱きしめ法」を、母親に余力がない、時間がない、単純すぎて信じられない、などの理由で「拒否」した点である。それは、今から32年前(1981年)のことだが、はたして現代の(日本の)両親はどのような反応をするだろうか。おそらく、当時とまったく同じ理由で「全面拒否」する両親が大半であろう。しかし、日本にも「日本だっこ法協会」という団体があり「抱っこ法による個別援助」「各地での子育て支援活動」「研修会」「援助者の養成」「会報発行」などの活動を行っている。今後、そこでの実践が「実を結び」、日本全国に(よりいっそう)波及していくことを期待したい。
《追記》
・報告の中の「オウム返ししか話せなかった3人の子どもは、抱いてもらっている間、以前に経験したことを母親に話しはじめた。(それまで不定詞と電文体だけを使っていた)ひとりの子どもは、初めて「ぼく」という語を使い、感情を自分の声の調子で表した。2人の子ども(3歳と3歳半)は、母を「ママ」、祖母を「ババ」と呼ぶなど、初めてことばを人とのやりとりに使い始めた」いう一節もまた、たいそう興味深かった。それまで不定詞と電文体だけを使っていた子どもが、初めて「ぼく」という語を使い、感情を自分の声で表したという事実、3歳・3歳半の子どもが「ママ」「ババ」と呼び、初めてことばを人とのやりとりに使い始めたという事実、それらがともに「抱いてもらっている間」に生じたという事実は、人は相手と「最も密着」している関係の中でのみ、「自分」を「自分」として意識できるということを物語ってはいないか。つまり、母親に抱かれ「快感」(恍惚感)を味わっているのは誰でもない、「自分」なのだ、その「自分」こそ「ぼく」に他ならない、ということを深層部分で認識(理解)する、しかも母親に抱かれているのは、今「自分」しかいないというという「自信」と「誇り」(晴れがましさ)、「喜び」が芽生え始める。自分は母親といる時が「いちばん幸せだ」という愛着(絆)を感じ始める。そのことが「社会性」(発達)の第一歩に他ならない。だとすれば、「抱きしめ法」の眼目は、まず母親が子どもを抱くことによって「幸せ」を感じること、次に、その「幸せ」(感)を子どもに「身体接触」(密着)を通して伝えることであろう。「自閉症児」と呼ばれる子どもの母親にとって、今問われていることは、そのことに他ならない。(2013.12.29)




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「自閉症治癒への道」解読・《36》付録2 地域社会における自閉症児の治療(ミッシェル・ザッペラ)

◎要約
《付録2 地域社会における自閉症児の治療》(ミッシェル・ザッペラ)
【「非専門家」にも自閉症児と対話できている人がいる】
・この報告は自閉症の子どもと、日常生活をともにする人々との「相互交渉」を促進する治療の8年間の経験の要約である。
・この仕事は、(特殊学級や施設が閉鎖になり)子どもたちが自宅に帰されて両親と生活し、学校は通学だけになったことがきっかけで始まった。治療士や精神科医は、家庭や学校、村落を訪れて子どもを観察することになり、子どもを周りの人や物とより多く接触させる道を探る結果になった。このような「野外研究」への切り替えが、自閉症児の治療には実りの多いものであることがわかってきた。
・地域社会の「非専門家」(学生・教師・普通の子ども等)たちの中には、自閉症児とある種の「対話」を成立させたり発展させたりできる人がいて、病院内で見ていた以上に、多くの反応をひき出したり、一般的な興味を持たせたりした。
・その(初期の)段階で、ティンバーゲン夫妻の「論文」(1972年)は、助けになった。
・学校では、何人かの子どもが喜んで自閉症の子どもと接し、手を引いたり話しかけたりし、手でやり方を教えたりしながら、さまざまな活動にひき込んでくれた。その子たちは終始自閉症児に対して親切で身体接触をたくさん行い、子どもと向き合うよりも横に並ぶような位置をとり、とても熱心に取り組んでくれた。
・このような場面では、自閉症児が離れた所から他の人のすることを観察することによって多くのことを学びうることも明らかであった。(体育競技、遊びのやり方等)
・あるいはいろいろな活動の中に誘われる(やらされる)ことを通して、自閉症児はさまざまな活動(積み木、フィンガーペインティング、描画等)に導入されていく。
・一般的な治療方針(方策)は、子どもに対する優しさ、共感、非介入的行動と、時にはより激しく、介入的ですらある教示的干渉との組み合わせであった。
・一貫して子どもの「深層の要求」を感じとり、人への信頼を育て、精神的発達を促すよう努力した。その結果、自閉症児は例外なく、人々や周りの世界と情緒的なつながりをもち始めた。
【自閉症児と対話できる人を育てることもできる】
・ある学校で、自閉的な状態から抜け出した子どもが、自分のクラスの小さな男の子たちを叩き始め、別のクラスに行って自分のしたことを先生に話し、次々と他の子どもを叩き、教室全体を混乱に陥れたとき、教師はそれを止めなかった。(その子の攻撃性をつのらせたくない。その子を束縛していいか。しかし、他の子がケガをさせられる、他の子も荒れ始める、というおそれもある、という迷いが生じた)
・私は呼ばれて、「自閉症児の子どもには同情だけでなく、必要な時にはしつけも必要である」ことを力説した。1か月後、先生たちは、この一見矛盾する助言を実現しており、秩序が回復し、その子も進歩を続けていた。
・自閉症の子どもたちは、安定した情緒的に豊かな環境に住むことができる場合には、地域社会の一員であることが有益であり、状態が驚くほど改善する。
【家族が自閉症児治療の中心になりうる】
・子どもたちの追跡研究の結果、家族に強い豊かな、多様な「情緒的交流」が育っていた子どもたちだけが、その後もさらに進歩し、その他の子どもたちは悪化していることがわかった。後者の子どもたちは、内的な不和・摩擦・分裂をともなう家族と暮らしていたことが判明した。
・成功例1:母親が妊娠中風疹にかかり、聾で生まれた。3歳半の時は口をきかず、失禁があり、さまざまな常同行動を示していたが、母親が「正話法」によるリハビリテーションを始め、子どもとの間に強い絆を育てたところ、さらに驚くべき進歩を示した。現在11歳で、学校には4年生として通学し、成績もよく情緒および社会的適応も良好である。
・成功例2:3歳半の時、強くひきこもっており一貫して視線を避け、2~3語オウム返しに言うだけだった。母親が家を去り、父と妹と祖父母が残ったが、家庭状況は今までよりずっと「調和的」になり、家族の間に「温かい関係」ができてきた。この子は保育園に通い、6歳までに言語や認知的・情緒的・社会的行動は「ごく普通」になった。現在9歳半で4年生になり、成績もよく今もまったく正常である。
・しかしながら、他のケースでは、家庭の中での葛藤、コミュニケーションの困難さ、家族の不和などで、進歩が妨げられたり、逆行したり、破局的な悪化を示すことが少なくない。
・そこで私は、自閉症児に対して「家族をより直接的に関与させる」ことをねらった治療を行うことにした。以下は、その事例報告(の一部)である。
【事例1 アントニオの場合】(初診6歳半)
・若い夫婦のひとりっ子。
・人に対してひきこもり、三人称かオウム返し、意味のわからないような話し方、時々視線をそらしていた。雷鳴、ケガをした時には一時的な激しい不安。複雑な管状の図形を描くことができたが、人間は描かなかった.
・初めは普通に育っていたが、2歳頃から自閉的傾向を示し始め、その後悪化した。
・両親には結婚当初から摩擦と不和があった。
・「もっと子どもの相手になるように」という助言に従って、父親は積み木遊び、読み書きの学習の手助けをした。父親と息子の間に強い絆ができていった。
・母親は、夫との葛藤に妨げられ、また家事の都合、罪悪感、夫よりもよくない親だと感じていたことなどのために、絆をつくることがうまくできなかった。
・両親とくり返し話し、両親の悩みについて話し合ったところ、母親の罪意識を解くのに役立ち、まもなく母親は息子との絆づくりに積極的な役割をとり始めた。家族のつながりもよくなり、子どもの想像的・芸術的能力が励まされた。
・父親は担任教師とうまが合い、何か月か毎日2時間アントニオの学校に付いて行き、ひとりで全部やれるようになるまで付き添った。
・1年後、アントニオは普通に話し、読み書きもでき、両親や他の大人ともうまく接することができ、友だちとの関係がややはにかみやであった点を除けば、あらゆる面で正常になっていた。
・治療終了後3年目で10歳になった今、社会的能力は著しく向上し、同年の普通の子とまったく同じようにふるまい、小学校5年生で成績もよい。

*このケースによって、自閉症児は両親その他の非専門家を治療に参加させることによって治療できること、これは家庭と地域社会に調和が保たれている時に最もうまくいく、家庭内に分裂や軋轢があると回復が妨げられたり悪化をひき起こすという確信を強めた。
・その確信は、1979年、ティンバーゲン教授夫妻からウェルチ博士の研究についてうかがい、その論文を読み、直接お目にかかって話し合い、一緒に仕事をする機会をもったことにより、いっそう強められ明確なものになった。
・この接触によって、治療方策の第三段階が生まれた。すなわち、段階的に次の三つの治療方法を加える結果になった。①対面相互反応をより多く取り入れること。(それまでは横に並んだ位置の方が好ましいと考えていた)、②母親に単に「抱く」ことを含め、それ以上に、普通の母親が本能的文化的に母性行動の一部として行っているような行動を積極的にとるようにさせること、③母親がさまざまの方法で子どもの成長を促すよう刺激することを勧め、暖かく、愛情深い接触を伴うようにさせること。この方法は、自閉症の子どもの回復にも母親にもたいへん重要であることがわかったが、同時にまた「抱擁」という単なる機械的作業に陥り、母親が単調な受け身的な非刺激的行動をとるようになる危険ももっていることがわかった。母子双方について相互的な温かい愛情深い行動を達成させなければいけない。
・次の事例は、すべてこの第三段階、1981年4月までの1年間に治療したものである。

【事例2 ジョージの場合】(初診6歳)
・レーバー氏病という先天的な病気にかかっており、周辺視野の視力はあっても中心視力が欠損していた。
・正常に生まれ、11か月の時歩き始め、ことばを話し始めた。
・しかし2年目に、話すこと、自発的歩行が止まった。
・6歳の初診時、大部分の時間をひとりで座るか寝ころんですごし、手をヒラヒラさせる動きをくり返したえまなく続けていた。ことばは一言も発せず、話しかけに反応しなかった。視線をそらし、介助がなければ二、三歩以上は歩けなかった。(両親、姉、兄、父方の祖父母と一緒に暮らしていた)
・治療は「母親による抱きしめ」から始めた。母親はこれを一貫して長時間行ったが、最初の3か月間は何の進歩もなかった。
・外来クリニックから「家庭訪問治療」に切り換えた。母親の日課は、午前中は家事、午後はドライブに終始していたので、「新しいおもちゃを与えること」「生活様式を変えてみること」(子どもに対してもっと厳格になること)を助言した。
・そのすぐあとに変化が起こった。母親がジョージを床屋に連れて行き、いつものように激しい抵抗が始まった時、母親は頭を手でしっかり抑え、顔を突き合わせて抱きかかえ、静かにちゃんとしているように怒った調子で話した。突然子どもはおとなしくなった。母親は家でもいくつかの厳格な命令をした。すると今まで見たことのないような成果が得られた。
・「抱きしめ」の時、子どもがあまり何も言わないので、子どもを腕にかかえて向かい合わせに抱き、大きな声で、自分を「マミー」と呼ぶように要求した。それから、子どもを下におろして押さえつけ、子どもが呼び声をたてているのに、数分にわたって要求をくり返した。すると突然子どもがすすり泣きながら「マミー、マミー」と言った。そこで母親は再び腕にかかえ、今度は非常に優しく冗談を言ったり、あやしたりしながら話しかけた。すると子どもは声を出して笑い始め、母親の言っていることばを何語かまねて言った。
母親は、自分ひとりでここまでやれたことを誇りに思う、と語った。(それまで、母親としての自信がなく、義理の両親に抑えられているように思ってきたという)
・母親は、午後いっぱいを子どもと過ごすことに決心した。
・その後の4か月間、母親はジョージとの対面接触を続けたが、その方法をいろいろ変えた。抱くことはしばらくして止めたが、身体接触を多くもつことは続けた。衣服の着脱をひとりですることを要求し始め、積み木を積みあげること、その他の活動でも子どもの手を取って手伝うこともやり始めた。
・母親が親としての能力を回復してから4か月後、ジョージは50語を発することができ、短い適切な文章で話し、食事、衣服の着脱、歩き回る、走り回る、ボール遊びができるようになり、両親や家族、先生とも温かい関係を保っている。多くの常同行動もなくなった。
【事例3 サイモンの場合】(初診5歳半)
・問題の多い家庭のひとりっ子であった。(父親は「精神病質」、妻に対して攻撃的、批判的、商店の店員としては有能。母親は消極的で従順、父方の祖父母、父親の妹から「知恵遅れ」と言われていた。サイモンは、母方の祖母、父方の叔母と一緒に暮らしていた)
・初診時、終始視線をそらしており、ひどく多動。手で物をつかむことができなかった。ことばは意味不明な単語の「ごちゃまぜ」で一部オウム返しが入っていた。
・治療に最初の期間(1年半)は、家族全体や保育園をも含めた定期的治療を行ったが、成功しなかった。
・7歳になっても「ほんのわずかしか」よくなっていなかった。
・そこで毎週、作業療法をすることにし母親も参加・協力した。
・数週後、一家は他の待ちへ引っ越したが、母親とサイモンだけは残り、引き続き作業療法と通学を続けた。
・一方では、母親に「毎日できるだけ長時間子どもを抱っこしているように」と勧めた。
・母親は非常に明るくなり、「100パーセントこの子を世話し、心ゆくまで手をかけてやれるという感じがする」と言った。
・毎日かかさず子どもを腕に抱き、物をつかむ、ひとりで食べる、絵を描くなどの能力の発達を促す工夫をした。
・その頃から、父親も治療に参加するようになった。
・6か月後、(一家が戻ってきた時には)状況は一変していた。母親は元気満々でサイモンに関する事柄については完全な決定権をもっていた。父親は、母親や息子の味方として慎み深い普通の父親としてふるまい、精神病的な行動は跡形もなく消えていた。
・こうして1年後には、サイモンはオウム返しもなく正しい文章で流暢に話すことができ、まっすぐ人の目を見たり、からだに触れたりし、多動ではなく、人形の形を描いたり、色の名を言ったりもし、急速かつ連続的な進歩を示している。
【事例4 ジョセフの場合】(初診4歳)
・他の人から距離を隔てること、三人称で話すこと、時々オウム返しがあることなど、軽い自閉的様相を示していたが、視線をそらすことはなく、時々直接質問することもあった。積み木を重ねて塔をつくることはできたが、鉛筆を握ることは決してしなかった。
・7歳、8歳の(知的で活動的な)姉がいたが、ジョセフとはあまりかかわらなかった。
・母親には、ジョセフを向かい合わせに腕に抱き、目を見ながら、毎日少なくとも1~2時間「慰撫」するように話し、父親にはプロセスごっこなどいろいろな遊びをするように話した。
・両親とも協力的で、1か月後に子どもに会った時には、自閉的様相は急速に消失していた。たいていは人に直接話しかけ、ひきこもりも減り、他の子どもともよく遊んでいた。・その後の数か月間もこの改善は続き、治療は認知能力の遅れの克服を助けることのほうに重点がおかれ始めた。
・初診から1年たった今、大人とも子どもとも正常にかかわり、自閉的様相はまったく見られず、家などを相当くわしく描いたりする状態で、同年の普通の子どもの能力レベルに徐々に追いついている。
【事例5 オリビアの場合】(初診3歳)
・2歳までの発達は一見正常であったが、母親が働き過ぎになった頃から自閉的傾向が現れてきた。朝8時から夕方6時まで保育園に預けられた。家の引っ越しがあって、なついていた親類との接触が失われた。保育園の先生も突然変わったりした。
・初診時、極端に人を避け、悲しそうな表情をし、自分のこぶしを打ちつけ、ほとんどいつも二つのこぶしを重ねており、視線をそらし、話しかけに反応せず、発声は意味のわからない音のつながりであった。
・母親に、①入浴は一緒にすること、②並んで座ってなでたり優しく話しかけたりすること、③他の家族も同じようにし、あまり直接的でないやりとりをするように、などの実際的指示を与えた。「かくれんぼ」「お手々パチパチ」などの簡単なゲームをしたり、温かい笑顔で接するように促した。
・両親は、街を離れて田舎に戻り、母方の両親(農家)と同居する決心をした。
・オリビアは、動物と喜んで遊んだ。オリビアは自分が見られていないと感ずるとよく物をいじるような様子が見られるようになったので、両親の少し後で「食事」をするようにさせたところ、手づかみであったがひとりで食べられるようになった。母親に、オリビアと一緒にベッドに行き、話しかけたり撫でてやったりすることを勧めた。
・1か月後、オリビアはみるからに明るい、よく笑う子になった。階段の昇り降りもでき、ゴチャゴチャした喃語の中にいくつかの明瞭な単語も聞こえる時があった。しかし、こぶしを叩くことは続いていた。
・当時、彼女の周りで治療的にいちばん役に立っていたのは祖父であった。彼は「おどける」ことが上手で、彼女は祖父を呼んだり、顔を叩いたりして「じゃれ合う」遊びを喜んだ。
・この時期にウェルチ式治療のことを知り、この方法を加えた。
・最初の2か月は、今まで以上の進歩は見られなかった。
・母親が1か月の休暇中、オリビアを海岸に連れて行き、祖父と「離れ離れ」になったことで、彼女は「退行」した。その後、もとの状態にもどるまで6か月かかった。
・両親はひどく気落ちし、二度と回復しないのではと思うようになってしまった。
・そこで、母親に3か月仕事をやめ、オリビアと一緒に過ごすこと(抱く、目を合わせる、話しかけをくり返す、撫でる、あやす)を勧め、物に触らせたり、握らせたり、手を握っていてやったり、からだにくっつけておいたりするように助言した。するとオリビアは、急速に進歩した。
・母親が仕事をやめて3か月後、オリビアは自分のこぶしを叩くのをまったく止め、30語を正しく使い、短い文章を話し、ひとりで食べることができ、顔の表情が豊かになり、たいていは明るく笑っている。視線をそらすことはなく、話しかけに答え、両親や親類や他人ともさまざまの豊かな方法でかかわり、自閉的な行動は少しも示していない。
【結論】
・1981年4月現在、これまで治療にかかわった事例の(治療終了後3年間の)追跡を行っているが、ほとんどのケースが(今も)正常な状態であり、家族や他の人との情緒的関係も良好で、正常な発達を遂げている。結局11例中9例で、効果があった。当初の家族による治療に、ウェルチ療法を加えて組み合わせたことが、たいへん有効であった。
・効果がなかった2ケースは、①両親と治療者(ザッペラ医師)との間の接触不十分(遠距離)、②家庭内の混乱・摩擦状態という要素がむすびついていると思われる。
《指針》
⑴自閉症児の家族は、あまり遠くないところに住む治療者・治療グループからの助言・監督を必要としている。クリニックや家庭での頻繁な接触を通して、両親・学校・教師が適切な指導法を開発していくのを援助することが必要である。
*やさしくすること、抱いてやること、低い声で話しかけること、視線を合わせることを避けることなども、時によって、強行「突破」、その他の断固たる指導や、向かい合わせの対面や強固な抱きしめなどに変える必要がでてくる。乱暴な遊びや、ふざけっこなどの非音声的やりとりは、子どもの言語的やりとりを発達させるのに役立つ。動物とつきあうチャンスを与えることも、人とのむすびつきをつける準備として役立つことがある。
⑵美しい物にふれさせ、それを他の人が見て賞賛したり歓喜したりするありさまにふれさせると、美しさや「すてき」なことに対する子どもの自然な喜びを高めることができる。
こういったうれしい体験やふざけあいなどを他の人と共にすることは、人との情緒的な発達を助ける。
⑶両親にも教師にも、一時的退行や進歩のなさなどについての絶望感を克服させるためには、くり返し精神的支援と励ましを与えることが必要である。
⑷家族内の調和的雰囲気は最も重要であり、治療者はそういう混沌状態や態度を発見して静めるうえで重要な役割をもつ。時には残酷とも思われるやり方で自分たちの短所に直面させなければならないこともあるが、同時に希望を持ち続けられるように援助しなければならない。治療者が家庭内の調和を保つことに成功すれば、両親に「超一級の親になる」という困難な課題に対して相互に助け合うようにさせることができる。治療者が折にふれて両親に、自分自身の配偶者や子どもの問題について経験した難しい問題について話すことができれば助けになることがある。こういうことも治療者チームのメンバー同士が互いにそういう経験を交換しあえるようだと、よりやりやすくなる。
*この治療法はまだ今後とも発展の過程にあるものだが、ここに述べたケースは自閉症児とその両親がいかにすれば指導によって正常な幸福な生活にもどりうるかをよく示している。

《感想》
 以上が、ミッシェル・ザッペラ博士の論文である。彼の「治療」(方法)の特徴は、①まず自閉症児が生活している「地域社会」のあり方に注目し、そこにいる「非専門家」(学校の教師や子どもたち、学生)の力を活用すること、②自閉症児が存在基盤としている「家庭」のあり方を観察し、主として「家族関係」を治療の対象とすること、③さらに進んで、「家族関係」の中でも、特に「母子関係」を治療すること、その中に「ウェルチ療法」(抱きしめ法)を導入すること、である。その方法は、「自閉症の子どもと、日常生活をともにする人々との『相互交渉』を促進する治療」という点で一貫している。つまり、自閉症児を「単独で」治療するのではなく、両親、家族、地域の人々(教師、クラスメート)と「一緒に」治療し、その「相互交渉」がスムーズにいくように改善するのである。そのためには病院を出て「野外研究」をしなければならない。事実、報告を読むと、博士の仕事の大半が、両親、家族、学校、教師、クラスメートに対して「どのようにその子と向き合えばよいか」を説明・説得することに終始していることがわかる。具体的には、①横に並んで一緒に行動すること、②前に位置して行動を観察させること、③正面から向かい合って「関わる」こと、時には親しみをこめて優しく温かく、時には毅然として厳格に、といった「関わり方」を臨機応援に使い分けなければならない。そのことによって初めて、周囲の人々が自閉症児と関わる「自信」(誇り)が生まれ、それが自閉症児に「回復」と「安定」をもたらす、ということであろう。博士はまた、「治療者が折にふれて両親に、自分自身の配偶者や子どもの問題について経験した難しい問題について話すことができれば助けになることがある」とも述べている。それは、治療者もまた両親と「同じ立場」にたっており、自分自身も「まな板にのって」(同じ土俵の中で)問題の解決を図ろうとする、誠実さの現れである、と私は感じた。とりわけ、「家族内の調和的雰囲気は最も重要であり、治療者はそういう混沌状態や態度を発見して静めるうえで重要な役割をもつ。時には残酷とも思われるやり方で自分たちの短所に直面させなければならないこともあるが、同時に希望を持ち続けられるように援助しなければならない」という博士の「使命感」(信念)に強い感銘を受けた次第である。(2013.12.27)




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「自閉症治癒への道」解読・《35》付録1 「母子抱きしめ療法による自閉症からの回復」(マーサ・G・ウェルチ)〈2〉

◎要約
《付録1 母子抱きしめ療法による自閉症からの回復》(マーサ・G・ウェルチ)
【治療の方法】
《母と子の絆をつくることがすべての基本》
・治療の課題は、自閉症の子どもとその母親との間に強い絆を確立することにある。
・治療をうまく成功させるには、治療者が母と子の間に立ち入らないことである。しかし、父親や祖母その他の家族を治療に引き入れなければならない。
・母と子どもを再び結びつけるいかなる行為も、子どもの自閉症からの回復を助ける。自閉症は、接触をもつこと、接触を受け入れることからのひきこもりであり、拒否であるから、母と子を結びつけることは非常に困難である。治療者は母子双方の葛藤を解決しなければならない。治療者は子どもの抵抗や無反応および母親自身のためらいや抑制の両方を克服しなければならない。母親が子どもからの拒否に直面しながらやりぬくためには多大の支援が必要である。父親や祖母などが、必要な支援を与えるうえの鍵になる。治療者は母親のもつ夫や自分の母親との間の葛藤の解消を助けなければならない。
・母親が子どもの自閉の壁を突破するための最上の方法は身体接触である。自閉症児は強い身体接触には抵抗する。母親は子どもが接触を受け入れるまでやりぬかなければいけない。
・母親自身が、子どもとうまくつながりがもてたと感じ始めたら、子どもの行動に制限を設けることや、子どもに何かを要求することについて母親に指示を与えてもよい。これは、自閉症児の親がとくに苦手とする領域である。とくに母親は、制限を設けることなどできないしその権利もないという気持ちでいる。子どもと積極的なやりとりができるようになるとはじめて、自分からも子どもに対してある程度の要求ができるという気がしてくる。
《いつから、どのように始めるか》
・抱きしめ療法は、初回、家族の紹介がすんだらただちに開始するのが最もよい。
・抱きしめ療法は、自閉症の子どもとのつながりをつけるための基本的方法を、母親に教えることになる。その結果つながりができてくると、自分の子どもを取りもどすことができるという希望が湧いてくる。抱きしめをしてみて初めて、母親は自閉的なひきこもりをもたらしたものが何であったかをはっきりつかめるようになることがしばしばある。
《望ましい効果が出るまでやりぬくこと》
・抱きしめ療法を行うのに最もよい場所はやわらかいソファである。子どもはからだで激しく抵抗するのが普通である。やわらかいソファかマットならふたりの身体的外傷を防ぐことができる。
・母親に子どもを膝の上に向かい合わせに抱いてもらう。父親には横に座ってもらい腕で母親を抱いてもらう。子どもは膝を曲げ、母親の膝にまたがって座る。母親は子どもの腕を自分のからだに巻きつかせ、それをわきの下にしっかりと押さえ込む。そうなったら、目と目を合わせるために子どもの頭を手で支えるようにしてもよい。この姿勢は母子ともに必ずしも心地よいものではない。
・通常母親はすぐに子どもにいやがられ拒まれてしまう。(治療者は母親に対して、子どもが近寄りたいという気持ちとひきこもりたいという気持ちの両方の混じった感情をどのように表しているかを知らせる必要がある)
・母親は最初は抱き方がうまくない。開いた掌でしっかりと相手をとらえることができない。抱き方がいつもぎこちなく、弱い。治療者は母親にきっちり、しっかり抱くように言う必要がある。
・最初母親は子どもを抱きたがらない。このような形で自分の子どもを追いつめることを快く思っていない。そこで実際に抱くことによって、抱きたい気持ちになることができるものであることをなんとか母親に理解させなければならない。母親はしっかり決心がつくところまで行かないうちに放り出してしまいがちである。望ましい相互作用が出てくるまでやりぬくように勧めなければならない。
《父親や祖母の参加も重要》
・回を重ねていくうちいつしか、母親の、子どもや自分自身に対する感情、態度が変わってくる。(子どもに対する感情が芽生えてくる。子どもへの愛情を実感することができる。自尊心が高まる。失敗感が勝利感に代わる。)
・身体的接触を維持していると、葛藤があっても関係の崩壊を起こさない。
・理想的にはこの治療過程に父親が参加すべきである。
・父親がいない場合には、母方の祖母はとくに重要になる。
《抱きしめ療法の要点》
・母親に子どもをからだで抱いてもらう。
・自閉症児は抱かれることに抵抗する。
。母親に決して諦めさせてはいけない。母親は子どもをぴったりと抱き、視線を合わせるよう努めなければならない。結局は闘いになる。叫び声を発したり、噛みついたり、つばを吐いたり、叩いたりするが、からだをゆるめ、母親のからだにあわせてくっつき、しがみつき、目を合わせ、母親の顔をそっとなでたり、ついには話し出したりするまで、母親は抱き続けなければならない。
・母親はこの抱きしめを家でもやらなくてはいけない。少なくとも1日に1回と、子どもが調子がわるいとという様子がみられた時はいつでも行う。1回の抱きしめは少なくとも1時間は続ける。
・父親が子どもを直接抱きしめるのは、母親の抱きしめの代わりではなくその補足でなくてはならない。
《治療者の役割》
1 母親が子どもを抱きしめることを励まし、激励し、強要すること。
2 母と子が、出していながら互いに理解できないでいる信号を観察し、通訳すること。
3 母と子、母と他の家族との葛藤を分析し、解説すること。
4 母と子が経験する怒りや抑うつにたじろぐことなく耐え抜くこと。とるべき役割の模範を示すこと。
5 父親の協力をとりつけること。父親も子どもの抱き方を学ばなければならない。
6 母親の問題を解決に導くこと。
* 治療者は抱きしめをしてはならない。治療者は両親に、とくに怒りを感じた時に、互いに身体的に抱き合うことを教えなければならない。怒った時に抱き合うことを学ぶと、新しい親和関係が獲得される。この親和関係は母親の献身能力を増大し、それが子どもにも伝わる。
 このように母子抱きしめ療法は、家族複合体全体を巻き込んだ強力な治療法である。これは実にしんどい作業であるが、確実な効果があるゆえにやる価値がある。
【事例資料】
《事例1 H・Mの場合》(初診3歳6か月)
・ことばがない。人とのつながりがもてない。多動。発達遅滞。奇妙な様子をする。水洗トイレの水を流す・積み木を正確に一列に並べることに執着する。
・執着している行動をさえぎられるとかんしゃくを起こした。
・母親は冷たく、よそよそしい、知的な人であった。
・母親は8か月の頃以来、着替え・食事以外抱いたことがなかった、という。
・抱きしめを6週間毎日行ったところ、はじめてことばを発した。すさまじい抱きしめ闘争のあと「抱いてありがとう」と言った。(一足飛びに完全な文章で話す段階まで進んだ)
・その後もことばが急速に伸びた。同時に目が合うようになってきた。
・6か月後には他の子どもたちと遊ぶようになっていた。
・4歳半までには読みのレディネスを示すようになった。(文字をおぼえた)
・現在8歳で3学年に在籍し、中以上の成績を示している。行動上の問題はまったくない。
・母親も、温かい、愛情深い、おだやかながらしっかりした人になっている。
《事例2 P・Kの場合》(初診7歳)
・人との関係がもてない。多動・破壊的。発達が遅れているが潜在的に高い能力をもつ兆候。奇妙な様子(手をひらひらさせる)。ことばはつぶやきのみで伝達の用をなさない。物を並べることに執着する。
・1歳1か月(弟の誕生時)までは正常に発達し、ことばも話しはじめていたが、4歳まではまったく音声を出さず、英語でわけのわからないことを話していた。
・両親はスペイン語しか話さなかった。母は子どもに対して冷たく、よく罰を与えた。
・1年間、抱きしめ療法を行った結果、多動ではなくなってきた。英語もスペイン語も話せるようになった。読みの能力は年齢水準より数年上であった。変化にも適応できるようになり、自分の感情をことばに変えて気をおさめることができた。1年後の治療終了時「じゃあ、どうしても行っちゃうの?」と言い「そう」と言われると「じゃ、もう口をきかないから」と言った。ひきこもってしまおうという衝動をもったのである。
・しかし、愛情豊かなしっかりした人になっていた母親が抱きしめを続け、子どもは発達し続けていった。
《事例3 H・Iの場合》(初診4歳6か月)
・人とのつながりがもてない。ことばを言わない。奇妙な様子をする。物をクルクル回すことにこだわる。
・養子であり、養母に対して最初から反応を示さず、ひとりで放っておかれた。
・2歳6か月から2年間、母子一緒の治療を受けていた。
・4歳6か月から、抱きしめ療法を開始した。母親から顔を背けて親指をしゃぶったままなら抱かれていて平気だった。母親がしいて自分の顔の方に向けさせようとすると目をつむった。母親がそれを続けると感情の高ぶりをぶつけてきた。抱きしめ療法を続けた結果、手や目を使って母親の顔をまさぐろうとするようになった。からだをあわせるようになり、しがみつくようになってきた。
・母親は毎日抱きしめを行うほか、かんしゃくや調子が悪いことを示す兆候がみられ時は、いつでも抱いた。(抱きしめによって接触が確立され、子どもはひきこもりによってではなく母親からなぐさめを得ることができるようになった)
・現在9歳で、抱きしめ療法終了後3年たつが、4学年に在籍し、学年水準以上に達している。正常に遊べるし変化にも適応している。自分の感情をことばで調整している。
・今も毎日母親に抱きしめを要求し、母親も快くそれに応じている。
《事例4 H・Kの場合》(初診1歳10か月)
・発達は遅れ、人との関係をもたず、ことばを話さず、動きが乏しかった。
・1歳10か月まで1年間フェノバルビタール(坑てんかん薬)を投与されており、これが自閉的ひきこもりに拍車をかけていた。
・生まれた時から重い眼筋異常があり、それが母親と視線をあわせることを妨げていた。
・母親は出産前後、非常に抑うつ的で、子どもから好かれていないと感じていた。
・子どもは、抱きしめに対してすぐに手応えを示した。目をつむり、1時間以上にわたって泣き、叫び、もがいた。それから静まり、抱かれたままでいた。しばらくして、祖父に向かって「おじいちゃん」と呼んだり、他に人の名前を呼んだり、初めて人形と遊ぶようになった。
・今では、正常な幼児のように喃語、単語、文章などの発語、発声がある。脚は、廃用性萎縮からくる発育不全を示していたが、現在はよく歩き、周囲を探索することが好きである。好奇心は一週ごとに拡がってきている。音楽が好きで今はピアノを習っている。
・抱きしめ療法を3年続けたがまだ正常ではない。(現在4歳10か月)
・話したがらないほうで、最近母親に「ペラペラペラペラ。私おしゃべりのしすぎね」と言った。
・治療は進行中で変化も続いている。自分の葛藤をあらわすことばを使い始めている。先週母親に、自分は母親がきらいだと言った。両親に対する愛情をことばに出すことも多いが、これは自分の消極的感情を表すのにことばを使った最初の出来事である。
・抱きしめ療法による「格闘」は、今も続いている。
《事例5 L・Gの場合》(初診10歳)
・人との関係をもたず、動き方や姿勢が奇妙。からだをゆすり、爪先立ちで歩き、手をひらひらさせ、よだれを出していた。
・生後2か月までは正常な反応を示していたが、おとなしく要求が少なかった。
・以後、反応を示さなくなった。
・1歳6か月頃まで、母親は新しい家の建物の管理に追われ、子どもを車の中に放りっぱなしにしておくことが多かった。
・6歳の時から自閉症児のための収容施設に入れられた。
・10歳の時、第1回の抱きしめ療法のあと、ことばをしゃべった。
・母親は、子どもがことばを話してさえくれれば、もう施設には送り返さないと言った。しかし、生まれて初めて数語を話した時、「これではまだダメ。施設に送り返します」と言い張った。子どもは治療の間に視線が合うようになってきたが、母親のことばを聞いてから、再び視線を避け、扉をパタンとやるようになった。そしてすぐに著しいひきこもりを示すようになった。
・何回かの抱きしめ療法をしているうちに、子どもは破壊的な行動をやめた。
・子どもの行動が落ち着いてきたので(目が離せない状態ではなくなったので)家族は子どもをひき続き家におくことにした。
・母親が子どもを抱いて無理に自分の顔を見させようとした時、子どもが初めて泣き出し、正常な子どもと同じような感情を示した。(その瞬間、母親は深く心を動かされたようであった)
・しかし、母親は毎朝遅くまで寝ており、8歳の妹がL・Gが自閉症児の養護学校に行くのを手伝っていた。
・母親は毎日働いており、7時頃仕事からもどった。寝る前に30~45分抱いた。治療に訪れる時は、いつも1時間以上遅れて来た。父親も同行することがあったが、まったくあてにはならなかった。治療は夏には中断した。両親は自分たちが二人で遠出ができるように、三人の子どもたちを8週間のキャンプに入れることを選んだ。それきり治療にはもどってこなかった。
《事例6 C・Cの場合》(初診6か月)
・生後2週間目から、気むずかしく、世話を受けつけず、人ぎらいであった。反りかえって顔をそむける、泣いたり身もだえして身体接触に抵抗し、逃れようとした。
・母親と他の人を見分けている様子はみられなかった。微笑反応は、相手が数フィート離れている時のみ出現した。抱いてもらう時の良き反応はみられなかった。おもちゃに対しても反応を示さなかった。声も喃語も発しなかった。固形食・乳児食も拒んだ。母乳を与えると吸いながら、一方の腕で母親を押していた。おしゃぶりを吸わせて視線をそらしていられる場合のみ、抱かれるのを拒まなかった。それ以上の接触をしようとすると、金切り声をたてたり、あばれたりして手がつけられなかった。
・C・Cは第四子であったが、出産前から母親には、男の子が欲しい、子どもに縛られたくない、子どもに異常がないか、などの心配があった。案の定、C・Cは墜落分娩(医師が居合わせなかった)で母親は狼狽、内反足、へその部分がふくれるなどの欠陥で「異常」を感じ、「上の子どもたちと比べて劣る」と確信してしまった。以後、母親のC・Cに対する愛着は妨げられ「この子に対して何の感情ももっていなかった」という。しかし、その感情がC・C本人に伝わってしまうことには気づいていなかった。
・抱きしめ療法開始二週間後、母親はC・Cを「かばう」気持ちをもち始めた。抱きしめは毎日やった。子どもは泣き、もがき、視線をそらそうとしたが結局は静かになった。母親に向かって笑いかけ、初めて母親のからだに身を寄せ、しがみつき始めた。そして正常な発達をし始めた。
・3か月後、母親は子どもをかわいいと思い始めた。
・現在1歳1か月に入り、子どもは正常な、対人的にもよく反応する、愛らしい赤ちゃんになっている。見知らぬ人に対しては適度の人見知りを示し、他の子どもに対しては強い興味を示している。
・C・Cに対する母親の態度やふるまい方は、普通の母親と変わらない。
【考察】
《母子の愛着は、崩れるが修復もできる》
・正常発達は母と子の間の強い人間的絆のもとで進行するものである。自閉症においてはこの対人的絆が欠如しているか、あっても非常に弱い。自閉症児とその母親の間に強い対人的な絆が確立・回復されれば正常発達がもたらされることになる。事実、そのとおりである。
・自閉症は母子間のつまずきの最終の結果である。愛着もしくは結びつきの過程は妊娠期間に始まり、一生を通して深められていく。出生は決定的な時期であり、早産その他、新生児期の異常があった場合には重大な瓦解が起こりやすい。それから先も、愛着関係は(どの時期においても)瓦解しうる。早期に起こった場合ほど、愛着形成はうまくいかない。
・進行中の愛着関係を妨げる状況・事柄は、自閉症につながることがある。(例・長期にわたる母子分離)
・しかしながら、愛着はいかなる時期にも瓦解しうると同様、いかなる時期にも修復しうる。
《母も子もともに犠牲者である》
・自閉症は母子双方の問題である。母親も子どもと同じく犠牲者である。何らかの「状況」や「生活事象」が進行中の「結びつき過程」を妨げる。その相互作用の結果、子どもは絶望、怖れ、フラストレーション、怒りの「果て」に「ひきこもっていく」。母親は、沈み込み、希望を失い、子どもの「ひきこもり」(自閉的状態)をそのまま「受け入れて」しまう。
・生活上の出来事が母子の関係を破局的に瓦解させた場合にかぎって、自閉症につながっていく。母親の心を著しくかき乱すような出来事や事態は、すべて子どもに「ひきこもり」を生じさせうる。関係瓦解の瞬間には、母親も子どもも同様に深い影響を受ける。それに対する子どもの反応は初めに「抗議」という形で始まったとしても、終局的には「ひきこもり」という形になっていく。母親の反応は、子どもを「ひきこもり」から奪回する結果になりにくい。相互和解が成立しないのである。子どもは自閉的ひきこもりの強化という方向で、母親は母親なりの何らかの方法で、この変化と荒廃した関係に適応していく。その頃は、子どもはもう手の届かない所まで行ってしまっている。
・母子が診断に訪れる頃までには、ふたりとも「一種の適応的状態」に落ち着いてしまっている。母親は理性的で事態に対処する能力をもっているようにみえるが、これとは対照的に子どものほうは明らかに異常を示している。母子の相互作用をよく見ていると、母親はおのずと子どもから「距離をおいている」ことがわかる。
《父親は母親を支えることが重要》
・一般に、母親は父親以上に、自閉症の子どもから「距離をおいている」。治療開始前には、父親の方が驚くほど多く子どもとつながりをもっており、つながりをもとうと心がけている。父親の方が子どもの扱いやつながりをもつ能力が高いのを見て、母親がさらに身をひいてしまうような家族もある。そのような場合、母親は父親に対し怒りを感じ拒否的になっている。どの事例でも両親の間には、感情の行き違いがある。治療では父親の注意を母親に向き直らせなければならない。父親が母親を支え、大事にするようになると、母親も子どもに専念するエネルギーを得ることができる。
・自閉症から正常発達への回復が早い例では、両親の間の問題は速やかに解決している。
・母親と母方の祖母との間には、深刻な問題がある場合がある。(そのような場合)ふたりの間には身体接触がないか、きわめて少ない。表面的にはよい関係のように見えるが、よく調べてみると、基本的な断絶がある。  ・きょうだいがいる場合、きょうだいの方が「親より」その子にいろいろ要求し、そうやらせていることが多い。自閉症児の親は、子どもへの期待を高めていくことが難しい。
《「抱きしめ」は子どもに自閉からの脱出路を与える》
・母親は自閉の壁を実力で破ることにおいて案内人の役をはたす。そうすることによって、自分自身の子どもを愛する能力が拡大される。この努力で確かな結果が得られると、らせん状に向上し、自閉症からの回復という結果が生まれる。その(献身の)結果、母親は子どもの行動に制限を与えたり、要求したり、秩序を設けたりしてかまわない、という気持ちになる。
・治療で最も重要なことは、母親と父親に治療への参加を動機づけることである。抱きしめを受けた子どもはすべて積極的な反応を示した。子どもはその気になっている場合でも、必ずしもすべての母親がすすんでやろうとするとはかぎらなかった。
【結論】
・(事例資料により)安定した母と子の絆を確立することによって、自閉症児を正常発達に立ちもどらせることが可能である。
・(事例資料は)小児自閉症の原因が、母子間の正常な絆の確立・維持の失敗にあることを物語っている。
・最も成功の可能性の高い治療法は、母子を一組として治療し、治療者が母子の間に立ち入ることなく、母親が自閉の壁を打破するのを助けるやり方である。
・本論文で記述した治療の過程は容易な方法ではない。たいへん骨の折れる苦痛な作業である。しかし、この技法の結果は「あまりにも印象的である」。

《感想》
 以上が、論文の「後半」である。ここでは、ウェルチ博士が提唱する「抱きしめ療法」の具体的な実施方法と、それを行った六つの「事例資料」が紹介されている。「抱きしめ療法」の特徴は、子どもの「気持ち」を無視して「強要」する点にある。それゆえ、子どもの「気持ち」を無視したくない(優先したい)と思う人たちにとっては「受け入れ難い」方法に違いない。しかし、その時の子どもの「気持ち」とはどのようなものであろうか。「こわい」「逃げたい」「近づきたくない」(臭い、痛い、くすぐったい、気持ち悪い)「かかわらないでほしい」「自分の好きなようにしていたい」「放っておいてもらいたい」等々、要するに「ひきこもりたい」という思いでいっぱいになっているかもしれない。だが、それだけか。どこかに「近づきたい」「抱かれたい」「愛撫されたい」「身体接触の快感を味わいたい」「お母さんに愛されたい」という気持ちが隠されているのではないか。つまり「接近と回避の葛藤状態」にあるのではないか。もしそうだとすれば、子どもの「気持ち」を無視したくない人たちは、子どもの深層に隠されている「接近したい」という気持ちを「無視」していることにはならないか。
 いずれにせよ、「自閉症」という問題は、「ひきこもりたい」という子どもの気持ちが、固定化し、常態化していることであり、その状態からの脱出を図るか否か、どうやって図るか、ということが今、私たちに問われているのだと思う。
 紹介されている六つの事例資料のうち、4事例は「改善」、1事例は「治療中」、1事例は「治療中断」という内容であったが、いずれにおいても母親の果たす役割が大きい。治療は、子どもに対してというよりも、母親(の気持ち)をどのように変えるかということに重点がおかれていることがわかった。そして、「母親が変われば子どもが変わる」という定理が見事に実証されている。(「治療中断」のケースは、残念ながらその「逆」であった)
 ウェルチ博士が結論で曰く「本論文で記述した治療の過程は容易な方法ではない。たいへん骨の折れる苦痛な作業である」。まさに「自閉症治癒への道」は、母親にとっても治療者にとっても「苦難の道」であることを思い知らされた次第である。(2013.12.26)




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「自閉症治癒への道」解読・《34》付録1母子抱きしめ療法による自閉症からの回復》(マーサ・G・ウェルチ)〈1〉 

◎要約
《付録1 母子抱きしめ療法による自閉症からの回復》(マーサ・G・ウェルチ)
 前章で、著者・ティンバーゲン夫妻による著述は終了し、以下は「付録」である。その1は、本書の「核心」ともいえる「母子抱きしめ療法」がウェルチ博士自身の手によって綴られた論文である。以下はその要点である。
【はじめに】
・自閉症は母子間の絆づくりの不調によって起こる。
・母子抱きしめ療法によって治ってしまった自閉症児にまったく器質的病理が残っていないという事実からみて、自閉症の原因としては環境的因子とくに母子の相互作用の面が最大の役割を演じていることが示唆される。
・抱きしめ療法は母親と子どもの両方に等しく有効である。母親は、「正常なやり方」で子どもの要求を理解したり、反応したりすることができないようにみえる。
・しかし、ひとたび母親が自閉症の子どもの抱きしめを始めると「例外なく」、子どもからの積極的強化によって、自分自身の抵抗や嫌悪感を克服することができる。十分な接触を通して、いったん母親に正常な関係形成の可能性がみえてくると初めて、子どもの行動に制限を設ける、適切なふるまい方を要求する、やりとり関係を期待するなど、子どもに対してより正常な行動がとれるようになってくる。
・自閉症の原因が、生物学的素因があるか否か、出生後の環境によるものか否か、にかかわりなく、抱きしめ療法は、本質的治癒といわぬまでも、根本的な改善をもたらすことができる。
【文献展望】
・カナーは、①人や場面と関係をつけることの障害、②ことばの欠如ないしはことばがコミュニケ-ションにに役立たないこと、③同一性保持への強迫的執着、④早期の発症、を自閉症の診断基準として設定している。この他に、高次機能の分野における発達の遅滞、運動に関する習癖や異常、見かけ上の聾などのような異常な知覚的反応(という基準)もある。
・自閉症の治療の試みにはさまざまなものがある。①ショック療法(今はおおかた見捨てられている)、②薬物療法(子どもの感受性を改善するための補助手段として用いられる対症療法の域をでていない)③教育的方法(ある程度のかぎられた成功を収めているが治療場面以外での維持がむずかしい。④両親の利用(人力の有効利用、治療効果の面でも有望である)、⑤遊戯療法と精神分析的心理療法(他の方法と比べて一般的によりよい結果をもたらしていない)、⑥施設収容(最後の手段である)
・オゴーマンは、子どもがまわりの環境からひきこもるのは、(最初の)母親との正常な関係からのひきこもり、その関係形成の失敗の延長であるという考え方を述べている。
・ザスローとブレーガーは、自閉症の子どもとその母親は否定的な情緒的反応の「閉鎖系」の中に閉じ込められていると言っている。
・ボウルビーは、問題が個人にかぎられたものではなく、家族のふたり以上の成員の間に発生するという認識の重要性を述べ、母親が子どもからの信号を鋭敏に感じとり、子どもが母親との相互作用を自分の主導権で確立できると気づいた時に、たしかな愛着が結果として生ずることを示唆している。
・ウィニコットは「物を使う能力の発達も、それを助長する環境しだいであり、成熟過程の、別の例である」と述べている。
・したがって、母子関係の障害が大きければ大きいほど、子どもは他人からの助けや治療から益を得る率が少なくなる。基本的な絆が確立されるまでは、父親や治療者も含めて、誰も母親以上に母親に近づくことができない。

《感想》
 以上は、この論文の前半であり、「抱きしめ療法」の前提が述べられている。そこで重要なポイントは、「問題が個人にかぎられたものではなく、家族のふたり以上の成員の間に発生するという認識の重要性」という一点であると、私は思った。「抱きしめ療法は母親と子どもの両方に等しく有効である」ということであり、子どもを変えようとして母親が変わる、母親が変わることによって子どもが変わる、子どもが変わることによって母親がさらに変わる、といった循環(上向きのらせん)を可能にするということである。つまり、自閉症を治すためには、まず母親が変わらなければならない、母親が変わらないまま子どもが変わることはない、ということでもある。では、なぜ母親が変わらなければいけないのか、それは「問題が個人にかぎられたものではなく、家族のふたり以上の成員の間に発生する」から、ということに帰結するが、そこらあたりが、この卓見が「現代社会」に受け入れられなかった所以ではないだろうか。しかし、自閉症の原因を「母親に押しつける」ことは不当であるといった論議は、治療・教育の次元とは異なる。いわば「政治」の次元ではないだろうか。いずれにせよ、マーサ・G・ウェルチ博士は、(母親であると否とにかかわりなく)「女性」であることに間違いはない。そのことに注目したいと思う。(2013.12.25)




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「自閉症治癒への道」解読・《33》第10章 事例(12)・出版されている六つの論文(6)《パーク「包囲・・自閉症児との接触のための闘い」》

◎要約
【出版されている六つの論文】
《6.パーク「包囲・・自閉症児との接触のための闘い」》(エリー)
・この本は、自閉症児を救おうとした家族の苦闘の物語であり、両親の熱心な努力、適切な措置、率直に報告されている過ちなどからみて、きわめて重要な問題を提起している。
・この本は、これまで紹介してきた他の本に比べて、「全体としてよく知られており」、専門家の評判もよい。(その理由が、事例の「成功」によるものか、「教育可能性」という考えによるものかは、わからないが・・・)
・エリーは1958年7月、四人兄弟の末っ子(上に二人の姉と一人の兄がいる)として生まれた。出産時(出生時)には健康と思われた。
・7週目には笑った。
・2か月の時、ものに手を出すようになった。
・5か月の時に撮ったスナップ写真では、カメラを見て笑っている。
・8か月の時に撮った写真では、まじめな顔をしてカメラを見つめている。
・8か月の頃、近所の人が、だいじょうぶかどうか疑い始めている。
・エリーは非常におとなしく、おっとりしていた。
・12か月の時、エリーは「イナイナイバー」遊びをしなかった。
・1歳6か月頃から両親はますます不審に思い始めた。(ほとんど視線が合わない。人に笑いかけることが少ない。ごくわずかのおもちゃだけで機嫌よく遊んでいる。ちょっとした日課の変化で荒れてしまう。正常なことばの発達がみられない。触覚、視覚、聴覚的知覚が欠如しているようにみえる、抱き上げられたり触られたりするとからだの力が脱けてしまう。他の人の手を道具のように使う、探索をしない等)
・1歳7か月、母親はエリーが「指さし」をしないことに気がついた。
・1歳10か月の時、時折2、3語話した。
《何がエリーを自閉症にしたのか》
・この子の出産は計画されていたものではなく、あまり望まれてもいなかった。(母親は男の子でなかったことに失望している)
・母親はしたいと思っている仕事に就けなくなった。
・妊娠6か月の時、母親がハシカにかかった。
・エリーは生まれてまもなく激しい腹痛を起こした。(温かい母子関係をつくる障害になる)
・母親は9か月間母乳を与えそれを楽しんでいたが、4人目の子どもだったのであまり注意が注がれなかった。
・6か月の時、エリーは軽い水ぼうそうにかかった。(医師は「なんてかわいい赤ちゃんだ」と言ったという)
・2歳の頃、母親はパートの仕事に出かけ、エリート一緒にいると「うんざり」してしまうことがあったと述懐している。
・4歳の時、両親は家族全員を連れて英国とオーストリアへ行った。エリーは初めは食べ物や飲み物を拒絶するほど強いひきこもり反応を示した。
・この年にロンドンのクリニックで診てもらい、母子で心理療法を受けた。
・しかし、両親はエリーを「信用できる人」に預けて、11日間パリに出かけている。
・英国では、非常に優れた分析家が2回家を訪れ、エリーを普通幼稚園に入園させてくれた。そのことは「これまでの、どのことがらよりもよい効果をもたらした」。
・両親はエリーのことを心配して、いいと思うことはできるかぎり何でもやってみたが、多くの書物を読んでは混乱し(さまざまな矛盾した意見や助言に直面し)、結局は自分たちの考えで、しだいに「自己流治療」の親になっていった。確かに、認めるべき成功を収めてはいるが、部分的なものに過ぎないことも否定できない。
・両親は、ウィング、ローバス、ベッテルハイム、デラカートの考えは「役立つ」と考えているが、エリーに何を試みるかを決める時には、頭で考えた児童発達観を基にしていたように思われる。にもかかわらず、しばしば「最良の自己流治療」も行っている。また、英国に行くとか、パリ訪問中の「置き去り」とか有害な行動もしている。
・両親は、エリーをかわいがり、よく育て、何とか子どもを救おうと努力し、彼女を家族の中に置いて、かなりの感性をもち創意工夫を凝らしてきたが、「子どもが十分に回復しうる」(自閉症は治る)という確信がやや欠けていたと思われる。
・おそらく、母親は疲れ切っていたのであろうが、自閉症の子どもは知的な刺激を受けるだけでなく「ひたすら母性的な愛護」を受けることが必要だということに、十分に気づいていなかったのであろう。
*この本では一貫して技術面と知的発達に重点が置かれ、対人的・情緒的側面は軽視されている。そのことが、エリーの回復の不完全さの原因になったのではないだろうか。
・エリーは12歳の頃から16歳頃まで、彼女独特のきわめて精緻な言語を発達させていた。その中では、数が、その他のシンボルとともに主要な役割をはたしていた。彼女は、非数量的記号と数とを結びつける一貫したコードをもっていた。著者等は、このルールないしエリー特有の「文法」をかなりよく理解できたと書いている。また、この言語はエリーによって創作されたものであること、彼女はいつも「われわれに先んじていた」こと、誰かが彼女を理解したということが彼女の大きな喜びであるように思われたということを強調している。このような発達は、エリーは(16歳になってもまだ)人とのコミュニケーションがひどく障害されていた(それは情緒的不均衡による二次的な結果にすぎないと思われるが)ので、自分にとっての「高い能力の片鱗」のひとつを基にして、完全な意味をなす特別な種類の言語を作りあげたということではないかと思われる。悲しむべきことは、父親とその同僚がその「暗号」を解読することに成功するまでは、エリーは自分以外の誰からも理解されなかったということである。彼女はコミュニケ-ションへの衝動を、自分自身に話しかけることによって満足していた(と思われる)。彼女がこのような衝動をもっていたことは、ある程度しゃべっていたこと、手紙を書いていたこと、時々人にわかってもらえなかった時などにものすごいスピードで数字を使って伝達内容を書いていたこと、などの事実から明らかである。
・エリーの、この悲しくも魅力的な物語は「自閉症児のもつ優れた能力の片鱗はどの程度まで奨励すべきか、どの程度思いとどまらせるべきか」という問題を提起している。エリーは、ひとりだけの暗号を、自分の不十分な言語発達に対する次善の策として獲得した。少なくとも彼女は何かを創造することができた。しかし、もしもエリーが「情緒的レベル」の治療を受けていたら、ずっと幸せなエリーになっていただろうと思う。(自閉的脱線が子どもの思考の上にもたらす影響についての研究にとって、彼女はたいへん有益な研究対象でありうる)
・しかし、エリーの回復は、まだ希望がある。治療の軌道を変えれば「これまでの経験を客観的にユーモアをもってながめられる」ようになることも可能であろう。

《感想》
 この事例は、両親がウィング、ローバス、ベッテルハイム、デラカートら「専門家」の考え方を参考にして、「自己流治療」を行った経過・結果が詳細に記されており、「手元に置いてくり返し熟読するに価する」と著者(ティンバーゲン博士夫妻)は述べている。ただし、その内容は「一貫して技術面と知的発達に重点が置かれ、対人的・情緒的側面は軽視されている。そのことが、エリーの回復の不完全さの原因になったのではないだろうか」とも述べており、「批判的に読む必要がある」。この本は「専門家の評判もよい」そうだが、おそらく両親の考え方が「自閉症の発生要因」は「先天的な脳の器質的障害」にあるという説に近かったためではないだろうか。事実、エリーは第四子であり、同じ両親に育てられた姉や兄には「異常」はなかったのだから、「異常」の原因はエリーの方にあると考えてもおかしくない。だがしかし、同じ両親に育てられたという事実は、「同じように育てられた」ことを意味しない。四人の子どもたちは「四者四様に育てられた」と考える方が正当であろう。エリーの「出産は計画されていたものではなく、あまり望まれてもいなかった。(母親は男の子でなかったことに失望している)」。また、「4人目の子どもだったのであまり注意が注がれなかった」とも記されている。そうした環境に加えて、出生直後の「激しい腹痛」もエミリー固有の「経験」に他ならない。エミリーは7週目には笑い、2か月の時、ものに手を出すようになり、5か月の時に撮ったスナップ写真では、カメラを見て笑っていたが、8か月の時に撮った写真では、まじめな顔をしてカメラを見つめ、近所の人がだいじょうぶかどうか疑い始めている(おそらく「人見知りをしない」)、というような経過で、徐々に「ひきこもり状態」に陥っていった。以後、典型的な自閉的状態を示すようになるが、両親はエミリーをかわいがり、いいと思うことはできるかぎり何でもやってみたが、「ひたすら母性的愛護」を与えることだけは「不十分」だったようである。その結果、回復は部分的なものにとどまり、16歳になってもまだ「容易ならぬ障害」(コミュニケーション障害)をもっており、音声言語によるやりとり(対話)が十分にできなかった。ここでも自閉症の本質を「認知・言語の障害」とみるか「情緒障害」とみるかで議論が分かれるだろう。前者では、「自閉症は治らない」のだから、エミリーの「容易ならぬ障害」は当然であるという絶望に帰結し、後者では、それは「情緒不均衡による二次的な結果」に過ぎないのだから、今からでも「回復可能」という希望につながる。さて、どちらの説が正しいか、というより、あなたならどちらを選ぶか、ということが今、私自身に問いかけられているのだ、と思いつつ、第10章を読み終えた。(2013.12.23)




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「自閉症治癒への道」解読・《32》第10章 事例(11)・「出版されている六つの論文」(5)《アクスライン「開かれた小さな扉」》

◎要約
【出版されている六つの論文】
《5.アクスライン「開かれた小さな扉」》(ディブス)
・この本は、遊戯療法の先駆者(の一人)である臨床心理学者によって書かれた小さな宝石ともいうべきものである。
・ディブスは科学者夫婦の第一子で、下に妹がいた。
・夫婦は、自分たちに子どもができることを知った時、かなり動揺し不快な驚きを覚えた。・また、ディブスが「異常」とわかってきた時、その不運をうらめしく思った。
・父親はディブスに対して、主としてひきこもりの態度をとり(まれに子どもが邪魔した時には)、結果的には冷たい残酷な応じ方をしていた。
・母親は深く傷つき、「異常な息子」をもったという自分の運命を絶望的に受け入れるというひきこもりの態度をとっていた。
・両親は最大限の「知的」発達を促すためという考えで、おもちゃ等は何でも「すべて」与えていた。
・ディブスを、やっかいな動物かのように、部屋の中に鍵をかけて「飼っていた」。
・やっかい払いとして、保育所に入れられたが、職員の中にはディブスをかわいがり、相当な知能と人間的可能性をもつ子だと確信してくれる人がいた。
・アクスラインがディブスの治療開始時には自閉症児の典型的な行動特徴を示していた。(テーブルの下に何時間もうずくまっている。庭では泥を棒でひっかいたり、壁にしがみつく。からだをゆすったり、手を噛んだり、指をしゃぶったり、近づいてくる子を叩いたりする。一語文か赤ちゃんことばで「オウチ・イヤ」「ディブス・オンモ」と言ったりした)
・しかし、別の時には非常に賢そうにふるまうこともあった。(棚から本を出して調べたり、実によく見入ったり、聞いたりした)祖母との間には温かい関係がができており、自分の部屋の窓から姿を見たり声を聞いたりすることのできる庭師ともつながりができていた。
・アクスラインはディブスを冷静に観察し、潜在能力をもった「同じ人間」として受け入れ、ディブスの言うこと・することを認めながら語りかけた。一方、衣服の着脱など、ディブスが自分でやらなければならないことには手伝わず、厳格に見守り、治療時間の終わりなどの約束もきちんと守らせている。
・また、過去においてディブスが傷ついたと思われるような出来事を注意深く再現してみる。ディブスの母親の役割を侵害しないように留意している。
・そして、ディブスが自分の殻から出てくるのを、母親が一歩踏み出して自分の役を取りたくなって、アクスラインに近づいてきてくれるのを、忍耐強く待っている。
・アクスラインはますます自分の目を疑いながら「本当の」ディブスが現れてくる様子を見つめている。
・結局、きわめて能力の高い、知覚の鋭い、極度に感受性の高い子どもであることがわかってきた。
・批評家たちは、①ディブスは自閉症ではない、②例外的で自閉症の理解には価値が少ない、などと言っているが、両方とも誤りである。
・保育所によい教師がいたこと、タイミングよくアクスラインに出会えたこと、そのことによって母親が(勇気と愛を取りもどし)ディブスについての誤った考えを捨て、息子に対する自分の行動を完全に変えたこと、などの諸状況が組み合わされた結果、このような物語が生まれたのである。
・とくにきわだっているのは、ディブスや母親を扱う時に、母親の役割を侵害しないという慎重な配慮をしたアクスラインの自己統制である。この話の中では、ディブスの初期の経験とか、子どもを拒否することをやめた後、母親自身の母性的かかわりの程度などにはふれられていないが、その母親の役割を重視したことが、この本の本当の素晴らしさである。そのことを認識せずに読むと、この本の表面上の単純さや、治療の表面的な「魔法の銃弾」的効果だけに目を奪われて誤解をするおそれがある。子どもの情緒的不均衡が早期に発見されるか、水面下の治療が進行しており、その後自分の家庭で家族によって温かく扱われた子どもの場合には、このような魔法のような回復は断じて「まれ」ではない。(フェイの事例も代表的である)

《感想》
 この事例は、科学者夫婦の第一子として「望まれぬまま」生まれてきたディブスの物語である。両親は、ディブスを「飼う」ようにして育てたが、水面下では「祖母」や「庭師」とのかかわり(心の交流)も「かろうじて」保たれており、「やっかい払い」として保育所に預けられたことが、「偶然にも」幸運な結果を招くことになった。そこには、ディブスを「かわいがり、相当な知能と人間的可能性をもつ子だと確信してくれる人(職員)がいた」からである。さらにディブスは、アクスラインの「遊戯療法」を受けることによって、潜在的な能力をもった「同じ人間」として扱われ、本来の実力を開花させることができた。アクスラインの「遊戯療法」で際立っているのは、まず子どもの「ありのままの姿を受け入れ」(情緒の安定を最優先し)、信頼関係を確立した後で、生活習慣や社会的ルールを「厳格に」守らせるという手法であろう。さらにまた、「教える」のではなく「待つ」という姿勢も重要である。その態度は母親に対しても貫かれ、「母親が一歩踏み出して自分の役を取りたくなって、アクスラインに近づいてきてくれるのを忍耐強く待っている」という件は、たいへん参考になった。子どもにとって、最も大きな影響を与えるのは「母親のあり方」であり、治療の対象は「母親自身」に向けられなければならない。それゆえ、その(治療)事例が成功するか失敗に終わるかは、ひとえに「母親を変容させられるか否か」にかかっている、といっても過言ではないだろう。(2013.12.22)




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「自閉症治癒への道」解読・《31》第10章 事例(10)出版されている六つの論文(4)《コープランド&ホッジス「愛の軌跡」》

◎要約
【出版されている六つの論文】
《④.コープランド&ホッジス「愛の軌跡」》(アン)
・アンは第二子で、兄が1歳4か月の時に生まれた。出産は正常だったが、「一時的仮死状態」になった。(事故?)
・アンは初めから極端におとなしい赤ちゃんで「そこにいることを忘れてしまいがち」だった。
・発達が正常でないことが明らかになり自閉症症状すべてを表してきた。(喃語を発しない。ほんの少ししか眠らない。離乳食を食べさせるのがたいへん。長泣きを始めた。部屋の電球に笠をかけようとすると泣き声が強まった。)
・10か月で歩きはじめた。
・1歳2か月目には、抱き上げられるのをひどくいやがった。うつろな目で宙を見つめ、手を取られるとかんしゃくを起こした。壁や床に頭を打ちつけた。椅子と人形に執着した。(椅子に座ってたえまなく体を動かしていた)自分の髪に毛を引き抜いて、口の中に詰め込んだ。
・1歳8か月の時、第三子が生まれた。
・2歳過ぎの頃、大きな犬に襲われて16時間休みなく泣き続けた。その時以来乳母車にいる時しかおとなしくしていられなかった。
・3歳頃には、あまりひどく泣き叫ぶので、虐待されているのではないかと思って警官がやって来た。
・6歳8か月の時、ある医師から自閉症と診断された。「教育を受けられるようになる可能性は乏しい、あなたがたを親だとわかるようになりそうもない」と言われた。
・両親には自閉症の原因として思いあたることがなかった。(出生直後の仮死状態、1歳8か月の第三子誕生、母方の祖母の死、犬に襲われたことなどが、発生要因として考えられる)
・両親は最初からアンをとてもかわいがって育てた。医師から絶望的なことを言われても「アンは障害児ではない」「アンを施設などには絶対入れない」と決めていた。
・その後は典型的な「自己流治療」の物語である。
・アンは終始一貫、愛情に満ちた家族の一員であった。
・一家が新しい家に引っ越したあと、アンはパニックを起こしたが、(忍耐強い観察により)その原因が、風にゆれる大きな藪だとわかり、それを切り倒すと、たちまち効果があらわれた。
・また、「一人でスプーンで食べること」「泣き叫んで抗議することを無視すること」「物に触らせること」等、アンが「しようとしないこと」に対して、なんとかやらせようとたいへんな努力をした。(強制法にも不断の注意をはらい、工夫をこらしていた)
・5歳半の頃、浜辺でアンは「トロリー」(押し車)から降りようとしなかったが、トロリーが転倒してアンは、砂浜(新しい場面)に投げ出された。彼女は抗議しパニック状態に陥ったが、しばらくすると砂で遊び始めた。そのことは、両親にとって「興奮を覚える」ほど思いもよらぬことであり、父親は何日もたったあと(アンに飛躍的な前進をもたらしたのは)「暴力(転落のショック)だ」と叫んだ。以後、両親は(時々必要なら叩いても)強制的なステップバイステップの指導をやってみることにした。
・さらに、ジョージ・グローバーという教師(知恵遅れの子どもを教えている)も、アンの指導に参加した。彼は、アンの行動をできるかぎりよく観察・記録するという習慣を両親に支援したり、彼の学校の子どもたちにも「アンとの交流」の手伝いをするように計らってくれたりした。また、2歳の男児が川に落ち、そのショックで「自閉的」になった事例を(両親に)紹介している。
・アンは21歳になった時には、正常で明るく能力もあり、タイプも習い、しだいに積極的になっており、ことばも大幅に進歩、その他の面でも明らかな改善を示していた。
・24歳の時には、英国のテレビ番組にたびたび出演したこと、ボーフレンドができたこと、車の運転も上手なこと、恩師・ジョージ・グローバーの葬儀に出席したいと言っていること等、「もう正常な若い人々と同じようにふるまっている」と思われる。

《感想》
 この事例のポイントは、①6歳8か月の時、医師から自閉症と診断され「教育を受けられるようになる可能性は乏しい、あなたがたを親だとわかるようになりそうもない」と宣告された両親が、それに抗して「アンは障害児ではない。施設などには絶対い入れない」と決心したこと、②両親は「自己流治療」を始め、必要なら「叩くことも辞さない」強制的な指導法を行ったこと、③しかし、指導法は「アンが愛情に満ちた家族の一員である」という固い信念に支えられていたこと、④その結果、24歳になったアンは「正常な若い人々と同じようにふるまう」まで回復成長することができた、ということである。もし、両親が医師の診断・宣告を信じ、それに従っていたらどのような結果になっていただろうか。「自閉症は治らない(教育不能である)」という学説を証明することは簡単である。何もしなければ、そのことを証明できるのだから。とはいえ、「現代社会」の専門家が「何もしていない」とは思わない。ではいったい、専門家は「何」をしているのだろうか。おそらく「自閉症状」の軽減・回復をめざして「医学的」にアプローチする、自発性を育てるために「教育的」にアプローチする、対人関係・コミュニケーションをスムーズに行えるようにするためのスキルを開発する等々、千差万別の取り組みが展開されているに違いない。しかし「自閉症は治らない」という一点では《共通》しており、「自閉症は個性である」「自閉症者(およびその両親・家族)の基本的人権は守られなければならない」といった論調が主流になっている、ように私は感じる。はたしてそうだろうか。(2013.12.21)




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「自閉症治癒への道」解読・《30》第10章 事例(9)出版されている三つの論文(3)《ベック「アホウドリ悪魔払い」》

◎要約
【出版されている六つの論文】
《ベック「アホウドリの悪魔払い」》
・ステファンは兄が4歳の時に生まれた。母親は出産時の激しい出血で衰弱していたので、ステファンと一緒にいることがめったになかった。ステファンはおとなしい赤ちゃんだった。
・9か月の頃、母親はステファンが「ひきこもって疎遠な感じ」なのが気になり始めた。
・1歳半の時、家族は休暇旅行に出かけ毎晩のようにホテルを変わった。
・1歳8か月の時、水に対するこだわりを示し始めた。(いじる、飲む、便器の水を飲む)
両親や他の人が言ったことに反応を示さなかった。
・2歳1か月の時、弟が生まれたが、噛みついたり、ひっかいたりした。
・2歳半の頃には、ごみ箱をあさり始め、ふらふらと出歩いた。(無事に帰宅していた)
・3歳の時「レゴ」を見つけ、いつも同じ飛行機と家を作り、失敗するとかんしゃくを起こしていた。
・医者の診察を受けたところ、耳鼻科医は「聾ではない」、言語治療士は「自閉症」と診断した。
・ステファンの父親は仕事のため、ほとんど家にいなかった。
・3歳9か月の時、この家族は2年間の滞在予定で、飛行機で英国に飛んだ。その出発は、ステファンの気持ちを動転させた。
・英国では母方の祖父によくなつき、カナダにもどった時には祖父がいないことをとても寂しがった。
・その後、両親は「よいこと」も「よくないこと」もしながら、自己流治療を行い、16歳の時点では、「話もするし」「友人もできたし」「さまざまな技能(料理など)を身につけた」。
《母親の回顧》
・ステファンは私のおかげというより「私のような親がいたにもかかわらず」うまくいったということではないか、と時々思う。
・これまでを振り返り、全体として思うことは「夫との協力」という流れは一貫していた。
・教師の言うことにはつねに従った。ステファンの興味を利用するようにした。いつも、図書館やら買い物に連れて歩いた。
・私がこれまでの年月から学んだことは、①首尾一貫した態度、②後もどりを覚悟すること、③過保護であってはならない、④機会さえ与えれば、ステファンは多くの場面に対処できるようになること、⑤いろいろ新しい課題を与えてみること、の大切さである。
《著者の評価》
・2歳半頃、ステファンが外出し「ひとりでさ迷い歩いたあげく『いつも必ずもどってくる』ことを発見したとき、「後を追わずひとりで行かせた」という話は興味深い。最初は両親がたいへん心配し、父親が「近くの林をさ迷っているのを見つけて連れもどした」。母親はほっとして彼をしっかりと抱きしめた」というが、この「抱擁」は適切な時に、いつも行われていたわけではない。別の時、タクシーから家へ走り込んできたきて初めて「ママ」と言った時の素晴らしい瞬間には、彼女の方から同様の喜びの反応をしたことは述べられていない。
・母親は、少し自己中心的で、時には子どもにあきあきしているようにもみえるが、それでもステファンは非常に大幅な回復を示した。
・ステファンはほぼ6歳の頃からずっと学校に行っており、発音もはっきりしていて、日記をつけており、「語呂合わせ」「だじゃれ」「スラング」を冗談に使ったりしている。
・ステファンの物語は、完全に回復したという形で終わっていないが、両親が受けて実行に移してきた指導(およびガイダンスの欠如)がいかに混乱したものであったかを考えると、この話はむしろ両親、とりわけ母親さえ十分に動機づけられてさえいれば、自閉症児は回復に向かって援助できるということである。

《感想》
 この事例で、最も興味深い点は、母親が「ステファンは私のおかげというより『私のような親がいたにもかかわらず』うまくいったということではないか、と時々思う」、と回顧しているように、素晴らし超一流の「自己流ママ」でなくても、「自閉症児を治癒できる」ことが実証されていることだと、私は思う。ステファンの母親は、いわば「普通のママ」にすぎなかった。乳幼児期から、母子の関係は「疎遠気味」であり、9か月頃には「ひここもって疎遠な感じ」だったことを、母親は心配し始めている。しかし、ステファンは(不在の多い)父親の方を恋しがっており、また英国では(母方の)祖父によくなついたという。母親は、カウフマンの本を読んでいたにもかかわらず、そこに書かれていたようなこと(観察や接触)は「何一つやらなかった」と述懐している。時には「自己中心的」になり「ステファンにあきあき(うんざり)する」こともあったが、「しかし、そういう自分の過失(一貫性のなさ)に対していつも代価を払わされてきた」と反省している。いずれにせよ、ステファンは母親よりも父親の方に愛着を感じていた、にもかかわらず、徐々に、ステファンの情緒は安定し着実に回復していったことは間違いない。世の「普通の母親」にとっても、明るい希望がもてる恰好の事例ではないだろうか。(2013.12.20)




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「自閉症治癒への道」解読・《29》第10章 事例(8)・出版されている六つの論文(2)《ヴェクスラー》

◎要約
【出版されている六つの論文】
《2.ヴェクスラー「サンディの物語」》
・サンディは2歳前になって歩きはじめたが、歩き方はぎこちなかった。
・2歳過ぎに妹が生まれると、歩行を止めてしまい、いくつかの面で退行を示した。(単語や音声を出さなくなる。人前で元気がなくなり完全にひきこもる。長い間、からだをゆする。まったく視線を合わせなくなる。不安が強くなると、自分の指をのどに突っ込んで吐く)
・母親は、非常に不安定でで、今ふさぎこんでいるかと思えばすぐにまた有頂天になった。(サンディの生まれた日に、母親の弟が自殺した)
・母親のうつ状態が続いた2週間、サンディは乳児院で過ごした。自宅にもどっても、両親の声の届かない最上階に寝かされた。授乳も世話も不規則で、母親に気づかれず泣いていることが多かった。
・8か月の頃、母親のうつ状態が激しくなり、精神科の世話になった。
・1歳の頃、母親はサンディがもっと自立することを願いながら、一方では施設でまともな世話をしてもらいたいとも思っていた。
・サンディが1歳10か月の時、母親は妊娠していることに気づいた。(もう子どもは欲しくなかったので中絶しようとした。母親のストレスが高まり、サンディは忘れ去られていた)
・妹が3か月、サンディが2歳6か月の時、母親はサンディを(知的障害児の)「施設」
に入れるべきだと決心した。
・サンディの父親は十代から、子どものいない夫婦に(養子として)育てられたが、その義父母(サンディの祖父母)の所に行き、引きとってもらえないかと頼んだ。
・義父母は深い愛情と理解をもって、サンディを養子に迎えた。
・サンディが到着した時、依然としてひきこもった状態だったが、抱きあげられると溲瓶に排尿した。(6か月ぶりのことであった)
・小児科医の診察を受けたところ、「身体的にはとても健康だ、落ち着かせること、愛情と忍耐が唯一の薬である。あとで精神障害の専門家に診せるように」勧められた。
・この「祖父母」にあたる愛情深い夫婦のところへ移ったことが、サンディが正常に戻る長旅の出発点になった。
・6週間後には、地面を叩いて人を呼び寄せる、視線を合わせ始める、人の行動をまねする、歩きはじめる、声を出す、などのことができるようになった。
・3歳の頃、祖母と4日間離れ離れになったが、祖母がもどると、床をたたき「座って」と言った。祖父母が蓄音機を与えると、非常に器用に扱うようになった。食事の作法も上手になった。
・3歳3か月、専門家に診てもらったところ、精神的に正常ともみなさず、心理療法を受けるには幼すぎる、祖父母がいることがこの子にとって唯一の救いであり、せかせると退行する、過剰刺激もやらないように、と警告された。
・サンディは安定した進歩をし始め、3歳代の心理検査では「痴愚クラス」、4歳では「境界線域」と考えられ、6歳半まで幼稚園で過ごした。(4歳9か月の時、心理療法が始められたが、突然の退行を示した。治療士の部屋にあったゴム製のキリンを見て父親を思い出したからである。
・7歳半の時、普通小学校に入学したが、緊張に耐えられず、障害児のための小規模学校に移された。それがよかった。その頃の心理検査では「平均的知能」を示した。
・9歳半の時、「問題をもつ子ども」の夏季キャンプに参加、以後それを主催した寄宿舎制の学校で2年半過ごした。情緒面では着実な改善を示したが、学業面ではあまり進歩しなかった。ほぼこの時期に、父親(母親とは離婚し再婚していた)との接触が再開した。
関係は良好で、とくに義母との関係がよかった。
・その後、サンディは州立の学校に受け入れられ、2年下のクラスに入った。学業はビリであったが、サッカー、フットボール、水泳が得意で、彼の地位は上がった。
・ゆっくりではあるが正常に近づき、普通高校に入り、国立大学に入学した。軽度の言語障害をもっていたが、討論や演説ではそれが消えてしまっていた。
・サンディの話は、第一には母親による、次いで(困りはてた)父親による「拒否」と続いて、愛情豊かな祖父母、および父親の二度目の妻による「受容」の物語である。
・サンディが大学を卒業した時、この養母(二度目の妻)は次のように述べている。「私たちが特別よいことをしたと思ったことは一度もありません。サンディが自分の中に回復力をもっていたのです。ジョー父さん(彼女の夫)とサンディは最も深い絆で結ばれています。私たちはサンディを家に迎え入れました。私たちには家庭があり、彼にはなかったのです。私たちはみんなに共通の喜びとしてサンディを愛するようになりました。ジョー父さんは優しさと、次には成功のために心を配りました。父さんは謙遜を尊びました。・・・名誉よりも・・・。サンディにはちょっと不完全なところもありましたし不器用なところもありましたが、それでも立派に進級しました。ハンサムで愛らしく、年の割に賢い子どもです」。これが正に、素晴らしい「自己流」ママの態度なのである。

《感想》
 サンディが生まれた日、母親の弟が自殺した。そのことが、すべての始まりであった。母親はそのショックから立ち直れず、いわゆる「ネグレクト」(養育放棄)状態になってしまった。その結果、サンディの成長発達は「全体的に」遅れ、併せて2歳過ぎに妹が誕生したことにより「退行」と「ひきこもり」があらわれ、「自閉的な症状」のすべて示されるようになる。まさに「自閉症」が「環境要因」によってひき起こされる典型的な事例であろう。困りはてた父親は、やむなく自分の養父母にサンディを引き取ってもらったが、その「愛情深い祖父母」によってサンディの「進歩」(回復)が始まる。さまざまな紆余曲折はあったが、父親との再会、義母(自己流ママ)との出会いによって、「ハンサムで愛らしく、年の割には賢い子ども」に成長した。
 サンディもまた「自閉症」を治癒した少年の一人であることは間違いない、と私は思う。(2013.12.19)




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「自閉症治癒への道」解読・《28》第10章 事例(7)・出版されている六つの論文(1)《カウフマン》

◎要約
【出版されている六つの論文】
《1.カウフマン「愛することは共に幸せになること》(長男ローンの物語)
・ローンは長男(7歳と3歳の姉がいた)で出産は正常だったが、最初は「鉛色」だった。・ほとんどたえまなく泣いて、働きかけにも反応を示さなかった。
・4週目に中耳感染症にかかり、集中管理棟に入院、抗生物質の投与を受けた。両耳の鼓膜に穴があいた。
・その後の4か月間、ひきこもりが続いた。
・1歳5か月の時に、自閉症のすべての兆候を示していた。(ものをくるくる回す、同じ玩具・同じ場所でひとりで遊ぶ、指さしをしない、身振りを使わない、声を出さない、ある種の物事にこだわるなど)自傷行為はなかった。
・両親は、専門家の意見が混沌として矛盾ばかりであることに気づき、ローンを自分の手で治そうと決心した。(その方法は、デラカートの「刺激法」?)
・両親は治療の計画を決めるのに先立って、2週間、ローンの行動を観察した。
・母親は、ローンがものを回している間(2時間も!)一緒につきあった。1日に8時間から9時間も、子どもの横に座り、食事をさせ、話しかけ、歌をうたい、周りの出来事を説明し、子どもの頬に息を吹きかけて注意をひいたりした。食物をのせたスプーンを自分の目もとの方向から近づけていくようにすると、ローンはまもなく母親の目をたびたび見るようになった。(両親の愛情に満ちた献身的なかかわりが感じられる)
・ローンの対人的な反応がよくなり始めたが、「束の間」「ごくたまに」であった。
・「刺激法」の治療をはじめて8週間後(1歳7か月頃)の状態について「有益なまとめ」や、その段階で守っていた「活動日課表」がのっている。(68~69ページ・74~75ページ)
・その4週間後、ローンは退行し、その活動を拒否した。その後、さらに何回もの「行きつもどりつ」があった。
・「刺激法」は、多少、要求過多と思われるので、ローンが反抗したとしても無理はない。・ローンは、ある種の繊細な能力をもっている。(しかし、両親はそのことを評価していない)
・ローンは4歳で完全に回復した。
・カウフマンの方法で最も重要な面は、最初の2週間、意図的な介入を控え、ただひたすらローンがやっていたことをじっくり正確に観察したことである。(動物学的方法)
・カウフマンは、その後も(1981年2月)「信ずることの奇蹟」という記事を書いており、そこではメキシコ人夫婦の息子に「同じ方法」を用いて、1年半後「目を見はるような進歩をとげた」と報告されている。
 以上は、共に「教育不能」という神話の崩壊を裏づける例である。

《感想》
 カウフマンが用いた方法がどのようなものであったか明らかではないが、デラカート博士の「感覚障害論」に拠ったとすれば、日本でもその理論に基づいて療育を行っている「NPO法人・しらゆり」のプログラムが参考になると思う。デラカート博士は、自閉症(の行動障害)を引きおこす原因を「感覚障害」と位置づけ、その治療法を開発した。すなわち、自閉症(の根源)は、異常な感覚過敏(ハイパー)または感覚鈍麻(ハイポ)もしくは感覚刺激の持続(ノイズ)であり、その行動特徴(常同行動など)は、感覚刺激を回避するか要求するかに大別される、したがって、その治療は「感覚障害」を正常閾値に戻すことが主眼とされる。その具体的なプログラムは以下の通りである。
《プログラムの概要》(「特定非営利活動法人・発達障害児療育センターしらゆり」のホームページより引用)
1.運動のプログラム
 1) 神経構成検査によって確認された充分機能していない脳機能の部位に働きかけるための運動を行う
 2) 脳に十分な酸素を供給するために心肺機能を高めるために運動を行う
 3) 運動を通して、達成感・満足感と協調性を学ぶ
2.感覚のプログラム
 1) 過敏な神経には、穏やかな刺激から順に強い刺激へと刺激を拒否せず受け止められるようにする
 2) 鈍い神経は、強い刺激から始め、弱い刺激でも反応できるようにする
 3) 混乱している刺激は、刺激がどこから来ているかを意識させて、刺激に正しく反応できるようにする
3.生活のプログラム
 睡眠・食事・生活習慣など基本的なものを身につける
4.概念形成のプログラム
 小学校就学までに家庭でごく自然に身につけている知識を意図的計画的に学ぶ
5.学習のプログラム
 年齢に応じて、必要な学習をする
6.社会性のプログラム
 社会生活スキルを身につける
7.コーチング
 児童に対して、人生の目的、生きる意味、当面の目標などをコーチングする
8.ペアレント・トレーニング
 保護者に対して、子どもに対しての効果的なほめ方、注意の仕方、話の聴き方などを身につけるトレーニングを支援する

 著者・ティンバーゲン夫妻は、このデラカート博士の「感覚障害論」について「必ずしも妥当性のない」解釈、と批判し、またその治療法についても「多少要求過多と思われる」と評しているが、「全く論外」と切り捨てていないところが、たいそう興味深かった。(2013.12.18)




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「自閉症治癒への道」解読・《27》第10章 事例(6)・六人の自己流治療例(6)《ジュディ》

◎要約
【六人の自己流治療例】
《ジュディ》(両親から提供された情報)
・ジュディは1970年1月9日、予定日より5週間はやく出生、体重2000グラム。母親は,高血圧、妊娠中毒症のため1月4日から入院。絶対安静を指示された。「赤ちゃんは望みなし、母体は五分五分の危険がある」と医者は考えていた。ジュディは保育器に入れられたが呼吸困難になり酸素吸入を行った。
・5日目、母子対面。ジュディは鼻腔栄養を受けていた。
・11日目、母親は退院したが、ジュディは1か月間、病院に残された。その間、1日2回母親が訪れ、哺乳びんから授乳した。「ぼんやりしていて元気がない」印象だったが、「絞った母乳」を与えたところたちまち快活になった。粉ミルクも与えた。
・ジュディが退院後、母親は要求授乳にした。目が覚めると「おっぱいを要求して泣き声を出す」ようになった。
・5週目、はっきり微笑するようになった。
・6週目、頭をもち上げられるようになった。
・母親は、ジュディを腰にのせて家事をした。
・5か月の時、椅子につかまって「ひとり立ち」ができるようになった。
・早くから喃語を発し「パパ」ということばも言っていたが、手を使う能力の発達は遅かった。
・最初の夏(7~8か月)、母親は午後、乳母車に乗せて公園に連れて行った。ジュディは草の上を這って歩くことができた。乳母車で木の下を通ると、ジュディは「喜びの声」を出した。母親は花飾りを作ったり、絶えずジュディとおしゃべりをした。夕方には、仕事から帰る父親を迎えに行った。
・1歳の時、新居を買った。母親は再び妊娠した。
・1歳4か月の時、ジュディは「ひとり歩き」ができるようになった。食べることが好きで、母親が高血圧で入院中(週末に4回)には「食べ物を探して歩き回っていた」。
・妊娠期間の最後の3週間は、父方の祖母が泊まりがけで手伝いに来た。ジュディは、父親が帰ると駆け寄って膝によじ登り、就寝時間になっても降りなかったが、祖母はこれをひどくきらい「子どもを甘やかすことは身を滅ぼすことだ」と言い、さらに「昼間はジュディが興奮しすぎないように話しかけないようにした」という。
・ジュディは、しだいにおとなしくなり、陽気さは失われていった。祖母はめったにおむつをとりかえなかったので父親が朝、昼、晩にとりかえた。祖母は父親に「世話をやかせることもないし、おとなしいし、まったく問題がない」と言った。
・1歳8か月の時、妹アンが生まれた。(お産は軽かった)母親がジュディにアンを見せると、「よしよし ヨーシ、ヨーシ」と大声で言って、そっぽを向いてしまった。その後、ジュディは、アンの姿を見たり、母親の姿が見えなくなったりした時には、半狂乱になって叫び声をあげた。いろいろな「後もどり」が現れた。(食事のとり方、指しゃぶり、洋服しゃぶり)「神経性下痢」も始まった。耳の病気に罹り、食欲減退、拒食も現れた。
・ジュディは、アンを怖がって、母親に必死にしがみついた。(その結果、アン母親から十分に目をかけてもらえなくなった)
・以後、自分の寝室以外の部屋を怖がり、すべての赤ちゃん、見知らぬ人、病院に関するすべて、医師、あらゆる泣き声、大きな音(冷蔵庫、掃除機の振動音、トラックが通り過ぎる音、隣家のノックする音)、猫・犬に対して悲鳴をあげるようになった。両親の親友をもきらい始め、彼らを見ると「バイバイ」と言って家の中に駆け込み、ドアを閉めてしまった。
・一緒に散歩することもできなくなった。誰かが家に訪ねてくると「ねんねしなさい」と言いながら自分のベッドに入った。隅っこにうずくまって声を殺してすすり泣き、顔や体のあちこちに、自分でやったひっかき傷ができていた。かかりつけの医者から「アンとの楽しいつながりがもてるように」と助言されて心がけたが、うまくいかなかった。
・ジュディは、手をつないだまま乳母車のちょっとうしろを歩かせれば、少しは散歩ができるようになってきた。これまでの悲鳴が「かんしゃく」に変わってきたので、両親はジュディを「しつけなくてはいけない」と決心した。
《しつけの内容と方法》
⑴ジュディのいとこピーター(3歳男児)が泊まりに来た時、最初ジュディは終始ピーターを避けていたが、母親が「ピーターはお母さんと一緒じゃないので悲しいのよ、なぐさめてもらえないかしら」と言うと、ジュディは駆け寄り、手をとって「ピーターおいで、リスを見に行こう」と言った。この時以来、ふたりはいつも一緒で、どこへ行くのにも手をつないでいた。
⑵ジュディが2歳8か月になった時、両親はのるかそるかの気持ちで「スモールブリッジ幼稚園」に入れることを考えた。
⑶約束の規則を作った。①食べ物は残してもよいが、散らかしてはいけない。罰則a警告を与える、b厳しく警告する、c叩いて食事を終わりにする、②食事中、かんしゃくを起こしてはいけない。起こしたら部屋から連れ出した。③母親が電話をしている時は、かんしゃくを起こさない。度がすぎるときは、叩かれた。
・その後しばらくして、母親はジュディの長いかんしゃくの続いたあとで「どうしてそんなことをするの、そんなことをしても何にもならないじゃない」と尋ねた。ジュディは「わかんない」と言い、自分の開いた口を指さして「ジュディの口がわるい」と言った。
・かんしゃくは減ってきたが、飛んでいる飛行機をとってとせがみ、叩かれた。また、家族で公園にピクニックに行ったとき、原因不明のかんしゃくを起こした。ジュディは警告を受け、2階の部屋に閉じ込められた。ジュディは窓ガラスを割れるほど叩いたり、ドアを蹴ったりして暴れた。両親が「歯をくいしばって耐えている」と、やがて静かになり、「ママごめんなさい」と言った。母親はすぐに2階に行った。「それはそれはすばらしい和解でした」。
・就寝のきまりができるのにも時間がかかった。母親が30分ごとに「のぞいてみる」こと、ジュディのからだに「決まりどおり」の形で「ふさ」を巻きつけること(儀式的行事)、ベッドの由来のお話、子守歌など、両親はジュディに徹底的につきあった。
・3歳の誕生日後、ジュディは「スモールブリッジ幼稚園」に入った。両親は、入園前から、幼稚園に連れて行き様子を観察させたり、先生に会わせたりした。入園後は1週間、母親が付き添った。
・最初の6週間、ジュディは「水遊び」にこり、ズボンをぬらして先生から注意を受けたりしたが「どうしても接触をうけとめる」ことができなかった。「子どもがジュディに何かをあげようとして近寄ってくると、緊張し、固くなって壁に身を押しつけていた」。
・3歳半になった頃、先生が「ジュディの内気が心配」と言い出したが、両親が生育歴を説明すると「ことばの話しぶりなどに惑わされていました」と言った。ジュディは、乳児的行動と4歳児の行動との間を「行きつもどりつ」していた。
・幼稚園の定期健診の時、かんしゃくをおこしたが、後になって校医のいる部屋に行き「騒いでごめんなさい」と謝ることができた。以後、家族と「お医者さんごっこ」で遊んだりするようになった。依然として動物を怖がり、ゆれる木馬にも乗りたがらなかった(「お馬は背中にけがをしているから乗ると痛がるの」)が、母親が馬に包帯をしてあげて1週間待ってみたらと言ったところ、うまくいった。
・それから事態は急によくなり始めた。ジュディはますます音楽をよく聞くようになり、バルトークの弦楽四重奏などがわかるようになった。父親はバイオリンを教え始めた。
・4歳半になった頃、 扁桃腺手術、事前の説明を十分にしたところ「すべてはうまく運んだ」。以後、喘息の発作、中耳炎などの時でも「病院の中へ駆け込んでいった」。
・この段階で、母親がジュディに読みを教えたところ、ジュディはアンに本を読んで聞かせるようになった。それがふたりつながりを強める結果になった。
・5歳で小学校入学。何のトラブルも起こさなかった。
・冬の音楽祭ではバイオリン曲を弾いた。ひとりで祖母の家に泊まりに行くこともできた。両親とアンが迎えに行くと、ジュディは「アン!」と歓声をあげて抱きついた。以後、ふたりの姉妹は片時も離れられない関係で、さまざまな「つもり遊び」を楽しんでいた。
・家族は新しい家に転居すると、逆もどりすることがあった。火事を怖れ、煙突の煙やパイプの火に悲鳴をあげた。また死をひどく怖がっていた。新しい学校から逃げ出したり、トイレに隠れたり、もとの学校に戻りたいといって泣いたり、家出の準備をしたりすることもあった。
・一方では、著しい進歩を示した。父親の屋根工事の手伝い、家族と二十マイル(約32㎞)のハイキングもした。バイオリンも上達した。
・学校では「ほぼちえ遅れ」と考える職員もいたし「年齢以上に賢い」とみている職員もいた。(「ジュディがひきこもっているか、気持ちが開いているかによって違ってしまうんです」)
・最初は友だちができなかった。ジュディが「だれも私を好きになってくれないの」と訴えるので、母親は「ほかの友だちがいなくて淋しがっている子どもと仲よしになってあげたら」と勧めた。ジュディはさっそくそれを実行したところ、まもなく周りには「さまざまのおちこぼれた幼児の群ができた」。
・6歳の頃、ジュディはたいへんアン
が好きで、夢にうなされたりするとアンのベッドに一緒に潜り込んでいた。
・11歳、ジュディはあらゆる面からみて完全に正常である。文学・音楽に関する能力は標準以上」の才能がある。学校では、たいへんうまくやっており、他の人との関係、とくに幼い子どもたちとの関係では、仲間としても客としてもすばらしい人であり、非常に優しい利他主義者であった。
・1981年8月(ジュデイ11歳7か月)、著者のニコ・ティンバーゲン博士が「自然保護地区」を案内して「私とまむしを見に行きたい人は?」と尋ねた。アンは「私、イヤ」と言ったが、ジュディは、毒蛇は怖いと言いながらも、自分の怖れを克服して、はっきりと「私、行く」と言った。そう言って出かけ、自然のまむしを一匹見つけた。ジュディはたいへんな興味を示し、その動物の繊細な美しさに感嘆し「行く決心をしてよかった」と(少なからず得意がって)喜んでいた。

【著者注記】
・早期の環境における一連の不運な事態によって傷つけられた子どもの一例である。
・ジュディの回復に、両親は「全力を尽くした」。
・「情緒的レベル」に訴え、子どもが強く求めていた安全の保障に努め(成功し)、一方、しつけの基本事項には厳しく、時には非情であった。
・すばらしい点は、(ジョージとも共通しているが)「もっと不幸せな子ども」に対する援助をジュディに勧めたことである。そのことがジュディ自身に驚くべき良好な効果を生んだ。

《感想》
 著者がいう「早期の環境における一連の不運な事態」の中で、致命傷となったのは、父方の祖母に出会ったことであろう。彼女は「子どもを甘やかすことは身を滅ぼすことだ」という信念のもとに「昼間はジュディが興奮しないように《話しかけない》ようにした」という。その結果、出生時の重篤な困難を乗りこえて、順調な回復・成長を続けていたジュディは、しだいに「おとなしくなり」「陽気さは失われていった」。しかも、その状態を見て、祖母は「世話をやかせることもないし、おとなしいし、まったく問題ない」と肯定的に「評価」している。子どもの実態を観察しながら、その可能性を育てるのではなく、自分の都合のよいように子どもをコントロールすることが育児である、と祖母は考えていたのであろう。まさに「冷蔵庫のような祖母」の典型である、と私は思った。その失敗によって、ジュディは計り知れない、致命的なダメージを受け、両親もまたその治療・回復に「全力を尽くさなければならない」事態に追い込まれたのである。「現代社会」においても、その祖母のような「子ども観」「育児観」をもつ親は残存、むしろ増加の傾向を辿っているような気がする。はたして、件の祖母は、11歳に成長したジュディの姿を見て、どのように「評価」するだろうか。いずれにせよ、「自閉症」が「環境要因」によって生じるという「端的」で最もわかりやすい事例であった。著者夫妻がこの研究に着手したのが1970年、だとすれば、まさにこのジュディとの出会いが、その(決定的)契機になったのかもしれないなどと、勝手に想像しながら【六人の自己流治療例】を読み終えた。(2013.12.17)




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「自閉症治癒への道」解読・《25》第10章 事例(4)・六人の自己流治療例《フェイ》

◎要約
【六人の自己流治療例】
《フェイ》(両親から提供された情報)
・フェイは1975年11月11日に生まれた。(両親はその1年前、4歳の男児・アドリアンを養子にもらっていた)
・出生時体重3000グラム、陣痛促進、鉗子分娩。
・母乳をスムーズに飲めず、1日目は何も飲んでいなかった。(誰も気づかなかった)
・4日後、たえまなく泣き叫び、特別看護室へ。鎮静剤が与えられ、鼻腔栄養になった。
・4時間毎に母親がそばに来た。次の4日間、母乳を哺乳びんで与えた。
・10日後、退院、自宅に戻った。
・2日後、母親が重い胃腸炎にかかり母乳が出なくなったので、以後4週間ミルク(混合栄養)を与えた。
・1976年1月4日(フェイ生後1か月)、父親は遠隔地に単身赴任した。(その直前、暴風のため4日間停電)
・1976年7月22日(フェイ生後8か月)、仮宿舎で父親と一緒に暮らすようになる。(両親は家の売却、引っ越し、新居探しのため不安が高まり、子どもへの注意が十分に向けられなかった)
・仮宿舎で1週間過ごした後、母親の所用(馬の輸送)のため、子どもたちは母親の両親に預けられた。
・その2週間後、アドリアンは友だちがいないため不機嫌になりはじめたが、1週間、以前住んでいたところの友だち一家で過ごしたところ元気を取り戻した。
・1976年10月1日(フェイ生後11か月)、家族は新居に引っ越した。
・1976年12月20日(フェイ1歳1か月)、次男のジョンが生まれた。
・両親には経済的不安があり、暖房も十分ではなかった。
・1977年8月(フェイ1歳8か月)、ティンバーゲン夫妻が初対面。その時、フェイは「われわれの方を見ようともせず、誘いかける様子でもなく、さりとて泣きもしなかった。われわれの存在を素通りしてその先を凝視しており、常同的なやり方でくり返し首を振っていた」。母親の話では、見知らぬ人に出会った時、他の人がこの子を非難した時、頻繁に首を振る、「とてもおりこうな赤ちゃん」であり、ひとりで好きなようにさせておいた、ということであった。ひとり立ちや歩行ができなかった。言えることばは「ビン」と「アドリアン」の二つだけだった。
・訪問数日後、フェイをひとりにしておかないで、家族の中へひき入れ、親や兄弟や動物や、友だちとのやりとりを増やすよう助言(手紙)した。
・フェイとジョンは、母親の姉のところへ1週間遊びに行った。(姉は、知恵遅れの幼児指導の専門家で、自身にも生後6週間の赤ちゃん、フェイよりも3か月年上の子どもがいた)両親はアドリアンを連れてフランスにいる母の弟を訪ねた。(父親がフェイばかりをかわいがり、アドリアンがやきもちをやいている様子があったため)
・それから7週間後、「フェイはずいぶん違った子どもになってきた」。①フランスから帰ると、歩いていた。②よくしゃべるようになっていた。(二、三語つなげて言う)③人づきあいもよくなり、積極的になった。(お手伝い、片づけ、頼まれた物を持ってくる)④ジョンとふざけるようにもなった。
・1977年12月(フェイ2歳1か月)、母親は「母子グループ」に、週2回(1回2時間)に通い始めた。(おもちゃ、絵の具、ジグソーパズルなどで自由・並行遊び)
・アドリアンとはますます仲良くなり、日曜学校に同行したり、ごっこ遊びができるようになった。
・この頃、ティンバーゲン夫妻と再会。①上手に歩いていた。②はじめちょっとはにかんでいたが、まもなくやりとりをはじめ、視線も普通に合い、上手に話していた。③首振りもかげをひそめていた。
・1978年8月(フェイ2歳9か月)、ティンバーゲン夫妻と再々回。15分もしないうちにエリザベス・ティンバーゲンの膝にのぼって、飾り箱や粘土を見せてくれた。箱の絵を示しながら「これは何」と尋ね、エリザベスの答えをオウム返しして「これはお人形さんの頭」「これは手」などと言った。しばらくして、ニコ・ティンバーゲン博士にも近づき、手遊びに興じた。昼食の時も、誰とでも機敏にやりとりをしていた。今や、フェイのことばは「年齢並み」以上であった。
・1981年5月(フェイ5歳6か月)、母親からの手紙には「フェイは物静かで、勉強のほうの進み方もゆっくりですが、あらゆる面で全体的に進歩しています。たいへんに女性的・母性的で赤ちゃんが大好きですし、私たちみんなにお母さんぶったりしています。学校でも先頭に立って遊ぼうとする様子も出てきているそうです」と書かれてあった。

【著者注記】
・このケースは、「早期発見」「濃厚愛護」「よい家庭生活」によって、脱線が急速に修正され、医師の目にふれるに至らなかった(数多くの)子どもの典型である。
・鉗子分娩、出産直後から最初の数日間、母子の相互作用が著しく阻害されたこと、授乳が安定しなかったこと、引っ越しなどにより両親のストレスが高まったこと、生後13か月に次子が誕生したこと、フェイへのかかわりが乏しかったこと、などが自閉症の誘因となったと思われる。
・両親は、この種の子どもについては経験がなく、忠告・助言に対して「全面的に応じ」、最善を尽くしたが、経験豊かな指導員の叔母の家族のところで1週間過ごしたことは、決定的な効果をもたらしたと思われる。また、母子グループへの参加も、正常への復帰を促進した。

《感想》
 このケースは、1歳8か月の時、両親の心配が生じたが、著者の面接・助言(手紙)により、「フェイをひとりにしておかないで、家族の中へひき入れ、親や兄弟や動物や、友だちとのやりとりを増やす」ことに最善を尽くした結果、2歳1か月頃には「回復の兆し」が見え、1年後の2歳9か月には「完全に回復」することができた、という成功例である。①両親が「全面的に」ティンバーゲン夫妻の忠告・助言に従ったこと(父親は義兄がやきもちをやくほどにフェイをかわいがったこと)、②弟が誕生し、兄弟関係が広がったこと、③経験豊かな叔母にもサポートされたこと、④「母子グループ」に参加したことにより、母親の気持ちが安定し、またフェイの友だち関係も広がったこと、等が「相乗効果」をもたらして、母子を「上向きのらせん」状態に導いたのだろう。ウェルチ療法の「抱きしめ」も、その過程の中で自然に(無意識的に)取り入れられていたことも間違いない、と私は思った。(2013.12.14)




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「自閉症治癒への道」解読・《26》第10章 事例(5)・六人の自己流治療例(5)《ジョージ》

◎要約
【六人の自己流治療例】
《ジョージ》(1979年に両親から提供された情報)
・両親は教員、ジョージは第四子。
・ジョージの出産は正常、「何も別に変わったことはなかった」。
・「たいへん楽な子だった」「父親にはほとんど気にとまることがなかった」
・ほぼ2歳の頃、「ややひきこもりがち」「他人との接触を避ける傾向がある」ことに初めて気づいた。(親が抱こうとすると押しのけたり親の顔を叩いたりする。夜ベッドに連れて行くと素早く毛布の中にもぐりこむ。朝ベッドの中にいたがる。母親が抱こうとすると顔をそむける。いつでも始めは飲んだり食べたりすることをいやがる。誰かが話しかけたり、彼のことを話したりすると、すぐに滑り降りて床に寝そべったり、テーブルの下にもぐりこんだりする。膝の上に抱いておこうとするともがいたり、わめいたり、蹴ったりした)
・母親は、ふたりだけになって一つの部屋に入り、自分のからだに子どもをしっかり押さえつけ、語りかけたりせず、ただいつまでもゆすってやるのが最善の方法だと気がついた。そうすると子どもはだんだん諦めて、もがかなくなり、なでられることも受け入れるし、食べたり飲んだりすることも自分からするようになった。母親に体を拭いてもらったり、洗ってもらったり、着物をきせてもらうこともできるようになった。
・ジョージは、昔も今もさまざまな常同行動をもっている。(イヤの時首を振る、爪噛み、何本かの指をしゃぶる、ベッドにいる時誰かが近づくと首を前後に激しくゆする)
・ことばの発達は「やや遅れ気味」であったが、特に問題はなかった。ただし、混乱状態になると、声が小さくなり発音も不明瞭になってくる。
・衣服の着脱が自分でできるようになったのは7歳、靴のひもが自分で結べるようになったのは10歳。(無気力が目立った)
・親類や友人が「甘やかしすぎ、もっと厳しくやらねば」と言い始めたが、時々、たいへん優れた技術的能力を発揮して驚かせることもあった。(訪問した家で見てきた鳩時計と同じものを、段ボールと針金で組み立ててしまった)
・3歳過ぎの頃、眼科医の治療を受け、治療はうまくいったが、いっそうひきこもるようになってしまった。
・母親がついていて一緒にさせるようにしないと、自分からは何もしようとしなかった。
・部屋の隅のテーブルの下で「ラジオをいじって」過ごした。
・4歳になった時、幼稚園に入った。朝から、登園を激しく拒否した。母親は、我慢と忍耐の連続によって、何とか毎日遅刻せずに幼稚園に連れて行った。
・幼稚園で、ジョージは完全に孤立していた。友だちからは「奇妙」に思われ、いじめられたが「仕返し」はしなかった。
・ジョージは再び「全体的逆もどり」を示したので、手に負えなくなったので、両親はその幼稚園をやめさせ、小学校に入るまで「家で教えよう」と決心した。その結果、就学前には十分に回復して、普通小学校に入学できた。(自閉的な行動の多くは続いていた)
・しかし入学後、ジョージは先生との接触を全くもたなかったし、友だちの誰ともつきあわなかった。登校を拒み、ひきこもって長い間、床に寝そべって「ラジオをいじっていた」。
・家族は、地域の人々から「子どもを育てる能力のない変わった人たちだ」と見られ、誕生日に招待しても誰も来なかった。
・ジョージは再び「逆もどり」し始め、おねしょ、起床拒否、拒食をするようになった。テーブルの下に隠れるようにもなった。
・両親は(ふたりとも教員免許状をもっていたので)、合法的に学校をやめさせ、自宅で教えることに決めた。すると、すぐに進歩し始め、生活や周りの世界に興味を示し、学習も進んだ。父親は、学習障害児を対象にした「音楽療法士」だったので、(自閉的な傾向のある教え子(女児)と一歳年下の男児を一緒に教え、女児に男児の面倒をみるように仕向けたところ、女児は孤立の殻から抜け出し、男児との関係をつくることができた)という経験から、ジョージにも同じ方法でやってみることに決めた。これがうまくいった。他の家族の手伝い、看病などを通して、学校へ行く準備ができたと思わせるほどにもなったが、「進歩」と「逆もどり」の揺れ動きは9歳頃まで続いた。
・8歳の時には、「まだ九九が覚えられないが、むずかしい専門的なエレクトロニクスの述語などを知っていた」。学校で発表する時「あまり難しい話をしないでね、みんながわからなくなってしまうから」と先生に注意されるほどであったが、保護者参観日などでは、「おびえた小鳥のようにうずくまり、すっかり自信を失ってしまった」。
・10歳の時、大きな庭付きの家に引っ越した。その新しい環境がジョージに急成長をもたらした。①繊細でおとなしい男児と友だちになった。②数羽のあひると羊を飼い、それが最良の友だちになった。③新しい学校、新しい先生のもとで、水泳ができるようになった。ジョージは友だちに対して「やさしく注意深く、決して傷つけたりしないようになってきた」。動物に対しても、なでたり話しかけたり、抱いたりして、おびえている時には、なだめてやることもできるようになった。動物たちはジョージに一番なついていた。
・12歳になった時、エリザベス・ティンバーゲンが、家族を訪問した。ジョージは最初から屈託なく親しげにふるまい、笑みを浮かべて握手をした。正常に視線を合わせ、目を輝かせて生き生きと話をした。「普通中学校で頑張っていたが、まだ時々手助けが必要であった」そうである。動物には依然として興味をもち、昆虫にも関心を広げた。自分の動物が主役の物語も書いた。電気関係に対する興味も続いていた。周りの世界を信頼しすぎて傷つくことも多かったが、温かい調和のとれた家庭の雰囲気の中で、正常に回復していた。

【著者注記】
・ジョージは正式に自閉症と診断されたことはなかったが、両親の話から典型的な自閉症の症状を示していたことがわかる。①乳児期「おとなしすぎる」、②2歳時の対人的ひきこもり、③同一性の固執(いつもどおりでないことへの怖れ)、④ベッドの中にいたがる傾向、⑤数種の常同行動、⑥話しことばは発達していたが、対人的なストレス、なじみのない環境、体調不良等によりたちまち崩れる(コミュニケーションには役立たない)などである。
・乳児期の引っ越しや、たびたびの転校、教師が変わるなどの環境変化のため、一時的退行を示したのは、初めは軽度だった状態が悪化したということかもしれない。
・両親の扱い方では、二つの側面を強調したい。①ジョージが2歳頃、母親がウェルチ流の「強制抱きしめ」に匹敵することを、本能的に、非常にうまくやっていた。②父親が(職場の)学校でやり始めた方法を、そのままジョージに利用することを、思いついた。(病人やおとなしい男児、動物など他者の世話をするようにさせた。父親は以下のような一般的コメントをしている。⑴仲間の教師の中には、生徒の早期の自閉的傾向に気づく人はほとんどいないし、普通以上の配慮を与える必要性を認めていない。⑵自身も生来内気で傷つきやすい大人のほうが、この種の子どもについてはよい成績を収める。⑶自閉症の子どもには何にもまして愛情が必要である。愛情あるやり方を強く拒んでいる時ほど、それだけ愛情を必要としている。⑷この子どもたちは順調に伸びた場合でも、依然として敏感で傷つきやすい人間である。(しかし、心を決めて自分の恐れを克服する時にはしばしばたいへんな勇気を示す)。

《感想》
 この事例は、乳児期おとなしく「たいへん楽な子」であり、また第4子ということもあって、2歳頃まで「放っておかれ」状態が続いた。(母子や兄弟とのやりとりが乏しかった)そのために、2歳以後、さまざまな「自閉的状態」が現れたという典型的なケースではないか、と私は思った。子ども本人には何の異常もないのに(傷つきやすいという素質はあったかもしれないが)、「育てられ方」次第では、いつでも「自閉症になり得る」ということが示されている。「おかしい」と気づいたとき、母親は本能的に「抱きしめ療法」を取り入れた。その結果、回復の兆しをみせたが、成長するにつれて(年齢並みの)「集団への参加」を強いられる。そのたびに退行を示し、登園・登校拒否をくり返したため、両親はやむなく「自分たち」(自宅)で教育を行う決心をすることになったが、ジョージにとっては、むしろそのことが幸いして、順調な回復を可能にした。父親が、いみじくもコメントしている通り、現在の学校の中で「生来内気で傷つきやすい大人(教員)」を見つけ出すことは至難のことではないだろうか。また、「(自閉症の子どもは)愛情あるやり方を強く拒んでいる時ほど、それだけ愛情を必要としている」「この子どもたちは順調に伸びた場合でも、依然として敏感で傷つきやすい人間である」といった指摘は、わが子を回復させた親なればこその「至言」として肝銘しなければならない、と私は思った。(2013.12.15)




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「自閉症治癒への道」解読・《24》第10章 事例(3)・六人の自己流治療例(3)《スーザン》

◎要約
【六人の自己流治療例】
《スーザン》(19歳の時に母親から提供された情報)
・第二子で、ごく早期からはっきりした自閉的傾向を現していた。(人に反応しない、世話をいやがる、泣いてばかり、眠らない、触られること・抱きしめることをきらう、母乳を受けつけない)
・出産直後から発育がよくなかった。脱水状態を起こしたりした。小児科医のすすめで新鮮牛乳の全乳をあたえたところ、身体的状況は改善された。
・周囲に頼みになる医者がいなくなったので(小児科医は物故)、母親は「自分の考えで育てる決心をした」。
・生後1年間、スーザンは、いかなる種類の対人接触をも拒み続けていたが、4歳年上の姉との間には、ある種のつながりができていた。(一緒に風呂に入る、一緒に食べる)
・典型的な自閉傾向「同一性へのこだわり」もさまざまな形で現れた。(自分の寝室から出ない、ベッドの上で体を前後にゆする、頭を打ちつける)
・終始ひどく「食べ物にうるさい」子だった。ミルクから固形物への切りかえが遅れた。
数年間はチョコレートプディング、つぶしたバナナ、炒り卵}以外の固形物はまったく食べようとしなかった。4歳の時、少し魚を食べ始め、5歳すぎになって時々鶏肉を食べるようになった。チョコレートは大量に食べていた。
・毛のふさふさした動物の人形に愛着を示し、鼻をすり寄せて抱いていた。           
・新しい衣服をいやがった。
・決まった日課に従うことを好んだ。
・いつも極度に感受性の強い子であった。とても敏感で、嗅覚・触覚・聴覚のすべてが敏感すぎるという感じだった。人から見つめられることに耐えられず、人を直接見たりしなかったが、伏し目がちの瞼の下から、あらゆることを観察していた。
・いろいろな固い物(ベッド、タンス、椅子など)に自分の頭を打ちつける、体をゆするなどの「常同行動」があった。
*同一性への執着がくずれた場面*
・家族と水辺で休日を過ごしている間に、ボートが好きになり「上手に扱える」ようになった。
・水泳も覚えたし、カヌー(一人乗り)もうまく漕いだ。6歳で自転車に乗れた。9歳頃からは、天候を問わず外出するようになり「人里離れた場所」を好んだ。
・スウェーデンへの旅行中、朝食の食堂に入ってきた時、ごちそうの並んだ大きなテーブルに驚き、母がチーズやにしんの酢漬けを取っているのを見ていたが、誰かが「スウェーデンの子どもはみんなヤギのチーズを食べる」という話をして、チーズをさし出すと、スーザンはそれを味わい好きになってしまった。以後10日間、毎食ヤギのチーズ以外、何も食べなかった。その後、(彼女の求めで)2年続けてそのホテルに行ったが、その時もヤギのチーズばかり食べていた。
・スーザンの場合、「ことばは普通どおり発達した」。しかし、否定的、拒否的な言い方や、場面と無関係なことをしゃべったりしていた。最初に旅行した時など、一晩中頭を打ちつけながら、おとぎ話の中にある文句を大声で唱えていた。(「言語的常同行動」)その後、ことばや言語の面に対する特別な興味が生まれ、詩や作文で全国的な賞ももらっている。(自閉的傾向と非自閉的傾向が奇妙に混在していた)
・その他の科目の成績はあまりよくなかった。チームでするゲームにも興味はなかった。
・自然科学の博物学には興味をもっていた。(水生動物の観察を好み、「自由研究」では、ダーウィンやキューリー夫人についてよく調べて書き、“A”をもらった)
・ずっと「睡眠障害」をかかえている。

*スーザンは「生まれた時からヘン」に該当する赤ちゃんであった。「自閉症発生要因のリスト」に当てはまるのは、遷延陣痛と鉗子分娩くらいである。
*スーザンの母親は、必死の努力で子どもを正常状態にひきもどそうとした結果、19歳になった今、彼女は名門の演劇学校の面接試験に合格し、学位を取るための勉強をしている。母親はどのようにして、それを行ったか興味深い。
*母親はウェルチ式の抱きしめは、まったくやっていない。(スーザンが拒否したためだは、スーザン自身が「7歳頃までは“へんな匂いがした”ので他の人のそばへ近づくことができなかった」と言っている)しかし、「できるかぎり一緒に居る」「子どもがストレスの中に置かれていることを直観的に認識し、それを和らげて、子どもが家族の中に入れる方法を見つけ出そうとする」「子どもがどんなことをやっても、子どもを基本的に人間として認める」ことを重ねてきた。スーザンを叩いたことは一度もない。食べたがらないという食事の問題に対しては、食べたがるものだけを与えた。しかし、この子だけのために特別なものをつくろうとしたことはまったくない。いつも家族が食べているものを出し、スーザンが拒否してもすんなりと認めるだけだった。
*スーザンが生まれて、約5年間はどこへも出かけなかったので、よその人からの批判を受けないですんだ。
*スーザンは今、家から離れて楽しく幸せに暮らしている。概してうまくやっており、周りの社会にもよく適応している。男女の友だち関係もよく「恋人」もいた。まだ将来の伴侶はみつからない。今や、相当の「食い道楽」である。また、サラダがきちんと洗ってあるかを確かめる、毎晩大急ぎで入浴するが、「クモがいた場合に備えて」浴室の扉を開けたままにする、などの「儀式的な慣習」は、まだ残っている。

【著者注記】
・スーザンの自閉症発生要因は、陣痛が長びいたこと、鉗子分娩だったこと以外には、見あたらない。
・症状には、話しことばや言語に対する態度に二面性がある、という特徴がある。一方で、話すことに関して拒否的・非伝達的な側面を示しながら、他方では単語や言語に対してたいへん感受性が高く、すぐれた詩や散文を書いている。
・母親が、スーザンが家族からひこもってしまうことを許さず、彼女のために多大の時間と労力を費やし、一貫して彼女を「人間として」受け入れる努力をはらい、「抱きしめ法」の最後の扱い方(いつも一緒にいてやりとりすること)を実践していたことは明らかであり、それが意義あることであったと思う。

《感想》 
スーザンの母親は、一貫して彼女を「人間として」受け入れる努力をはらった、という。この「人間として」という意味はどのようなものであろうか。私の独断・偏見によれば、それは、「自分と同じ立場で」とか「自分と心を通い合わせることが可能な相手として」とか「必ず通い合わせてみせる」とかいう、確固とした信念に裏づけられた「子ども観」だと思う。「自閉症は治らない」「教育不能である」という考えから生まれる結果は、「この子はどうして決まったものしか食べないのだろうか?・・・自閉症だから」「この子はどうして体をゆらし、頭をうちつけてばかりいるのだろうか?・・・自閉症だから」、そして「この子は何を感じているのか、何を考えているのかわからない」というコミュニケーションの「断絶」、絶望感に行き着くのが「関の山」であろう。お互いに断絶したまま、縁を切ることもできずに、無為な生活が続いていく。著者夫妻は30年前、そのような惨状を予測していたが、現状はますますその予測にちかづいているのではないか。
 「人間として」受け入れるということは、「障害児(者)として」見ない、ということにもつながる。現在「広汎性発達障害」「自閉症スペクトラム」「注意欠陥多動性障害」「学習障害」「アスペルガー症候群」などという多種多様な「レッテル」が「専門家たち」によって作り出され、子どもたちは「人間として」受け入れられる前に、そのような「レッテル」に見合った軌道(人生)を歩まされる運命にある。だとすれば、スーザンの母親のように、「医者(専門家)は頼りにならない。これからは私の考えで育てていく」といった決心をもつことが、(これからの両親にとって)何よりも大切ではないだろうか、と私は思った。(2013.12.11)




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「自閉症治癒への道」解読・《23》第10章 事例(2)・六人の自己流治療例(2)《オルガ》

◎要約
【六人の自己流治療例】 
《オルガ》(1946年5月生まれ・第2子・姉はヘレン)
・妊娠中は正常であったが、陣痛促進処置をした。体重3500グラム。出産後、翌日になるまで子どもは母親に渡されず、母乳を与えることができなかった。出産後3日目に、オルガは疱瘡にかかり、母子一緒に隔離病棟に移され1週間入院した。オルガは3時間毎にペニシリン注射をされた。泣き叫ぶ声が聞こえても母親はなだめてやることが許されなかった。しかし、そのほかの時間には母乳を与えることができた。完治した後、家に戻ったが、そこは借家で、母親は家賃代わりに家主(独身農夫)の主婦代わりをした。(父親は中東で軍務に就いていた)
・6週間後、再び疱瘡が現れ、母子は再度入院した。そこでは母親がオルガの世話をすることが許された。
・6か月の時、母親には用事のため親友に12時間オルガを預けたが、ひっきりなしに泣いて、食物は何も食べなかった。
・農夫の家では、(農夫が酒びたりのため)母親の心労が重なった。
・11か月の時、母親は子どもたちを連れて、(母親の)父親の家(何の設備も無い小さな小屋)に転がり込んだ。                                                 
・その直後、最初の兆候が現れた。「乳母車をゆすり始め、ある 時は車がひっくりかえった。ベッドも、激しくゆすっていた。                                           
・オルガの父親は除隊、しばらく遠隔地に教職復帰、単身赴任していたが、1947年9月(オルガ1歳4か月)から新居を入手し同居するようになった。母親の弟も同居し、母親の仕事を繁雑にした。
・オルガの身体発達は年齢並みであったが「固形物をたべなかった」「ものわかりのいい赤ちゃんだった」。しかし、すぐそばにある物にも手を出そうとしなかったし、手に持たせても持っていなかった。名前を呼んでも反応がなく、聾のようにみえた。母親の顔も、他の人の顔も見ようとしなかった。
・2歳の時、ことばはまだ「ブルーベル」(花の意)という単語一つしかなかった。発音ははっきりしていた。
・3歳の時、音楽に対する異常な関心を示し、母親がオルガを連れて階段を上がっていると「ドレミファ・・・と、まったく正しいメロディーで音階を歌いあげていき」、母親が音階を歌い下げていったら、まねをした。
・3歳から6歳まで、たびたびかんしゃくを起こした。また「びろうど、毛皮、髪の毛」をさわったり、なでたりした。頭を片方へ向けて、自分の指の間から空をのぞいていた。顔をしかめていた。ぐるぐる回っても、目が回る様子はなかった。変わったものに執着して大きな赤い消防自動車とテーブルスプーンをベッドに持ち込み、自分の寝る場所がなくなってしまった。長い距離をつまさきで歩いていた。
・3歳6か月の時、家族で馬のショーを見に行った。ちょっとオルガの手を離したら、あっという間に、馬の後足に抱きついてしまった。
・4歳の時、オルガが食事中に口に入れた食べ物を吐き出そうとしたので「どうしてそんなことをするの!」と言った。子猫を放り投げた時は「かわいそうな子猫、それはひどいことよ!そんなことをしたらもう子猫を飼わせません!」と言い聞かせた。オルガがかんしゃくを起こして大きな声を出した時には、(フラストレーションのためではないかと思い)直観的に彼女を「抱きしめ」、わけを言い聞かせたり、簡単な説明をしたりした。(ウェルチ療法と同じ)
・海の辺りを散歩していた時、オルガはいつの間にか途中の馬小屋にあったバケツをつかんで持っていた。
・4歳半の時、母親の弟から「お母さんのお掃除を手伝いなさい」と言われた時、彼を(一度だけ)まっすぐに見て、きっぱりと「仕事、いっぱい」と言って、そんな大仕事はとてもだめだと言わんばっかりに、拒絶した。
・1951年4月(オルガ4歳11か月)の時、妹メアリーが生まれた。母親は入院、その間、姉ヘレンとオルガは、子どもをかわいがってくれる親切な夫妻に預けられた。そこでは、ピアノを弾かせてもらえた(不協和音を出さなかった)こともあり、「急に花が咲いたように」進歩した。「妹のメアリーが生まれたのは、オルガにとっては天からの贈り物だったと思う。メアリーのおかげでオルガは遊ぶということを覚えたのだから」(母親の回顧)
・5歳の時、入学前の面接をクリニックで受けた。「おそらく脳損傷でしょう。教育不能であることは確実です。経済的自立はまったく望めないでしょう」と言われた。校長への報告書には「重症の自閉症」と書かれてあった。母親は、「脳損傷」などという診断は無視することに決心し「問題はむしろ情緒的なものだ」と思った。「私にとってはオルガはたいへん不思議な子どもでしたけれど、何年かのうちにはきっとよくなると思って、そう信じていました」。
・1951年9月(オルガ5歳4か月)、姉のヘレンがポリオに罹かり入院した。ヘレンは7週間「鉄の肺」(人工呼吸器)に入れられ、その後何年も病院で生活した。(車椅子で地元のグラマースクールに通い、オルガと一緒に過ごした。ヘレンとオルガは「実に姉妹らしい親密な関係」になった。しかし1965年に25歳(オルガ19歳の時)で亡くなった。)「オルガは家族がひどい窮地にあることを感じたようで、家族のために何か用事をするようになったのだと思う」(母親)
・1951年9月下旬、オルガ5歳5か月、メアリー6か月の時、オルガは百日咳に罹った。姉と同じ病院に入院したが、「ベッドからベッドへ跳びまわったり、病棟から病棟をさまよい歩いたり、天井近くの高いところへのぼってしまったりするので、これ以上は預かれない」と言われた。(33歳になったオルガの回顧:「あれは姉を捜そうとしていたのです)
・叔母がオルガを世話するために家に来ていた時、たまたま叔母が雨の中の洗濯物を取り込もうと外に出ている間にドアの鍵をかけて閉め出してしまった。ドアを開けてちょうだいと言われて「ぬれちゃった?おばちゃん}と言った。ほぼ同じ頃、階段の踊り場まで来て、下にいた叔母に向かって「おばちゃん、早く来ないといやですからね」と言った。
・5歳9か月、オルガは(まだ反復言語の段階であったが)公立普通幼稚園に入園した。そこで3年間にオルガは進歩し始めた。
・6歳の時、「おそらく、私たち両親が気づかないうちにこういう問題をつくりだしてしまったのだ」だから「もういちど赤ちゃん段階からからやり直さなければいけない」という結論に達した。
・8歳になった時、文字も読んでいたし、ことばのほうも急に伸びていた。(どのように指導されたのかはわからない)
・1954年9月(オルガ8歳5か月)、「学校」へ移った。しかし1学期を過ごしたあと、家族は転居し、オルガは新しい学校に転校した。ここでは、他の子どもから取り巻かれ、はやしたてられたり蹴られたりした。オルガはやり返したり、口答えしたりすることを知らなかった。その学校は一年と続かなかった・
・1955年1月(オルガ8歳9か月)から1964年10月(オルガ18歳6か月)まで、彼女は六つの異なる学校へ通った。いくつかの学校では不幸な経験をしたし、生活全般にわたるストレスで家族全体が苦しんできたが、彼女を「わかってくれた」学校があったこと、一貫して両親(主として母親)が、熱心かつ信念をもって彼女をケアしたことによって、彼女は成長を遂げ、ゆっくりではあるが完全に回復した。
・1956年、オルガが10歳の時、ハリエットという女の子と初めて安定した友だち関係になった。ハリエットもオルガに似て「孤独」な子だった。ハリエットの家に温かく迎えられ、四人の子どもたちと一緒に遊んだが、まだおかしな行動があったので、他の子どもから「おバカさん」などと呼ばれ、ひどくいじめられることもあった。
・中学入学試験が不合格になり「がっかり」「恥ずかしい思いも」したが、地域の私立学校に通った。そこは、とても楽しく、かなり気楽な雰囲気の学校だった。オルガは成長し、みごとな進歩を示した。賞をもらうようにもなった。
・次の年、オルガはほとんど進歩しなかった(先生をからかったりするやっかい者だった)が、オードレーというもう一人の親友ができた。互いの家に泊まりにいくほどの関係になった。
・この頃から、オルガの自閉的行動はすべてどんどん消えていった。
・13歳の時、オルガは地元のコーラスクラブの会員になった。音楽に対する興味、歌うことに対する興味がふくらみ、オペラ歌手になりたいという野心をもった。
・私立学校を終え、以後2年間は、別の学校に通った。音楽に加えて水泳も教えてくれたが、友だちは全然できなかった。(寄宿舎仲間と通学生の違い)
・18歳の時、王立音楽専門学校に(オーデションと入学試験を受けて)合格した。ロンドンで自活生活が始まり、3年間を「音楽浸り」で楽しく過ごした。時々は、ボーイフレンドとデートもした。
・1968年12月(オルガ22歳)、王立音楽専門学校で歌唱(教師)資格がとれた。           ・その間、精肉会社のアルバイト 店の販売助手の仕事、司書補などで「どんどんふくれる知識欲を満たし」た。
・1978年(オルガ32歳)には、上級司書補に昇進した。油絵も描き展覧会に出品した。
・1981年現在(オルガ35歳)、すっかりロンドンに根をおろし、両親ともよく連絡を取り、よい関係を保っている。フルタイムの歌手になることは無理だとわかって、図書館の仕事のほうで昇進しようと努力している。カルロスオペラグループにも出演し、マクベス夫人の演技では「すばらしい」という評価ももらったりしている。女の友だちも何人かはいるようだが、配偶者としてのいい人はみつかっていない。

【著者注記】
・彼女が「重症の自閉症児」であったことは、まったく疑いの余地はない(L・ウィング博士によって確認されている)。また、彼女が完全に回復したことも、疑いの余地はない。
彼女は最初は健康で正常な赤ちゃんであったが、疱瘡になった時から始まって、「自閉症の発生要因」として挙げられる各種さまざまな環境条件や出来事に直撃された。「発達遅れ」が長年続いていたにもかかわらず、少なくともひとつは、明らかに「すぐれた能力の片鱗」をもっていた。
・彼女の回復についての貢献者は、疑いもなく、母親である。母親は「気づかないうちに親がオルガの障害をひき起こしてしまったのだから、親の努力で回復させてやらなければならない」と決心して、早期からウェルチ式「抱きしめ法」を(ウェルチ以前に)用い、子どもを普通に、しかし非常に幼い子のように扱いこと、赤ちゃん段階から始めること、遊びのような雰囲気の中で励ますこと、必要なときにはしつけること、子どもの前で障害について話をしないこと等々、治療の要点を、自閉症に関する専門的な知識とは無縁のところで、《直観的》にやっていた。
・母親は1976年、自閉症児協会のヨーク会議で体験談を話したが、敵意と誤解に満ちたやり方で拒絶されてしまった。悲しむべきことである。

《感想》
 この事例の、最重要ポイントは〈5歳の時、入学前の面接をクリニックで受けた。「おそらく脳損傷でしょう。教育不能であることは確実です。経済的自立はまったく望めないでしょう」と言われた。校長への報告書には「重症の自閉症」と書かれてあった。母親は、「脳損傷」などという診断は無視することに決心し「問題はむしろ情緒的なものだ」と思った。「私にとってはオルガはたいへん不思議な子どもでしたけれど、何年かのうちにはきっとよくなると思って、そう信じていました」〉という一節にある、と私は思う。つまり、①オルガは、「専門家」(クリニック医師)により「重症の自閉症」と診断された。②しかし、「しろうと」の母親は、その診断を「無視」し、「問題はむしろ情緒的なもの」だと考え、「何年かのうちにはきっとよくなる」と信じた。(楽観的な決意)そして事実、オルガは音楽教師の資格をとり、時にはオペラの舞台に立ち、また図書館司書として「(経済的に)自立」するまでに回復・成長した。もし、専門家の言うことを「無視」しなかったら、どのような結果になっていただろうか。著者いわく〈彼女が「重症の自閉症児」であったことは、まったく疑いの余地はない(L・ウィング博士によって確認されている)。また、彼女が完全に回復したことも、疑いの余地はない。〉まさに、「論より証拠」の典型的な事例であった。〈母親は1976年、自閉症児協会のヨーク会議で体験談を話したが、敵意と誤解に満ちたやり方で拒絶されてしまった〉由、むべなるかな、彼女の話を聞いたのは、おそらく「専門家」と「両親」たち、「自分たちには治せなかった」という悔恨と忸怩たる思いが、「敵意」や「誤解」に転じて「渦巻いた」としてもおかしくない。すべてが、非合理的思考(感情論)の「なせる業」であることを肝銘すべきではないだろうか。(2013.12.10)




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「自閉症治癒への道」解読・《22》第10章 事例(1)・はじめに&六人の自己流治療例(1)《ポーラ》

《第10章 事例》
◎要約
【はじめに】
・この章では、当面どうしたらよいのか、どのようなやり方が最善かについて、詳細に示そうと思う。どのような状況や因子が子どもを自閉症にするか、それがケースによってどのように違うか、どうすればその障害を回復させることができるか、について具体的に述べる。
・第一部は、これまで出版されたことのない「自己流ママ」の治療事例(要約)、第二部は、6冊の(市販されていながら「専門家たち」からとりあげられなかった)本の抄録、第三部(付録Ⅰ)は、(二つ以上の専門誌から掲載を拒否された)ウェルチ博士の論文、第四部(付録Ⅱ)は、孤立して研究を進め、独自の理論を発展させてきた精神科医・M・ザッペラ博士の論文である。両博士は、自分のクリニックの中で安楽椅子的な仕事をしている「専門家たち」と違って、《実践野外研究》をしている点が共通している。
・二人の精神科医だけが新しい考え方の代表者というわけではない。このほかにも数人の実践者がいる。二人は、新しい事実の「前衛部隊」にすぎない。その事実が自閉症のつゆ可能性を示すものであることは、子ども両親にとって重要な意義がある。

【六人の自己流治療例】
《ポーラ》(1961年8月6日生まれ)
・最初から「乳を飲む力が弱い子」であった。飲む量は少なく、たえず下痢気味で、体重が減った。
・生後6週目に3週間、単独入院した。(細菌感染の疑い、経過観察、ペニシリン療法)
母が見舞っても、他の人に対しても「笑わなかった」。一方、「ひとりでいる時」「動いているもの(ボールなど)を見て」笑うことがあった。
・ビスケットを差し出されても「どうするものかまったくわかっていない」様子を見て、年齢相応の発達をしていないことに両親は気づいた。顔の表情が「うつろ、空虚」であることも気になりだした。
・退院後も、様子に変化はなかった。彼女は「満ち足りた」様子で、正常な時期に「喃語」を言うようになったが、15か月頃、それが消えて行った。
・18か月頃、両親は「耳の聞こえ」を疑ったが、非社会的な音(金属の灰皿が落ちる音など)には反応した。
・白い椅子の斑点、電灯のスイッチなどには興味を示した。
・20か月の頃、ボールで何時間も遊んだり、椅子を押して歩くことを喜んだ。母親は「なんとかしてつながりをもとうと心がけて何時間も一緒に遊んだ。また、自動車が通り過ぎる時の音に夢中になって喜んだ。ある日、名前を呼ぶと、隣の部屋から這ってきた。
・海岸のキャンプ場に連れていったが、手押し椅子にしがみついて離れようとしなかった。両親は何度もくり返し(好きな)ボール遊びに誘い出そうとして、最後には椅子から離れさせることに成功した。この間にポーラは母親への愛着を示し始めた。しかし、依然として、ナイフやスプーン、皿で何かをたえまなく叩くという「常同行動」を示したり、母親の手をとって「なんでも欲しいもの」の方へ押しやったりすることがあった。
・2歳半の時、聴覚障害を疑って耳鼻科を受診した。後で目覚まし時計が鳴っているのに、何の反応も示さなかった。
・強迫的な感じで、毎日、椅子を押して歩き回ったり、暖房用のラジエターを叩いたり、ナイフやフォークで物をコンコン叩いたり、長い間床に寝そべったりして、「人との接触」はまったくもたなかった。
・1964年1月(2歳5か月)、ポーラは呼吸器系の障害をともなう重症の風疹にかかったが、家ですごした。(入院はしなかった)1月13日に、母親が録音機を使って遊んでやると、ポーラは「有頂天」になった。母親は連日、録音機で遊んでいる間に、ポーラとの「本物のつながり」(より強い絆)ができてきた。ポーラは、病気が治った後も、公園や森に散歩の時など、ひどく怖がり「不安」を示していた。
・1964年の復活祭(2歳8か月)の時、悪性の肺炎を起こした。非常に不安がり、ひとりで立つことも歩くこともしなくなってしまったが、病気が治ると、両親は再び子どもの両側から手をつないで、日課の散歩に連れ出すことにした。
・音楽に興味をもっていることははっきりしていたので、おもちゃのピアノを買ってやったところ、たちどころになじみのメロディーをひとりで弾いた。ピアノを移動させれば、ポーラを部屋から部屋へと誘い出すことが楽にできた。両親は子どもの状態が全体にわたってよい方向に向かっていることに気づき始めた。ポーラはクラシック音楽(バッハ)が特別に好きで、木琴を聴いたり叩いたり、録音機も好きになった。ことばの理解も示し始めた。公園のあひるを見つめて「アイウーアイウ」と言ったりするようにもなった。
・3歳の頃、動物の絵のジグゾーパズルを与えたが、3歳の夏には、それでよく遊んだ。
・海岸に再度連れて行ったが、海岸の水たまりの中を、用心深くパシャパシャ歩いたりした。
・帰宅してから、スピーチセラピストの所へ定期的な指導を受けに通ったが、これは効果がなかった。指導にはまったく反応しなかった。
・庭でブランコに乗って遊ぶようになった。排泄のしつけもだいたいできていた。
・1964年のクリスマス(3歳4か月)、肺炎にかかり、ポーラの行動は「退行」した。
「私どもはもう必死でした。家族全員が苦しみました。精神科医にかかろうと思いました」
という中で、新しい小さなピアノを与えると、次第に元気になり、ひきこもりも少なくなってきた。(精神科のことは忘れることにした)
・こんどはリトミックのクラスに連れていくと、たちまちピアノに夢中になり、母親のことなど忘れてしまって、家に帰ろうとせず、ひきずって帰ってからも泣きやまず、モーツアルトのレコードをかけるとやっと泣きやむというありさまだった。いつも自分の楽器類を、自分の周りに半円状に並べているとひどく御機嫌だった。
・この頃からポーラはめざましい進歩を示し始めた。(食事、排泄が自立した)ことばを話し始めた。(始語は「ピアノ」)
・1965年の春と夏(3歳8か月・4歳)にはめざましい進歩がみられた。(本物のピアノで母親と一緒に正しいメロディーを弾いた。バッハの曲を聞くとブランコに行ったり、ブランコの絵を描いたり、手でゆれる動作をしたりした。バイオリンのレコードを聞きたがり、母親に弓を引くような動作をせがんだ。ことばの方もとんとん拍子に進歩し、リトミックの発表会に出席時、風船を「ちょうだい」と言ったり、子どもたちが舞台に並ぶと「汽車」と叫んだり、指揮者を見ると「拍子をとる人」、トライアングルの音が鳴ると「木琴」と言ったりした。
・1965年5月17日(3歳9か月)には、はじめてはっきりした意味のある応答をした。ポーラが叔父と叔母に近寄ってブランコを描いてくれとせがんでいる時に、母親が「自分で描いたら」というと「だめ、かけないの」と答えた。ピアノを弾きたくない時は「ピアノがねむいって」と言った。
・ポーラは依然として新しい部屋を通り抜けることがきらいで部屋の入口のところに横になって訴えるようにないていることがあった。
・母親は、毎日、公園のあひるの所に連れて行くと、毎日「短いお話」をさせられた。ある時、母親のほうが気持ちが沈んで歌が歌えなかった時など、ポーラが代わりにその節を歌い「さあ、もうすぐおうちよ」と言った。
・1965年の9月(4歳1か月)、姉が通っている幼稚園に入園した。ことば(文章)の指示に従うことはむずかしかったが、他の子がやっているのを見ればすぐにできた。男の子と友だちになり、よくその子のとなりで遊んでいた。
・(お向かいに住む)歯医者のところに、(「予行演習」を何度かくり返した後)「ひとりで」行けるようになった。
・この年の「話し方」は、依然として短い「電文体」であったが、理解力および思考については向上を示す多くの兆候がみられた。
・小学校入学のため、姉が幼稚園を去った時には、ポーラはひどく混乱してしまった。
・6歳に達したとき、「知能」のテストが行われ「2歳相当の知能」と判定された。しかし、「彼女が何か特別のもの」をもっていることに気づいた先生方は、普通の小学校に入れることを決めた。
・まもなく読みはよくできるようになったが、算数はむずかしかった。
・毎週バレエのけいこに通い始め、小さな役を演じた。
・近所の人や訪問客に向かって話をするようになり「おうちはどこ?」と聞いていた。
・学校であったこと、いやだったことの場面を、人形を使って再現した。
・親との接触も着実に改善されてきたが、依然として、ひとりで寂しがっていることもあった。年上のきょうだいのふたりともいくらか接触ができた。
・小学校で通常の6年間が終わった後、さらに1年留年させてもらうことになった。学校では、よくからかわれた。しかし、よく勇敢に、耐え抜いたので、先生は「将来はきっと明るいだろう」と予測した。
・中学校(古典と人文を重視するグラマースクール)では着実な進歩を示した。
・何となく書きことばふうの話し方が目立ってきた。(両親の考えでは、小さいときに周りの人が話していたことばをほとんどとり込まなかった結果だと思う、ということであった)
・1979年(17歳)、卒業試験の準備中であったが、彼女はまったく普通の人であり、ことばの使い方も立派で、魅力的な人であり、人に対してもおちついた態度でふるまっていた。
・1980年9月(19歳)、大学で歴史を専攻していた。彼女はまったく冷静で、礼儀正しく親しみ深く人をもてなした。自分の過去についても、覚えていることをためらわずに話してくれた。彼女がくり返し述べていた願望は「普通の人々の中で暮らしたい」と言うことであった。「よく成熟した、普通の、興味深い人柄」であった。

*著者注記:これは、明らかな自閉症ではないが、明らかに「生まれた時から静かだった」子どもの一例である。開業医の父親によれば、この「自己流治療法」の大部分は彼の妻のやったことであり、彼女はポーラとのつながりをつけることを決して諦めず、彼女の奇妙な行動にさえ一緒につきあったり、音楽好きをうまく生かし、ポーラが自発的にするように誘ったりした。両親はつねに「彼女のあるがまま」を受け入れ、耐え抜き、子どもの知的情緒的発達を促す道を求め続けてきた。典型的な自己流ママの例である。

《感想》
 この事例の最重要ポイントは、著者が「注記」しているように、両親(とりわけ母親)の「つながりをつけることを決して諦め」ない(育児)態度(持久力)であることはいうまでもないが、さらに加えて、2歳5か月、2歳8か月、3歳5か月に「大病を患った」ことが、自閉的状態からの回復に大きく影響している、と私は思う。ポーラは、生後6週目に3週間「単独入院」した。その結果が、自閉的な逸脱(の進行)に影響していることは間違いないだろう。しかし、2歳5か月、重症の風疹にかかったが「家ですごした」のである。その時の、母親の看病・介護が、母子のやりとりを促進し、「本物のつながり」をつくり始めた。次いで、2歳8か月の「悪性の」はしかと肺炎で、ポーラの不安は高まり、よりいっそう母親を求める気持ちが強まったに違いない。究極は、3歳5か月の「肺炎」、彼女はおそらくまた0歳台まで「退行」したのではないだろうか。両親は「必死でした。家族全員が苦しみました。精神科にかかろうかとも思いました」というところまで落ち込んだが、その必死な看病・介護こそが、ポーラを自閉的逸脱から救い出す契機になったのではないだろうか。大好きなピアノを与えられて元気になった時、体力の回復と同時に、情緒面でもいちだんと回復し、母子の絆が再構築されるという「上向きのらせん」が始まったのではないだろうか。まさに、「災い転じて福と為す」事例ではなかったか。(2013.12.9)




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「自閉症治癒への道」解読・《21》第9章 指導法の実際・・両親と保育者のために(5)

《第9章 指導法の実際・・・両親と保育者のために》
◎要約
【遊び心の重要性】
《過度にまじめな環境はむしろ病的である》
・学校でも家庭でも、まじめすぎる緊張の高い雰囲気は避ける必要がある。
・現代の社会全体が能率主義と競争主義の方向へ動いており、その中で人々に共通している意識は「まじめさ」であり、もっと多くのことをもっと能率よく処理しようということで頭がいっぱいである。子どもにも大人にも心なごむ遊びの心が失われている。遊びは、みんなの気持ちをリラックスさせてくれるばかりか、計り知れないほどの教育的意義をもつ。さまざまな技能、感受性・協力性・責任感などが養われる。
・現代社会が「原始社会」よりも優れているという考えは不遜である。陽気さに欠けていること、まじめすぎること、能率志向の傾向の方が「例外的」であり「病的」である。
《自閉症児には遊び的雰囲気がより必要》
・遊びは、自閉症児が経験しそびれてきた最も重要なことのひとつである。
・子ども側には対人的回避傾向があり、親の方には気持ちが通じず気が沈んでいるので、遊び的相互作用をスタートさせるのが極めてむずかしい。
・そういう状況を変えていくのには、子どもの恐れを減らすための各種の方法(第6章)をまず適用してみるのがよい。
《まず親が、遊びの心を養う練習を》
・大人の方が遊びをリードしなければならない。
・まじめすぎの両親の多くは、生まれつき遊び心が乏しいのではなく、陽気さの発達が不十分だったか、抑えられたためだと思う・
・もし、子どもからの遊び的歩み寄りが見られたら「すかさずそれをキャッチ」して遊び的気分に入るようにする。なんらかの接触が保てる場合はいつでもそうするとよい。自閉症児の場合、乳幼児が喜ぶようなやりとり遊びによく反応する。(そっとつまむ、リズミカルに手を叩く、くすぐりっこなど)
《即興のゲームによる「会話」の例》
・積み木遊びをしていた6歳の男児が、「自分の仕事」(積み木遊び)が一段落するたびに、その作品を眺め満足そうにしていたが、最後には静かに、リズミカルに手を叩いた。その様子を観察していた治療者(エリザベス・ティンバーゲン博士)は、〈すぐに、それに続いて私が代わって同じリズムで同じように拍手をしてみました。その子は私の方を振り向き、一瞬さっと私を見て、それからまた前に向き直って、私の拍手に応えて、また手を叩き始めました。そういう「対話」がしばらく続きました。それから私が拍手のしかたを少し変えてみたところ、嬉しいことにこどものほうもそっくりそれをまねてくれました。これもしばらく続き、こんどは「子どものほうが」リズムを新しいものに変えてきましたので、私もその「指示」に従いました。それから子どもはそういう「会話」を続けながら、部屋の中をうろうろ歩き始め、しばらくあてもなくさまよったあと、急に気が変わったように「偶然」に私の近くにきて、腹ばいになりました。子どもの足が私に一番近い位置になっており、ちょうど私の手の届くところにきていました。そこで、私が同じリズムで子どもの足をパタパタ叩いてみますと、それが子どもを喜ばせたようでした。子どもは、それに「答えて」手を叩きながら少し私の方ににじり寄ってきました。子どもがだんだん近くに寄ってくるので、手を伸ばすと子どもの脚や尻に私の手が届き、おしまいには背中をくすぐることもできました。子どもは喜んで身をくねらせながら、さらに近くにすり寄ってきました〉。
《子どもは、おどけの上手な大人たちが好き》
・おどけの上手なある母親が、離乳食をたべさせようとしたとき、スプーンの食べ物を「中空」にとめ、おどけた顔をして子どもの顔をのぞく、というゲームをしかけた。赤ちゃんはそれに反応して笑った。それから、子どもがじれてしまう前に普通通り食べさせた。次に、母親が子どもの口にスプーンを近づけると、今度は子どもの方が突然口を閉じ、おもしろがって「どうだとばかり」の笑顔をうかべて親を驚かせ、それから食べたという。
・ごく幼い赤ちゃんでもそういうことが大好きで、自分からも遊びをつくりだす。
・「一緒に笑う」ことは、人間という種にとって最も効果的で、満足のいく対人的な絆づくり機構である。
・子どもは、両親その他の相手がたくさんの「おどけ方」を心得ていて、それをくりかえして遊んでほしいと思っている。
・明るい家庭では、家族のすべてがそれぞれ独特の役割をもって冗談に加わる。父親は母親とは違ったおどけ方をする。子どもたちは子ども独自の遊びとおどけの文化をもっている。高次の技能の多くは、そのような関係の中で発達する。
・正常児にとって「教育的」価値をもつことは、情緒障害児にとっては「治療的」価値をもつ。
《家庭内の「実地見習い」の重要性》
・男児は年長者の「手仕事」を観察する。女児は、配膳・掃除・皿洗いなどの「お手伝い」をやりたがる。
・家庭の中にそのような「実地見習い」状況をつくり出すことは、大きな教育的価値をもつ。そのことが、観察学習や練習を促進し、対人的絆づくりや協力性を促進するからである。
《「進む」と「退く」のバランスをとりながら》
・子どもの行動を「持続的に」観察(モニター)し、子どもが「ひきこもりたい」というそぶりをみせたら、(こちらも)「一歩後退する」ことが、遊び的相互反応の《根本原則》である。(これは「綱渡り的進行」である)
・うまくいったやりとりは、くり返し行う覚悟が必要である。親があきあきしてしまうことがあるが、子どもは「儀式的くりかえし」による安心感を好む。新しいやりとりを加えたり、古いやりとりに変化を与える、ことで新鮮さが増す。時には、子どもの方から、追加や修正を要求することもある。
《自閉症児の治療には持久力が必要である》
・よほど早い時期に発見された場合にしか、急速な変化は期待できない。
・「持久力をもつ」ということは、ひとたび治療の「過程」を始めたら最後、決して「かってにやめてはいけない」ということである。途中でやめることは著しい害を与えることもある。

【結論】
・これまで述べてきたことの多くは、自閉症児の新しい治療法をあみ出そうとして多くの仲間たちが模索している段階の試みであり、試験的なものである。
・「専門家たち」は自閉症について、多くのことを権威者のように書くことによって、しろうとの人々に対して、自分たちは実際以上に知識と理解をもっているかの印象をあたえてきたことは、否めない事実である。
・(しろうとの)両親や介護者や教師にも、自閉症の理解・治療法の探求に参加していただきたい。
・自閉症および関連の障害は、あまりにもさまざまで複雑である。新しい治療法を開発するには、専門家だけに完全に任せてしまうべきではなく、すべての関係者の協力が必要である。

《感想》
 以上で著者・ティンバーゲン夫妻の「論述」は終了する。しかし、この「自閉症治療学」は、人口膾炙されていない。なぜだろうか。私の独断・偏見によれば、まず第一に、著者の一人であるニコ・ティンバーゲン博士は「動物行動学者」であって、自閉症の「専門家」ではない、ということであろう。「専門家」に比べて、著者の知識・経験は乏しく、信じるに価しないといった「権威主義」が児童精神医学界にはびこっているためではないだろうか。「初手から相手にしない」(門前払い)といった風潮はないか。また第二に、その理論自体が、「環境要因による情緒障害」という考えに立っているため、「先天的な脳の器質的な障害」という立場と真っ向から対立する。今や、全世界の「専門家」は後者であろうが、その論拠は明確に示されていない。その「要因論」は、まさに「諸説紛々」といったありさまで、いずれも「推論」の域を出ていない。(一方、「環境要因による情緒障害」説もまた、推論に近いが、少なくない《改善例》がその論拠になっている、と私は思う)第三に、その「環境要因」の中には、両親の「育児法」が含まれており、それが現代社会の「男女同権主義」(ジェンダー・フリー)と真っ向から対立する。事実、両親や本人までが「先天的な脳の器質的障害」と断定されることによって、「不当な差別」から解放されたと感じている。したがって、「自閉症は親の育て方が原因ではない」ということを、まずア・プリオリに断定することこそが、「専門家」としての立場を守ることになるのではないだろうか。しかし、本書を読めば一目瞭然のことだが、著者・ティンバーゲン夫妻は、「自閉症児(者)」を差別していない。その両親を「冷蔵庫のような親」などと言って非難してもいない。むしろ、(傷ついた)「両親のために」指導の実際を説き、一日も早く「回復」できるように励ましているのだから。中でも、エリザベス・ティンバーゲン博士の《即興のゲームによる「会話」の例》(の一節)は、(自閉症児と接する)臨床家の誰もが見習わなければならない(稀有な)「お手本」である、と私は思った。また、著者・ティンバーゲン夫妻は、自説が、つねに「完璧」であり「正しい」とは《断定》していない。すべてが「仮説」(推論)であり「検証」が必要であることを強調されている。だとすれば、その説に(「専門家たち」は)誠実に耳を傾け、「反証」を提示することが(科学者の)「倫理」というものではなかろうか。いずれにせよ、感情論が入り混じった非合理的な論議は「不毛」であり、肝心の「自閉症児」を救うこととは無縁であることは明らかである。次章からは、自閉症が「環境要因による情緒障害」であることの論拠となる「事例」が紹介されている。期待をもって読み進めたい。(2013.12.8)




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「自閉症治癒への道」解読・《20》第9章 指導法の実際・・両親と保育者のために(4)

《第9章 指導法の実際・・・両親と保育者のために》
◎要約
【治療教育者からの助け】
《動物》
・動物も人づきあいを育てる架け橋になる。:絆ができたために、執着してしまって人を排除するようにならなければ、ペットは治療教育者としての可能性をもつ。親、特に母親が、自閉症児よりもその動物の方に多くの愛情を示してしまうおそれもあるので気をつけたい。小動物だけでなく馬もよい。1979年3月だけでもイギリス中の130以上の特殊学校が、この種の施設(乗馬クラブ等)を利用している。
《他の子どもからの働きかけ》
・子どもたちも自閉症児を助けるのに貢献することができる。子ども同士が集まって遊ぶというだけでなく、幼い子どもには独特の微笑があり、それを交わし合うことも効果をあげるだろう。ダウン症児と自閉症児は、同じ学校で一緒に教育を受ける方が有益ではないだろうか。ダウン症児の愛想のよさ、人との接触を求める時のおだやかな熱心さのは、自閉症児にとって受け入れやすく、抵抗できない。ダウン症児は教えられることを嫌がらないので、教師は彼らの指導に多くの時間を費やしやすい。その結果、自閉症児には侵入的な働きかけが減る一方、ダウン症児が教えられているのを見ているだけで、たくさんのことを学ぶチャンスがもてる。正常な子どもも治療協力者として役立つ。自閉症児を普通学校に「柔軟に」所属させ、パートタイムの「家庭教師」の援助を受けられるようにするやり方は大いに可能である。自閉症児を普通学校に統合することは容易なことではないが、まったく違った性格の障害児のための学校に放り込んでおくのは安易である。
・自閉症児の兄弟姉妹は破壊的にも建設的にもなりうる。自閉症児の兄弟姉妹が、自閉症児を「できない」とか「おかしい」と言って傷つけることがあるが、逆に、自閉症児が、年下の子の面倒をみたりして(他を援助することによって)、本人のためになるというケースもある。(10章のジュディとジョージの事例)
【遅れ】
・大部分の自閉症児は、多かれ少なかれ「ちえ遅れ」(発達の遅れ)を示している一方、著しく優れた能力の「片鱗」を示している。この二面性(「寄せ木細工」的遅れにどう対処すればよいか、について述べる。
《その子がその瞬間どんな情緒的ニーズを持っているか》
・自閉症の子どもが特定の瞬間にどの年齢水準で扱ってもらいたいと思っているか、「今、この瞬間子どもを動揺させているのは何か」を、可能なかぎり判断・推測しなければならない。それに失敗すると、爆発的なかんしゃく、破壊的行動、突然のひきこもりを起こしてしまうことがあるからである。
《あともどり現象にも忍耐強く対処する》
・環境の変化などにより、子どもが「あともどり現象」(乳幼児期への退行)が現れた場合、一時的に、その子の年齢より幼い者として扱うのが、いちばんよい。
・ただし、子どもにある程度の自立を促すことは放棄してはならない。「後もどり」に対しては、情緒的により幼い段階に合わせるために、ねらいとするレベルだけを変えるのである。このような場合には、自己探索を含む乳児期的な形の探索行動(常同行動)に逆戻りすることがあるが、ただひたすら受け入れて耐えていかなくてはいけない。それが安心感を与え、赤ちゃん時代への逆もどりから救い出すのには、いちばん効果的であろう、というように希望的に考えるとよい。「あきらめではなく忍耐」を標語として、屈して絶望してはいけない。
《朝の子どもの様子を一日の指標に》
・朝起きて初めて出会った時の行動を、とくに気をつけて見るのがよい。その時の動きや一般的ぎこちなさのレベルは、その日一日の到達レベルを予想するうえでの的確な指標になる。この種の「指標」によって、一日の始まりに、その日は望みを高くできるか、きつい要求を控えるべきか、判断する。(10章 ジョージの事例)
・自閉症児の遅れ・後もどり(が顕著、もしくは生じた場合、それ)に「合わせようとする意欲」と忍耐力の欠如が「問題」なのである。
・その反対の状態(特殊な才能、優れた能力の「片鱗」)の対処法については、次節に関連させて述べる。
【「技能」を教えること】
・自閉症児は、情緒面および「実行能力」(知覚面運動面の弱さ、成績不良、知的な低さ、ことばの貧困さを含む)の発達において著しく遅れている。そのため、多くの親や教師は情緒面の成熟を願うだけでなく、「技能」面でもなんとか追いつかせたいと願う。子どもの年齢が高くなればなるほど、(「下向きのらせん」にはまっていた期間が長いほど)その傾向は強くなる。試験に受かったり、卒業証書を手に入れたりすることが、大人社会にうまく適応していくための「不可欠条件」になりつつある現代社会の重圧に起因している。子どもが小さかった頃にはきっとよくなると思っていたが、あっという間に月日が経って、乗り越えなければならない「学業」の壁が目の前に現れることによってパニック状態になる親がたくさんいる。そうなると、親は教育機関や試験制度が要求する「技能」を身につけさせようとして、子どもに加える圧力を大きくする。「しかし原則としてこれはうまくいかない」ばかりか「逆効果」である。自閉症児は(情緒的レベルの治療の一環として行わない限り)、「反復練習」を妨害したり、消極的抵抗を示したり、破壊的になったり、攻撃的になったり、かんしゃくを起こしたり、「ひきつけ」や「発作」を起こしたりする。自閉症児は一義的には情緒的に傷つけられている子どもたちであり、その不安を減らして安心感を与えることさえできれば、各種の技能面の能力は急速に進歩する。安心感が、子どもが覚えたいという気持ち(意欲)を育てるからである。
《自閉症児の多くは水面下で多くのことを学んでいる》
・ごく幼い正常な子どもの多くが、テレビのコマーシャルを見たり聞いたりしていて読むことを覚えてしまうが、自閉症児の一部にもあてはまる。
・親や教師は、子どものこういうかくれた発達を発見する努力をすることが重要である。
・それができれば、技能を教えようとする無用な努力に多くの時間を空費したり、多大なフラストレーションを感じないですむ。
・ドナルド・ヘップという心理学者が若い時、チンパンジーに弁別テストをやらせていたところ、退屈したチンパンジーが報酬のバナナを彼に手渡したという有名な話もある。
《瞬間的な「教えてほしい」気持ちにすばやく反応する》
・情緒的レベルの治療「のみに頼りすぎる」ことは、最善の方法ではない。自閉的逸脱がごく早期に発見された子どもの場合には有効なことがあるが・・・。
・長い間自閉的状態にいた子どもの場合、情緒面の回復を促しながら、技能を教える方法を探求する努力が必要である。
・技能を教えようとする場合、子どもが「ごく瞬間的に示す、教えてほしいという気持ちの兆候」を見つけて、それにすばやく反応することが大切である。興味をもち始めたことを示す兆候を注意深く見つけ、執着的遊びに近いようなことでも、それに熱中できるように配慮してやるのがよい。
・積極的になにかやりとげた時には、それを認めてやるのがよい。
《覚えさせたい課題に大人が集中のそぶりをする》
・自閉症児の「注意集中時間」は、抜群に長い。(短いと言われるのは、興味のないこと、恐れていることを強制される場合である)
・ウォールドン博士のような教え方は、子どもの知覚的・運動的・知的技術を伸ばすのに有効であり、情緒的均衡を回復することにもなっている。
・大人のほうが、自然のやり方で、その課題に夢中になっているようなそぶりを見せると、子どもは、自分もそれに「少し」参加し、「少し」まねもしてみたいと思っていることがたいへん多い。(有効である)
《辛抱強く「遊びへの誘い」を》
・子どもは、通常最初は(少しもじもじしながら)大人のすることを観察し、ついでに参加したそうな様子を示し(じゃまに入るという形をとることもある)、こちらが辛抱強くしていると、完全に参加してきて、その後は(ほんの一瞬ながら)その気になって子どもが自分で「とって代わる」ようになる。
・自閉症児は、何かの技術を覚えようとしてたいへんな執念を示すことがある。それを覚えれば大いに自尊心が高まるようなこと、仲間の子どもに対して鼻が高いようなことの場合に、最も起こりやすい。周りの子どもや大人の辛抱強さのなさや諦め、嘲笑が、自閉症児の積極的な「やる気」をくじいてしまわないように注意しなければならない。
《音楽・算数・絵画・外国語・・自閉症児の多彩な才能》
・音楽と踊り、この二つの活動はごく自然に一緒になる。その助けを借りれば、活動の幅が広がり、遊戯的演技に結びつけることができる。(音楽が聞こえるとからだをゆすり始めるという「常同行動」を少しずつ着実に変化させ、ついには創作舞踊に変えてしまった、という実践例がある・ユトレヒト大学カンプ教授)
・「ごくありふれた自閉症児」でも、正常ないし普通以上の芸術的(音楽・絵画)ないし知的能力(算数・読み書き・作文・外国語)の片鱗ないしかけらをもっている。
《才能の「片鱗」をどう扱うか》
・その面のその後の発達は子どもに任せ、対人関係づくりに集中すればよいといえそうだが、そのような特殊な能力に対しては、これを伸ばすようとくに考えてやるのもよいのではないか。
・「高い能力の片鱗」は、子どもが遠くから観察したり、自分ひとりで練習したりして学ぶことができるが、もし、そのような才能をもっていることと、「自閉症発生要因」に格別影響されやすいという性質の間に《相関》があるとすれば、そういう子どもをどう治療したらよいかは重大問題になってくる。そういう活動をさせておくと、ますます対人行動をさけるようになり、自閉的逸脱を悪化させるのではないか、という心配が生じる。その可能性もないことはないと思うが、一般方針としては正しいとは思えない。
《「教育」によって独創的才能を失った子ら》
・教育機関における団体訓練的性格・技術を教え込むことを狙った教育が、子どものもつ「高い能力の片鱗」を摘み取ってしまうことは十分にありうる。
・特殊な才能をもった自閉症児の教育は、治療の焦点を「情緒的レベル」にあて、一方そういう才能をさらに発達させることも怠らない、という方針に沿って行うのがよい、と思う。
・「高い能力の片鱗」は、全体的治癒への第一歩として大いに活用すべきものである。それは対人関係の「架け橋」としても役立つであろうし、「何かがよくできる」という自信を与えるのにも役立つ。

《感想》
 ここでは、両親以外の「治療協力者」として、「動物(犬、猫、馬)」、「他の子ども」、「兄弟姉妹」が有効であること、その際に気をつけなければならない留意点について述べられている。「他の子ども」とは、幼稚園・学校のクラスメートのことだが、現代の「競争教育」の中では、治療協力を求めることに限界があるだろう。むしろ、学級集団の中における自閉症児は、「他の子ども」の感性や対人関係能力を高めうる、「不可欠」な存在であるという認識(理念)が必要であり、それが「競争教育」(荒廃した学校の現状)を告発・改善しる突破口になうのではないか、と思った。また、「兄弟姉妹」との関係づくりも、その家族集団のあり方にかかわる根源的な問題と深く関わっており、ここでもまた「競争社会」に家族がどう対峙するか、というテーマに家族全員が取り組まなければならない。自閉症児が、兄弟姉妹の中で孤立し、疎外されていく事例(事件)は後を絶たないのが、日本の現状ではないだろうか。そんな折り、〈自閉症児は、「自分より不幸な他の子ども」とか病人とか動物の手助けを敏速に行う傾向がある、自分の方から積極的に他を援助することができ〉〈そのことは本人にとってたいへんためになる〉という著者の指摘は、大きなヒントになると、私は思った。
 次節では、自閉症児の「遅れ」「後もどり現象」、またその反対の「特殊な才能、優れた能力の片鱗」にどう対応すればよいかが、詳細に(微に入り細に入り)述べられている。要するに、「遅れ」「後もどり現象」に対しては、「耐える」「待つ」ことが大切であり、同時に「なぜ遅れているのか」「今、この瞬間、何が子どもを動揺させているのか」を推測する「観察力」「洞察力」が不可欠になるということであろう。また反対の「特殊な才能、優れた能力の片鱗」については、それを「ひきこもり」「自閉的逸脱」の悪化と心配するのではなく、対人的関係の「架け橋」として利用したり、(自発性を高める)「自信」を育てるために、さらなる発達をめざすべきである、ということがよくわかった。(2013.12.7)




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「自閉症治癒への道」解読・《19》第9章 指導法の実際・・両親と保育者のために(3)

《第9章 指導法の実際・・・両親と保育者のために》
◎要約
【その他の配慮】
《安全な隠れ場所の重要性》
・自閉症児の場合も、回復するにつれて「安全の傘」は、徐々に「代理人」で代わりうるし、必要な回数も減少していく。(大事なことは子どもが安全だと感じていることである)
・ひき続き進歩していくと、子どもは自分だけの個人的な、安全な、仕切られた一隅、部屋(「自分の城」)をもつことが大切である。対人的なやりとりをする時間の合間には、そこにじっと引っ込んでおくことを許すことも必要である。
・そこには、専用のおもちゃ、等身大の鏡(自分の鏡像との相互交渉が行える)などを置いておくよよい。
《「自分の城」の中で自閉症児は何をしているか》
・自閉症児の場合、誰からも見られていないと信じてリラックスしている時には、多くの技能を独力で練習する。本を読む、歌を歌う、絵を描く、音楽を聴く、おもちゃで遊ぶ、など。
《接触を欲する呼び声には必ずすぐに答えること》
・子どもはひきこもろうとする時でも、一方ではそれと同時に、離れたところにいて関心をもってくれる人の存在と、その人からの安心させるような信号を受けることを欲している。子どもがそのような接触を欲している場合には、すかさずそれを感じとるようにすることと、その時それを拒否(無視)しないことが重要である。
・自閉症児の場合(でも)、接触のための呼び声が発せられるたびに必ず答えてやることが非常に重要である。
《歌うことがいかに子どもを安心させるか》
・母親が歌を歌うことは、子どもを安心させ絆を強める。
《迎えてくれる人がいると安心する》
・学校や出先から帰ってきた時、何らかの出迎えを受けたがる。「返答」「おやつ」などで出迎え、子どもを安心させることが大切である。また、家事が混沌としてスケジュールが一定でないと、子どもは不安になる。予測可能な生活は、自閉症児を安心させる。

《感想》
ここまで述べられていること、【その他の配慮】は、すべて自閉症児の「不安」を取り除き、安心感を育てることによって、積極的な接近・探索・学習行動を促進(好奇心・意欲)を高めようとする配慮事項である。「抱きしめ療法」によって、母子の絆が回復・確立した後でも、子どもは、ちょっとしたきっかけで「後戻り」してしまう。それを防ぐために、あるいは「再回復」をめざすために、環境的な安全基地(「自分の城」)の確保や対人的な配慮(「返事」「歌による呼びかけ」「出迎え」など)が必要であり、決して油断してはならない、細心の注意が必要であることがわかった。
以後は、いよいよ「どのように教育していけばいいか」(生活指導・技術教育)という段階に入る。

◎要約
【自立性と自発性を育てる】
《一緒にいることとひとりにすることのバランス》
・手をかけてかばってやるという面と、自分ひとりで探索したり練習したりする活動を許すとか励ますという面の釣り合いをどのへんでとるべきか、ということはまことにむずかしい。
・あまり気をつかってかばいすぎた子どもの場合には、何もかも親や教師のほうから先に手を出してやってもらえるものと思う態度ができてしまいやすい。(衣服・靴の着脱など)・自閉症児の場合、まったく依存的で自発性に欠けているため、「自分から進んでやることを教える」ことが、格別重要な意味をもってくる。忘れてはならないのは、自閉症児はすべて病的に臆病で進取の気性に乏しいので、自分から進んでやるという方向に前進することは、子どもにとってたいへん勇気のいることだ、ということである。
《対人関係の中の活動に参加する手助けを》
・子どもの安心感を深めることと「並行」して、人からの教示を受け入れることや、対人的状況の中で行われるさまざまな活動(探索行動)に参加させようとする時、その成否は「対人的に好ましい状況にあるか」「家という安全基地をもっているか」にかかっている。・長い間、自閉的状態におかれた子どもの場合には、母子の絆を回復するだけでは不十分で、教示を受け入れられるように、また活動に参加することを通して学べるように、手助けをしてやる必要がある。(情緒面の治療と並行して探索行動を奨励することが大切であることは間違いない)
・例えば「水泳教室」に参加させる場合:いちばんよいのは、両親と一緒にやってみることであるが、問題は、そのタイミングを誤らないことである。子ども自身が示すちょっとした志向動作を手がかりにするのがいちばんだが、それを見逃さない知覚力と敏捷な反応が要求される。
《小さな課題でもやりとげた喜びから自発性をとりもどす》
・自閉症児(者)は「その気になりきれなかった」という理由で、自発性を失っていくのかもしれない。マーチン・セリグマンの研究書「学習された無力感」の見解によれば、それは、うつ病、不安神経症、一部の分裂病患者、とくに長期入院患者に「典型的」だという。彼はそういう患者に、長年、人にやってもらっていたような仕事(ベッドメーキングなど)をやってみようと強く勧める(「段階的課題」療法)ことによって、自発性をとりもどさせる方法を述べている。この方法(患者の意志に反した、強制的なものだが)を一段一段進めていくと、患者はほどよく自発性を回復し、そのほうがずっと気分がよいと感じるという。ウォールドン博士のやり方も、子どもに何かをやりとげる喜びを経験させ、そのことを通して、長いあいだ臆して手を出せないでいた課題に自分から取り組もうとする勇気を育てている。
《あくまで絆の再建を基本に》
・ウェルチ博士によれば、自発性というものは対人面でも探索面でも、まったく刺激を与えなくてもひとりでに回復してくるそうだ。
・しかし、それだけでは無理な場合には、格別な特別な援助が必要になるだろう。あくまでも絆の再建を基本におき、子どもの不安が高まらないように配慮する必要がある。
《暖かい暴力が効果をあげることもあるが》
・叩くことやその他の体罰を組織的に加える行動療法は、無効で残酷な対症療法である。【「わるいいたずら」・破壊・攻撃としつけの必要性】
《わるいいたずらの許容範囲を見直す》
・「わるいいたずら」ということは「子どもの行動」だけを言っているのではない。「大人にとって不都合」「イライラさせられて耐えがたい」という意味を含んでいる。本当は困ったことではなく、自然なことであり、場合によっては子どもの「権利」であったりする。
・子どもには「探索」する権利がある。「動き回る」権利がある。「話す」権利もある。(ただし、食事中は動き回ってはいけない。人が話している時は耳を耳を傾けなければいけない)自閉症児の親も、子どもの立場にたって考えてみる必要がある。「このことは本当に禁止しなければいけないことだろうか」と自問しなくてはいけない。
・自閉症児の場合、「わるいいたずら」は、もっと幼い子どもなら許せる種類の行動である。(トイレの水で遊ぶ、飲むなど)探索行動をしそびれてきた子どもの、それを取り戻したいというやむにやまれぬ衝動を感じているのかもしれない。ところが「こんなに大きいのにいつまでも子どもっぽいいたずらをする」とか「たいへん困る」とか「不衛生である」とかいう理由で禁止されてしまう。
《わるいいたずらに代わる場を与える》(子どもの注意を他に向けさせる)
・水遊びをしたがる場合は、浴室、プール、海水浴で一緒に遊ぶのがよい。プール(水に浸かること)は、精神高揚効果、緊張をとる効果がある。
・尿や便をいじって遊ぶ場合は、いやだという気持ちを乗りこえて、大便などのもつ不快な性質がわかるようになるのに、ある(短い)期間が必要だということを認めなくてはいけない。それは子どもにとって必要な「学習」である。自閉症児の場合、刺激に反応することを覚えにくいため、長い時間が必要になるかもしれない。
・電灯のスイッチをつけたり消したりすることも、長く続くことがある。正常な子どもの場合は短期間ですむが、自閉症児の場合は、長い期間にわたってくり返さなければならないということであろう。
《どうしてもいけないことをわからせる》
・「それが親にはどうしても我慢ができないことがある」ということをわからせることも、必要不可欠である。「言って聞かせる」「怒って叱る」などの方法で「一貫」した禁止をすることが大切である。水遊び、泥遊び、便遊び、食べ物を散らかすなど、子どもじみた行動(悪癖)は「無数」にあるが、それをくり返そうとする衝動は、結局は病気の一部であり、正しい取り扱い(一貫した禁止・鉄の掟)をして、子どもが情緒的に進歩してくると、「ひとりでに」消えて行くものである。
《わるいいたずらへの対処法は「よい母」を見習う》
・「それはダメよ」と言って聞かせるだけでよい場合もある。
・「そうすると他の子どものすることを妨げたり、傷つけたりすることになる」と言って聞かせるとわかる自閉症児もいる。
・悪い癖がつき始めようとしている時、目ざとく見つけて、つぼみのうちに摘み取ることが大切である。
・「わるいいたずら」の原因が「人の注意を惹こう」とする手段である場合がある。そのような対人関係づけをしようとしている動きを「認めて」、積極的な対人行動(抱きしめ等)で応えることがたいへん重要である。
・「わるいいたずら」の理由として、極度の疲労、病気のはじまりがもとになっていることがある。そういう場合は、安静が最良の解決法になる。子どもが抵抗しても、それを無視して必要な手当をすることが最善の方法である。
・すべての形の「わるいいたずら」に、子どもは何を望んでいるか、どういう衝動に駆られているかを、直観的に不思議なほどの感覚で察し、効果的に対応できる(特殊な才能をもった)母親もいる。そうした「優秀な親」のやり方を観察し、学ぶことが大切である。《爆発は相手または何かを強く望んでいる表れのこともある》
・破壊的な行動がひどく激しく爆発するのは、子どもが何かの理由で強い「欲求不満」を感じている時の場合のこともある。(人に近づいて話をしたいが怖くてできない、ことばが話せないためにできない等)
・子どもがいつ、ひとりで放っておいてほしいと思っているか、相手がほしいと思っているかを見ぬくことが大切だが、難しい。
・「わるいいたずら」は、敵意に満ちた攻撃的になることもある。それを解決した理想的な事例:訪問していた家から帰途に就こうとした時、8歳の息子が「いやだ」と言い出して、ぐずっていた。その子は帰ろうという「命令」にいら立って、父親の皮膚をいやというほど強くつねり、顔に激怒の表情をうかべながら「それがイタイ」と言った。父親はただごく平静な声で「そうだねジョン、それはイタかった。さあ言われたとおりにしよう」と言った。それですべてのトラブルが一挙に解消した。
《寛容と統制の均衡のとれたしつけ》
・現代の都市社会は、変化する状況に適応しきれず、子育てにあたってのしつけ方が標準化されていない。家庭内の決まりををしっかり守ること、正直、責任感、善良な市民としての感覚等を植えつけることは必要だが、そういう昔からのしつけや、新しいしつけの必要性については無頓着な親が多い。しかし、寛容と統制の均衡のとれたしつけを、見事にやっている親もいる。自閉症児の親にとっていちばんよいのは、そういう親を見習うことではないだろうか。

《感想》
 ここでは、自閉症児を「どのように教育していけばいいか」(生活指導・技術教育)についての、基本的な方針が述べられている。まず、その1は「自立性と自発性を育てる」ことである。ウェルチ博士は、母子の絆が確立すれば自発性はおのずと回復してくる、という考えだが、そのことを前提にして、これまでの養育態度に問題はなかったかを見直す(反省する)ことも必要であろう。とりわけ、親の「過保護」「過干渉」が、子どもの自発性を妨げている場合が多いと思われる。〈あまり気をつかってかばいすぎた子どもの場合には、何もかも親や教師のほうから先に手を出してやってもらえるものと思う態度ができてしまいやすい。(衣服・靴の着脱など)・自閉症児の場合、まったく依存的で自発性に欠けているため、「自分から進んでやることを教える」ことが、格別重要な意味をもってくる。忘れてはならないのは、自閉症児はすべて病的に臆病で進取の気性に乏しいので、自分から進んでやるという方向に前進することは、子どもにとってたいへん勇気のいることだ、ということである〉という一節には、思いあたる両親・教師が多くいるはずである。その結果、子どもの心中は「学習された無力感」でいっぱいになり「その気になりきれぬまま」無為な時間を過ごしてしまう危険はないか。親の「過保護」「過干渉」は、うつ病、不安神経症、一部の分裂病患者、が長期入院している病院の「介護」と「瓜二つ」であることを肝銘しなければならない、と私は強く感じた。また、その2は「望ましくない行動」(わるいいたずら、破壊、攻撃性)を軽減・消失させる、ということである。それらの行動はこどもによって「千差万別」だが、どの行動にも共通している対処法は、「子どもは本当は何を望んでいるのか、どういう衝動に駆られているのか」を直観的に察し、その場その場に応じた対応を「創造」することだ、と私は思う。そのようなことができる人は少ない。しかし、そのような人に出会う努力をすれば(情報収集・文献研修・親の会への参加等々)、必ず見つかるに違いない。そうした先達から学び、試行錯誤することが両親の(子どもに対する)責務ではないか、とも思った。(2013.12.6)




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「自閉症治癒への道」・《18》第9章 指導法の実際・・両親と保育者のために(2)

《第9章 指導法の実際・・・両親と保育者のために》
◎要約
【情緒的絆の回復】
《抱きしめる行為ではなく「心」が重要》
・自閉症の子どもの母親にできる最良のことは、「抱きしめ」(ウェルチ療法)により、自分と子どもの間の絆を確立ないし再確立するための自分なりの方法を打ち立てることである。これは子どもが幼いほど効果的だが、どの年齢の子どもにも有効である。
・抱きしめ治療は毎日行うべきだし、母子双方がやりたい気分の時に行うのが望ましいが、どちらかないしは両方とも「今日は気がすすまない」という気持ちの時にもやるのがよい。治療開始当初は、1回も抱きしめを行わない日がないようにすべきである。じゃまが入らないような部屋で、心地よい長椅子か床の上の適当な位置(たとえばマットレス)を選ぶのが最もよい。最初の治療は不快なほど長く続くかもしれない。子どもがもがいたり抵抗したりしている間はやめないことが大事である。子どもが本当に母親に寄り添ってくるまで抱きしめなければならない。母親が子どもを抱いている間、父親は母親を精神的に支えることが望ましい。
・大事なのは抱きしめ(接触刺激を与えたり受けたりすること)という機械的行為ではない。肝心なことは「心理的」(情緒的)内容であり、これは抱きしめている間のふるまい方によって大きく左右される。機械的・義務的にやったり、退屈そうにやったり、いやいやながらとか、敵対的なやり方などをしては、子にも母にも益にはならない。
《抵抗の陰の抱きしめられたい気持ちを理解しよう》
・子どもが何歳であろうと、幼い子どものように思い、赤ちゃんのように扱うのである。優しくかわいがり、軽くあやしたり抱き寄せたり、キスしたり、背中やおしりを軽く叩いたり、背中をなでたり、自分の胸のまわりに子どもの腕を回したり、自分の腕を子どものからだに巻きつけ、ごく親しげに話しかけ、子どもにも話したり反応したりすることを励ます。子どもがもがいたりしたら、自分の脚も使って子どもを抱きとめるようにする。できるだけ胸と胸との接触を保つように心がける。子どもがどんなに激しくもがいたり距離をおこうとがんばっている時でも、子どもは同時に抱きしめられたいという「どっちつかず」の気持ちでいるのだということを忘れてはならない。子どもは赤ちゃんのように扱われたいと思っていることを忘れてはならない。抵抗は子どもの「一面」の表現にすぎない。その「一面」を減らし、なくすことが治療の目的なのだから。
・抱きしめ療法は、長く続き、身体的にくたくたになり、心理的にもつらいことがある。子どもが母親に抵抗したり、母親を責めることばを投げつけた場合でも、優しく温かい態度をとり続けなければならない。「献身的」な努力が必要である。
《子どもの精神のレベルにあわせて語りかける》
・子どもが飽きてしまったという様子を示し始めても、母親は簡単にあきらめてはいけない。子どもが興味をもっている物語を聞かせる、童謡を歌ってやるなどしながら、「身体接触」を増し、続けることが大切である。語りかけは、原則として、ごく幼い子どもの「精神年齢」に合わせるようにしなければならない。自分の顔を子どもの顔の高さまで下げることも大切である。以上のことを、すべて臨機応変にやらなくてはいけない。
《父親にも母親とは別の役割がある》
・父親の役割は、子どもと遊ぶことである。「じゃれ遊び」「床の上を這い回る」「いないいないばあ」「ぶらんこ」「キャッチボール」「散歩」(探索)などである。
・父親の日常的な家事(皿洗い、修理、庭いじりなどの作業)を観察させることも大切である。しかし、「無理じい」してはならない。大部分の自閉症児は、そのような場面で見たことをたくさん吸収したり利用したりしている。
《刺激の必要と過刺激の危険》
・子どもが必要としているのは、「特別の種類」の刺激であり、それは「対人的行動」や「探索的行動」「食べること」「眠ること」などのような健全な行動をひき出したり導いたりする刺激である。恐れやパニックをひき起こすような刺激、子どもが望んでいないような「過」刺激は決して与えるべきではない。
・現代社会は「情報入力過負担」の悪条件に満ちている。刺激の多過ぎは、たとえそれが知的には有効なものであっても、「脳の」発達ばかり強調しすぎる傾向のある中流階層の家族ではぜひ「避ける」べきであると思う。
・自閉症児では過刺激が恐れやひきこもり傾向を強めてしまうことがある。また、あまりにも侵入的な干渉によって、子どもをうんざりさせてしまうこともある。
・刺激の多過ぎが子どもに「興味の葛藤」をひき起こすこともある。(例1・1歳の子どもが大喜びで父親と「じゃれ遊び」をしている最中に、誰かがラジオをつけた。子どもは、その音楽に気をとられ、跳ね回るのをやめたが、どちらに集中してよいかわからず葛藤していた。例2・自閉症児のための学校などでも、「認知」の欠陥であるいう考えを信じている教師が、あまりにも多くの異なった刺激を同時に与えて、子どもを混乱させていることがあった) 
・子どもが、何かをもたもたやっている時に、せっかちになって、代わってやってしまうことのないよう、気をつけなくてはならない。子どもは、自分のペースで技能を伸ばしていく機会、自力でできたことの自信を奪ってしまうからである。

《感想》 
 ここで述べられていることは、「指導法の実際」の《核心》である。著者が提唱する「抱きしめ療法」のやり方が、具体的に(詳細に)説明されている。さらに、その《本質》もまた明解に語られている。著者いわく、母親が子どもを抱きしめようとする時に、子どもが示す、「抵抗は子どもの一面の表現にすぎない。それはあなたが治療したいと願っている病気の一面であり、その根底にあるものである」。すなわち、自閉症とは、母親に抱きしめられようとした時に示す「抵抗」そのものとして現れている、それが自閉症の本質であるという認識である。したがって、その「抵抗」を軽くすること、やわらかくすることを試みながら、なくなるまで「持続」することこそが「自閉症治癒への道」に他ならない。まさに、本書のテーマ、そして自閉症治療の本質(仮説)が述べられている、《最重要部分》だと、私は思う。あとは、どのようにして母親を「その気に」させるか、どうしたら「できたことを悔やんでもしかたない。今問題なのは、どうしたらこの子を治せるかということだ」という気持ちにもっていけるか、そして「うまくいくのではないか」というような気軽な受け身的な信念ではなく「うまくいかせてみせる」という楽観的決意の態度を育てるか、私たち自身の「あり方」が問われることになる。(2013.12.5)




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「自閉症治癒への道」・《17》第9章 指導法の実際・・両親と保育者のために(1)

《第9章 指導法の実際・・・両親と保育者のために》
◎要約
・われわれは、自閉症の「すべてを知っている」わけではない。以下に述べることは、暫定的な「試案」であり、将来大いに改善される余地がある。
・この指導法は、害よりは益のほうが多いと感じるし、両親が「完全な諦めの態度」に陥ることは防げるだろう。
・この章の内容は、形よく整理されていないし、くり返しもある。
・この章の目的(助言の本質)は、両親・保育者に「希望」と「自信」をもっていただくことである。
・しかし、すみやかに回復していくことはめったにないし、自閉症児の親の仕事はたいへんなことなのである。
・具体的な助言の前に、自閉症児の親にとって最も望まれる態度の三つの面について述べる。
【早期発見】
・両親に対する最も一般的な助言は、「自分の子どもを一心に(不安をもたずに)観察してください。そして、対人的無関心の初期かもしれないような信号を見逃さないように気をつけてください」ということである。多くの事例においてそのような信号は、生まれた直後から認められている。(おとなしすぎて要求が乏しく「良い子」、働きかけても反応しない、抱き上げようとすると抵抗する、ひどく「泣く」など)
・赤ちゃんを観察するためのいちばん自然な機会は、「授乳」とその直後である。母乳栄養は、母子の相互反応を自動的にひき起こす。人工栄養の場合は、哺乳びんが、自分の体から出てきているような位置にもっていくことが大切である。
・最初はまったく正常だったが、その後(30か月になるまでに)自閉症になっていくこともある。(「喃語」や「クーイング」が出てこない、首を振る、体をゆする、ひんぱんすぎるまばたきなどの常同行動、「うつろな」目つき、母親を通り越してその向こうを見るような「目つき」、抱いてもらいたくて腕を上げる動作をしない、母親を避ける、などは対人行動の荒廃を示すもので、注目しなければならない。自閉的傾向の始まりを示す対人的なひきこもりへの「変化」である可能性がある。)
・初期の警戒信号は、かすかに、微妙に「忍び寄ってくる」ので母親がよほどよく見ていないと(あまり忙しすぎたり、他のことを心配していたり、他のことで頭がいっぱいになっていたりすると)見逃すおそれがある。
・また、部外者(近所の人、親類、訪問看護婦など)の反応もよく観察していただきたい。(母親自身が気がついていないことを見ているかもしれない)
・母親との間に暖かい愛情深い相互的絆を形成することが、われわれの種(ヒト)においては、その後の生活における正常な対人的行動の発達のための自然で最上の出発点である。・父親にはその役割はできない。男性と女性が遺伝的に異なることは単純な生物学的事実である。父親の役割は、出発点では「補助的」であり、子どもとの「直接的」相互作用はのちになってからであり、母子のやりとりとは異なった種類のものである。父親が母乳栄養で育てることは不可能である。
・父子家族の場合は、やむをえず父親が母親の役割を担うか、安定した母親代理を見つけるしかない。
・「経験のある母親」からも、多くのことが学べる。育児書に頼る母親たちは、よい親になるのではなく、説にこだわるようになる危険がある。
・回復への試みはどの段階でもやる価値がある。絶望する必要はない。
【親の情緒面の適応】
・多くの専門家が述べている「自閉症は治らない。予後は悪い」という考えを盲目的に信じてはいけない。
・「自閉症発生要因」のいくつかが該当すれば、母親の「罪の感情」が軽減されるかもしれない。
・もし、何も見つからない時には、おそらくその子はたいへん感受性の強い赤ちゃんで、たいへん価値のある特徴をもっているかもしれない。子どもが興味をもっていないもののことを考えるよりも、興味をもっていることは何か、特殊な才能をもっていないかどうかを見つけるように努めた方が有益である。その資質はすべて、対人的なつながりをつける「橋渡し」として使えるからである。
・母親の「罪の感情」に対する最も良い方法は「だからどうした。われわれはベストを尽くしてきた。誤りを犯さない親などどこにも存在しない。できたことを悔やんでもしかたない。《今》問題なのは、どうしたらこの子を治せるかということだ」と思うことである。・「私がこの障害のある子どもをつくり出した。私がおよぼした害がどんなものであれ、それを元通りにすることは私の義務である」と自分自身に言い聞かせた母親もいる。(しかし、このような人はまれで、かなわないからといって劣等感をもつ必要はない)
・「このような子どもは《神の業》であり、背負わなければならぬ十字架であり、それについてどうにかしようとすることはできないし、する必要もないし、むしろしてはならない」というような考えを受け入れてしまうのは、無益かつ「問題からの逃避」である。
・子どもを教育不能と宣言することは、子どもに恐ろしい終身刑を言い渡すことになり、生涯にわたる悲惨を宣告することである。
・「回復させようと試みても無駄だということがまだ完全に疑いなく立証されているわけではないのだから、少なくともやってみなくてはわからない」という態度をもつことが大切である。
・接触を確立しようとする試みが報いられて、たとえわずかでもよい方への変化が起こりはじめた場合、その消極的・絶望的な気持ちがたちどころにその反対の方向にかわっていく、そのことを忘れないでいただきたい。
・早期発見とすみやかな回復は、決して遠い理想ではなく、いつも同じ幸せな結果をもたらしうる。
・あともどりは、全体的な進歩の一時的な中断にすぎない。あともどりでがっかりしてしまわないことが肝心である。
・「最後にはすべてうまくいくのではないか」というような受身的な信念をもつことではなく、「うまくいかせてみせる」という楽観的な決意をもつことが大切である。
・起こった進歩のことは忘れて、子どもがまだできないたくさんのことをすぐ心配し始めることは禁物である。
・父親は、母親の仕事を全面的に支持し、母親の絶望をのりこえるために、(小さな幸運に感謝する心をもって助けなければならない。
・部外者は、多くの親が子の問題に対して敏感になっているという事実を忘れてはならない。また、「脱線し」「病んで」「おかしくなって」いるのは母子二者の間柄であり、子どもー両親の間柄であり、家族全体だということを片時も忘れてはならない。
【医師その他の専門職への接し方】
・医師の仕事のやり方をよく調べるのが、最善の方法である。(本当に関心と興味を示しているか、子どもをよく観察しているか、関係のある事実についての情報を尋ね、こちらの話に耳を傾けるか、子どもの傷つきやすさ意識しているか、薬を処方したり、臨床検査を勧めたりするか、自閉症について標準的な見解以外の考え方があることに気づいているか等(
・医師から医師へ、診療所から診療所へと子どもを連れ回すことは避けた方がいい。(子どもの不安が増すばかりで、何もいいことはない)
・医師がしようとしていることに確信がもてない場合は、拒否する以外ない。しかし、決断するのは両親である。
・自閉症児の教育可能性を信じないで。「反復練習」によって教えようとするような教師は、避けるべきである。
・よい親や治療士、教師のやり方から進んで学びとろうという態度を養うことが大切である。
・食物と自閉症とのつながりについてはまだ調査が緒についたばかりであるが、自閉症の子ども(およびすべての子ども)の親は栄養に関する信用できる文献を読み。子どもたちにバランスのとれたビタミンの補給をするようにするのがよいと思う。

《感想》
 以上が、《第9章 指導法の実際・・両親と保育者のために》の前置き部分であり、その内容は、指導法の実際に関する一般論(自閉症児の親に望まれる態度)が、三つの面について述べられていた。その1は「早期発見」の大切さ、2は「母親の情緒的適応」、3は「医師その他専門職への接し方」であったが、中でも、自閉症児をもった母親の「情緒的安定」をどのように図るか、という問題は切実であり、たいへん興味深かった。もともと、子どもの自閉的状態を見落とし、その状態を「永続」「進行」「変形化」させてしまう(自閉症児に育てあげてしまう)ような母親が、はたして自分自身の「誤り」に気づくことができるだろうか。さらにまた、それを「認める」ことができるだろうか。治療の困難さは、子どもよりも母親の方に(多く)あるように感じられた。著者自身も指摘してい通り、現代では〈この「親密関係づくり」の仕事を主として母親に割り当てるのは不公平だと考える人々(男女の完全平等を望む過激な女権拡張論者)〉がほとんどではないだろうか。「子育ては母親の役割」とでも言おうものなら、たちまち「時代遅れ」(前近代)の封建主義と批判されてしまうのが、日本の現状ではないだろうか。また、母親自身が「育児不安」をもっており「神の業には従わなければならない、何もする必要はないし、してはならない」という逃げ道を選ぶケースも少なくないだろう。そんな時、「だからどうした。われわれはベストを尽くしてきた。決して誤りを犯さない理想的な親などどこにも存在しない。できたことを悔やんでもしかたない。《今》問題なのは、どうしたらこの子を治せるかということだ」という思いや、「最後にはうまくいくのではないか」というような受け身的な信念ではなく「うまくやってみせる」という楽観的な決意をもつことが必要であるという著者の助言に、私は心底から納得・感動した次第である。(2013.12.3)




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「自閉症治癒への道」解読・《16》第8章 全体にわたる結論

《第8章 全体にわたる結論》
◎要約
・最も重要な要因は心理学的要因である。:自閉的状態とは、不安に支配された情緒不均衡であり、それが対人的なひきこもりにつながり、それに続いて(母子の絆がうまく確立していない時にしか現れない)対人的な相互作用・探索行動を通じての学習ができなくなることである。
・自閉症は「教育不能」ではない。:「自閉症児は教育不能である」とか「関係をつけることはできないが技術を教えることはできる」というような見解を、根拠のないものとして拒否する。
・自閉症の理解と治療を推進する方法:医学のこの領域で用いられてきた研究方法には、比較行動学(生物学、自然科学一般において)で用いられている研究方法がまったく含まれていない。われわれの研究方法と仮説をもっと意図的に活用すれば、自閉症の理解と自閉症児を治す能力が推進されるであろう。
・自閉症の現代文明社会での位置づけ:現代の人間社会は病んでおり、その病気は急速に重くなりつつある。自閉症はその病気の一側面にすぎない。それは、より豊かな、より快適な、より健全な生活に向けて、絶えまなく努力し続けてきたことの結果なのである。われわれは、たしかに生活をより快適にしてきたが、それと同時に大量の新しい圧力を生み出している。それは三つの型に分類できる。
①資源の乱開発:人口の加速度的な増加により、地球の「元金」を食いつぶし、世界の全体的扶養能力(資源の資本)をすり減らしている。また、この「豊かな」社会で販売されている食品、消費者向きの商品は、今や「質的」によくないものになりつつある。
②廃棄物による汚染:われわれの環境には自然による再生不能な廃棄物の汚染が広がっている。
③心理的汚染=社会的環境の荒廃
・人口の都市集中、増大する生存競争と所有欲、「能力向上}努力などすべてが「心理社会的汚染」を生んでいる。自閉症その他多くの心理的ストレス病は、広くこのような文脈においてとらえられるべきである。われわれは、人類の明日を損ないつつあるのである。「拡大家族集団」という社会的な関係を崩壊させ、あるいは家族生活そのものを崩壊させることによって、長期的かつ非常に深刻な損傷をひき起こしている。親として適切な行動能力を十分に発達させる機会を与えられなかった女性や男性を生み育てているのである。この能力は部分的には学習によって身につけなければならないが、「親性を身につけるための課程」の条件はますます乏しくなってきている。われわれは、回復の難しい文化的損失を自分でつくり、自らその被害を受けている。育児書や母親学級などは、どんなによいものであっても、子どもが15歳までに自然の社会的文脈の中で覚えるものを完全に教え込むことは、決してできない。自閉症その他の精神的ストレスによる病気の治療法がわかってきたとしても、人間の場合、しょせん対症療法をしているにすぎない。今、自閉症という問題が存在するのは、われわれが選んできた生活様式によるのであり、変えなければならないのはこの生活様式なのである。
・ウェルチ法を核に新しい治療法を広めたい。:自閉症の多くは治すことができる。統合的な治療法を行った場合にもっとも治しやすく、ウェルチ式の「抱きしめ療法」などがその核をなすはずである。その中に、それ以外の有望な方法をできる限り多く取り込んでいくべきである。実際上は、さまざまな困難がある。ウェルチ法を「読んだり」「観察」しただけでは不十分であり、精神科医、治療士の養成訓練も必要である。「強靱かつ共感的人格」を備えた人であれば、下向きの悪循環のらせんを断ち切ることが「できる」。

《感想》
 ここでは、自閉症の要因は、つまるところ、われわれの生活様式にあり、その生活様式を変えなければならないという結論が、きわめて重要である、と私は思う。これまでに述べてきたこと、そしてこれから述べることも、しょせん「対症療法」にすぎないのだということを、肝に銘じなければならない。さまざまな取り組みを試みながら、同時に、われわれの(その家族の)「生活様式」をどのように変えていくか、どのように人間本来の「生活」を取りもどしていくか、を考えていくことが極めて重要であることを学んだ。
(2013.12.3)




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「自閉症治癒への道」解読・《15》第7章 方法論について

《感想》
《方法論について》
 ここでは、これまでの論述をふりかえり、自閉症に関する「研究方法」に対して「一般的な注釈」を加えている。その内容は、従来の「児童精神医学」における研究方法の「不完全さ」「誤り」を(暗に)批判し、その中に「比較行動学」の方法を取り入れるように提唱する、というものであった。たいへんに興味深い。

◎要約
⑴仮説の「妥当性」を吟味すべきである。
・児童期の精神的な異常は、「こみ入った現象」であり、細部にわたって研究すると同時に「全体として」とらえて研究しなければならない。
・子どもの異常な行動の研究は、当分の間「探索的」でなければならない。それはまず、子どもの行動の観察から始めなければならない。「異常な行動」(行動機構の機能障害)は観察できるが、そのもとになる原因的な出来事は(目に見えるほど直接的には)観察できない。
・研究者がそこにパターンと連続性と相関性を識別できるまではいつまでも混沌のままである。そのパターンの中の特定の一部だけに集中して、それが現象全体の部分であることを忘れると、無関連・無意味な事実の集積になってしまう。
・自閉的な状態の核心的な問題は何かについて、認知と言語の障害、過覚醒、遅れ、その発生について「器質的」あるいは遺伝的な面を重視する考え方は、全体的な妥当性についてまだよく検証されていない。
⑵何が原因で何が結果かを明確にすべきである。
・物事のあいだの「因果関係」と「相関関係」は区別されなければならない。AとBのあいだに相関関係があるということは、Aの原因はBである、Bの原因はAである、あるいはAもBも共通の原因をもっている、ということである。したがって過覚醒が自閉的状態の第一義的な側面であるという考えは、高度の全般的覚醒は強い持続的な葛藤動因のよって生じる結果である、という反対の解釈もできる。また、血小板の機能異常を自閉症の発生要因と考えるか、それが自閉症の結果であると考えるかは、ともに同程度の可能性があり、考える側の随意である。末梢神経(感覚あるいは運動の)機能障害が自閉的であることの決定要因(構成要因)であって結果ではない、という考え方にもあてはまる。どちらは正しいかを決めるには、実験によるのが最良だが、倫理的限界を越えるので実施不可能である。しかし、ひとつの理論に基づいた治療や回復指導が他の理論に比べて効果的かどうかを検証すれば、「推測」によって、決定的実験に代えることができる。(6章、9章)
⑶問題相互の概念的な違いを区別しているか
・動物行動学では、一方の機能に関する問題と、もう一方の、その下に横たわる原因についての問題を、概念としてしっかり区別する。さらに原因については、以下の三つを区別する。①一瞬一瞬の動きの原因(自閉的であるという「状態」の生理機能)、②生成の原因(初期段階から進んだ段階へと変化していく原因(自閉症の病因)、③進化につながる(連続する世代の中で個体発生にみられるゆっくりした変化)「自閉症の歴史」の原因。
現在、①と②が、ひとつの問題であるかのように考えられている。さらに、自閉的発達を統御(抑制・治療・予防)するという問題が、自閉症の本質の問題、ならびに病因の問題の論議と、ほとんどまぜこぜに論議されている。
⑷診断の段階からすでに混乱がある。
・子どもが「真正の」自閉症であるとか、「拒絶症」、「反応性」、「失語症」、「選択的(場面)緘黙」その他のどのタイプの子どもかといったような議論は不毛であり、研究を妨げるものである。診断の記述や見解の中には、観察された事実に混じって、「教育不能」というような推論がはいっているものもある。
⑸「じっと見て考えること」(観察ー解釈)がなぜ重要か・
・あらゆる自然科学は、観察ー解釈の、質的探索的な、あるいは予備考査の段階を通過しなければならないが、それをとばすか急いで通りすごしてしまい、時期尚早なのに「測定」や「実験」に頼ってしまう《誤り》を、現代の精神医学はくり返している。心理テストは、子どもの能力を十分反映したものにはならない。
・脳波や血液標本をとったり、脳の断層撮影をしたり、神経学的・心理学的な検査は、何を「しないか」を示すだけで、何が「できないか」を示してはくれない。自閉症児に観察される行動の下にある動因の葛藤を解明するすることの方が、ずっと重要である。
⑹しゃべらない動物と自閉症児の行動をいかに解釈するか。
・動物行動学における、動因の葛藤に起因する行動の観察と、その解釈、実験的研究の組み合わせを、重い自閉症児の研究方法に適用するのはうってつけである。その理由は、どちらもしゃべらないということである。
・しかし、児童精神科医、両親、治療士、教師たちは、動物行動学の価値を認識するのがたいへん難しい。
⑺研究者や治療者の前で「しない」のは「できない」からか。
・自閉症児は、野生動物同様、「観察者からの干渉」に対して非常に敏感な有機体(全体的機能系)の典型である。
・大部分の野生動物と同様、自閉症児は見知らぬ人に対して、基本的にはひきこもり反応をする。しかもその反応が強いので他のすべての行動を抑圧してしまう。しかし、研究者、教師、治療士、両親までも含めてその大多数が、(子どもから無視される)「自分を目立たなくさせる」ことの不可避的必要性に気づいていない。 ・子どもが何かを「しない」というだけの理由でそれが「できない」という結論をだしてしまい、子どもがもっていながら現そうとしないか、現したがらないか、あえて現すことをしない能力を見のがしてしまって、探し出そうともしなくなる。
⑻正常な子どもについてどれだけ知っているか。
・大部分の児童精神科医は、正常な子どもの《行動》の発達については何も知らない。正常発達のことはもうわかっている、と過信している。正常な子どもの行動の発達を理解し、記述し、順序づけ位置づけることは、まだ完全にはできていない。自閉症を、発達の正常な道すじからの「逸脱」として理解するうえで、正常な発達を理解し、それと比較することはきわめて重要である。
⑼初期に、外的な刺激にどう反応したかが重要
・①すべての行動を外からの刺激に対する反応とみる考え方、②発達は白紙状態の心から出発するものとみなし、行動は学習のみによって発達するという考え方、が正しいかどうか、今ようやく研究され始めたばかりである。①の考え方を重視した結果、外的支配に関する重要な発見がもたらされ、われわれの理解は格段と進んだ。連続的に変化する(環境に対する)子どもたちの反応に注意して研究を始めたが、精神医学的研究のほとんどは、そのことに無関心である。「初期に、外的な刺激にどう反応したか」について研究しない限り、自閉的な状態とその起源を理解することはできないのではないか。
⑽自閉症への洞察と理論化はこれから始まる。
・1920年代以来の「動物行動学」が明らかにした中核的基本的考え方は以下の通りである。①行動は、消化、排泄、内分泌系のような系と同様に、器官系(感覚器官、神経系、筋肉を含む)の働きの結果である。②この行動器官の系は、それぞれの動物(ヒトも含む)にとって「生存のための仕組み」(生殖のための仕組み)の一部であること、その系は複雑な適応の仕方をしており、進化(動物の場合は自然淘汰による遺伝的な進化、ヒトの場合には「心理社会的」「身体外部的」「文化的}変化が付加される)の結果としてみるべきである。自閉症の研究には、これに匹敵するような洞察がみられない。従来の研究は、「理論を求めての断片的情報の堆積である」。われわれのアプローチもまだ最終的な解釈には達していないが、一連の妥当性のある仮説を導き出しており、その仮説は新しい治療の結果によって確認されはじめている。
⑾「理解のための理解」よりいかに治すかを優先すべきである。
・およそ研究というものは、健康の増進、病気の治療、不健康からの解放へ向かっての手段である、ということは自明だが、医師、生物学者、化学者、薬学者たちの研究目的が「理解」という知的「ゲーム」になってきており「治す」ことの探求から離れてきている。
・そのような「微少分析的方法」と並行して「入力ー出力法」《子ども、母子関係を「ブラックボックス」とみなし、さしあたりその内側については探ろうとせず、そこの「入力」(治療)を「入れ」たら何が「出てくる」(病気の悪化・改善、変化なし)かを観察する》をより組織的に適用することが緊急に必要である。  
⑿科学的な議論に非合理的な思考が入っていないか。
・両親の気持ちには、自閉症の原因には環境(育て方)が大きく影響している、という考え方に対して抵抗がある。精神科医は、自閉症の原因論がまちまちな中で「両親を責めて傷つけたくない」と思い、その抵抗を受け入れ、「生得的」「器質的」な原因論を(感情的・非合理的に)支持しているのではないか。
・「教育不能」(自閉症は治らない)という神話を支持している医師、治療士も、これまでの教育が終始失敗しているのだから、教育可能性を信ずることは「感情的」に難しい。
⒀専門家は心を広くもち謙虚であってほしい。
・医学のこの分野では、「権威」に対する信頼があり、それが医学界の階層構造と強く結びついている。その体制は、保守的、一方的、技術偏重的、尊大だと、一般人から感じられている。「専門家にわからせようと思っても無駄だ」と言う人もいる。
・他の分野と考えや研究法を交流することは、双方に進歩をもたらす。

《感想》
 著者の論点(従来の研究方法に対する批判)は、以下のように要約されると思う。
1 自閉症(児)の研究は、その行動「全体」を見渡して(観察・分析・解釈)「野外的に」行わなければならない。従来の研究は、その「行動」の「一部分」だけを、限られた場所、人、時間の中で(干渉的に)見て、その特徴(情報)を列挙・堆積しているにすぎない。
2 自閉症の原因が、「生得的」か「環境」か、は「推測」する限りでは、決められない。その原因が取り除かれた時(改善がみられたとき)、どちらが妥当であったか明らかになる。
3 自閉症の原因という場合、その中には①子どもが自閉的状態になる原因、②その状態が永続(進行)し、自閉症児になっていく原因(病因)、③1940年代以降、工業化された文明社会に「自閉症児」が発生した原因(自閉症の歴史)が含まれる。しかし、「生得的」「器質的」原因論では、①と②が混同している。
4 自閉的発達を統御(抑制・治療・予防)するという問題が、自閉症の本質の問題、ならびに病因の問題の論議と、ほとんどまぜこぜに論議されている。
5 自閉症に関する科学的な議論の中に、「非合理的な思考」(両親の心理的な抵抗・罪障感を強めたくないという感情、これまでの教育的失敗を認めたくないという感情)が含まれていないか。

 この著書が刊行されて40年が経過したが、著者が期待した「専門家の謙虚さ」「他の分野との考えや研究法の交流」は「水泡に帰した」感がある。ちなみに、現在の「自閉症」に関する情報は、未だに以下の通りである。

1《自閉性障害の判断基準》(「日本自閉症協会」ホームページより引用)      
 A.(1),(2),(3)から合計6つ(またはそれ以上),うち少なくとも(1)から2つ、(2)と(3)から1つずつの項目を含む。
(1) 対人的相互反応における質的な障害で以下の少なくとも2つによって明らかになる:
 (a) 目とめで見つめ合う、顔の表情、体の姿勢、身振りなど、対人的相互反応を調節する多彩な非言語性行動の使用の著明な障害。
(b) 発達の水準に相応した仲間関係をつくることの失敗。
(c) 楽しみ、興味、成し遂げたものを他人と共有すること(例:興味のあるものをみせる,もって来る,指さす)を自発的に求めることの欠如。
(d) 対人的または情緒的相互性の欠如。
(2)以下のうち少なくとも1つによって示される意志伝達の質的な障害:
 (a) 話し言葉の遅れまたは完全な欠如(身振りや物まねのような代わりの意志伝達の仕方により補おうという努力を伴わない)。  (b) 十分会話のある者では、他人と会話を開始し継続する能力の著明な障害。
 (c) 常同的で反復的な言葉の使用または独特な言語。                         
 (d) 発達水準に相応した、変化に富んだ自発的なごっこ遊びや社会性を持った物まね遊びの欠如。
(3) 行動、興味および活動の限定され、反復的で常同的な様式で、以下の少なくとも1つによって明らかになる:             (a) 強度または対象において異常なほど、常同的で限定された型の、1つまたはいくつかの興味だけに熱中すること。
 (b) 特定の、機能的でない習慣や儀式にかたくなにこだわるのが明らかである。
 (c) 常同的で反復的な衒奇的運動(例えば、手や指をぱたぱたさせたりねじ曲げる、または複雑な全身の動き)
 (d) 物体の一部に持続的に熱中する。
B.3歳以前に始まる、以下の領域の少なくとも1つにおける機能の遅れまたは異常:
 (1)対人的相互作用、(2)対人的意志伝達に用いられる言語、または(3)象徴的または想像的遊び。
C.この障害はレット障害または小児期崩壊性障害ではうまく説明されない。
* 引用(DSM-IV 精神疾患の分類と診断の手引)
 また、「東京都自閉症協会」のホームページには以下のような記述もあった。
〈自閉症とは・・・自閉症とは、先天的な原因から、
1.対人関係の特異性
2.コミュニケーションの質的障害
3.こだわり等イマジネーション
という3つに特徴があらわれることから診断される障害です。「自閉」という言葉からイメージされる「自らこころを閉ざしている病気」ではありません。また、育て方によって、後天的になるものでもありません。
原因は、まだ不明ですが、さまざまな所見や遺伝的研究から、先天的な脳機能の違いが原因となる障害だと、考えられています。
自閉症は、重度の知的障害を合併している人から、知的な障害がほとんどない人、IQ(知能指数)が通常より高い人まで幅広く、その個性も多様です。どこからどこまでが「知的障害」、どこからどこまでが「自閉症」と区切れるものではなく、まるで虹の光のように連続していることから、自閉症スペクトラム(Autistic Spectrum Disorder:ASD)といわれます。
従来、知的障害のある(IQ70~75以下)人が7割から8割といわれていましたが、ここ数年、知的障害をともなわないタイプの自閉症が広くしられるようになり、早期発見が進んだことから、知的障害をともなわないアスペルガー症候群などの高機能ASDの割合が増えていると、医療機関や教育機関では実感されています。
また、てんかんを発症する自閉症児・者の例は多く(20%以上)、重度知的障害のある人の方がその割合が高いというデータがでています。そのほか、さまざまな感覚や、運動機能に特異性をもつ人もたくさんいます。このことからも、自閉症が精神の障害でなく脳の機能・器質障害であると想像されます。〉(2013.12.1)




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「自閉症治癒への道」解読・《14》第6章 自閉症はどこまでよくなるか(2)

◎要約
《その他の「治療法」》 
⑵シュリープマンとケーゲルの行動変容療法:従来ふうの言語治療で「技術を教える」という面が多いが、それらすべてのことが温かい、愛情深い、心のつながりの中で行われている。①その治療がうまくいくのは「情緒的レベルの治療」(子どもにとって安泰な環境を作り出すこと)に最重点が置かれているからではないか。②技術を教えることは不必要ではないか。両親を共同治療者として参加させていることも興味深い。
⑶ウォールドン博士の父親的態度による治療:まず一回ごとの治療で、できるかぎり対人的な圧力の少ない自由な場面を作り出し、その中で、子どもがそれまでに到達しているレベルに合わせてできることを積極的にやることを励ます。ねらいは、子どもにできるだけ早く必要な努力を全部ひとりでさせることであり、自分のしていることにすっかり没頭して、教師など、おもしろいことをさせてくれる人という程度に無視してくれることである。最初の能力水準は、子どもの前に提示したいろいろな材料(積み木、ペグ、パズル、マッチングや分類に使うもの)に対する子どもの自発的反応を観察することによって評定する。それが決まったら、教師はそのままさりげなく子どもの前に材料や課題を置き、子どもが没頭しやすいようにする。教師は子どもの後に立つ。子どもはテーブルに向かって座る。教師は子どもが身体的能力を最大限に発揮し、作業能力と理解力を「自己最高」水準まで出しきれるようにするために必要な援助「のみ」を、ことばを使わずに行う。(ちょうどその面が伸びていく先端のところで真の学習が行われるからである)このような「非対人的指導」には、十分な練習と鋭い観察眼と高度な自制心が必要である。子どもにとっての最終目標は「順応性」と「自信」である。《著者の訪問・見学記録》(1978年):ウォールドン博士は、子どもに「教え込む」ことを控えていた。子どもの注意を課題に向けさせた後は、全体として支持、無言の励ましを与えるだけの役割に留まり、自分の行動を調整していた。「強制」はみられなかった。子どもがためらったり失敗したときは、「ごく微妙な」働きかけをして、興味をつないだり励ましたりしていた。成功、成就した時にも「べたほめ」するようなことばは聞かれなかった。タイミングのよい承認ばかりが大量に見られた。子どもの態度も、博士の行動に大きく左右されていた。博士がそばにいて見守ってくれることを望んでいるように見えたが、博士が時おり引っ込んでしまうことにも耐えていた。博士は意図的に子どもをテストし、自律性を高めようとしていたものと思われる。指導時間全体は、博士の情緒的影響力の波の上を漂っているように思われた。博士の行動はよい「父親」を思わせるが、その「父親的神格性」(父親的態度のもつ情緒的側面)は決定的な重要性をもつものではないかと感じられた。子どもがいろいろなことに挑戦することによって育ってくる「自信」が情緒的成長に貢献するからである。
・ウェルチ博士の「抱きしめ法」とウォールドン博士のやり方には、大いに「親近性」がある。身体的に抱くことは、回復過程の第一段階で、ひとたび母親や家族との関係が確立した後には、接触を伴わない「精神的支持」(接触なしの抱きしめ)が有効に働くということではないだろうか。
・ウォールドン博士の方法は、身体的「抱きしめ」を「卒業」した子どもにもっとも有効なのではないかと考える。
⑷ドーマンーデラカート式治療法:この方法は、さまざまなテストによって、「脳のどこが傷ついているか」を明らかにし、特定の機能障害が発見(推定)されると、子どもはその感覚領域についての強力な感覚刺激体制に入れられる。さらに「できない」(していない)運動を受動的にさせる「被動運動」の治療の型に入れられる。この治療は14段階のうち、現在できている段階のすぐ上から始めて、ゆっくり段階を登らせていく。今の段階を十分に身につけるまでは、次の段階に「登る」ことはさせない。また、この治療は、主として母親が行うことも特徴である。運動そのものの欠陥が重すぎるという理由で治療を拒否された子どもはひとりもいない。治療の結果は、治療終了時には開始時と比べてかなり能力が高くなっており、14段階の区分からいって平均4.2段階向上している。向上の幅はゼロから13段階である、ということで治療そのものはたいへん効果的である。1979年にドーマン博士が運営する人間能力開発研究所を訪問した時の印象は、職員がひとりひとりの子どもと親に対して、好意・愛情・信頼・尊重の雰囲気を発散させている様子が、じつに印象的であった。これほど多くの子どもたちが、これほど驚くべき進歩を示したのは、「技術の訓練」が《驚くほど好ましい対人環境》の中で行われているからである。自閉症児にドーマンーデラカート法がどの程度有益かを判断することは、われわれにはできない。
⑸ローン・カウフマンの父親の実践:両親がデラカートの考え方にしたがって強力な治療を行いながらも、対人関係づけをめざした強力かつ持続的な作業を進めたとき、目をみはるような成功を収めうることが如実に示されている。(父親の本の内容は10章に要約されている)
⑹クランシー、マクブライドの治療法:これまで治療の対象になった16人の子ども全部にことばの面の改善がみられているが、言語治療はまったく受けていない。その治療法は独創的である。母親にやり方を説明し、母親に協力の気持ちをもたせる。食べ物の拒絶反応を直すのに、好きな食べ物がのっている皿に、拒絶する食べ物をごく少数のせる。こうすると、子どもが食事を全部拒絶することがある。そうしたら、食事を片づけてしまって、その他の食べ物はほとんど与えない。結果的に、最初の期間は断食状態になる。子どもは欲求不満でじれるので、母親の憂慮を増すことになる。(治療士をうらむ)けれどもいったん子どもが新しい食べ物を受け入れ始め、それまでの分まで食べるようになってきたら、対人接触、母子の目と目の接触を促進するための操作的条件づけを始める。子どもは石けんの泡(シャボン玉)に強い興味をもっているので、子どもが母親の方をちょっと見たら泡の強化刺激を与えて、徐々に目と目の接触をつけていき、親密関係をつける過程を促進していく。この方法が成功するかどうかは、母親の意欲いかんによる。治療士が子どもに対して意図的に軽い「拷問」を加えた場合、母親には子どもからの「超正常な」苦悩の信号に反応してやるよう(しばしば抱きしめてやるところまで)指導している。また、できた時の報酬には、食べ物以外で子どもが喜ぶものを利用すべきである。
⑺エリーの母親の計算機利用の行動変容療法:軽い自閉症の子が腕時計型の計算機に興味をもった。その子はそれを使って、その日に「おりこう」だったことの回数を自分で数え、1回につき30点の賞をもらうことにした。そこで母親は、次の一週間に賞を与えられる特定の語や表現や行為を決め、娘と「契約」した。「おまちがい」は罰として減点される。あまりむずかしい課題は除外した。古い問題が解決するとそれは「契約」からはずされ、新しい課題が加えられた。まもなくその子は何百点も稼ぐようになった。「プールのコースを泳ぎ切ったら1000点と決まると、それまではひとかき、ふたかきしか泳がなかったのに、ある日の午後だけで6回も泳ぎ切った」そうである。この方式では、自閉症児のもつ変わった特徴(体系、計算、儀式、ばか正直など)をうまく生かして利用している。
⑻ラッテンバーグ博士の「臨床教育」:その基盤は、教育的治療と精神衛生治療を統合しているところにある。課題は、すでに身につけていることより少し難しいものに取り組ませる。指導過程は①「関係ー確立過程」、②「動機ー発達」過程、③知覚再訓練過程、教室内行動管理過程の順にあげている。その理念は、精神分析の理論に立っており、われわれにはその妥当性を判断する力はない。1978年に訪問したが、遊び的な訓練が数多く行われており、その治療的価値は「相互反応」そのものにあるのではないか。実際に行われていることを見た限りでは、子どもは全体としてこの治療によく反応しており、「有効」(だろう)と思われる。
⑼東京の安田生命社会事業団こども療育相談室(指導者・佐々木正美博士)では、自閉症児を普通の学校生活に中に統合し、正常児と互いにかかわらせることの治療的価値を利用している。「他の子どもによる治療」と「教師による治療」と「家庭での治療」に重点をおいた実践であり、①対人関係の広がりに大きな進歩がみられたこと、②いろいろな技術を覚えたこと、が示されている。
⑽ロイズ氏の乗馬療法:三つの異なる学校から集めた86人の子どものうち73~75%に著しい進歩が見られた。(自信、対人関係、ことば、緊張緩和など)「27例のうち14人までが、最初のことばを鞍の上にいるときにしゃべった」。子どもが発する無力感を馬が感知し、それが子馬に対する時のような反応をさせるのである。ロイド氏によれば、馬が子どもに対していら立ちや非協力的な兆候を示したら、それは子どもの進歩の兆候である。子どもの進歩が、より依存的な態度や、支配的な行動という形で現れる結果なのであろう。
⑾犬やペットの役割:ひきこもり状態の子の対人関係を広げていく最初の段階として、各種の愛玩動物も役立てることができる。
《特殊学校》
・さまざまな学校の中でも、自閉症児に対する「対人関係」づくりに重点をおいた治療教育が実践されていると思われるが、その「教育法」や「結果」の詳細が公刊されていないことは残念である。
【「自己流」ママ(両親】:両親の「体験記」などは、通俗的な文章で書かれているためか、専門家集団からおおかた無視されてきた。今後の有効な教育法、回復指導法の探求に当たって、「自己流」の親のアイデアは重要である。(10章で紹介する)①この子どもたちの大部分は主として母親によって救われている。それに父親の「精神的支持」や「支援」が加わっている。②自己流治療法の核心は、最重点を「超母性的愛護」におき、子どもと母親の(おいおいは家族との)絆の強化を図り、無数のこまごまとしたことについては、子どもの能力の発達段階に合わせ、必要なしつけについてはしかるべき配慮をしている。特殊な興味が目立ってきたら、そのような高い能力の「片鱗」を伸ばすように心がけている。いかなる専門家の治療といえども、優れた自己流両親のやっていることに匹敵するものはない。
【「絶望的」な例】
・母親は、外部の人との接触では、一見温かい母性的な態度を見せているが、自分が誰からも見られていないと思っている時、邪険な面が現れる。
・そうした母親の大部分は、自身、不満足な不幸せな状況のもとに成長した人たちであり、子どもと同じくらい助けを必要としている人たちである。
・子どもに対する母親の両面感情とその行動について深い理解をもった治療士が必要であり、また必要な指示に母親を従わせるだけの十分な権威をもっていることが必要である。

【結論】
・「真の」自閉症にこだわるべきではない:これまで紹介した治療法には、自閉症以外を対象にしたものも含まれているが、その病因を深く探っていけば「親近性」があることがわかるし、どれかひとつについての理解が深まれば、他の障害の理解にも役立つ。
・対人関係の再建が治療の基本:ウェルチ博士の絆再建法を治療の中心に据え、それに有望な、優れた治療法を取り入れ、より効果的なものにしていくべきである。予防法としてもっとも現実的なのは「早期警戒信号」にもっと大きな注意を払うことである。おとなしすぎる子、対人接触を拒否する子、母親の不安過剰、無経験、入院、転居などの外傷体験などが悪影響を与えているおそれが認められたら、関係する大人たちを警戒体制に置き、自閉症過程が進行しないうちに、愛着形成と対人関係づくりに格別の努力をしていくことが大切である。そのような治療は早く始めるほど効果が大きい。
・まず有望な治療法をとり入れる試みを:ひとりでも多くの治療者がこれらの有望な治療法を適用してほしい。やってみようともしないということには、弁解の余地はない。
・かなり多くの自閉症児が「完治」しうる。
・「教育不能性」は推論であって、事実ではない。「これまでのところ」、自閉症児を回復させることができなかったという事実で、「これからも」回復させることはできないと「断定」することはできない。

《感想》
 ここでは、自閉症に対するさまざまな(有望な)治療法が紹介されている。それらの共通点は、「情緒的なレベルの治療」を最優先させているということであろうか。また、「両親の参加」も欠かせない条件であろう。まず、母子の絆を確立して、子どもの不安を取り除くこと、次に好奇心を芽生えさせ、のびのびとした探索活動を「対人関係」を媒介として展開させること、訓練よりも遊び、技術よりも意欲に重点をおいた「治療法」を行えば、《かなり多くの自閉症児が「完治しうる」》ということがわかった。(2013.11.30)




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「自閉症治癒への道」解読・《13》第6章 自閉症はどこまでよくなるか(1)

《第6章 自閉症はどこまでよくなるか》
◎要約
【いろいろな見解】
・「予後が暗い」というのは一つの見方にすぎない。1970年にオゴーマンが「過去におけるわれわれの努力はおおかた経験的なもの(こじつけか、当てずっぽう)であり、大体において無効であった」と言っていることは、今日も少しも変わっていない。
・自閉症児一人一人みな違っている。回復の可能性も同じではない。
・精神分析学派(ベッテルハイムやラッテンバーグ)は楽観的な期待をもっている。それは、早期の心理的外傷体験を重要視しているため、環境的要因によって起こされたものなら埋め合わせができるのではと考える傾向があるからである。
・悲観的な見方の人々の研究方法は偏っている。(研究法の偏りと対象児の偏り:自閉症児全体を代表するようなサンプルになっていない)
・多くの精神科医は重いケースだけを見ている。また、ほとんどすべての精神科医は(非言語的)行動の観察について何の訓練も受けていないので、自閉症の原因として、つい何か「具体的」「生物学的」ないし遺伝的、あるいは「器質的」なものを求めようとしがちで、そうした「具体的」な欠陥が見つからなくても、今に見つかるだろうと思いがちである。
・自閉症児の正常行動は「マグレ」ではなく「潜在能力」であると考えた方が、真実に近い。
・治療士や教師の場合、自分が読んだ学者の意見に強く影響される。また、悲観論に傾くもう一つの理由は、失敗ということである。自分のやり方が不適当だと考えるよりも、子どもの潜在能力が低いせいにしたがる。
・親にも楽観論者と悲観論者がいる。悲観論者は自分の子どもを自閉症状態から引き上げるのに成功しなかった人たちで、気持ちの上でも自閉症は教育不能だと信じている人たちである。一方、回復した子どもたちの親たちは楽観論者である。
・教育可能性という問題は、今日まだまったく未決着の、いつも新しい目で見つめて行くべき課題である。
【教育可能性・・・われわれの考え方の本質】
《環境要因の脱線なら環境で治せる》
・自閉症という状態は、第一義的には乳児期早期における混乱体験(情緒的不均衡)によるものだとすれば、そのような環境要因によって「脱線」させられたものなら、環境を矯正すること(治療)によって、元の正しい軌道にもどしうるはずだ。
《現代西欧化社会になぜ多く発症するのか》
・工業化・都市化した欲ばりな競争社会は、人間の子どもが十分な発達を遂げるためには、一方では提供してくれるチャンス(教示による学習機会)が多すぎるのに、一方では(自由な遊びによる観察・模倣・体験学習の機会は)少なすぎることを示している。子どもの環境を適切に調整すれば、自閉的脱線を予防・修復できるのではないか。
《情緒的均衡の回復が最も効果的》
・もっとも効果的なのは情緒的均衡の回復に努力を集中した治療法である。(例・ウェルチ博士の治療法)
・現在行われている治療法を比較し、効果をあげているものの特徴を探ろうとしたが、①資料が多すぎる、②記述の内容が不備・不明確、③「統計的有意差がない」、④教育効果の評価が難しい、⑤忙しすぎて報告できない、などの理由で、(解明することは)今のところたいへん難しい。しかし、手持ちの情報を生かして使おうとする努力はするべきである。以下、その資料を紹介するしながら、有用な指導方針を引き出したい。
【効果的な治療を求めて】
《理論から求められるもの》
・①自閉症の本質、②その病因、③現代社会における心理的ストレス、に関する理解を踏まえて、自閉症児の教育方針を導き出す。
《強い不安とひきこもり傾向を減らすことが最重要》
・心の安定感をとり戻させるためには第一に「並はずれた母子的愛護」(ただし、ある程度のしつけや規則正しい生活をしながら)によらなければならないが、その仕事の一面として情緒的に幼い状態の子どものほうに親としての行動を合わせていく必要がある。子どもが「部分的な高い能力」をもっている面については年齢「以上」のレベルでつきあってやる必要もでてくる。
《避けたい対応の例》
・薬の使用(「薬物療法」「薬物投与」)は、可能なかぎり避けるべきである。
・子どものかんしゃくに対して言いなりなって、結果的にますます環境の同一性保持を強めてしまうのもよくない。
・ひきこもるにまかせたり、ますますひこもらせたりしているのもよくない。(「この子はこうしているのが好きみたいです」「ひとりで放っておけば機嫌がいいんです」)
・可能なかぎり子どもの「対人関係」を伸ばすことに主眼をおくべきである。(まず、人になつくこと、母親との間の情緒的結びつきを形成するところから始めるべきである)
《論より証拠》
・理論的にみてどの種の治療法が効果的である「はず」かと考えるのではなく、すでに行われている数多くの治療のうち、もっとも有効で「ある」のはどれかを調べるアプローチもある。もし理論と実際が符合した場合には、二つが相互に裏づけられたことになる。
・最良の結果を生んだ治療法は、われわれが理論的分析から導いた方法とよく符合する。・治療者自身は技能を教えて身につけさせることを主眼としている場合でも、良い結果を得ているのはいつも、子どもの情緒的均衡を向上させている方法であることがわかった。
《母子の絆の回復》
*ウェルチ博士の「抱きしめ」療法(この方法は他のいかなる方法よりもすぐれている)自閉症児の「母親」に、子どもをひざに向かい合わせに抱かせ(たとえ子どもが抵抗しても)抱きしめ、笑いかけ、語りかけ、頭や背中をなでたり叩いたりさせる。要するに、幼い赤ちゃんに対してふつうの親が、とくに子どもがむずかっている時などによくやっているようなことをするのである。自宅で一定期間、毎日かかさずやるようにさせる。
抱きしめを行うのは「母親」でなくてはならない。母親は、自分で抱きしめることを通して肝心なことが身につく。「抵抗の段階が終わってそれが積極的愛着行動に変わってくるまで続けることが肝心である。これには、初めのうちは何時間もかかることがある。母親がしばらく他のすべてを放り出して絶対あきらめない覚悟でとりかからないと、この治療は失敗に終わるおそれがあるだけでなく、「反対の結果につながりかねない」。子どもがかんしゃくを起こすとか、かみつくとか、おしっこをしてしまうとかすれば逃れられることに気がつくと、逆に、そういったやっかいな行動のほうが強化されてしまう。格闘している間中、母親は終始優しく、赤ちゃんをかわいがっている母親と同じようにふるまわなくてはいけない。(その中には困ったことをした時にはそれをたしなめることも含まれる!)これは母親だけでなく、父親にとっても兄弟にとっても大変なことである。しかし、ひとたび抱きしめの結果が愛着行動のほうに転換し始めると、母子ともに互いに積極的なフィードバックを相手に与え、相手からも受けるようになる。自閉症の「下向きのらせん」が、両者にとって「上向きのらせん」に変わってくる。子どもは話しはじめるというだけでなく、過去の外傷的出来事を思い出して言い出すことも、この方法の特徴である。
*自閉症から回復中の子どもはまだまだ傷つきやすく、長時間意気消沈してしまいがちであり、短時間の抱きしめを続けていくことが必要なだけでなく、大量の共感的励まし(「精神的支持」「精神的抱きしめ」)が必要である。
・ザスローとブレーガーの「抱っこ」と「怒り軽減」治療とは、抱くのが治療士か母親かという点で異なっているが、少しずつ「両親の参加」の方向に動いてきたらしい。J・アランの仕事も、その方向に動いており、ウェルチ法と類似している。
・各種の「心因論的考え方」の治療者が連携し合って治療法の洗練と向上に努めることを期待し、信じたい。

《感想》
 以上(ウェルチ博士の治療法)を読んで(特にウェルチ博士が著者に送った手紙(1978年8月17日付け)を読んだ時には)、私は不覚にも落涙してしまった。その内容の詳細は割愛するが、要するに、ウェルチ博士が「抱きしめ」による治療法を始めるようになったきっかけは、(担当する)自閉症の母親自身が、(わが子と同様に)博士に抱きしめられたい(安心したい、不安から逃れたい)と感じていたこと、そのことに気づいたとたん、堰を切ったように、それまで自分が母親に対して持っていた(抱きしめられたいという)感情があふれ出たこと、「母の日」に祖母が実際に体で娘を抱きしめたことが転機になったこと、その一日か二日のうちに自閉症の子がはじめてことばを話したこと、だったという件に、私は深く感動した。ウェルチ博士は、自閉症児の母親から、みずからの「治療法」を学んだからである。その柔軟な感性と実行力が今、多くの専門家に求められているのではないだろうか。さらに、私が思い浮かべたのは、日本における「抱っこ法」である。以下は、その入門書(「抱っこ法入門」・阿部秀雄・学習研究社・1988年)を読み始めた時の感想である。                            〈人の一生は「産声」から始まる。「産声」とは、肺呼吸が始まったことを現す証しに他ならないが、いわゆる「オギャーオギャー」というの「発声」のことである。以後、乳児は頻繁に「オギャーオギャー」という泣き声を発するようになる。親は、それを聞いて、乳児の状態を観察、授乳、おむつの取り替え、衣服の着せ替え等々の介護を行う。乳児は出生時のストレス、胎内から大気圧下への(生育)環境の変化によって、様々な「不快感」を感じる。それを「取り除いてほしい」と「泣いて」訴えているのである。このことは、人の一生を左右するほど重要な出来事である、と私は思う。(言うまでもなく、人は「誕生日」以前に生まれている。受胎から出生までの(いわゆる)「十月十日」、胎児として胎生期を過ごすわけだが、その間、順調に発育したか、安定していたか、十分に「快感」を味わっていたか。)人の(誕生後の)一生は、胎生期時代(胎内)の「安定・快感」を求めて、大気圧下の「不安定・不快感」を「取り除いてほしい」と訴えることから始まるのである。つまり、乳児はまず「不安定・不快感」を感じ取らなければならない。そして、それを「泣いて」訴えなければならない。昔から「寝る子は育つ」と言われているが、一方「泣く子は育つ」とも言われている。「不快感」の中には、空腹、おむつ、痛み、驚き、眠気等々が含まれているとすれば、双方は矛盾しない。いずれにせよ、乳児の発達はこの「不快感」から出発するということを見落としてはなるまい。「不快感」は、やがて「怖い」「淋しい」「悲しい」「つまらない」「むずかり」「嫌い」「いや」「嫉妬」「不満」「怒り」といった感情に分化していく。親は、そうした感情が、乳幼児の(円満な)発達にとって妨げになると思うかもしれない。しかし、それは誤りである、と私は思う。「楽しい」「うれしい」「おもしろい」「おいしい」「好き」「満足」といった「快感」は、「不快感」の裏返し(表裏一体)として生まれるからである。ややもすれば、親はその「快感」だけを与えようとしてはいないか。乳幼児が「静かにしている」「手がかからない」「おだやかである」「素直に従う」。そのことだけで満足してはいないか。例えば、紙おむつ、例えば哺乳びん、例えばベビーベッド、例えばベビーカー、・・・等々。「親の都合」で、「育てやすい子」にすればするほど、乳幼児の「不快感」は心中に押し込められ、表出されない。要するに「我慢」「辛抱」を強いられるのである。「我慢強い子」「泣かない子」「人見知りをしない子」「親の後を追わない子」、そうした乳幼児の中には、胎生期時代、十分な「快感」を味わえなかった、その「不安定・不快感」が今も続いている、しかもそのことを訴えることができない、また生後、「親の都合」で「快感」ばかり与えられ、「不快感」を訴える「機会」が失われた、といったケースがたくさんあるのではないだろうか。したがって、まず乳幼児に「不快感」を与えること、次に、それを「取り除いて」と親に訴えることができるようにすること、さらに、取り除いた後の「快感」を親と一緒に喜べるようにすること、が肝要である、と思った〉。 
 この「抱っこ法」という治療法が現在、日本でどのように評価されているかは不明だが、少なくとも「楽観論」的立場からのアプローチであることはだけ間違いないだろう。(2013.11.29)




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「自閉症治癒への道」解読・《12》第5章 何が子どもを自閉症にするのか(3)

《第5章 何が子どもを自閉症にするのか》
◎要約
【「結果的」自閉症】
《聾・風疹などの結果としての自閉症》
・一次的な欠陥の二次的な結果として、自閉的になっていく子どもも数多くいる。
・デ・ソート症候群というまれな病気によって、自閉症になる場合もある。
・「自閉的でありそのうえにてんかん」であるといわれる場合でも、てんかん行動は自閉的な状態の結果であるかもしれない。
・結果的自閉症は実際起こるものであり、これまでの「仮説」がすべての自閉症児にあてはまるとか、それで完全に説明できると主張はしていない。しかし、非常に多くの自閉症児については「あてはまる」と主張する。
【下向きのらせん】
・重い自閉症児の場合には両親その他の者にとってその子と正常な対人的なつきあいを維持することが徐々に難しくなる。その子にどう対処してよいかわからないということの「結果として」、逆に甚大な影響を受けるようになる。そういう親の大部分は、教育を放棄する。子どもの要求に屈してしまい「スポイル」する。怒りを感じる。親が困るようなこと、危険な活動や機会から「閉め出す」。子どもの前で、自分の子どもが自閉症であることを平気で説明する。そういう親は、結果的に子どもを「心理的にめった打ち」していることに他ならない。つまり、反応してくれない子どもへの「敵意」が隠されている。
・子どもは、そうした「敵意」に気づいており、くり返し深く傷つき、自分のからにひきこもるか、破壊的、攻撃的になっていく。
・こういった母子が互いに相手を深く傷つけ合うような現象を「下向きのらせん」と呼ぶ。最初は一対一の母子関係(二者関係)であったものが、まもなく父親が加わった三者関係がやられ、ついで非常にしばしば家族全体がやられていく。その結果、子どもを施設に頼むことも多い。
・「自閉症」は、真の「文明病」である。われわれの環境の中に生じている複雑・壮大な変化のほんの一つの表れにすぎない。「自閉症発生」要因は、純粋な「心理的社会的汚染」の表れである。そしてこの汚染自体は、われわれの文明がわれわれに強いている全般的不適応過程に一部にすぎない。そのすべてを元通りにすることは不可能かもしれないが、そのままにしておいてよいという正当な理由はひとつもないし、それでは申し訳が立たない。
【どんな子どもが傷つきやすいか】
・(想像にすぎないが)自閉症の数多くの子どもが、なんらかの点で特別な才能をもっているように見える。
・逆説的だが、こうした才能は、この子どもたちを孤立させるのに寄与しうる。彼らは、極めて鋭い対人的感受性を備えており、ほんのちょっとした冷淡さや共感の欠如によって簡単に傷ついてしまう。また、ペット、花、笠雲などに対する反応のしかたがたいへん詩的である。また、音楽に対して強い関心を持っているため、その子の最高の友情の表し方は、訪問者に自分の最も大切にしているレコードをくり返しかけてあげるということであったりする。
・このような子どもたちは、皆、他人からの無理解、あざけり、敵意と出会う危険にさらされており、それが彼らを深く自分自身の中にひきこもらせてしまう。
・多くの自閉症児においてこの過度に鋭敏な対人知覚能力と優れた知的芸術的才能とが結びついている、と確信している。
・ある種のごく優れた才能と「自閉症発生要因」の影響を受けやすいこととの間には「相関」があるように思われる。(自閉症児は、多くの者が標準以上の能力をもっていた、そして今ももっている)
【自閉症と社会】
・これまでの「仮説」を検証する(次善の)方法として、①自閉症児と非自閉症児の生育歴を掘り起こすことによって回顧的に調べる、②多数の子どもの標本を誕生から追跡し、どのような条件が自閉症を発生させること、あるいはさせないことと関連しているかを調べること、が考えられる。①は、より系統的に、より徹底的な臨床研究を進める価値がある。②は、何千人もの子どもが必要で、多数の研究者を擁する共同研究でなければならない。
・「西欧」社会のような現代的な、工業化され、都市化された高度に競争的な社会(現代の日本の社会、アメリカに住んでいる黒人のような社会)では、自閉症の発生率が高いのではないか。(確証はない)
・歴史の流れの中で、(時代的な)発生率を比較することも一つの研究方法だが、その資料は無い。カナーが1943年にこの症候群を記述したとき、他には誰にも知られていなかった。(その時代以前には発生していなかったのだろうか?)
・ヒトが地球を征服するようになり始めたのはおよそ100万年前、ユーラシア大陸の温帯地方で、狩猟ー採集生活を行っていたが、狩猟は男、採集は女・子どもという労働区分があった。その生活は、現代のブッシュマン、オーストラリア原住民、エスキモーの生活の少し前の段階と、非常によく似ていたに違いない。
・また、狩猟ー採集という生活様式は、そういう生活に適した社会的な組織(「身うち集団」)が伴っていた。ヒトは100万年にわたって、少数の「拡大家族」(寡婦、義理の父、母、きょうだい、祖父母その他老人をふくんだごく近い親戚の集まった家族集団)で生活していた可能性がきわめて大きい。
・そのような原始的な社会においては「安定した母親代理」が大勢いた。若い母親は年上の婦人の経験・忠告・手助けをあてにすることができた。子どもは両親と一緒に過ごすだけでなくすべての年齢の子どもからなる遊び集団で多くの時間を費やした。女の子たちは、年下の子の世話を任せられ、母性的な行動を学んだ。男の子たちは、典型的な男性の仕事を観察しまねしたに違いない。父親は、子どもとの狩猟ごっこ、じゃれ遊び、ふざけっこなどをしたことであろう。現代の狩猟採集民(ブッシュマンなど)の子どもたちは、学校に行かなくても、そのような生活の中で多くのことを学習している。また、そのような社会は概してさわやかで明るく陽気な雰囲気があふれている。
・一方、西欧社会は陰気・陰うつ、能率志向であり、暗い雰囲気がたれこめている。しかも、人々はそのことに気づいていない。
・子どもが学習すべきことは、劇的に変化している。原始的な社会の子どもたちの学習では、意図的に教示されることは比較的少なく、遊び的雰囲気の中で観察と模倣、体験(試行錯誤)によってたくさんのことを学習する。現代社会の子どもたちにとっては、観察学習、体験学習の機会は減っており、教示されることが多くなっている。現在の制度化された教育のやり方は、あらゆる種類の学習にとってそれほど必要でないし、昔のやり方と比べて効果的というわけでもない。
・こうした変化に気づくことは、自閉症に対する見方の参考になる。
・(人をふくめた動物の)生存はひとりでに起きるものではない。生きていくためには、周囲の環境・条件に「適応」しなければならない。人間の身体と行動の機構は適応するように仕組まれている。
・ヒトは古今を通じ、すべての動物の種の中でとびぬけて適応力が高い。ヒトは非ー専門の専門家である。ヒトは「知能」をもっており、きわめて優れた学習能力だけでなく、好奇心、発明の才、想像力、創造性をかね備えている。しかし、その適応力は無限ではなく、学習過程それ自身が法則に支配されていること(束縛され規定されていること)を見落としてはならない。
・ヒトは、まず第一に「生得的な」行動を発達させる。(赤ちゃんが泣くこと、笑うこと、母親に授乳させたり世話をさせたりすることを可能にする活動や態度)
・「歩く」行動は、遺伝的な過程としてあらかじめ組み込まれているが、効率よく歩けるようになるためにまでには、さまざまな学習が必要である。その学習もまたでたらめに起こるのではなく、遺伝的遺産の一部である。
・ほとんどの行動は、完全に学習によるものでも完全に生得的でもない。遺伝と教示の学習の両方の支配下に発達する。
・「話しことば」の学習は「周囲で話される言語」(教示)によって決まるが、「表情」「身ぶり言語」は、「生得的」(遺伝)であり、世界中どこの人でも同じである。
・学習は、生存のために組まれている課程(プログラム)の一部である。それは、遺伝的に組まれた基礎的な「概略的な」課程を補い、洗練し磨きあげる働きをする。また、われわれのもっている数少ない「純粋に」生得的な行動は、必要なときにすぐ「働か」なければならないものである。
・発達におけるこの遺伝と環境の相互作用は、人々の間の違いとしてもはっきりと現れる。①「聡明な」子どもと「鈍い」子どもとの間の量的な違い。②「才能」と「無才」との間の質的な違い。このような違いは、子どもの育てられ方によってある程度まで際立たせることもできるしならすこともできる。その場合、単に知的な資質とその発達だけでなく、情緒的な資質と弱さ、心理的な性質の圧力に対する回復力(ストレスに対する抵抗力)についても考えるべきである。
・遺伝と環境が、正常な人間行動の発達にどのように寄与しているか、われわれの適応力の限界を知るにはどこを見ればよいのか、異常な環境は、子どもの発達にどの程度そこないうるか、等ということについては、まだはっきりわかっていない。そんな中で、自閉症の環境的・心因原因説が依然として断固拒否されていることは、注目すべきことである。
・初期のヒトは、他の動物と同様に、環境を自分の必要性に合うように統御し変化させることをし始めたが、それが(他の動物と違って)蓄積的な性質をもつ文化的伝承となり、遺伝的進化の速度を追い越していった。ヒトは自分を環境に合わせるのではなく、自分に合うように環境を変えていった。この文化的進化の結果が、現代社会を支配している。
・この「文化的進化」(自然の征服)は、有害な副作用をもたらした。(爆発的な人口の増加、自然資源の乱獲、汚染、枯渇、新しい細菌類や病原体の発生など)
・その副作用は、社会的な環境にも及んでいる(心理的な形の汚染)。①現代の子どもは大きな密集した「匿名の」社会で育つ傾向が高まる。②遊び集団や家族の中での、形式ばらない効果的な行動の習得課程が減り、学校その他の機関での学習(教示を受けること、技能の学習)に重点がおかれている。この傾向は、正常な発達に有害な結果を数多く生んでいる。①子どもは、適応力を広げすぎるような条件にさらされる。数え切れない「見知らぬ人」に出会い、「遊び」よりは「勉強」、団体訓練をふくむ組織化された教示が多くなり、その結果、興味の喪失だけでなく反抗さえ招くことがあまりにも多い。②「家族の実質的崩壊」により、育児技術の習得が妨げられる。
・「自閉症発生要因」のリストの多くは、そのような社会風土の崩壊と関連している。

【結論】
①自閉症の原因は、受精卵の染色体の欠陥のために起こることが知られている異常に比べると、遺伝の関与はずっと決定的でないことはほとんど確実である。遺伝的な側面があるとすれば、ある種の子どもは他の子よりも影響を受けやすく、傷つきやすいという相違があるくらいの程度である。
②傷つきやすい子にとって、(正常な発達からの)逸脱の引き金になりうる外的な条件を列挙した。(「自閉症発生要因」のリスト)これらの要因の多くは、親の「過ち」とは限らないし、親自身が何年も前にさらされ、傷つけられてきた状況とつながっている場合もある。
③人類の発達・歴史という観点で見た場合、最近の社会的条件の発展は一部不適応を生んでいる。この全体的な不適応の対人的な面からみると、自閉症もおそらくたくさんの不健康な誤った形の発達の一種である。

*「自閉症発生要因」の大半は対人的な性質のものである。それらはもともと感覚入力を通じて働き、子どもの動因状態に影響し、それを通じて子どもの行動に影響するのであるから、「心因的」なものとして分類されるべきである。
*ただ、現段階の知識では、まだその「仮説」は、仮定的でしかありえない。

《感想》
 以上が、《第5章 何が子どもを自閉症にするのか》の後半節である。私が最も興味深かった点は、①【下向きのらせん】と、②【どんな子どもが傷つきやすいか】に記述されている内容であった。①では、母親が(反応しない)乳幼児に「どう対応してよいかわからない」ということの結果として、教育を放棄する、怒りを感じる、「敵意」をもって「心理的にめった打ち」にする。乳幼児は、そうした「敵意」に気づいており、自分のからにひきこもるか、破壊的、攻撃的になっていく。最初は一対一の母子関係であったものが父親も加わって家族全体が崩壊していく、と述べられていたが、昨今の「児童虐待」事例と「瓜二つ」、子どもが自閉症か否かにかかわらず、環境要因による子どもの被害・災難は後を絶たない。これもまた、人類の「文化的進化」の副作用なのであろうか。また②では、
・「(想像にすぎないが)自閉症の数多くの子どもが、なんらかの点で特別な才能をもっているように見える」「多くの自閉症児においてこの過度に鋭敏な対人知覚能力と優れた知的芸術的才能とが結びついている、と確信している」と述べられている。つまり、「過度に鋭敏な対人知覚能力}に対する適切な対応(手立て)を図(りさえす)れば、彼らはその「特別な才能」を十二分に発揮することができる、ということである。これは、極めて明るい材料である。テンプル・グランデン氏、ドナ・ウィリアムス氏など、著名な「自閉症」経験者が実在していることも事実なのだから。要は、「過度に鋭敏な対人知覚能力」による「不適応」を、どのように克服し「才能開発」の方向に向けるか、の一点に絞られるだろう。次章が楽しみである。(2013.11.28)




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「自閉症治癒への道」解読・《11》第5章 何が子どもを自閉症にするのか(2) 自閉症を発生させる要因のリスト

◎要約
【自閉症を発生させる要因のリスト】
*このリストは(一部)は、確固たる証拠に基づいたものというよりもむしろ暫定的なものであり、直観に基づいたものである。
《出生前の影響》
・妊娠中の母親の風疹(風疹が原因で聾になり、聾が原因で自閉症になるということがあるかもしれない。器質的なものと心因的なものがからみあっている)
・母親の栄養・喫煙・クスリ(食物のビタミン欠乏、喫煙、服薬が影響するかもしれない)・赤ちゃんに心理的影響を及ぼす要因(「生まれた時からおかしい」赤ちゃんは、その時すでに非ー遺伝的環境条件の犠牲者だったのかもしれない。胎児にとって子宮は環境なのだから)
《出産中の出来事》
・赤ちゃんにとって出産は革命的変化である。(①正常な出産でさえこの革命を無傷で生き抜くことは奇跡である。(哺乳類の動物も同様)②(現代社会の)出産の仕方の不自然さに気づかなければならない。自閉症児の出産にまつわる事柄の詳細についてはよく調べてみる価値がある)
・高位鉗子分娩は赤ちゃんをひどく驚かせる、難産の場合、子どもをひどく恐がらせる、ことがあるのではないか。陣痛促進も「不自然」である。
《出産後の出来事》
・出産後数分間の母子のやりとりがきわめて重大:誕生の瞬間から、母と子は互いに相手とやりとりを始める。(始めなければならない)母親は出産直後に赤ちゃんを渡されると熱心になでたりキスしたり軽くたたいたりする。赤ちゃんの方は誕生後1時間くらいは驚くほどはっきり覚醒した敏活な状態で、いっしょうけんめいに吸う動作を始めようとし、さらに母親の世話を助けるようなさまざまな活発な動きをみごとにやってのける。こういった最初の数時間の相互反応は、母親と子どもに永続的な影響力をもつ。双方ともこのような相互反応を通して、相手から学び、相手に教えている。(相互的プログラミングの始まり、対人的な過程の始まり)*出産時の麻酔、帝王切開、保育器などは、それを妨げ、子どもを自閉症にする素因をつくるおそれがある。
・早期の相互反応ができないようにされると(すぐに赤ちゃんが連れて行かれる等)、母子の相互的プログラミング(「縁結び」「絆の形成」)がずっと難しくなる。
・最初の数分間、数時間たつうちに確実にいくつものことが「まずいことになる」おそれがあり、それが新生児の「おとなしい」こと、その他の異常行動を起こしうるし、母親を困惑させ関係づけをそこなわせることがある。母子関係は危険にさらされており、自閉症の素因が生じているか、すでに自閉症になりつつあるということになるかもしれない。
*母親が「もうろう」としている場合、最初の愛着関係は形成しにくくなるが、そのことで母親を「責める」ことはできない。自分の力の及ばぬ条件の犠牲者である。自閉症の発生に「寄与した」ことと「責められるべきだ」ということは本質的に違う。
・母子ともにひきこもって身を守る悪循環:関係形成の一時的なつまずきなどは、以後修復できるから重要ではない、という考えもある。(その通りであることも多い)しかし、赤ちゃんの協力が得られないことに母親がすぐにがっかりしてしまったり、他の状況も影響して、互いに失望をくり返し、どちらかあるいは両方が、相手からひきこもって、それ以上の失望から身を守ろうとするようになる。(下向きの自己強化の悪循環)
・母親あるいは赤ちゃんの病気による入院:母親あるいは子どもの病気による「入院」(環境的断絶)は、双方を傷つけ、円滑な母子関係の発達がそこなわれるおそれがある。(このことは、現在では広く認識されている)
・弟や妹の早すぎる誕生:年上の子ども(特に第一子)にとって、母親の注目を失ったことを怒り、見捨てられたとか、裏切られたとさえ感じることがある。新しい赤ちゃんの誕生の影響は、全体的な状況に大いに左右されるだろう。
・親にストレスが多い状況での引っ越し:生後30か月以前の「引っ越し」は、かなりの外傷体験になりうる。
・頻繁すぎる旅、長距離のドライブのためのドライブ:あまりに頻繁な訪問、なじみのない環境への訪問(外国旅行)などは、「引っ越し」同様の危険があり、情緒的な混乱をおこしやすい。
・高層建築などの建物の中に切り離された住居:隔離状態の中で暮らしている母親は、孤独で退屈で気が沈んでいるかもしれない。その悩みの解決に、子どもを他人に預けて仕事の就こうとすることもある。自分の倦怠感や目的意識の欠如、うつ状態を子どもに移し伝えるかもしれない。逆に、子どもにかかわり過ぎ、注意を子どもに集中し、子どもを母親の選択した活動にばかり誘い、そのほうが彼女に都合のよい時には、子どもが自分のやりたいことをやれる時間をほとんどなくしてしまうこともある。また、高層住宅のような隔離された条件下に住んでいる子どもたちは、近隣の異年齢遊び集団に加わる機会があまりにも少なすぎる。都市では遊び場も危険が多い。このような社会の変化は「ひそかに忍び寄って」きたので、誰も気づいていない。
*親に「責任」はないが親の影響はある。「親の行動」も多くの形で、明らかに自閉症の発生に関与する。(この考えは、すでに否定されており、自閉症研究者の一部からは非常に激しい口調で拒否されているが、この拒否は科学的に正当性がなく無責任であり、合理的とはいえない)
*子どもを育てた経験のない母親の問題:〈ただ食べさせたり体をきれいにしてやったりするだけでなく赤ちゃんにもっと何かしてやらなくては、と言われないとわからない母親がいる。そのような母親は、たとえば赤ちゃんにひとことも物を言わない、歌ってやらない、赤ちゃんと一緒に遊んだりふざけたりしないのである!そういう情けない母親の一人は、赤ちゃんがそういうことが好きだと言われるとたいへん驚いて、「でもこの子に私の言うことが理解できないのはたしかでしょう?」と反論した。そうした母親は大きな幸せを逃しているだけでなく、知らぬまに自分の赤ちゃんの正常な発達を妨げている〉
*若い母親の不安・不確かさ・ためらい:過度の不安・不確かさ・ためらいが、若い母親には数多くみられる。不確かさは、自然の母性獲得過程が不十分な女性には当然予想されるが、多くの「育児書」を調べることによって「強められる」。(育児書の)矛盾した意見がしばしば無責任な自信とともに示され、不安定になっている母親を「これでいいのかしら」と迷わせる。心配しすぎの自信のない母親が、子どもに悪影響を及ぼし、子どもたち自身をも自信のない心配しすぎの人間にしてしまうことは疑う余地がないようだ。子どもからの思わぬ行動(不思議な行動・困った行動)に対して、母親がどのような反応をしたか(何をしたか、何をしなかったか)ということが、逆に、赤ちゃんが母親に対してどう反応するかに影響する。
*産後うつ症と母子だけの孤独状態:母親をうつうつとした気分にさせるだけでなく、適切な時期に赤ちゃんの相手をする興味を失わせ。自分を家庭に縛りつけるということで赤ちゃんを責めるような気分にさえさせるかもしれない。
*人工栄養の機械的な授乳:母乳栄養の場合、赤ちゃんと母親も顔が互いに向かいあい(触れあい)さらに飲ませている間じゅう、ちょっとした具合をなおす動きを双方とも数多くしている。(顔と顔、皮膚と皮膚による相互作用)人工栄養の場合(その姿勢や位置を母乳栄養の場合と同じようにしないと)、母子の間に必要な相互作用に重大な(非常に有害な)欠落を生む。赤ちゃんの注意を母親からそらすという傾向を強化してしまい、おそらく音に対して「刻印づけする」結果になるのではないか。多くの自閉症児が音楽一般あるいは特定のレコードに「なぐさめ」を見出し執着しているようだ。
*知的な仕事への関心に伴う赤ちゃんの世話の不足:自閉症の発生に寄与している、まちがいなくたいへん重要と思われるもうひとつの要因は、両親がともに「高度の知的能力を要求する面白い仕事に就いている時に起こるような状況である。母親が、気持ちを仕事に向ける分だけ、赤ちゃんに対する注意と世話は妨げられる。単に、赤ちゃんの身体的世話動作を忠実に行っているだけでは不十分なのである。
*子どもの精神衛生の観点からすると、そのような女性(職業婦人)は、理想的には仕事をするか家庭をもつか、どちらかに決めるべきである。(理想的な解決は不可能かもしれない)
*陽気な雰囲気の思いがけない重要性:「まじめな」「何かに心を奪われている」親は、情緒的にも知的にも子どもをひどく傷つける。(こういった両親や家族の欠点は、まさにこのまじめさそのものである)拡大家族、近隣集団の陽気な雰囲気、冗談を言ったり笑ったりすること、からかいあうこと、かつぎあうこと、冗談やしゃれの素早い応酬などは、幼い乳幼児にとっても、とてつもなく重要である。「じゃれ遊び」や、体を使っての「ばか騒ぎ」や冗談などは主として父親の役目である。
*両親の離婚:両親が生別もしくは死別し、残った片親が、配偶者の喪失に対する反応として、子どもを無視したり拒否したりするときは、自閉症の発生要因になりやすい。親がずっとついていることによって子どもが対人接触を求める気持ちがひき出され、子どもが求めてやまない反応が得られない(拒絶される)という(くり返される)失望の経験と結びついている状況である。
*一貫したルールやしつけの欠如:一貫した「日常のきまり」・秩序、規則性の欠如は、非常な悪影響をもちうる要因となる。筋の通ったいくつかの規則のもとで生活することは、子どもに「安心感」を与える。
*子どもへの高すぎる期待と多すぎる要求:自分の子どもに対して高望みをし、まだヨチヨチ歩きの頃から冒険心、勇気、知力(学校では「できること」)を期待したり要求したりする傾向が、子どもに圧力として働き、子どもを不安に陥れ、自信をもって行動することを妨げる。この圧力は必ずしも自閉症発生要因になるわけではないが、他の多くの圧力と同様、もっと広い全体的発達の文脈の中でみるべきだと認識することが重要である。
*両親間で、あるいは周りの環境と、別の国語を使うこと:父親と母親が二つの別の国語で話し、互いに相手のことばは使えないという場合、赤ちゃんは混乱し動揺してしまうという話がある。このことと、親とともに外国に移住した後の幼い子にみられる「自閉型の」退行という事実はともに、時として自閉症発生に寄与する要因になりうるのではないかと思わせる。

《感想》
 以上が、著者による暫定的な【自閉症を発生させる要因のリスト】である。中でも私が注目するのは、①出産時、出産直後の出来事、②高層建築などの建物の中に切り離された住居、③若い母親の不安・不確かさ・ためらい、という項目である。この書物が刊行されたのは今から30年前だが、そうした「要因」は、ますます増長・拡大されるばかりで、現代に生まれてくる赤ちゃんのすべてが、自閉症発生要因に満ちあふれた環境の中で育っているのではないか。だとすれば、「自閉症」の発症を予防することが喫緊の課題になってくるだろう。今では「自閉症」に「注意欠陥多動性障害」「学習障害」というレッテルも加えられ、それらを一括して「発達障害」などと総称されているが、事実、その(幼児の)出現率は以下の通り「恐るべき数字」が示されている。〈いわゆる軽度発達障害を学習障害(LD)、注意欠陥/多動性障害(ADHD)、高機能広汎性発達障害(HFPDD)、軽度精神遅滞(MR)と定義し、5歳児健診を基盤として発生頻度を調査した。その結果、鳥取県の5歳児健診(1015名)では、軽度発達障害児の出現頻度は9.3%であった。栃木県の5歳児健診(1056名)でも8.2%という出現頻度であった。また、こうした幼児の半数以上が、3歳児健診では何ら発達上の問題を指摘されていなかった。〉(厚生労働省ホームページ)また学齢児段階でも、文部科学省の調査によれば出現率6.3%ということである。そのすべてが「自閉症」ではないとはいえ、30年前に比べて、事態が「改善」されている(「自閉症児」の出現率が減っている)とは、とうてい思えない。以上が、私の率直な感想である。(2013.11.26)




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「自閉症治癒への道」解読・《10》第5章 何が子どもを自閉症にするのか(1)

《第5章 何が子どもを自閉症にするのか》
◎要約
【はじめに】
・自閉症の病因、発生をどう理解したらよいかという問題について、①最初に自閉的逸脱ないし脱線を起こさせるものは何なのか、②不可避と思われているその後の荒廃を起こすものは何か、という二面に絞って論じたい。
【発症と進展】
・おかしいと思った時にはかなり進行している。
・初期の自閉症の客観的情報は少ない。(最も客観的な方法は「家庭映画」である)
・「生まれたときからおかしい子」と、のちに逸脱していく子
*オーニックが記述する自閉症児の行動様式(生後6か月まで:「要求が少ない」「母親に気づかない」「反応性微笑は現れないか遅れる」「抱き上げられることを予期する反応が現れない」「おもちゃに反応しないのに掃除機、洗濯機、電話の音には過度の反応をする」、6か月から1歳まで:「固形食に異常な反応を示す、ザラザラした舌ざわりの食べ物を拒否する」「おもちゃを与えると払いのけたり落としたりする」「あまり人になつかない」「人見知りをしない」「非言語的なやりとりが見られない」「突然の音や大きな音でイライラしたりパニックを起こしたりする」「音以外の感覚にもいやがることがある」生後2歳~3歳:感覚路についての刺激を求めお決まりの動作をする。「歯ぎしり」「自分の手や指をじっと眺めている」「つま先立ち・歩き」「物をくるくる回す」「クレーンハンド」、5歳~6歳:感覚刺激に対する激しい反応と奇妙な形の動きが目立ってくる。ことばの異常が一番気になってくる。「しゃべらない」「代名詞の転用」、6歳を過ぎると、これまでの症状が続く子と、合併症を疑わせるような新しい特徴が現れてくる子のタイプに分かれる。5歳までにことばをコミュニケーションに使えなかった場合、以後のことばが伸びてくる可能性はきわめて乏しい。
・オーニックの記述には、細かいことが山のように報告されてはいるが、全体的な生育史については、はっきりしない。
【解釈】
・異なる見解:これまでの研究で問題になっている論点:⑴「遺伝か環境か」⑵「器質的」原因説(その「器質的」欠陥は遺伝か後天的か、「器質的」に対応する対極的な概念は何かが、はっき説明されていない。おそらく「機能的」(不全)と考えているのだろうが、
この遺伝と環境、器質的と機能的という「対比」は、その性質が異なることであることを識別していないと混乱が生ずる。「自閉症は早期の環境的要因による外傷的経験によるものでは《なくて》器質的な欠陥によるものである」という「対比」は誤っている。「器質的」欠陥は遺伝的要因によるものであることもあるし、環境的要因によるものであることもあるのであり、ときおりしばしばみられる機能不全も同様だからである。また「器質的」という分類名はあまり有益ではない。妊娠中に風疹にかかった母親の子どもは、自閉症になる率が高い。このような子どもは「先天性風疹」といわれるが、何が自閉症への逸脱の引き金になったかを理解するにはほど遠い。その関係に関する専門家(チェス。コーン、フェルナンデス)の著書の中では、自閉症が発生したのは生まれつき聾の子どもだけであったと述べられている。一義的には「器質的」だが、肝腎な自閉症とのつながりに関しては、聾であるため母子間のコミュニケーションの回路の一つが利用できず、そのために母親との親密な関係を作ることが子どもにとって格別に困難であったという事実によることもありうる。⑶「末梢性」「中枢性」という対比もあるが、末梢性の徴候は、中枢的な問題が治療されれば消えてしまうことが多い。
・自閉症は「中枢的」「機能障害」である。
・自閉症が純粋に遺伝的である可能性はごく少ない。(⑴染色体異常その他の遺伝的異常に関する直接的な証拠はない。⑵(動植物の研究者が行う)大規模な計画的品種改良実験(のような方法でなければ)遺伝的特性を明らかにすることはできないだろう。人類の場合は、その資料はないし、今後も入手は不可能である。⑶一卵性双生児と二卵性双生児を比較する方法は適用可能である。もし、自閉症のような偏りが完全に遺伝的な性質のものであれば、一卵性双生児は常に「一致し」、双方同じ結果を示すはずである。もし、一卵性双生児のうち一方は正常に育っているのに一方が自閉症になったという例が発見されれば、これはその偏りに環境が影響したことを示している。これまでの報告では、7組の「不一致例」、4組の「一致例」が確認されている(フォルステーン、ラター)。
・かかりやすさの一部は遺伝的かも知れない。(他のどんな疾患の場合も同じであるが、自閉症の場合も子どもによってかかりやすさ、ないし素因が異なることは疑いない。このかかりやすさの相違の一部は遺伝的差異によるものかもしれない)
*「先天性の風疹」という場合の「先天性」とは「出生時から存在している」という意味であって「遺伝的に決定されている」という意味ではない。
*感覚的機能不全(音に対して無反応)や運動機能障害(手や足のぎこちなさ)など末梢神経の欠陥の表れは、中枢神経的(実際には「動因の」「情緒的な」)機能の障害に起因することがわかってきた。(子どもの恐れや不安、やりたくない気持ちなどの程度によって変動する)治療は、情緒的均衡を回復すること狙いとした場合の方が、感覚刺激への集中や手足の操作の訓練をする場合よりも、よく成功している。機能障害があるという所見をもとに脳に構造的な障害があるという仮説を立てることは、結論への飛躍である。(「神経学的」所見の解釈)
・自閉症をひき起こす原因は主として環境にある。
・なぜ「母親につらくあたる」(ウィング)のか(心因的な要因の一部は両親、とくに母親の行動と関係している。自閉症児の両親は、自閉症に発生に関する心因説を受け入れることが感情的に不可能になってしまう。しかし、心因説によってひき出された治療法によって子どもの回復の(あるいは自閉症を未然に防ぐことの)可能性が大きくなる。子ども達の利益は最優先すべきである。もし何人かの母親を傷つけるか、それともたくさんの子どもを悲惨ならせん状悪循環から救うのをやめるか、のいずれかを選ばなければならないとすれば、「母親につらくあたる」ほうを選ぶほかはない。
・正常な子から重い自閉症児までが連続線上にある。(①ある種のごく特殊な環境下では、ほとんどすべての正常な子どもたちが、軽い、時には強い、自閉的な行動を見せることがある、②重い自閉症児もある種の環境下では、少なくとも限られた時間内は、正常な子どものように行動する。実際に存在するのは、正常な子どもから、ちょっと「はずかしがりや」ないし「臆病な」あるいは「こわがり」の子ども、そしてたいへん軽度からやや軽度の自閉症を経て重い自閉症へとずっとつらなていく「連続線」である。
《自閉症発生要因リストの見方》
・子どもを自閉症にするには、さまざまな要因のすべてが必要なわけではない。影響を受けやすい子どもにとってはそれらのうちのほんの二、三の要因だけで平衡を崩しうるし、その二、三も子どもによってまったく異なりうる。ある事例においてどういった要因の組み合わせが決定的なものとなるかは、子どもの性質と、子どもがたまたま出会っている条件によって決まってくる。
・このリストは(一部)は、確固たる証拠に基づいたものというよりもむしろ暫定的なものであり、直観に基づいたものである。
*「自閉症発生要因」のいずれかの組み合わせによって、中枢の状態が「不安優勢」(中枢性動因不均衡)になり、さまざまな症状の発現につながる。

《感想》
 カナーやベッテルハイムが、自閉症の発生要因を両親の育て方にあると提唱したが、「ほとんど受け入れられず 、時にはきっぱりと、唾棄すべきものとして拒否されてきた」。にもかかわらず、著者(ティンバーゲン)はあえて「非遺伝的な、とくに非器質的な、心因性の要因を再検討していくことが必要である」と述べている。その心因性の要因に、両親の育て方が影響していることは明らかだが、彼の「仮説」もまた、親から「受け入れられない」ことは確かであろう。それは、「どちらが正しいか」という科学の次元ではなく、「感情的な」「非ー合理的な抵抗」による「政治的」なレベルの対立の結果ではないだろうか。事実、日本でも「親学推進協会」なる法人があり、高橋史朗氏という「教育学者」が「親が変われば子どもも変わる」ことを提唱しているが、近年では、以下のような事例もあった。〈親学に関しては、非科学的であり、障害者への差別・誤解を生むものだ、という指摘があり、批判を受けている。特に、発達障害が伝統教育で治療可能であるという主張は、ゲーム脳などと同様に何ら科学的根拠はないか、むしろ明確に否定されている疑似科学である。ただ、その内容が保守層の政治的信条に近いこともあり、大阪市では大阪維新の会は「家庭教育支援条例」案を提出した際に高橋の助言を受けて条文を検討、作成していた。この条例案は、一般に知られることになった時点で、医師や発達障害児の保護者から、内容が「学術的根拠がない」「偏見を増幅する」との批判を受け、維新の会代表である橋下徹大阪市長も、批判に同調しつつ条例案に否定的なコメントを述べたため、維新の会大阪市議団はいったん謝罪その後、この条例案を撤回した。〉(「ウィキペディア百科事典・高橋史朗」のページから引用)さればこそ、ノーベル医学生理学賞受賞者・ティンバーゲン博士の「仮説」もまた、(高橋氏の「親学」同様に、同程度の類として)「非科学的であり、障害者への差別・誤解を生むものだ」と、唾棄されてしまうのだろうか。(2013.11.25)




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「自閉症治癒への道」解読・《9》第4章 自閉的状態の分析⑵・・子どもの行動(2)

《第4章 自閉的状態の分析⑵・・・子どもの行動》
【感想】
《葛藤仮説の実験的検証》
 この節では、著者夫妻(の研究グループ)が行った実験で、「葛藤仮説」が検証されている。その第一ステップは「自然の実験」(非意図的実験)である。子どもを自然の状態においたまま、観察する。そうすると、どのような外界の出来事が回避行動をひき起こし、どのような出来事が子どもを人やものに接近させるかについて、最初のヒント(アイデア)を与えてくれる。医師の診療室での診察や、心理学者の「テスト」で明らかになることは、子どもが「反応しない」ということだけである。第二のステップは、子どもの家庭を訪れたり、訪問を受けたりした時、《(対人的な)不安を軽減すること》に重点をおくことである。その手続きは以下の通りである。〈①好意的な目でほんの一瞬その子をちらっと見た後は、その子をまったく無視する ②子どもはその見知らぬ人をじっと見つめて用心深くその人を調べ始める ③もうだいじょうぶだろうと思って、その子をちらっっと見た時、その子が目をそらしたら、直ちに視線を向けることをやめなければならない。④まもなく、その子はその人を調べるのをやめるようになる。⑤子どもは慎重に近づき、その人にさわることによってその人とつながりを持とうとする強い傾向を示す。(決定的な瞬間)⑥その場合、その子を見たりしてはいけない。⑦自分の手で注意深くその子に触れることで応じる。⑦もし、その子が笑ったら、ひとり笑いしてもよい。ただし、まだその子を見てはいけない。⑧まもなく、子どもはより大胆になってくる。接触や間接的な発声を続けることによって絆がだんだん固まってくる。⑨そこで、はじめのちらっと見ることに切り換える。注意深くやらなくてはいけない。一歩一歩、微笑を忘れずに、はじめはほんの一瞬にする。はじめは顔を覆って、その子の名前を呼びながら、ちらっと目を見せてまたすぐに覆うようにする。子どもはニヤリとしたり、笑い出したりすることさえある。⑩まもなく、子どもの方からそれをやってもらいたがるようになり、視線を合わせる時間が長くなり、よく目が合うようになる。⑪この遊びを注意深く進めていくと、もっと遊んでもらいたくて文字通りわめくようになる。〉この方法は、カモメのオスがメスの恐怖を和らげる手続きと似ている。また、犬に対しても有効である。以上の手続きとは反対に《不安を強める》方法は、いつでも、どこにでもある。「押しつけがましい観察」「子どもとの突然のやりとり」「電気ショックによる行動変容療法」等々。結論として言えることは、自閉的行動は実験的操作が可能であり、その基礎をなしている不安を減らす方向にもふやす方向にも可能である、ということである。
《動因葛藤の長期的影響》
 この節では、自閉症児の「行動特徴」が、長い間の葛藤状態の結果として現れているということ、また「くせ」「常同行動」など、自閉的行動の「起源」や「種類」について、動物行動学的観点から、詳細に述べられている。ただし、それらは典型的な自閉的行動の「すべて」についてその起源を見出しているわけではなく、その方法を示したい、とも付記されている。
◎自閉的行動の起源を知る
・自閉症が長びいている場合の最も重要な二次的影響は、「葛藤動作の形式化」と「乳幼児的行動が永年にわたって保持される」ことの二つである。
・「抑制された志向動作」
*くるくる回りは接近と回避の組み合わせ(くるくる回りの起源は、接近の最初の段階とくるりと向きを変えて歩み去るときの最初の段階との連続的組み合わせとおもわれるふしがある)
*揺する・ころがるも接近と回避の連続(一カ所で立つか座るかしたまま体を前後に揺すること(ロッキング)も、同じく接近志向動作とひきこもり動作の連続である。動物の多くにふつうに見られる振り子運動に似ている。正常な大人が酒場で口論になったような時、前進・後退をくり返したりするが、それは正常と見なされている。しかし子どもが①前進しようとする動きと後退しようとする動きの最初の部分だけを見せ、②これを形式化された形で長くくり返したりしていると「常同行動」と呼ばれる。座っている子どもの場合は、立ち上がろうとすることと座ったままでいようとすることを交互にしていることに起因するかもしれない。
*足振りと首振りは回避を誘う状況に見られる(足振りは、同じ場所で足踏みすることの形式化された形ではないか。首振りは、「イヤ」と首を横に振る行動と同一の起源ではないか。
*探索が抑制された動作のいろいろ(「手を見つめる」「物にちょっと触れたり叩いたりする」「口に物や指を入れている」「舌をスプーン状にする」*自閉症児は広く外界に身を乗り出すことをきらうため、多くのくせが乳幼児的な自己ー探索行動から出てくる)
・「緊張姿勢」
*声を立てる前の胸と喉の筋緊張(全身的筋緊張、典型的自閉症的「うなり声」)
*手のこわばった形と姿勢(ふつうの乳幼児、ヨチヨチ歩きの子どもの手に見られる動作の緊張性「凍結」型である)
*体を横に向けての接近(誰かに近づいていくときに全身を横に向けている*動物では移動運動の「モザイク」てき動きとしてふつうに見られる)
*自分を傷つける行動は葛藤と欲求不満の表出(体の表面を良い状態に保つための行動、「身づくろい系」に属する「転位」行動である。自閉症児は、欲求阻止や屈辱によってひき起こされる攻撃性を、相手や物に向ける勇気がなくて、自分自身に向けてしまう。「自分をひっかく」「自分の指をかむ」「頭突き」「背中うち」)
*ことばの常同行動(対人的な圧力がかかると、まるでレコードの針が溝に引っかかったときのような「言語的常同行動」としか呼びようのないしゃべり方をすることがある)
*話しことばの欠如は話せないのではなく「話したくない」から(自閉症児は過度の不安と対人行動の抑圧のために話したくないし、話そうという気持ちにもなれないから話さない。
*全体的な遅れは対人・探索行動が抑制された結果(自閉症児が習得しうることは、全体として外界へ乗り出さずにできること、手を体から離すことさえしないでできるようなこと、そして大人からの教示を必要としないようなことである場合が多い。
*まれに見られる高い能力をどう解釈するか(ときおり高い能力があらわれるということは、能力の低いところは行動を起こす器官の欠陥に原因があるのではなく、深い、「情緒的な」、機能不全のために、もともとは健全な「行動のための機構」の機能の「展開」が妨げられているということを非常に強く示唆している)
*「ポーカーフェイス」と「ポーカーボディ」の意味(他者から対人接触の意志があると解釈されるかもしれないような動き、子どもが望まない他者の接近につながりうる動きをも避けてしまうという傾向と能力の表れである。自閉症児の無表情な行動は、本質的には企図的なものであり、対人接触からわが身を守ろうとする手段の一つである)
*かんしゃくやてんかん発作は「プロテウス行動」(子どもが逃げ出したいという極度にに強い願いを持ちながら逃げることができない時に「かんしゃく」が見られる。このような「かんしゃく」と、多くの自閉症児の場合に「真性の」てんかん発作と似ていて、程度によってはそれに移行していく。「ひきつけ」や「発作」との間には密接な関係がある。てんかんになりやすい身体的「器質的な」素因をもっている子どもの場合、他の自閉症児ならパニックやかんしゃくを起こすような状況のもとで発作をおこしてしまいやすい)
*つま先歩きと反響言語・代名詞の反転(つま先歩きは、「ヨチヨチ歩き」から少し成長した子どもには「一過的にごく短い期間」見られる。反響言語は、正常な話しことばの発達の一段階である。代名詞の反転は、正常な子どもに見られる。自閉症児が正常な子どもと違っているのは、自閉症児の方が長い期間あるいは永久に、反響言語・代名詞の反転の段階にとどめられている(程度の差)ということである。
*自閉症児の行動のすべては不安ー優勢の情緒葛藤の表れ(自閉症児の行動のすべては不安ー優勢の情緒的葛藤が第一義のものである。多くの自閉的行動が「無意味」に見えるのは、いくつかの型の形式化と、自閉症児の全体的な遅れ、対人接触を招くことのないようなやり方の巧みさのためである。社会的な接触を招かないという目的はしばしば見事に成功する。「無意味な」「むだな」行動は、マイナスの機能をうまく果たしているので、大人は「だまされて」子どもを放っておくのだ)

以上が、「自閉的行動の起源」(葛藤動作の形式化と乳幼児的行動の保持)と考えられるが、著者はこの章を終えるにあたって。オゴーマンの考え方を以下のように論評(批判)している。
◎オゴーマンの診断的指標についての再考
⑴現実からのひきこもりまたは現実との関わりあいがもてないこと
*子どもがひきこもるのは「その子にとってなじみのない人となじのない場面」からである。自分をそっとしてくれるかぎり両親からひきこもることはないし、好みの部屋の隅からひきこもることはない。ほとんどの自閉症児が「現実」と一種格別に強い結びつきをもっている。自閉症児がかかわることができないのは「われわれの目から見た現実(の一部)に過ぎないのである。
⑵重度の精神発達遅滞と、比較的高いまたはほとんど正常あるいは並はずれて高い知的機能や技術の片鱗
*自閉症児の発達で遅れてくるのは、対人的交渉や探索の結果として発達してくる側面である。高い能力の片鱗が現れるのは、つねに自分ひとりで学習したり練習したりできる技術面である。(レコード・ラジオ・テレビなどの操作、ジグゾーパズル、ブロック、レゴ、作曲、美術作品、話しことばの理解、読み書きなど)普通以上の認知能力をもちながら、自分が安全だと感じている場合以外は。それを使わない。
⑶話しことばの習得の失敗、すでに覚えた話しことばをコミュニケーション目的にうまく使うことの失敗
*ことばというものが対人接触の一つの形であり、そのような対人接触への意志が自閉症児においては終始抑制されていることを理解しなければならない。単に話しことばを聞くだけで(読むことによって)驚くほどの量が学習されている一方、話しことばの発達の遅れは「練習不足」のため、当然いっそう悪化する。
*反響言語や代名詞の反転、「否定的」表現(「はい」よりずっと頻繁に「イヤ」と言う)などの「典型的に自閉症的」行動は、正常な話しことばを獲得する初めの時期に比較的短い期間見られる。子どもの気分の変動に伴って、一時的な(短い時間の)進歩や退行は起こることは、誰でも同じである。
⑷ひとつまたはそれ以上の感覚刺激(通常は音)に対する異常な反応
*自閉症児は刺激(音だけではない)に対して「過度」に反応しているのである。正常児にとっては中立的あるいは軽度にひきこもりをさそうようなものであるが、その同じ刺激が「自閉症児にとっては」もっと恐ろしいものであり、そのために用心深くあるいは本格的パニックを伴ってひきこもってしまう。同時に自閉症児は、自分にとってなじみのない刺激(あるいは不快な刺激)に対してさえ、ふつう「過小反応」をする。「なじみがない」という基準(なじみがあるかないかという)は、その子がくり返しその状況にさらされるたびに、それになじみをもつ方向に「行動してきたかどうか」によって決めなければならない。その反応の過小・過剰という場合にも、それが「生得的な」ものか、学習をしたかしないかによって決まってくる種類のものかを区別して見なければならない。(例・自閉症児は、転落の危険、猛犬、叱っている両親などから身を守ることが上手だが、猛スピードで近づいてくる自動車には反応できない。前者は「生得的」な反応だが、後者は「教えられなければならない」「学習」による反応である)
*自閉症児が、音に反応しないのは、耳に入る全体の音の「一部分」に対してであることから、(末梢感覚器官の損傷とは無関係の)中枢における動因の支配を受けた「反応拒否」(遮断)であることがわかる。
⑸目立った癖や奇異な行動がいつまでも見られること
*これらは、葛藤の直接的な表出に起因するものであり、すでに述べた通りである。(基本的には「学習によらない」が、個人的な習慣形成によって「形式化」され、一人一人に特有な「常同行動」ができあがる)
⑹変化に対する病的な抵抗(「同一性の固執」)
①患者自身の行動、周囲の人々の行動の中で何らかの儀式的パターンをしつこう守らせようとする。
*儀式的パターンは、慣れ親しんだ環境と同じように自分を安心させてくれるものであり、誰でも好む。自閉症児の変化に対する抵抗は「程度の差」に過ぎない。
②同一の環境や器具などに対しての病的な固執
*これは、誤った方向への社会化(社会化の転向)である。自閉症児にとって利用できるもので恐ろしくないものはごく少ない。しかも、自閉症児も愛着形成を強く「欲している」からである。方向が誤ったのは、正常な対人反応の抑制の結果である。(自閉症児がペットに対し強く愛着するようになるのはまれなことではない)
③特定の物に過度に没頭すること(物への「執着」)
*自閉症児は、思い切ってやってみることができる活動があまりに少ないので、たまたま恵まれたわずかな安全な状況あるいは物に没頭せざるを得ない。しかし、正常な子どもも大人も、自閉症児と同様に「奇妙な執着」をもっている。チェーンスモーカー、コレクター、家自慢の主婦など)
④環境の同一性がおびやかされた時に示す激しい怒り、恐怖、興奮あるいはひきこもり傾向の増大(「かんしゃく」)
*むり強いされると自閉症児は容易に「かんしゃく」を起こす。これらは「気質的な」かんしゃくではなく「恐慌の」かんしゃくであることが多い。
*自閉症児にみられるてんかん発作は必ずしも重い生理的な機能不全を示す物ものではなく、多分に動因の葛藤状態の結果でありうる。

◎結論
*われわれは、児童精神医学分野では適用されたことのない、動物行動学的なアプローチを用いて、自閉症の本質を追究してきた。
*自閉症児は一義的には動因的(情緒的)不均衡に苦しんでおり、その状態で対人回避と、環境や日課に対する回避が支配的になっている。ひとつひとつの出会いにおいて、回避がほとんど永続的なものとなり、対人的な絆を形成し外界を探索しようとする準備体制ばかりか、それに向かう強い不可欠な衝動までも抑えつけられてしまう。子どもがそのような歪んだ道を歩む期間が長ければ長いほど、自閉的な状態が進行し、ますます正常な社会に適応できなくなる。

 私はこれまで「自閉症」は、一義的には「感覚」の過敏さや、それに伴う自律神経の「失調状態」に苦しんでいると考えてきたが、それ以前に「情緒的」(心因的)不均衡、主として、新しい場面、人、物にたいする「恐れ」が生じており、その状態が「異常な」回避行動を増進させているという「仮説」が、たいそう興味深かった。また著者は、「自閉的状態」と「自閉症児」という言葉を明確に使い分けている。つまり、「自閉的状態」とは、誰にでも起こりうる状態であり、その状態が長びくことによって「自閉症児」が、(周囲の環境によって)「作り上げられる」という「仮説」もまた興味深かった。だとすれば、現在「自閉症児」と呼ばれている子どもの「自閉的状態」を分析し、それを引きおこしている「恐れ」を取り除けばよいのではないか、という「(治療)仮説」が生まれてくるからである。その前に、著者は次章で、その「恐れ」の原因は何に起因するか、述べようとしている。再度、いっそうの興味をもって読み進めたい。(2013.11.24)




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「自閉症治癒への道」解読・《8》第4章 自閉的状態の分析・・子どもの行動(1)

《第4章 自閉的状態の分析⑵・・・子どもの行動》
◎要約
・仮説によると〈自閉症の子どもは、二つの動因、一方では特定の対人的物理的状況からひきこもろうとする(その状況へ近づくまいとする)傾向をもち、もう一方では、その同じ状況に対して、対人的接触をするため(もっと近づいて探索的に調べるため)に、接近しようとする傾向をもっており、この二つの動因間で葛藤しているサインを数多く現している。自閉症児と正常児との主な違いは、程度の差である。正常児の回避傾向は出会いの1回ごとに最初にごく短時間だけ現れるが、まもなく探索的接近に対する抑制が徐々に解かれてそちらに移行していく。自閉症児では、回避傾向がずっと優勢を保ち、その状態が永続的に続いていることがたいへん多い。自閉症者は、ほぼ連続的に続くひきこもり(不安)優勢の動因(情動)葛藤状態で生きている〉。
【激しい動因葛藤の直接的なサイン】
《回避行動》
・静かに立ち去る行動に長けている。(他人との距離を保つということが彼らの生活における主要な関心事であり、最優先事であるかのように見える)
・軽いひきこもりのさまざまなサイン(横を向く、うなだれる、「うつろな目」、目をそらす、みんなに背を向けて壁に沿って立つ、歩く)
・刺激に反応しないという反応(不安が行動を起こすことを妨げている。目を閉じる、耳をふさぐ*子どもを「野外で」観察すると、恐ろしいと思っている音以外に数多くの反応を見せる。小鳥のさえずり、風の音、ペットの立てる音、掃除機の音等)
・かんしゃくや恐慌は回避の最も強いサイン(こちらから近づいたり話しかけたりなどして、回避傾向を強く刺激されると、かんしゃく(実は恐慌)を起こす。“絶対絶命の防衛行動”であり「攻撃」ではない。それが「ひきつけ」や「発作」に移行する場合もある。・望まない接触をうまく避ける(「眠っている犬はそっとしておけ」という戦略)
・同一性への固執は慣れない状況の回避(なじみのある場面や物、日課にこだわることや「偏食」は、対人接触をしたがらないこと、慣れない領域や活動に踏み出すことを極力いやがっていることの結果である。*自閉症児が家(完全に安全な場所ではありえない)から「逃亡」するのは、事の途中に過ぎない。前に行ったことのある「お気に入り」の場所に落ち着くためである。
・正常児の回避行動との違いは程度の差(自閉症児の場合の方が、対人的な回避や慣れないものに対するひきこもりや抵抗がずっと強く、頻繁におこるというだけである)
《接近行動》
・自閉症児にも接近行動はある。(接近行動が起こりやすいような条件を整えると、自閉症児もときおり接近を望み、実際にやっている)
・自閉症児の接近行動をひき出すには(子どもの方を見ない、近づかない、話しかけないでいると、子どもはこちらを「見る」ようになる。これは接近行動の始まりであり、志向動作である。しんぼうづよく待っていると、子どもは後側から接近してくる。その時、こちらが子どもの興味をひくようなことをしながら「無視」していると、その接近が「やりとり」にまで発展してくることさえある。うまくやれば、さわってくることもある)
・水面下に人や新しい物に近づきたい気持ちがある(子どもに十分に時間を与え、気に入っている部屋か隅にそっとしておき、誰からも見られていないと思わせておけば、人や慣れない物、場面に対して接近したいという願いをもち、強くそれを求めている、ということがわかる。そうした事実を認識することは、自閉症児の全般的発達遅滞および「すぐれた能力の片鱗」を理解するうえに重要である)
・対人的な絆のなさが学習の機会を奪っている(個人の発達のための「課程」には、①遊びとしての対人的やりとりによる学習および他人のしていることの観察、②探索を通しての学習、③教えられることによる学習の「主要学習回路」がある。現代では、①②の重要性が忘れられている。自閉症児は、母親との間にさえしっくりとした対人的絆をつくることができなかったうえ、他の人々ともつながりがつくれず、遊びの中での他の子どもとのやりとりからも自分自身をしめ出してしまう。
・遊び集団で学ばれるはずの二つの重大な行動 (遊び集団は、母親的能力の発達に重要な役割を演じている。幼い子どもは自宅または親しい家族の家で赤ちゃんが授乳されたり世話されたりするのを見て学ぶ。まもなくこんどは同じように観察を通して遊び集団から学ぶ。十代に近づくころからは自身で幼い子どもの面倒を見ることを通して実地にたくさんのことを学んでいく。もし、対人的な絆が形成できなかった場合には、社会的な行動や母性的な行動、親としての行動一般がそこなわれてしまう。さらにもう一つ、探索活動もそこなわれる。「安全の傘」(母子の絆)の下で、のびのびと好奇心を発揮してたゆまず機敏に調べ回ることが十分にできなくなるからである)
・自閉症児の探索は狭い範囲に限られる。(自閉症児の場合には、他の子どもと遊ぶことから学ぶことも探索から学ぶことも実際には不可能である。しかし、社会化と探索の傾向はもっており、(自分が安全だと感じている時に)遠くからこっそりと観察したり模倣したり、探索したりする。探索の対象は主に自分自身のからだと十分よく慣れた環境の一部となりやすい。このことが「部分的に高い能力」を示すことの理由のひとつである。それらは、必ず対人関係と探索との」いずれか、あるいは両方をまったく(ほとんど)必要としない類のものである。一部の自閉症児は、ことばを言えないのに人の話しことばを理解し、読むこと、書くことさえもできる。対人的な接触や自己活動を通して学習したいという強い衝動をもっていることの証しである。*詳細は後述)
・自閉症児は知的なことを学べる情緒状態にないことが多い。(知的な発達の大きな部分が情緒的な状態の支配下にあり、その支配がいかにに大きいか、ということに十分な注意がはらわなければならない)
《葛藤行動》
・自閉症児の動きの多くは葛藤そのものの表出である。
・自閉症児の葛藤表現は「形式化」し、「くせ」になっていく。
・自閉症児の動きの起源を理解するために
*以上の具体例については、次節で述べる。
【感想】
 ここでは、自閉症児の(新しい人、場面・物に出会った場合の)行動(反応)特徴を、「回避」「接近」「葛藤行動」に整理されて述べられている。いずれも、そうした反応はすべての動物に見られるが、人間の子どもの場合、「正常児}に比べて「自閉症児」は、「回避」傾向が強い。しかしそれは「程度の差」(量的差異)にすぎないという指摘は重要である。自閉症の原因が、生得的なものであれば、その違いは「決定的」であり「質的な差異」が生じていることになるからである。とりわけ、自閉症児の「接近」行動は、自分が安全だと感じている時に活性化し、探索や学習が「対人関係」を媒介とせず行われるため、「部分的な高い能力」を身につけてしまうのではないか、という考察(仮説)はたいへん興味深かった。もし、自閉症児をとりまく環境が、彼らの不安を取り除き、本来の、接近・探索がのびのびと展開できるように改善されれば、おのずと「治癒への道」が開かれるに違いない、と思った次第である。
(2013.11.21)




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「自閉症治癒への道」解読・《7》第3章 自閉的状態の分析・・その方法と概念(5)

《第3章 自閉的状態の分析・・・その方法と概念》
◎要約
《葛藤行動のカテゴリー》
①抑制された志向動作:ひき起こされる行動全体のうちの冒頭の、始まりの部分。(例・カモメの「直立姿勢」、人間が(敵対者に対して)「拳を握りしめる」姿勢、「振り子運動」、テリトリーをもつ魚類のオスは、胸ビレは後進、尾は前進の動きをしており、同じ所に制止している等)
②変向行動:敵対的な出会いの場面で、一方あるいは両方が攻撃の動きを見せているのだが、そのほこさきが自分の敵ではないものに向けられている。(例・人間の「八つ当たり」や「自傷」、自閉症児は、他の人々とのやりとりをほとんどしないし、概して物的世界の探索もできないほど臆病なので、さまざまな形の行動を自分自身に向けて変向させる傾向が異常に強い。)【喚起された活動の一部が見られるもの】
③転位活動:系Aと系B間の動因の葛藤が系Cに属する動きを生じさせること。(例・ムクドリのオスはテリトリーに関して脅しをかけている時に自分の羽毛を整えることがある。草食哺乳動物のオスは序列争いの場面に直面すると前足で土をひっかく。人間も「神経的な緊張」の結果として過度の食物摂取を示すことがある。肌、髪を整える、耳の後をかく、あごひげ・あごを撫でる、爪をかむ。まごついた時にあくびをする。兵士が白兵戦に加わらなければならないような場面では、眠ってしまう。)【機能も動因もまったく異なる動きがなされる】
・動因の葛藤状態で生み出される動きは「自律」神経系の活性化に起因するものであることが非常に多い。(顔が赤らむ、熱くなったり寒くなったりする、汗をかく、毛が逆立つ、震える、むずむずする等)
・逃走が最大限に活性化されながら、それが阻まれるような非常に激しい葛藤の場合、「プロテウス」行動(発作と呼ばれる)がひき起こされる場合がある。(人間の場合は、「かんしゃく」「発作」)
《動因葛藤の型》
・動物には、「攻撃」(摂食・探索)のために「接近」しながらも、(ためらいながら)自分の身を守るために「回避」(ひきこもり)の準備をしている。この、ためらいながらの接近の下にある葛藤は「接近ー回避」葛藤の第三の型である。
《子どもにおける接近の型》
・人間の乳児の場合も、這って積極的に接近する能力を獲得すると同時に、それを注意深く行い、どんなものでも新しい物に対しては警戒する傾向が現れてくる。
・子どもは、母親あるいは保護者の存在によってもたらされる「安全の傘」の下に自分が守られていると感ずる時、最も大胆に冒険する。
・過度の心配から子どもを自分のそばにばかりとどめておくようなことをしないで、うまく監督するという技術には、母親によって大きな差がある。
・過度に臆病な子どもは、学ぶべきことの多いたくさんの冒険から自分自身を切り離してしまうが、過度に大胆な子どもは事故に遭いやすく「崖から転落」するようなことになる。・探索行動の、この「綱渡り」的な性格は、自閉症児が精神的知的発達において遅れる要因を理解する上で、決定的な重要性をもっている。
《自閉症児による探索》
・「自閉症児は探索をしない、新しい環境や物や人に対しては無視するか、完全にひきこもる」という考えは、全くの誤りであることを、故コリン・ハット博士が明らかにしている。(博士は、検査場面が終了した後も、その後のかなりの時間、観察を続けた)
・自閉症児は探索行動を、正常児に比べて「はるかに長い時間をかけて」行う。(警戒心が弱まるのがはるかにゆっくりだった)
・自閉症児と正常児との本質的な違いは「程度の差」であった。
・自閉症児がほとんど探索をしないのは、不安の弱まり方がたいへんゆっくりだということ、臆病さのために完全にブレーキがかかってしまっているということのためである。
《回避の型》
・卵を抱いている鳥は、卵全体を均等にあたためるために、卵をひっくり返すが、うずくまっている姿勢から立ち上がる時に「動因のもがき」が必要である。立ち上がるためにはある種の惰性にうち克たなければならない。鳥が立ち上がるまでには、たくさんの葛藤動作が行われる。この場合には「巣作り行動」である。
・人間の場合も同様に、回避そのものは含まれていない同類の葛藤がある。(訪問者がその家の主人にいとまごいをする場面、教授が学生と面接をしていた時、イライラして一方の足を激しく揺らしていた場面)
・他人との接触を嫌うこと(自分がばかなことをしてしまう恐れ)は、あまりあらわに目立つことはないが、一般的に見られる回避である。
《真性の接近ー回避葛藤》
・ケワタガモのメスによる「あご上げ」動作は「真の」接近ー回避葛藤である。
・その動作は、①えさの豊富な場所で、えさを食べていて、その場を離れたくない時、侵入者近づいた場合、②幼い子どもを連れたメスに侵入者が近づいて、逃げられなくなった時、③メスが自分の配偶者であるオスに、よそ者のオスを攻撃するよう「けしかけ」ている時、に見られたが、この出来事全体が一つの単位として、次の二つを含んだものの例になっている。①二つの動因をあらわす志向動作が連続的に示されること、②なんらかの接近傾向が逃走によって抑制を受けた結果現れる動き(なだめの部分)である。どんな型の接近も、回避との葛藤状態にある時には、同じ行動をひき起こすものであり、それこそ真性の接近ー回避行動と呼ぶべきものであることを証明できる。
《「三重の葛藤」》(攻撃的接近、性的接近、回避の葛藤)
・三つの系が含まれる葛藤も、(つがいの形成や求愛の行動において)よく見られる。
・セグロカモメのオスとメスが、互いに近くに寄ること、最後に身体的に接触することなどは、双方の鳥の中にある互いに近づこうとする傾向によって促進されるが、初めのうちは、それが他の二つの行動系によってひどく妨げられる。その二つの行動系は、いずれもそれ自体が生存価をもつ。
・オスは近づいてくるメスに対してひどく攻撃的な反応の仕方をする。この反応は一方ではメスに近づこうとする傾向と混じったものであり、同時に身を引こうとする傾向(恐れ)とも混じり合ったものである。
・メスはオスの攻撃性の表現に敏感に反応し、「萎縮」「恐れ」と呼んでいい無数の兆候が現れる。このメスの行動を分析することが、当面の課題である。
・メスは瞬間的な動揺をしやすい。終始比較的「大胆」な接近と、ほんのわずかなひきこもりとの間を行ったり来たりしているが、オスが「顔をそむける」などの「安心させるような」動きを示すとメスの不安は弱まる。積極的に誘うような動きをしたり呼び声を出したりするとメスは近づく。
・メスは、回避傾向の消失と接近準備状態の強化という方向に向かって、ゆっくり着実に変化、ついには抑制が解かれて、ごくそばに寄って行き、互いに接触、最後には交尾に至る。
・メスの動因状態は、性的な系と回避系の支配的な拮抗状態として描写せざるを得ない。
・オスはメスの萎縮状態を乗り越えてそのメスを自分に近づけようとして、メスの揺れ動く葛藤状態の現れに対して持続的に反応している、ことも見落としてはいけない。
《軽い葛藤》
・動物も人間も、一つの系の動因だけが働いている場合よりも、軽い葛藤状態にあることの方が多い。
・弱い葛藤あるいは欲求阻止のサインは、人間の行動にも「イライラ動作」としてよく見られる。動物の場合には、(生得的なため)全員が同じ形をとることが多いが、人間の場合は(生得的なものも含めて)多種多様である。*喫煙*鼻歌*あごや鼻をこする*まばたき*咳払い*鼻をつまむ*唾を飲み込む*視線をそらす*肩をねじる*唇をかむ*鍵をジャラジャラさせる*あくびをする*指をゆらゆら動かす*「非言語的漏洩」(デズモンド・モリス)
・これらの行動を理解・解釈することは、自閉症児に出会うときの助けになるだろう。自閉症児は、そういうことをして過ごす時間が正常児よりもずっと長いからである。
《不安表出阻止の長期的影響》
・動物を人為的に、持続的に強い不安状態におき、逃げられないようにしておくと、動物は強度の葛藤状態を数多く示すようになるだけでなく、永続的な変化をするようになる。*ひきこもり*パニック*「やぶれかぶれ」*「凍りつき」*「心身症的な」様相
・この不安支配型の情緒的葛藤による永続的な障害は、自閉症の問題に非常に関係が深い。 《儀式化と形式化》
・人間の「微笑」は、もともと防御的な威嚇の姿勢(歯をむき出す)に起因するが、「儀式化}の結果、唇の動きの度合いが変わり、口の両角が上の方に吊り上げられ、目の表情が(われわれが現在)「友好的」と解釈しているようなものに変化したものである。
・動物園のおりの中に閉じ込められているハイエナやオオカミは、囲いの中で際限なく走り回る習慣がつく。それは葛藤の表出法に自分独特の型をつくりだして「形式化」しているからである。
・人間の場合も、「イライラして」物をもてあそぶのは一般的な(「形式化」された)パターンであるが、何をどのようにもてあそぶかは個人によって異なる。
・これらの個別に形式化された葛藤は、自閉症児の「常同行動」に酷似している。
【感想】
 以上で、「第3章・自閉的状態の分析・・その方法と概念」は終了するが、野生動物の行動(主として動因の葛藤行動)を分析しながら、それを「文明社会」の(中で生活していると確信している、つまり野生動物と自分は違うと思っている)人間の行動と「比較・対照」する手法が、なんとも異色(ユニーク)かつ鮮やかで、たいそう面白かった。葛藤行動の「変向行動」や「転位活動」は、私たちの生活の中でも数多く見受けられる。敵対する場面でのスポーツ選手の技術や作戦には「変向行動」が取り入れられ、また、神経症患者の症状として「転位活動」(過食・爪かみ等)が現れる。とりわけ、自律神経の活性化が、動因の葛藤状態・行動の原因になるという指摘も興味深かった。さらに、セグロカモメのオスとメスが出会ってから結ばれるまでのプロセスは、人間の「ラブ・ドラマ」と何ら変わらない。さて、眼目は、人間の「自閉的状態」を分析することだが、ここまでの論述では、自閉症児と正常児の行動特徴に「違い」はない、あるのは「程度の差」だけ、ということであろうか。いよいよ次章からは「子どもの行動」を分析することになる。これまでの知識(野生動物の動因の葛藤行動)がどのように活用されるのか、期待を込めて読み進めたい。(2013.11.20)




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「自閉症治癒への道」解読・《6》第3章 自閉的状態の分析・・その方法と概念(4)

《第3章 自閉的状態の分析・・・その方法と概念》
◎要約
【動物と人における葛藤行動】
・動物における動因の葛藤の研究は、「ディスプレイ」と呼ばれる行動や「情動の表出」、それに関連した行動の解釈を始めたときからスタートした。
・動物行動学者達が「ディスプレイ」(「見せびらかし」)と呼ぶ行動は、たいていは同種の動物の間で信号として機能しており、内的な葛藤にその動因がある。
・対人的な回避、探索的接近などに用いられる「主要機能系」という表現の中の「機能」とは、動物やヒトの行動、行動下にある機構はすべて「生存のための装備」の一部分である、という事実をいっている。(例えば、内臓器官のすべてが健全に機能しなければ動物はうまく生きていけないのと、まったく同じである)
・自閉症あるいはその他人間の行動についてはどんな形のものにしても、この適応性という事実を中心にすえて見て行かなければ科学的に理解すること(統御すること)不可能である。
・以下、行動の適応の例を紹介する。*ミヤコドリはムラサキイガイの貝殻を突いて開け、中の身を削り取り呑み込む技術を持っている。*リスはしばみの実をかじって割り中身を噛み、呑み込む技術をもっている。*イトヨのオスは「巣」を作りメスの生んだ卵を世話し、巣の天井から新鮮な水を送り込む技術をもっている。
・どんな動物の行動にもその他の生理学的機能と同様、生存と生殖を成功させるのに「必要」なことと、実際に「なされる」こととの密接な相互関係、「十分適合」が存在している。
・「生命活動は綱渡りのようなものである。成功に導く道はただ一つの非常に狭い道であるが、失敗に導く道は無限に数限りなくある」
・この行動は、たった一つの非常に狭い意味での「非無作為的」なものであり、どんな動物にもあてはまり、まったく同様に人間の行動についてもあてはまる。
・人間の赤ちゃんや子どもの正常な対人的行動、探索行動、回避行動の多種多様な型も自然淘汰の過程のもとに長い進化の歴史の中で発生してきた複雑な適応の系なのであり、これまでのところも現在も、子ども一人一人の生存に重大な意味をもっている。
・現代のような変化の激しい世界においては、子どもの行動は「あらゆる物事」に対してうまく適応しているわけではない。(自閉症とは、部分的には、子どもの適応する能力を過度に引きのばそうとするような新しい反応である)
・しかしどんな生物でも、生存しているという事実そのものが、その生命のすべての過程が「適切に」(外界から課せられる要求に適合したやり方で)機能していることを意味する。それが、基本的な「生命の事実」でる。
・動物は、一時に複数の主要行動系に従うことはない。(飢えているときでも、捕食者に脅かされれば食べることをやめ、対捕食者防御を行う)人は、一時に二つ以上のことをやるが、最もうまく機能できるのは「一時に一事」(一点集中)の時である。
《動因の葛藤》
・ただし、すべての行動が「一時に一事」ではなく、「両価的な」(どっちつかず)の行動を示す場合がある。その単純な実例は、テリトリー(守備範囲)が隣り合っている場面の、(オス同士の)闘争あるいは「敵対」という行動である。
⑴テリトリー争いの場合、出会った二羽のオスの行動は、①相手から生ずる刺激、②出会いの生じた場所からくる刺激、に規定される。オスAがAのテリトリーでオスBに出会った場合、AはBを攻撃、Bは逃げる。逆にBのテリトリーで出会った場合には、Bが攻撃、Aは逃げる。つまり同一の相手に対し闘うか逃げるかのどちらに反応するかは、そのオスがホームグラウンド(自分のテリトリー)にいるかいないかによって決まる。しかし、それぞれのテリトリーの境界領域で出会った時、二羽のオスはともに攻撃もしないし逃げもしない。双方とも「攻撃的ディスプレイ」(威嚇の信号で敵を追い払うか食い止める)を見せる。境界ではそれぞれのオスが「動因の葛藤状態」(攻撃とひきこもりの間の葛藤)のあるという推論が導き出される。
⑵境界でのディスプレイでは、それと他の行動とが「交互に」連続的にす早く現れ、そこに見られる行動の系は、大部分完全または不完全な攻撃、あるいは完全またはためらいがちなひきこもりのいずれかである。(食餌、巣造りなどといった活動はほとんど見られない)動物には、一つの型の行動を一度始めたらそれを持続しようとする傾向があり、一つの型の行動から他の型への行動へとす早く切り替えることは避けようとする。したがって、このす早い入れ替わり自体も、二個の動物それぞれの内的な攻撃の系とひきこもりの系の同時的な活性化であり、しかもどちらの系も優勢になりきっていないことを示している。⑶ディスプレイの「形態」を分析すると、どの系が活性化されているかがわかることがある。オスのカモメは侵入してきた相手に向かって走り寄り「直立威嚇姿勢」をとるが、侵入者が後へ引かずにそのオスのテリトリーに立っていると、わきを向いて首の羽毛を寝かせ、首を少し後ろに引く(逃走行動の要素)という、二つの行動系(攻撃と回避)の構成要素が、モザイク状に入り混じった形の姿勢をとる。また、テリトリーをもつ鳥類や魚類などには「二連振り子」と呼ばれる行動がある。向かい合った二個の敵対者の一方がほんのちょっと前へ突進し、それによって一方は引き下がる。しかし前への突進は防御側を攻撃に転じさせるほど怒らせる前に止まる。それから役が交替するが、これもまた一瞬のことである。その結果は「モビール」そっくりに見える。二匹のオスは「行動的な」針金で結ばれていてゆらゆら揺れ動いているにもかかわらず、両方ともだいたい初めと同じところにとどまっている。
・それぞれの種がそれぞれ数多くのさまざまな「両価的」な姿勢を持ち合わせており、そのうちのどれが実際に示されるかは、①二つの系の喚起の相対的レベル、②喚起の絶対的レベル(葛藤の全体的強さ)、③環境的な背景で決まる。
・人間(われわれ自身)もときおりは二元的な葛藤する動因の影響下にふるまうことがある(例えば、怖い動物とか人とかに近づきたいと思いながら実際にはなかなか近づけないでいたりする)という事実を理解することが重要である。

【感想】 
ここまでに(これからも)述べられている内容は、ほとんどが動物に関する事象であるが、人間もまた動物であることをわすれてはなるまい。つまり、件の動物に関する事象は、そのまま私たち、人間にも「当てはまる」ということを理解しなければならない。換言すれば、動物に関して述べられた様々な事象を、人間に「置き換えて」検討・検証することが大切である、と私は思う。例えば、ミヤコドリやリスに見られる食餌の技術、イトヨのオスに見られる卵の養育技術、すべてが種の生存・繁殖のために不可欠な「適応」例だが、
「生命活動は綱渡りのようなものである。成功に導く道はただ一つの非常に狭い道であるが、失敗に導く道は無限に数限りなくある」というティンバーゲン博士の見解は重要である。とりわけ、そのことを人間社会に置き換えて、〈現代のような変化の激しい世界においては、子どもの行動は「あらゆる物事」に対してうまく適応しているわけではない。(自閉症とは、部分的には、子どもの適応する能力を過度に引きのばそうとするような新しい反応である)〉と述べているが、「(自閉症とは)子どもの適応する能力を《過度に》引きのばそうとするような《新しい》反応である」という指摘に、私は注目する。
 また、(余談だが)、テリトリーをめぐる「敵対」と「逃避」の動因葛藤は、国土・領海・国境問題に対する昨今の国内・外事情を考察するうえでも、大変参考になった。まさに、突進と防御の「二連振り子」行動が、私たち人間の社会においても「動物並みに」(瓜二つの形で)展開しているということを、思い知らされた次第である。
(2013.11.19)




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「自閉症治癒への道}解読・《5》第3章 自閉的状態の分析・・その方法と概念(3)

《第3章 自閉的状態の分析・・・その方法と概念》
【感想】
《人あるいは場面との出会い》
 ここからは、(いよいよ)①一見混沌としている自閉症の「奇妙な」行動の中にどんな規則性を見いだせるか、②「自閉的である」とは正確にいってどういうことなのか、についての「仮説」が述べられる。まず、ダーウィンが「情動の表出」と呼んだものの背後にある動因に特別な関心をもってきた動物行動学者たち(著者夫妻)が開発してきた方法とは?
《接近と回避》(正常な子どもの行動)
・子どもが「見知らぬ人」や「新しい場面」と出会った時に見られる一見ごく平凡な動きを観察することから始める。その時の動きは、まず第一に、人あるいは場面に向かって近づいていくものか、またはその反対にひきこもろうとするものである。*スピードを変える*かすかなためらい*「進め」から「止まれ」への切り換えや「その逆」*コースの方向転換*移動の型(歩く・走る・はう)や動きの開始当初の形(自閉症児の場合には、動きが少ないか、またもっと「奇妙な」動きをする。正常な動きと見分けがつきにくいこともある。
・接近に伴う表出やしぐさ:親しげな顔の表情、親しげな声、手をさしのべる、相手の顔を見る等。 
・回避に伴う表出やしぐさ:緊張・不安、怒っているような表情、隠れる、縮こまる、泣く、悲鳴をあげる、「うつろな目」で相手の顔を「通り過ぎて」その向こうを見ているような顔、無関心を装う等。
・この接近と回避という二つの極端な形は、正常な子どもでは同じく極端な状態でのみ起こる。最も多いのは「中間的な行動」である。*ゆっくりと接近していく*かすかな微笑みをうかべながらも同時にほんの少し疑うような、取り調べるような顔つきをする*相手のちょっと手前で立ち止まる、止まった瞬間に向きを変える*相手をまっすぐに見るのを避ける*指をくわえる*「うつろな」目の表情の時もある。かなりの時間、接近・回避という二つの間を行ったり来たり揺れ動いていることが、最も多い。  
・自閉症児の場合、すぐそばに接近するという行動はずっと少なく、ごくまれであり、一方、回避行動のほうはほとんど例外なく認められる。自宅の部屋にいる時でさえ、ほとんどすべての人からひきこもる。部屋の中心を避け、隅やテーブルの下に隠れる。移動の時は、壁に沿う、他の人からできるだけ大きな距離を保って、ぐるぐる回って歩くことを好む。
《その他の行動》(自閉症児の場合、接近か回避か容易に分類できない行動も見せる)
・「イライラした」、常同的・一見無意味な動き*まばたき*指・手・足を動かす*顔をしかめる*体を揺する*くるくる回る等の動作をする。
・相手に接近する場合は、相手の顔を見ないで「手や足」にさわり、相手の手や足を道具のように使ったりする。(クレーンハンド)
・いろいろな音、相手からの話しかけを無視しているように見える。
・自閉症児をひとりで放っておくと、回避行動や「イライラした」行動は目立たなくなってくる。新しい場面の中でも、見知らぬ人や物に対して接近し、それを探索するようになる。しかし、もし見知らぬ人の方から接近しようとすると、子どもは接近をやめて引きこもったり、金切り声をあげたり、かんしゃくを起こしたりする。また、「凍りつき」(非常に固くなってかがみこむ)や「ひきつけ」の発作をおこすこともある。
《混沌の中に秩序を見る》
・(見知らぬ人や新しい場面・物に出会った)自閉症児の行動(単一な動き)を、①「接近」・「回避」(関連行動)の二つに分類し、②その行動を「完全な」「ためらいのない」「激しい」形のものと、「不完全な」「ためらいがちな」「弱い」形に区別・整理すると、ごく少数の法則に従った、数多くの規則性を発見することができる。
・これらの行動の原因は、①内的な状態(例えば、食事行動の場合の「空腹」)と、②外界の出来事(例えば、食事行動の場合の食べ物からの刺激)である。単純にいえば、さまざまな内的な状態が一緒になって外界からの刺激に反応する準備状態の程度が決まる。その準備状態の型(例えば「空腹」)およびその強さ(どのくらい空腹か)の両方を示すのに「動因」という用語を使う。動因が強ければ強いほど、その行動をひきおこす「引き金」として必要な外界の刺激は弱くてすむ。また、その時の動因の状態いかんで、動物は同じものに対して、今はこれ、次はあれ、といった反応行動を示す。例えば、母猫は、守るべき子猫が居ない時には慌てふためいて逃げ出すほど怖い、同じ犬に対して、子猫が居る時には、たとえそれがどんなに大きくても、怒る狂って攻撃を加える。
・動因とそれに関わる刺激との間の、この相互的補完的な関係と、動物や人が同じ一つのものに対して見せるさまざまな反応という、この二つのことは、自閉症児を理解したり、互いにやりとりをするにあたって、またその治療においてもきわめて重要な問題である。正常児の場合、笑顔は、対人的に積極的な反応をひきおこし、怒ってにらめばその反対の行動が起こる。中立的な表情は中間的な効果をもつ。が、大変不安定もしくは対人的恐れをもつ子どもは、これらすべてのタイプの顔に対して容易におびえてしまう。
・子どもが、ふつうはよく反応しているような種類の刺激に対して反応を示さないという場面も多い。例えば①音に反応しない子どもは「聾」かもしれない。②子どもはある種の音に対して、関わらないまたは興味がないと決め込んでいるために反応しないのかもしれない。③子どもは満腹な時は「プリンをもっとあげる」と言われても反応しないかもしれない。④子どもは「気後れ」しているとか、話しかけられて怖がっているとかで、名前を呼ばれても反応しないことがある。反応を拒否する、あるいはおそらく反応「する気になれない」のである。以上の②③④を「遮断」という。これは重要な問題である。(多くの医師は、反応がないことを、そのまま感覚ー神経ー運動器官またはその一部の、構造上の損傷あるいは未発達による機能障害とみなしてしまう傾向がある)
《動因の葛藤》
・子どもが、人あるいは物または環境との「出会い」の場面を調べてみると、そこでは、「接近」と「回避」という二つの活動が、同時に生じている。子どもは、出会った人あるいは場面に対して接近「と同時に」ひきこもりの反応をしている。そのような動因の状態を「葛藤状態にある」という。
・このような「葛藤行動」については、動物を対象にして広く研究されているので、以下その方法、結果などについて述べる。

 以上の論述を読んで、私が理解したことを整理すると、以下の通りである。
①見知らぬ人や、新しい物・場面に出会った子どもが示す行動は、「接近」「回避」に分類されるが、自閉症児の場合、その中間である「イライラ」行動が多く見られる。また、すべてに「回避」行動が見られる。
②それらの行動は、子ども自身の内的状態(動因)と、外的刺激の相互補完作用によってひき起こされるが、自閉症児の場合、内的状態の不安定、対人的恐れが大きく、通常の外的刺激によっても、「回避」(引きこもり・「遮断」など)してしまう。
③動物の内的状態(動因)は、その場面によって、(つねに)接近「と同時に」回避という「葛藤状態」にあることを理解しなければならない。(2013.11.18)




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「自閉症治癒への道」解読《4》・第3章 自閉的状態の分析・・その方法と概念(2)

《第3章 自閉的状態の分析・・・その方法と概念》
【感想】
《方法論について》
 ここでは、ティンバーゲン夫妻の「研究方法」、具体的には「自閉的状態の分析」方法について述べられている。その方法は、まず「チャイルドウォッチング」から始まった。以下はその要点である。

・まず第一歩としては、強力な、長時間の、くり返し行われる、「白紙の」「単純な」観察、しかも真の探究心によって導かれ、早まった偏見によってくもらされることのない、観察を行うことである。(異常行動を引き起こしている子どもの内的状態を推論する前に、まずこの行動をこそ研究すべきである)
・われわれは「下向性」分析手続きを提唱している。これは、行動を全体として細かく調べることから始まり、そしてしだいに深く、より深くその原因を掘り起こしていくものである。このステップバイステップの過程においては、あまりに大きなまたあまりに性急な「結論への飛躍」(十分に錬られていない予感)は避けなければならない。 
《われわれの方法》
⑴ できる限り「押しつげがましくない」観察を行った。観察者の存在を子どもに気づかれずに行う観察法である。次善の方法としては、その人の存在を子どもに慣れさせてしまい、その人が「家具の一部」のように受け入れられるする。しかし「自分の存在を消す」と同時に注意を集中して観察するという二重の才能を持っている人は、ごく少ない。しかし、この技能は、観察を成功するためには、ぜひ習得しなければならないものである。
⑵できるかぎり、子どもたちをその自然な環境の中で観察した。いつもの人間(家族など)と、非社会的な環境(たとえば玩具、自分の部屋、好みのコーナー、「なぐさみ物」、庭、街角、店、ペット等々)との相互作用(ないし相互作用ができないこと)を「現場研究」した。
⑶自閉症児とその両親、仲間および全体的な環境での行動を、同じ状況下のふつうの子どもの行動と比較することが、有益かつ不可欠なことであった。この比較の対象を、その子どもと同じ年齢の子どもからさらに年下の子どもの行動、場合によってははるかに年下の子どもの行動との比較にまで広げることが大切である。
⑷自閉症児の行動に及ぼす可能性のある、環境の短期的な変化の影響についてよく観察することが重要である。とくに、観察された子どもの行動の直前に環境の中でいかなる変化が起こったか(すなわちその行動をひき起こしたのかもしれない変化)に注目すること。これもまた正常な子どもと自閉症児の双方について行わなければならない。
⑸重い自閉症児はことばをしゃべらないので、子どもの非言語的な行動に集中的に注目しなければならない。それは「情動の表出」(ダーウィン)と呼ばれている行動などであり、身ぶり、表情、身体表現、子どもが行く場所の詳細、子どもが動き出したり止まったりする時のくわしいありさま、体の向き、体の部分の位置関係の詳細などなどである。
*非言語的行動の研究をなぜないがしろにしてきたか
①自分が慣れ親しんでいる出来事に対しては探究心をかりたてられることが少ない。
②人間の表出行動の科学的研究は、観察中に直観的に反応してしまうことが多い、ありのままに記録しようとしながらもそれに干渉されてしまう、などのために、動物の言語の場合よりもさらに困難である。
③現代の教育は言語的な教示に大きく依存している。子どもが話しことばを獲得し始めると、非言語的な表現は二の次にされてしまう。
*動物行動学的方法でチャイルドウォッチングをする人は、何をしようとしているのか、どういう手順を踏むのか。
・自閉症児の「行動」は、いろいろな出来事の混沌とした流れのように見えるが、それらの出来事がすべて本当に偶発的なものだという考え方を拒否すると、そこになんらかの種類の秩序や、パターン、パターン内のパターンを識別することが可能なことが「からだの奥に」感じられ、それをより明確に見わけたいと望まずにはいられなくなる。
・まず目に見えるものすべてに同等の注意を払うようにしなければならないが、それは不可能である。そこでまず①自分の立てた問いに基づいて、次に②この問いに対する答えと思われるものの予期に基づいて、次いで③この答えが「誤り」であることを見いだした驚きや予想外なものの発見に基づいて、観察する。
・現在では、さまざまな記録装置(テープレコーダー、ビデオカメラなど)によって、観察・分析・解釈という仕事が機械化されてきたが、その操作に集中しすぎて「観察しながら考える」ということを忘れてはならない。また、それらの結果を「数量化」することが「科学」であると誤解してはならない。
・自閉症研究の現状からみて、今第一に必要なのは数値ではなくアイデアであり観察であり思考の修練であり、それにも増して必要なのは共感の情である。
・現代的な技術を有用に適用しえたとしても、「素人」の人々をおきざりにすり危険がある。専門家が、いかに各種の近代的検査器具で武装したにせよ、診察室での短時間の往診中に見るよりも、ずっと多くのものを見ている「素人」の人たちの意見・実践に注目しなければならない。

 ここまでに述べられている「方法論」(研究方法)の特徴を一言すれば、動物行動学者が野生動物を観察するような目で、自閉症児を「見る」ということであろう。まず第一に、観察者は自閉症児の前に姿を現さない。自閉症児と関わらない。もし、姿を見せる(ことを余儀なくされた)場合でも、(自閉症児にとって)「家具の一部」(にすぎない)ような存在を目指さなければならない。第二に、「心を白紙にして」、早まった偏見(予断)や推論を持たない。「事実」だけに注目し、特に、その「事実」が生じた「起因」を見のがさない。第三に、(とは言うものの)「事実」のすべてを見のがさないことは不可能なので、観察者はあらかじめ〈①自分の立てた問いに基づいて、次に②この問いに対する答えと思われるものの予期に基づいて、次いで③この答えが「誤り」であることを見いだした驚きや予想外なものの発見に基づいて、観察する。〉(「自分の立てた問い」とは、「(今)子どもはどのような行動をするだろうか」という予想であり、それが当たる場合もあり、はずれる場合もある。「予断」は許されないが、「予想」を立てながら観察しなければならない、といった観察者の「心がけ」をのべたものであろう。)第四に、観察は「現場」で行われなければならない。自閉症児が住む家、地域、家族といった自然の環境の中でこそ、自閉症児の「本来の姿」が露呈されるからであろう。これらの「方法論」は、従来の専門家(医師、心理学者)が行ってきた方法とは著しく異なっている、と私は思う。場所は、診察室またはプレイルーム、子どもだけを「自然な環境」から切り離して、しかも「直接、対面して」観察するというのが、従来の方法ではなかったか。というわけで、そこから導き出される結論(当時は「認知ー言語障害、現在は「先天的な脳の機能障害」)を、「素人」の私は「鵜呑みにはできない」のである。(2013.11.16)




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「自閉症治癒への道」解読・《3》第3章・自閉的状態の分析・・その方法と概念(1)

《第3章 自閉的状態の分析・・・その方法と概念》
【感想】
《はじめに》
 ここでは、1985年当時の「自閉症研究者」が自閉的状態の本質について、どのように考えているか、著者(ティンバーゲン夫妻)は、その考えをどのように評価(批判)しているか、について述べられている。以下は、その要約である。

・リトボの「自閉症は身体的な、脳の疾患であると確信をもって言えることができる」というような主張は、理論としての体をなしているとは言い難い。
・「自閉症の中心的な特質は“認知ー言語障害”である」(ラター 1972)という考え方は、現在(1985年)のところ英国においては、指導的専門家たちから根強く提唱されている。リックス、ウィング(1976)も、同じ方向で考えている。「それはシンボルの取り扱いの独特な困難さと考えられ、それが言語や非言語的なコミュニケーションその他さまざまな認知活動および社会的活動に影響している」の述べているが、この考え方は、親の会その他のこれら権威に追従する人々によって広く受け入れられている。しかし、その考え方を受け入れることはできない。その理由①自閉症は第一義的に「認知ー言語障害」であるということ自体が事実に合わない。自閉症児が多くの面接場面や標準テストで非常に低い能力を示すことは事実だが、それは主としてテストの方法の不適切さによるものである。②部分的にすぐれた能力や、対人的なひきこもり、常同行動、環境や日課の変化への抵抗、そして(しばしば驚くほどよく)話しことばを理解しているなどのことについて、どこまで、どう説明しうるのか、具体的にはっきりと示されていない。③認知ー言語障害は「症候群」の中の他の各「要素」の中心的な原因というよりもむしろ結果かも知れない可能性が、納得できる形で排除されていない。
・その他いろいろな仮説(全般的な覚醒状態を自閉的状態の核心と考えるもの、自閉症は第一義的には知覚の障害によるものであるとするもの、神経系統の末梢部の構造的欠陥によるとするもの等々)が提唱・示唆されたりしているが、全般的説得力としては無力である。

2013年の現在、ラター、ウィングらの「認知ー言語障害」説にかわって、「先天的(器質的)な脳機能障害」説が、「親の会その他のこれら権威に追従する人々によって広く受け入れられている」のが事実であろう。はたして今は故人となったニコ・ティンバーゲン博士は、この現状をどのように「評価」するであろうか。(2013.11.15)




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「自閉症治癒への道」解読・《2》第2章・序章

《第2章 序章》
【感想】
 ここでは、まず「『自閉症児』とはどんな子どもたちか」について述べられている。その要点は以下の通りである。①正常な対人関係を結ぶことがまったくあるいはほとんどできないこと、②慣れない世界に踏み出すことをしたがらないこと、③ことばが発達しないこと、あるいはことばの退行。④限られた数の「常習的な癖」あるいは「常同行動」を頻繁に行うこと、⑤決まった日課などの変更を含めて、自分の(物理的・対人的)環境の変化に対する回避および抵抗、⑥「良好な、またはすぐれた能力の片鱗」を伴う全般的な遅滞、⑦睡眠障害。以上の行動特徴のすべてあるいは大部分をしめす子どものことを「自閉症児」という。
 次に、これまでの研究者のアプローチと異なる、以下の三点を強調している。
〈⑴自閉的状態すなわち自閉症であることをどうすれば理解できるか、その本質は何か。(上述①から⑦までの)異なる症状は互いにどのようにつながっているのか。(3章、4章で論ずる)⑵ 何が子どもを自閉症にさせる可能性をもつか。何が子どもの発達に「脱線」を起こさせるのか。そういう病因論ないし個体発生の問題についての追及は5章で扱う。⑶どうしたらこの事態に影響を与えることができるか、どうすればその状態を改善し、治癒させ、もし可能なものならそれを予防することができるか。(6章)〉
 著者は、自閉的な状態の本質を「情緒的(エモーション)ないし動因(モチベーション)の障害と考えている」。その原因として、「遺伝」や「器質的な異常」よりも「初期の外傷体験」が大きく関与しているだろう。カナーやベッテルハイムは、それを「冷たい親」の育児法に因るとし(て責め)たが、その大多数は親の「過ち」であるとはいえないものである、とも述べている。しかし、「難産」「引っ越し」「上の子の世話」などで、親のストレスが高まり、いくつかが組み合わされると〈子どもと母親の進路をスタートから誤らせてしまうのに十分であり、いったん道を誤ると、子どもと親が互いに強く相手を傷つけ合う結果になりやすい。「自閉症をひき起こす」環境的要因の多くは、子どもと同様に親をも犠牲にする。もし、親が無意識に子どもを傷つけてしまったとしたら、もちろんその親を責めることによって罪障感を増大させるのではなく、自責の念を乗り越えるよう手助けするほうがよい。〉さらに、〈もし、自閉症児が早期に発見され、母子双方が互いに親密な温かい絆を作るように援助されれば、回復率は今一般に信じられているよりもはるかに高くなるだろう。(中略)まず第一に、子どもの異常な不安感をへらし、自分の子どもに気持ちの上でつきあえないという母親の無力感をへらすことに最重点が置かれていること。およびそのためには、子どもとその母親の間に強い絆を再建することが一番であること。そしてもしそれがうまくいくと、子どもは具合が悪かった間にもすでに思いのほか多くのことを学んでいたことを証明してくれるし、情緒的回復に伴って対人的にも知的にも、どんどん進んで発達していくものであることをみせてくれる。(新しいより効果的な治療法については6章と9章でその要点を説明する。10章では事例を紹介する)〉ということであった。
 自閉症の原因については、現在でも諸説紛々で、厚生労働省は「自閉症の原因はまだ特定されていませんが、多くの遺伝的な要因が複雑に関与して起こる、生まれつきの脳の機能障害が原因と考えられています。胎内環境や周産期のトラブルなども、関係している可能性があります。親の育て方が原因ではありません。」といった表現で「言葉を濁している」が、要するに「不明」であることは間違いない。しかし「親の育て方が原因ではありません」と断定しているのはなぜだろうか。「胎内環境や周産期のトラブル」は「親の育て方」と無関係と断定できるのだろうか。アメリカのカナー博士が、はじめて自閉症を症候群として報告したのが1943年、日本では1952年(第49回日本精神神経医学会総会・名古屋大学精神科の鷲見たえ子氏)ということであれば、それ以前には自閉症児は存在しなかった、ということになる。また、カナー博士が報告した自閉症児は、すべてが上層階級の子どもたち、日本もまた戦後の「核家族化」、1960年以降の高度経済成長によって、家庭生活は一変その「育児法」(出産法)も「欧米化」したことは間違いない。そうした社会環境の変化が、自閉症発症の「遠因」になっているだろうことは想像に難くない、と私は思う。いずれにせよ、自閉症の原因が「特定」できない限り、「親の育て方が原因ではありません」と断定してよいか。そのことを念頭において、次章の解読を進めたい。(2013.11.14)
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「自閉症治癒への道」解読・《1》第1章・まえがき

《第1章 まえがき》
【感想】
 冒頭は「『自閉症は治らない』という結論は誤りだ」という見出しで書き始められている。その結論は①1970年代初頭、BBCテレビ番組(英国自閉症児協会代表者の意見)、②1978年秋、オックスフォードの講演(サマーコート校長・Sybil Elgarの言葉)、③1977年「早期小児自閉症」(Wing,L)、④1979年「自閉症児の治療教育 神経生理学的モデルによる理論と実践」(DesLauriers,A.M.and C.F.Carlson)、1970年「子どもの自閉症」(O'Gorman,G)、1982年「自閉症 その概念と治療に関する再検討」(Rutter,M.and E.Schopler)等々で述べられているが、〈「原因についての明確な考えもなしに行われてきた過去におけるわれわれの努力は、多分に経験的なものであり、おおかた無効なものであった」という1970年に書かれたオゴーマンのことばは、今も十年前と同様の妥当性をもっている〉と著者は書いている。また〈自閉症研究が始められてからまだたかだか二、三十年しかたっておらず、その研究もほんの一握りの人々によって行われてきただけであることを考えれば、公正に見て、自閉症に関してすでに最終的な結論が得られているとはとても考えられない〉とも述べている。その時から四十年経った現在もなお、「自閉症は治らない」という結論が横行跋扈しているように、私には思えるのだが・・・。著者は、この本の中で①自閉症に対するよりよい理解、②より効果的な治療法および予防法の探求を目指している、ということであった。①については、〈「動物行動学的」方法論を適用することにより、その結果としてひとつの新しい解釈に到達した〉そうである。②については、〈自閉症児とその両親に対するいくつもの新しい治療方法が開発され、実践され、すでにかなりの実質的成功を収めている。この種の新しい、より有効な治療法のいくつかの側面については6章と9章で述べる〉とのこと、私の期待は高まるばかりである。(2013.11.13)                                       
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「自閉症治癒への道」(ティンバーゲン夫妻著、田口恒夫訳・新書館・1987年)

 「自閉症・治癒への道 文明社会への動物行動学的アプローチ」(ニコ・ティンバーゲン、エリザベス・A・ティンバーゲン著 田口恒夫訳・新書館・1987年)という本を読み始める。通販サイト・アマゾンの「商品説明」では以下のように述べられている。〈本書は「自閉症」の本としては、きわめて異色のものである。著者夫妻はある時たまたま自閉症児にふれ、強い衝撃を受けた。そしてティンバーゲン博士の透徹した行動分析の目と、夫人の情愛あふれる感性をとおして問題を見つめているうちに、従来の学説とはまったく異なるひとつの新しい仮説に到達し、治療方針についても洞察と見通しをもつに至った。本書は、動物行動学が開発してきた独特の生物学的思考のスタイルと科学的方法論を「物言わぬ動物」ならぬ「物言わぬ子ども」に適用することが、自閉症の理解のうえにいかに実りあるものであるかを、理論的に説明している。〉著者のニコ・ティンバーゲン博士、訳者の田口恒夫博士はいずれも故人、まして今から28年前の発行だとすれば、知る人は少ない。しかし、私は「従来の学説とはまったく異なるひとつの新しい仮説」に注目する。自閉症は、今や、注意欠陥多動性障害や学習障害と「一括り」にされて「発達障害」というカテゴリーに分類されており、ウィキペディア百科事典では「発達障害(はったつしょうがい、Developmental disorder)とは、先天的な様々な要因によって主に乳児期から幼児期にかけてその特性が現れ始める発達遅延であり、自閉症スペクトラム (ASD) や学習障害 (LD)、注意欠陥・多動性障害 (ADHD) などの総称」と説明されている。また政府広報オンラインでも以下のように述べられている。〈発達障害は、脳機能の発達が関係する生まれつきの障害です。発達障害がある人は、コミュニケーションや対人関係をつくるのが苦手です。また、その行動や態度は「自分勝手」とか「変わった人」「困った人」と誤解され、敬遠されることも少なくありません。それが、親のしつけや教育の問題ではなく、脳機能の障害によるものだと理解すれば、周囲の人の接し方も変わってくるのではないでしょうか〉要するに、自閉症は《先天的な》《生まれつきの》《脳機能の障害》である、というのが現在の「定説」になっているようだが、本当にそうか。前出のウィキペディア百科事典には、以下のような記述もある。〈発達障害は先天的もしくは、幼児期に疾患や外傷の後遺症により、発達に影響を及ぼしているものを指す。対して機能不全家族で育った児童が発達障害児と同様の行動パターンを見せる事がよくあるが、保護者から不良な養育を受けたことが理由の心理的な環境要因や教育が原因となったものは含めない〉。では、その両者をどのように「鑑別診断」するのだろうか。以下の記述を見て、私は吹き出してしまった。〈明確な判断は、神経科・精神科・心療内科(小児精神科などを含む)を標榜する医師の間でも困難とされ、各都道府県や政令指定都市が設置する、発達相談支援施設で、生育歴などがわかる客観的な資料や、認知機能試験(IQ検査、心理検査等を含む)などを行って、複数人の相談員や心理判定員などが見立てとなる判断材料を出す形で、医師の下での治療が必要か、SSTが必要かなどの材料を提供する、というケースが多い〉。ナーンダ、結局、ダーレモ、ナンニモ、わかっていないのではないか。ティンバーゲン博士夫妻が、「たまたま自閉症児にふれ、強い衝撃を受け」、研究に着手したのは1970年代である。以来、40年余りが経過したが、その間、博士の「新しいひとつの仮説」はどのように評価されてきたのだろうか。(私の独断と偏見によれば)その仮説は「親のしつけや教育に因がある」ものとして、専門家(もしくは親)から「敬遠」「無視」「黙殺」され続けてきたような気がする。事実、現在「神経科・精神科・心療内科(小児精神科などを含む)を標榜する医師」「各都道府県や政令指定都市が設置する発達相談支援施設に従事する複数人の相談員や心理判定員」の間で、ティンバーゲン夫妻、田口恒夫博士、この著書の存在を承知している人は、皆目見当たらなかった。
 そんなわけで、私は、しばらくの間、異色の書「自閉症治癒への道」の(再)解読に専念したいと思う。(2013.11.12)
自閉症・治癒への道―文明社会への動物行動学的アプローチ自閉症・治癒への道―文明社会への動物行動学的アプローチ
(1987/02)
ニコ ティンバーゲン、エリザベス・A. ティンバーゲン 他

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「自閉症」は「オーティズム」

 「自閉症スペクトラム」の「自閉症」とは、英語オーティズムの訳語だが、その「オート」はオートマチック、オートモービルの「オート」と同義であり、「自動」「自己」といった意味である。したがって、本来のオーティズムに「閉じこもる」「閉ざす」という意味はない。にもかかわらず、日本では未だに「自閉症」という言葉が使われている。かつての「精神薄弱」は「知的障害」に、「精神分裂病」は「統合失調症」に改められた。「自閉症」も「自動症」もしくは「自己症」に改められるべきだが、日本語にそぐわないとすれば、「オーティズム」を無理に訳す必要はない。「自閉症」の症状、要因、療育などについては、まだ解明されていないことも多い。その真相を究明するためにもまず「診断名」(の是非)から再検討すべきだと、私は思う。(2015.12.8)




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「広汎性発達障害児への応用行動分析(フリーオペラント法)」通読・7

《第五章 発達障害児をめぐる諸問題》
【医師の診断について】
・現在のところ、病気なのか単なる行動上の偏奇なのか明らかではない。いくつかの薬剤があるものの、いずれも、教育指導との併用を条件にしていて、主役は教育指導の内容である。
【発達検査について】
・検査という名前で呼んでいることに疑問を感じる。
・私自身は、45年も発達障害児を扱っていて、自分では一度も発達検査をしたことがない。1時間以上も子どものセラピーをしていたら、検査よりも正確に発達指数がわかるからである。
・臨床心理学の教科書では、アセスメントをことさら重要視しているが、信頼に足るアセスメントの手段が存在しない。重要視すべきだが、信頼に足る手段が存在しないので、意味を成していない。
・現行の発達検査を障害児たちに有料で施行するのは、全くの詐欺行為であり、無料で施行するのは税金の無駄使いと言わざるを得ない。
【児童相談所について】
・2005年に児童虐待防止法が施行され、相談所所長が虐待の事実を知ったらすみやかに虐待児を強制的に親から引き離して施設収容する権限を持つようになったが、相談という仕事の本質に相容れないものである。ついつい子どもを虐待してしまうという悩みの親はどこへ相談にいけばいいのだ。
・ヨーロッパ諸国では親の子育ての問題としてまず、親子関係の改善が優先され、それがどうしても困難な場合に、子どもを暴力から守る手段として子どもの強制収容がなされるという。
【民間施設について】
・ここ5年ほどの間に、東京、大阪、名古屋、京都、神戸等の大都市で応用行動分析の指導を看板に民間施設が次々にオープンしている。かなり高額な料金で繁盛しているのは、税金で運営されているところがいかに怠惰で無能な仕事しかしていないかを物語っている。しかし、かなり怪しげな施設がブームのおこぼれに預かろうというのもある。
【保育所、幼稚園について】
・保育所、幼稚園は子どもの生活の場である。発達遅滞児を病院。児相、施設という特殊なところへ抽出して特別な指導をすると、効果があっても同時に必ず発達上の歪みを作ってしまう。発達遅滞児に専門家は不要である。保育所、幼稚園の先生は今より少しばかり障害児関連の勉強をして、自分たちが障害児指導の主役であるとの気概をもってほしい。障害児との経験は健常児についての理解を格段に高めてくれるものである。
・親たちのすべきことは、有能な専門家探しではなく、優秀な保育所、ハイレベルな幼稚園の選択である。園庭に面した道路で30分以上じっと聞き耳をたてて、中から聞こえてくる先生や園児たちの声を聞いてみてほしい。ことばや内容を無視して、先生の大きな声と園児たちの声が何対何の割合で聞こえてくるかを観察する。先生の声よりも園児たちの声がたくさん聞こえてくるところがお目当ての施設だ。先生の大きな声ばかりが聞こえてくるところは、指導能力が貧弱で、命令、指示、叱責が多いところである。園児の声が大きく、先生の大きな声がほとんど聞こえてこないところは、大声が必要なく、命令、指示、叱責が小さな声で十分だからだ。そんな保育所、幼稚園を選んでほしい。
【小学校について】
・小学校普通学級、小学校支援学級、支援学校小学部の三つのコースがあるが、一番大きく結果を左右するのは、進路ではなく、担任教師の指導力である。ところが、担任の選択ができない。したがって、進路で悩むのは意味がない。いい先生に受け持ってもらえたらそこがベストになる。
・場合によっては、最悪の担任ということがあり得る。現在の学校のシステムでは、親子でその担任から逃げるしかない。話し合いで妥協が見つかれば最悪ではないが、最悪だと判断したら、支援学級、支援学校への転校、引っ越しによる転校、不登校(積極的オサボリ)で対処する。
・親は、モンスターペアレントと言われようが何と言われようが、自分の主張、自分の言い分を押し通すべきである。自分の方に教育を受ける権利があるのだ。
・「この子に最後まで付き合うのは親です。学校は自分たちの指導の責任を負うわけではない!」
【いい先生について】
・いい先生とは、指導計画を作らず、作ってもそれに従わず、なんの指導もせず、子どもを一切拘束せず、黙って子どもを観察する先生である。そして、子どもが示す行動に受け身で反応して、行動の楽しさを増幅させる人がいい指導者である。これが、発達レベルに合致した活動を実現させる基本である。ところが、学習、教育を苦痛に耐えることが重要と勘違いしている。大変な勘違いである。楽しい活動は苦痛が苦痛でなくなる。大切なのは苦痛ではなく、楽しくなることの方なのである。
【お金と趣味について】
・おつかいができるようになったり、自販機や電車の券売機が使えるようになったら、少額のお金を財布に入れて、そのお金は自由に使っていい、なくそうが人にあげようが無駄遣いしようが、完全自由にする。お金について欲求がでてきたら、簡単なお手伝い、ドリル1ページをしたら、などなど適当な課題遂行にご褒美のお金を与える。お金の指導経験はまだ十例前後だが、トラブルは1件も出ていない。
・お金で自分の欲しいものが自由に手に入る、手に入れたお金で人を喜ばせることができる、お金を貯めると大きな力になる、この三つのバランスがとれていなければならない。
・バランスは直接指導できない。お金に関するさまざまな経験の蓄積結果としてしか身につかない。長期戦である。
・われわれには日々の生活に必要なこと以外にホビーと呼ばれる活動が必要である。言うなれば、趣味、道楽の類である。楽しみができると同好仲間ができて社会性の発達が進む。生活のハリも出てくる。と同時に、お金へのモチベーションもできてくる。
・学校ではトークンエコノミー法(ご褒美に物品をプレゼントする)を持ち込むといい。
・子どもが少しでも好きそうなもの、少しでも楽しそうな時に、ことさら一緒に楽しく振る舞い、ことさら一緒に面白そうに振る舞う。これを根気よく積み重ねると、楽しい、う
れしいという気分がしっかりとできあがる。模倣行動の感情版である。こうしてなによりも大好きな活動、ホビーを作る必要がある。

《まとめ》
・ことばは、人と人との間のコミュニケーション手段である。言語発達のためには、まず、人を好きにならなければならない。依存し、依存される関係が基礎になる。相互に音声を受け取り、音声を発信することが、この上なく楽しいことでなければならない。
・言語の発達が遅れているからといって、単語を一語一語教えてことばが獲得できるほどことばは単純なものではない。言語発達遅滞という問題の解決のカギは、言語発達のための条件整備と発達妨害要因の排除である。
・喃語の相互模倣からスタートして、有意味語の生成を待つ。発声や発語の強制は厳禁、あくまでも自発発声、自発発語を待つ。発音やことば使いの修正、訂正も厳禁。修正、訂正が一番の言語発達妨害要因になる。赤ちゃんことばを経由せずに成人の言語レベルに達する人はいない。発達過程で働く自動的行動修正機能の働きを待つべきである。
・発声の相互模倣と行動の相互模倣を同時進行させていると、社会性や身辺自立も付随的に発達が進行する。社会性と呼んでいるものの大半は、相互模倣だからである。同じ動作を一緒にするようになると集団参加が可能になり、共通の内的過程を経験するので人の気持ちが理解できるようになり、場の雰囲気が読めるようにもなる。
・訓練で一つ一つ積み上げる指導はどうしても発達に歪みを作ってしまい、訓練がきつすぎると強烈な拒否反応に出会う。十分に模倣反応の自発性を高めれば、発達の大半は模倣反応を誘発させるモデルの提示だけですむ。模倣反応の形成をマッチング訓練で進めるやり方では子どもを受け身にしてしまうので、どうしても自発性が貧弱になる。
・数々の不適応反応は、現実の生活上の困難に応じて対応すべきである。生活上の困難がさほど深刻でなければ積極的に解決せずに放置しておく方がいい。発達が進行すればゆっくり緩和され、消失する。生活上の困難が深刻な場合には、不適応行動の消滅ではなく、弱化を目指す方が効果的である。不適応行動をなくすのではなく、行動強度を弱めるのである。(反応強度分化強化法の適用)

〈感想〉
・ここでは「発達障害児をめぐる諸問題」が列挙されているが、いずれも「全面的に同意」できる。それらの諸問題を解決できるのは、子どもと最後までつき合う「親」をおいて他にない、という著者の思いが痛いほど伝わってきた。また、《まとめ》では、本書の内容が簡潔に要約されており、この部分を読むだけでも価値がある。「ことばはコミュニケーションの手段であり、言語発達のためには、まず、人を好きにならなければならない。依存し、依存される関係が基礎になる」。また「相互に音声を受け取り、音声を発信することが、この上なく楽しいことでなければならない」といった基本理念は、とうてい《科学的》に説明できるものではないが、さればこそ「真実」であると、私は確信する。「自閉症は治らない」ということを科学的に証明したところで、親にとってどれほどの意味があるだろうか。「自分の育て方は間違っていなかった」ことを確認すれば、今後の展望がどのように開けるのだろうか。大切なことは、「好き」とか「楽しい」とかいう(科学では説明しにくい)感情を、親も子どもも《実感》できるように《支援》することではないだろうか。本書が出版されたのは著者78歳時、これまで45年間にわたって「臨床」一筋に貫かれた経験値が、どのページにも散りばめられている。小冊ながら「稀有」な一作として座右に置きたい。(2014.5.17)




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「広汎性発達障害児への応用行動分析(フリーオペラント法)」通読・6

【固執、こだわり行動】
・水や砂の感触に没入、道順や換気扇へのこだわり、などの症状行動は、直接の禁止や抑制は労多くして益少なしで、賢いやり方ではない。実生活上に大きな支障がなければ、「後回し」にすべきである。
・子どもの情緒状態の判断の指標にする方がいい。情緒的に良好な時には固執やこだわりの強度が弱まり、よくない時には固執やこだわりがきつくなる。
・しかし一方、超いい時にも固執やこだわりが強くなる。固執やこだわりがきつくなり、一方で、ことばや社会性に前向きの変化が確認できたら、それは超いい時と判断する。
・風邪の発熱や咳、下痢の症状の前日に、こだわりがきつくなることがある。
・基本的には、先述した①②③(愛着、甘やかし、逆模倣)の効果が出だすと、固執、こだわりはゆっくりと弱化し、消滅していく。特に、静かな抱っこ20分や皮膚刺激で、固執もこだわりも大幅に緩和する。
・生活全体を構造化し、適応性を高めるというティーチのやり方は、固執、こだわりが改善できないと決めつけている。絵カードの使用も、言語に移行できた事例を見たことがない。
【五感のアンバランスによる不適応行動】
・極端な偏食、臭嗅ぎ、異食、音や光の過敏、肌触りのこだわりなど五感のアンバランスは、たいていの場合、2歳から5歳にかけてゆっくり修正されるのだが、なぜか修正されないままになっている。生理学的に前庭刺激、皮膚刺激で感覚のアンバランスは修正される。
・五感のアンバランスを奇妙な好みと軽く考えずに、感覚統合を進めるべきである。聴覚、視覚よりも嗅覚が敏感に働くというのは発達障害をまねく。感覚統合で、ゆっくり、ほぼ月単位で、しかし、確実に、改善が進む。
【その他さまざまな不適応行動】
・手づかみがなおらない、食事中の立ち歩き、後片付けができない、衣服の着脱ができない・・・など。こうしたことを一つ一つ教えていく、「積み上げていく」という教育迷信からの脱却が必要である。見通しや計画を持ち得ないための言い訳である。指導の優先順位を考えるべきだ。こうした不適応行動が問題なのは、同年齢児との比較だけだ。成人するまでにできるようになればいいことであり、遅いということは問題ではない。
・自発的模倣行動が活発になれば、いずれも「教える」ということなしでできるようになる。
【おしっこトラブルの解決策】
・指導の優先順位からすると、ごく低位のものである。排泄の自立を達成できたからといって、発達全体への貢献はごく貧弱なものである。
・排泄の自立は遅い早いがあっても、10歳過ぎには達成するものである。しかし、6歳以上の健常児や軽度発達遅滞児では、自己劣弱感、自信喪失感に陥り、精神発達に歪みをもたらす。そうした場合には、指導の優先順位は高くなる。
【おねしょ】
《具体的解決策その1》
a. 生活全体を見回し、ストレスになっていると思われるものをできるかぎり排除、低減する。
b. 入眠時に十分リラックスする。
c. 就寝30分前にたっぷり水分を取り、排尿後に寝る。
d. 朝、布団がぬれていない時には、子どもと一緒に大喜びをする。失敗の朝は、黙って後始末をする。
・水分制限の解除がポイントである。
・2週間の経過観察をし、おねしょの回数の減少、おねしょの時間帯が早朝に移行するのが確認できたら、そのまま続ける。改善の兆しがない場合は、次の策を実行する。
《具体的解決策その2》
・寝具と寝室をがらりと変えてみるといい。特に重要な点は、アンモニア臭のない状況にすること。布団からパジャマ、枕まで全てをがらりと変える。(1週間で効果がない場合、それ以上の繰り返しは無駄である)
《具体的解決策その3》
・夜半覚醒を試みる。夜、何時頃には排尿しているか、およその時間帯を調べて、それより30分ほど早いタイミングで覚醒させ、トイレ排尿をさせる。必ず、声かけ、身体ゆすりだけで起こす。トイレまで自力で歩かせ、はっきり覚醒状態にしてから排尿させる。終わったら大いに褒めそやし、抱っこでベッドに戻る。翌朝、布団が乾いていることを確認させ、一緒に大喜びする。
・1か月ほどで改善がみられない場合は、次の最終手段を試みる。
《具体的解決策その4》
・アラームパンツを使う。適切に使用すれば、最難治のおねしょ克服の決め手になるはずである。専門機関の指導の下で試みる。
【トイレ排尿の困難】
・問題解決のポイントは、トイレを大好きな場所にすることである。(飾る、CDで音楽を流す、一緒に歌を歌うなど)
・トイレの中で子どもを膝の上に乗せて、一番大好きなおやつを食べる。そのおやつはトイレ以外では食べられない。
・膀胱満タンのタイミングを狙って便器に座らせ、水鉄砲で排泄器に水をかける。冬ならぬるま湯にする。子ども特有の生理反応で排尿が誘発される。何度か繰り返したら、指で水鉄砲の仕草をするだけですむようになり、さらに「シー」という声だけですむようになる。ウンチの場合なら、ぬれガーゼで肛門付近を刺激すれば排便が誘発される。
・紙オムツの中におしっこ、大便の習慣ができてしまい修正が難しい場合は、穴あきオムツ作戦を採用する。紙オムツのままで便器に座り、おしっこ、ウンチを紙オムツの中ですることを繰り返す。頃合いを見計らって、オムツに小さな穴を開けて、本人は紙オムツの中のつもり、出したら便器へ落ちるという具合にする。暫時、穴を大きくしていく。
・トイレ以外の場所が排泄の場所になっている場合は、マーク作戦である。排泄の場所に目立つマークを置き、数週間、きちんとマークの所で排泄を続け、そのマークをトイレの場所へ少しずつ移動させる。移動距離が大きいと抵抗が生じるので、センチ単位の移動から始めて、暫時移動距離を大きくし、トイレの中まで導く。

*いずれにしても、トイレの自立は発達全体への波及効果が大きいものではない。貴重な時間とエネルギーはもっと波及効果の大きい項目に振り向けるべきである。

《感想》
・ここでは、「固執、こだわり行動」「五感のアンバランスによる不適応行動」「その他さまざまな不適応行動」「おしっこトラブルの解決策」について述べられている。私が興味深かったのは、著者がそれらのうち「五感のアンバランスによる不適応行動」以外は、それほど《重要視》していないということである。特に、育児にあたる親にとって、「おしっこトラブル」は、最大の悩み事であるはずなのに、「いずれにしても、トイレの自立は発達全体への波及効果が大きいものではない。貴重な時間とエネルギーはもっと波及効果の大きい項目に振り向けるべきである」と言い放つ(臨床家としての)姿勢は素晴らしい。「排泄の自立」は親の負担軽減には十分寄与するが、子ども自身の発達にとっては、貧弱な結果しかもたらさない、ということが繰り返し強調されている。著者は、子どもの発達よりも親の都合(「合理的利便」)を優先する、といった現代の育児事情を痛烈に批判しているように思われた。なるほど、子どもの「固執やこだわり」がなくなり、「様々な不適応行動」が減弱・消滅、しかもそのうえ「排泄」まで「自立」すれば、親としては「万々歳」、これ以上の幸せはない、ということになる。だがしかし、そのことだけで「自閉症」という問題を解決することはできない、という著者の主張が、私にはよくわかる。子ども自身が幸せにならなければ、問題は解決しないのである。
 そのために、著者は「五感のアンバランスによる不適応行動」に注目し、「感覚統合」の重要性を指摘している。以下は「感覚統合」に関するインターネット情報の一つである。
〈感覚統合とは〉(奈良教育大学ホームページ) 
字を書いたり、人の話を聞いたり、友達と遊んだりするときには、いろいろな感覚情報を脳が無意識に処理しています。感覚には、固有感覚(身体の動きや手足の状態の感覚)、前庭感覚(身体の傾きやスピードの感覚)、触覚、視覚、聴覚などがあります。これらの感覚を、整理したり統合(まとめること)したりする脳の働きを感覚統合といいます。例えば、お友だちと鬼ごっこをするときは、自分の走っているスピードやお友だちとの距離感などを感じる、お友だちを目で追う、などいくつかの感覚情報を上手に処理する必要があります。意識せずそのようなことができて初めて楽しく遊べます。いくつかの情報を正確に処理できずに、とんちんかんな行動になると、みんなとのズレが生じることになります。
また、字を書くときは、ノートに書いている文字を目で追いながら、指先の動きの感覚や触覚などの感覚を上手く感じることが必要です。このような感覚の“感じ方に歪み”があると、字を書く動作はとても難しくなります。感覚統合療法とは、このような子ども達ひとりひとりの「感覚の感じ方」に着目して治療的アプローチを行うものです。実際の感覚統合療法は、専門家によって行われますが、個別治療だけが有効とは限りません。子ども達が「好きな感覚」「必要としている感覚」をお手伝いや遊びのなかでたくさん提供したり、「苦手な感覚」を少し軽減したりするなど、感覚面に配慮した環境の工夫も有効です。「特定の音が極端にきらいで、過敏に反応する」、とか「体の使い方が非常に不器用」、「衣服や身の回りのものに、とってもこだわりがある」等のエピソードがいくつかある場合、専門家に相談してみてもよいかもしれません。〉(サイトマップ「奈良教育大学・特別支援教育研究センター・特別支援教育に関するガイド」より引用)(2014.5.16)




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「広汎性発達障害児への応用行動分析(フリーオペラント法)」通読・5

【自傷行動】
・自傷行動への対処は大ざっぱに二つに分けられる。一つは自傷を人のいないところで隠れてやっているかどうかである。もうひとつは、自傷を必ず人がいるところでやっているかどうかである。前者は人の存在が邪魔な場合、後者は人の存在が必須条件である。
1.人の存在が無関係な自傷行動
・この自傷は、自分の体に傷をつけるほどの痛覚、苦痛が事後の出来事として自傷を強化していると考えられる。
・マッサージでもなく、乾布摩擦でもなく、特定の刺激法があるわけではない。とにかく足の裏から頭のてっぺんまで、指の1本1本まで全身くまなくこする。自分で頻繁に刺激を与えている部分を特に念入りにこする。朝晩、日に2回は必ず、そして、手が空いているときにはいつでも体をこする。強く、弱く、早く、ゆっくり、素手で、布で、ブラシでと、思いつく限りのこすり方を試み、こすりながら表情を見る。一番心地よさそうなやり方を見つける。本人が満足して立ち去るまでこする。立ち去るまでが毎回30分を超すようなら、少しだけ強くこすれば時間が短くなる。強すぎると嫌われてしまう。触られるのを嫌がる子どもがいる。触覚の過敏状態なので瞬間タッチを繰り返し、慣れを作る。身体の特定部位に触られるのを嫌がる場合には無理をしない。
・効果に手応えが感じられるまでに時間がかかる。最短で1週間、平均で2か月程度、しばしば6か月後にやっと手応えが感じられることもある。時間がかかるが、効果ゼロはほとんど経験しない。こんな単純素朴な方法で悲惨な結果は避けられる。
2.苦痛の緩和手段としての自傷行動
・ある日突然、原因もわからず激しい自傷行動が生じることがある。十中八九、病気の苦痛が原因である。苦痛に対して身体に別の痛みを引き起こすと、痛みが相殺し合って痛みの緩和が生じる。それが自傷行動を強化していると推定される。「ある日突然」が特徴である。
・問題の解決は身体の痛みの発生源を見つけることである。(虫歯、口内炎、中耳炎、関節痛、肩の亜脱臼、盲腸炎の初期、鼻腔への異物侵入など)
3.なんともお手上げの自傷行動
・ある時突然、自傷行動が出現する。頻度は1日に数回から数日に1度という間隔である。自傷の背後メカニズムがわからない。偏頭痛、不安発作の反復などが想像される。鎮痛剤で緩和されるケースもあれば、全く無効というケースもある。
4.人の存在が必須条件の自傷行動
・自傷行動に対する人の反応が、自傷行動の強化子として働いている。
・一般に、自傷の阻止、中止は困難であるが、反応強度分化強化手続きが有効である。
・自傷は意思伝達の手段としての行動なので、行動コントロールは難しくない。
・解決を困難にしているのは、行動強度や行動メカニズムの複雑さではなく、問題解決をしようとしている側の頑固な思い込み、偏見、固定観念、柔軟思考の欠如である。
・例:社会的に不都合な場面ですぐ全裸になってしまい、全裸を妨害すると激しい自傷を示すというなら、全裸になる行動の原因を推測して解決をはかればいい。注意引きが目的なら、合理的代替え行動に置き換えればいい。皮膚感覚の偏りによる場合なら、皮膚刺激で感覚の統合化をはかればいい

〈感想〉
・ここでは、「自傷行動」に対してどのように対応すればいいか、がわかりやすく、具体的に述べられている。まず、その行動を、人の存在と無関係であるか(一人の時に、隠れてやるか)、それとも、人の存在を必須条件としているか、に二分し、前者の場合は、とにかく「全身をこする」、後者の場合は「他傷行動」のときと同じように「反応強度分化強化法」を用いるということである。
・いずれも、著者の臨床経験から導き出された「対処法」であり、たいそう説得力があった。ここでも、私たちに要求されるのは、子どもの表情を読み取る「観察力」と、変化が生じるまで実践を繰り返す「持続力」であることを肝銘した。とりわけ、「解決を困難にしているのは、行動強度や行動メカニズムの複雑さではなく、問題解決をしようとしている側の頑固な思い込み、偏見、固定観念、柔軟思考の欠如である」という一文を銘記したい。(2014.5.15)




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「広汎性発達障害児への応用行動分析(フリーオペラント法)」通読・4

《第四章 不適応行動への対応》
・一般的に言って、障害児の攻撃行動であれ破壊行動であれ、そこには強烈な敵意や憎悪、力の誇示、ステータスの上昇意図などのような大人の感情は含まれていない。繰り返される行動には必ずその背後にオペラント条件づけのメカニズムが働いていて、それが解決のカギになる。まず、生じている不適応行動をよくよく観察する。行動の目的を把握することが第一である。
・一般的に言って、①②③(愛着・過保護・甘やかし・わがまま・逆模倣)の効果が十分であれば、ほとんど不適応行動は出ないか、出てもごく軽微なのが特徴である。
【他傷行動、暴力行為】
1.思い通りにしたいための他傷行動
・思い通りにしてもらえないもで暴力を振るっている場合である。さっさと思い通りにしてやってほしい。思い通りにしてやれば暴力は振るわない。
・子どもの思い通りに応じながら暴力をなくす方法がある。反応強度分化強化法と呼んでいるものである。他傷行動で問題なのは反応強度である。繰り返される他傷行動を細かく観察すると、いささか弱めの時と強めの時がある。思い通りにしてやりながら、それにはっきりと差をつける。強めの時には、思い通りになるタイミングを1秒、2秒ほど遅らせる。暴力を引き出さない範囲の必要最小限で応じる。弱めの時には間を置かず、1秒以内に要求通りにしてやる。求めている以上に要求通りに応じる。弱々しい他傷行動の方が確実に思い通りになるとなると、他傷行動は簡単に弱々しくなり、他傷とは呼べないレベルになる。
・反応強度分化強化法は黙って実行である。理解させようとする必要はない。
・他傷行動の弱化が達成できたら、次の段階で適応的な行動の形成にとりかかる。「いや」という意思表示を尊重するのがコツである。首を振る、全身を振る、いやの声、「あー」でも「うー」でもいい。とにかく拒否の意思表示を明確にし、尊重する。尊重とは、可能な限り要求通りに応じてあげることだ。どうしても尊重できないときは、「すまないけど思い通りにはできないのよ」と言いながらゆっくり要求を拒否する。しかし、この手は乱用禁止である。最大限自分の要求をかなえてもらえるという状況で、初めて有効な手段である。何でも言いなりになっているとわがままがエスカレートすると思っている人が多いようだが、実はその通りである。わがままこそ人間の本質だと言っていいだろう。そのわがままな要求は特定の物や行為ではなく、両親の笑顔が一番に求めるものでなければならないはずである。両親の笑顔がそういうものになるのは、両親が無条件に絶対的に自分の味方だからである。その基礎が①②③なのだ。笑顔が行動を強化する一番の出来事になると、親子の幸せがやってくる。子どもが一番思い通りにしたいことが親子の笑顔の相互交換になれば、この問題は一件落着になる。
・我慢することが、苦痛に耐えることが、社会のルールに従うことが、何より大切、と子育てに変な思い込みをしていることが、障害児を不適応行動に追い込んでいるのである。
2.嫌なことの回避手段としての他傷行動
・嫌なことはしないほうがいい。この場合の他傷行動解消手段は、嫌なことを嫌でなくす、嫌なことを大好きにすればいいのだ。
・苦手な解消にはスモールステップ法が有効である。嫌なことを細かい段階に分け、一つ一つを安心、大好き、と組み合わせて反復し、嫌を解消していくのだ。
・環状線が嫌いなS子ちゃんの例:環状線のキオスクで大好きなあんパンを買う。→キオスクのベンチであんパンを食べる。5回反復する。→改札を入ってすぐのところであんパンを食べる。5回反復する。→階段を登って踊り場であんパンを食べる。5回反復する。→ホームのベンチであんパンを食べる。5回反復する。→駅に停車中の電車に乗り、発車前に降りてベンチであんパンを食べる。2回抵抗したが3回目は乗客混雑のため降りることができず次の駅まで行ってしまった。冷静に乗り、次の駅であんパンを食べて帰ってきた。その後、環状線が大好きになった。
・この手続きは、ウォルピの系統的脱感作法の障害児版である。ポイントは、嫌悪解消効果のあるものを見つけることと、適切なステップの構成である。(細かくしすぎると時間がかかる。荒っぽいと逆効果になってしまう。勘を頼りにするしかない)
3.注意引きのための他傷行動
・この場合の他傷行動は、動機は正常、表出が不適切ということになる。問題解決のカギは動機の正常性を損なわず、表出手段の適正化ということになる。
・また、人との関わりを求めての他傷行動がある。
・行動の目的は注意を引きつける、ないし、応答的反応なので、他傷行為が強いときにはひかえめに、弱いときには大げさに反応する。(反応強度分化強化法)
・他傷行動解決に続いて、自発的模倣行動をより活発にして人への働きかけのモデル提示で適切な行動の習得を進める。暴力を振るってまでも人との交流を求めているのだから、社会性の発達はどんどん進むはずである。
・(保育園、幼稚園、小学校など集団場面での場合)手続きの効果の般化範囲を広げるコツは、二人以上の大人で実施することだ。時に、二人だけだと般化範囲が二人だけに限定される場合があるが、経験的に、三人がかりでやれば般化は十分に広がり、子どもたちにも般化する。
4.試しの他傷行動
・小学生くらい以上の子どもで、比較的知的能力の高い子に見られる。他傷行為をしてみて「暴力を振るっても、セラピストや親は本当に叱ったりしないのか」とわれわれを試すのである。他傷行動の強度がそれほど激しくないのが普通で、一貫した対応をすれば長続きしないので、特別な対応を必要としない。
・試し行動は、他傷以外の行動でも見られる。「いや」「あっち」などを頻発して、大人の反応を見る。しつこくなると、大人側の耐性限度を超えて不適応行動の一つに思えてくるが、コミュニケーション機能の習得過程なので、永遠に続くわけではない。
5.フラッシュバックの他傷行動
・目的がわからない他傷行為である。
・(多分)こうした場合の他傷行動は悲しみの反応なので、膝に乗せて抱きしめて慰めるという対応、他傷行動の反応分化強化法で対処する。行動の原因を確かめようがない状態での対応なので、他傷行動が抱っこしてもらう要求行動になるかもしれない。しかし、弱々しい他傷行動で抱っこの要求ならば大いに抱っこすればいい。
*番外:噛みつきに対して、被害を最小にする噛まれ方など
・噛まれたときに噛まれた部分を逆に口へ押し込むと口が開いてしまい、噛めなくなる。
・暴れている子を、自分の身体で押さえつけるが、常に子どもとの身体の接触面に1センチ、2センチの隙間を維持する。子どもは体を動かそうとするが動けない。けれど、押さえつけられてもいない。この状態では意外に早く興奮が沈静化してくれる。
・パニックと称する泣き叫びの場合:興奮状態の波パターンを冷静に見極める。波の上昇期、頂上期はしばらく手を出さずに待ち、ピークをやり過ごして下降期にさしかかったら慰めの介入をする。大幅に妥協して可能な限り要求に応えてやる。ピークは生理的に長続きするものではなく、5秒から15秒までだ。この場合の重要ポイントは。上昇期を避けて必ず下降期に介入することである。谷部に介入するのが一番いいが、実際には谷部はとらえにくく、結果的には上昇期になってしまうので、頂上期を過ぎた時点をとらえる。常に、興奮の下降期に慰めの強化を受けるので頂点は意味がなく、パニック強度がどんどん弱くなる。

〈感想〉
・ここまでは、子どもが示す「不適応行動」のうち、「他傷行動、暴力行為」に対する対処法について述べられている。著者のいう「指導の優先順位」の第1番目に相当する。まず、取り組まなければならないのが「不適応行動」のコントロールだということである。
中でも、「他傷行動、暴力行為」は看過できない。著者は、その原因を①思い通りにならない、②嫌なことから回避するため、③他人の注意を引くため、④他人を試すため、⑤(多分)悲しみの反応(フラッシュバック)に分類し、その対処法を詳説しているが、その根本には、「反応強度分化強化法」という方法が共通している。すなわち、子どもの要求を受け入れることを前提としながら、その「受け入れ方」を工夫する。子どもに要求程度が強い場合は「間を置き」、弱い場合には「間髪を入れず」「即座に」受け入れる。その結果、子どもの要求反応は「弱く」なり、終局では「他傷行動、暴力行為」が消失する。また、嫌なことを拒否する場合には、本人の「好きな物」を与えて、「系統的脱感作法」を行う。いずれも、「きわめて有効」な方法である、と私は思う。ただし、そのためには「繰り返す」「子どもの反応を読み取る」ことが不可欠であり、こちら側の「集中力」「持続力」が問われることになるだろう。
 加えて、番外の「噛みつかれ方」「パニックへの接し方」などは、著者の経験を踏まえた「プロの技」として、大いに参考になった。試してみたい。(2014.5.14)




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「広汎性発達障害児への応用行動分析(フリーオペラント法)」通読・3

《第三章 フリーオペラント法実施への補足》
【徹底的な甘やかし】
・フリーオペラント法の実施でまずしなければならないのが、徹底的な甘やかしである。・「母子関係の理論」(J.ボウルビィ著、黒田実郞訳、岩崎学術出版社)
【わがままが酷い例】
・母親の笑顔が一番の強化機能を持つものになっていれば、物品は手に入るが、一方、母親の笑顔が消えてしまう行動が繰り返されるはずがない。何らかの特別な事情が働いて、時によって、子どもはわがまま放題になるだけなのである。
【わがままと困難克服は同一の行動パターンである】
・困難に立ち向かう行動を身に付けさせるためには大いにわがままにしなければならないが、しつけが厳しすぎると、困難の前で目標達成を早々に放棄するようになる、無気力になってしまう。大人の注文通りの行動なので、よくしつけられたように見えるが、その内容は、不適応の一種なのである。
【自立の催促は無用】
・さまざまなことを一人でするということがなぜそんなに大切なことなのだろうか?それも早ければ早いほどいいという考えが濃厚である。何でも自力でやってしまうよりも、助け助けられる関係を上手に駆使する方がはるかに重要になってきている。どうして自立をせき立てるのだろうか。
・特に障害児の場合は、言語の発達や対人関係の発達を優先させるべきで、身辺処理やマナーのしつけは遅くゆっくり余裕をもって進めるべきである。
・「この子はおむつを取り替えると、私の顔を見てにっこり笑うようになりました。おむつの交換の時に私は子どもの笑顔に出会えるので、おむつ交換が楽しいものになりました」(5歳・重度自閉症児の母)
・自分のことは自分で、というしつけが強すぎると、自分で対処できない事態に直面したときに、人に頼ることができなくなる。親に頼ることができなくなると、子どもは自殺以外に道がなくなる。(いじめによる自殺の背後にこんな事情があるように思われる)
・人間にとって大切なのは自立ではなく、助けてもらい助けてあげる、相互扶助のはずである。われわれは、個人主義の欧米社会ではなく、相互に甘え合う社会で生活していることを自覚すべきである。
【くすぐりの刺激】
・アタッチメント形成のために、かなり即効性のある手は「くすぐり」である。
・「皮膚特定部位への特定刺激+親密な人間関係=強烈な笑い」という関係式は成り立つようだ。
・外国では「幼児わいせつの嫌疑を受けかねない」という文化の違いがあるようだ。
・笑顔はセラピーでは取り上げられない行動だが、周囲の人たちの症児に対する大きな変化を引き起こす。
・くすぐりのコツは言語化できない、コツの伝授が難しい、上手に笑いを引き出せても、しばらくすると苦痛になり出す、などで利用は難しいが劇的変化を生む妙案の一つではある。
【皮膚刺激】
・障害児療育関係では感覚統合法が皮膚への刺激の重要性に注目している。
・皮膚のこすり方は、一定のやり方があるわけではない。
・効果が出るまでに時間がかかるが、効果は抜群である。(「タッチ」(ティファニー・フィールド著、佐久間徹訳、2008、二瓶社)匂いを嗅ぐ癖が修正されるし、偏食が改善するし、抱っこが大好きになり、不安低減効果も大きいし、こだわりが緩和する。
【静かな抱っこ20分】
・子どもの方から膝に乗ってきて膝の座り心地を楽しみ、そのまま居眠りが始まるとバンザーイ、目的達成である。
・順調な発達を支えているのは、親が提供するプラスの事後の出来事(強化子)である。それが機能不全であれば機能を取り戻せばいい。次に重要なのは、適切な行動に対するプラスの事後の出来事の随伴操作である。随伴操作を忘れていたのが遊戯療法だ。遊戯療法が言語発達を引き出せなかったのは、随伴操作という考えがなかったためと思われる。赤ちゃんの喃語に対して大人はほぼ誰でも同じ声を出して相手をする。発声に随伴的に応じている。しかし、年齢が上になり、身体が大きくなると、喃語発声に同じ声で応答しにくくなる。加えて、受容と共感が強調されているので、子どもの内面に目が向く。発声だけで意味不明の声は内面推測の情報価が低い。セラピストその他の大人たちは子どもの表情、手足の動き、前後の事情に目が向いてしまう。結果として、子どもの声は、周囲の人たちに意思伝達手段としての順位が低いものになり、無視されがちになる。これではことばが発達しない。
・静かな抱っこ20分を自閉症児以外にも試みると意外な結果が出る。ADHDの症状が大幅に改善する。
【逆模倣】
・健常児がなぜあんなにスムーズに言語を、社会性を、身辺自立を獲得するのか、そのカギは模倣なのだ。見よう見まねがカギなのだ。発達遅滞児と健常児の大きな違いは自発的な模倣行動の強弱である。
・自発的模倣行動の生起頻度を高める手段として、指導者側が、セラピスト側が、大人の方が、子どもの行為を可能な限り忠実に模倣して子どもを喜ばせる。
・参考:「社会的学習理論・復刻版」(A.バンデューラ著、原野広太郞訳、2012年、金子書房
・要するに、大好きな人のまねをする、楽しそうなことをまねする、自分もできそうなことをまねする、この原則でモデルを示せばいいのである。この条件の逆だとまねは出てこない。
・模倣行動の形成のために、マッチング課題を積み上げて、動作模倣を形成する手続きがある。「○○してごらん」の指示で模倣行動を誘導するのだが、一貫して子どもを受け身の状態にして指導するために、いつまでたっても模倣の自発性が育たない。われわれの逆模倣のやり方では、指導者側が子どもの自発行動、自発発声を模倣して子どもを楽しませる。それが積み重なると、子どもは指導者と、さらには親と、一緒に楽しくなる目的で、動作模倣を始めるようになる。それが積み重なると、同年齢仲間と一緒に楽しくなる目的で動作模倣を始める。
・子どもが勝手に示している行動をそばで大人が模倣して子どもを喜ばせる逆模倣は、子どもになんの強制もしないので、誰にでも簡単にでき、無理がなく、失敗事例を出さずにすむ。
【指導の優先順位】
・一切を後回しにして、言語発達を最優先にすべきである。
・指導対象の優先順位
①本人および周囲の人たちの生活を困難にしている行為にコントロール(自傷・他傷・破壊)→②対人回避傾向を解消、親密な人間関係の形成、甘やかし、依存の形成→③良好な言語発達と社会性の獲得、集団参加や人間関係→④知識の獲得と生活スキルの獲得、とくに金銭の欲求と管理。
【喃語の発生頻度がその後の言語発達を大きく左右する】
・フリーオペラント法での発声、発話の指導では、発声模倣がどんどん活発になると、語彙の増加と言葉遣い(文法)の成長に活発な進歩が見られるようになる。声が、ことばが、相手に伝わることが強烈な強化子として働き始め、言語発達が進む。発語頻度が高ければ、すなわち、おしゃべりだと言語発達は順調に進む。
【単語が出だしたら】
・発語の誘導、催促、強制の厳禁という処置を徹底すると、以後、われわれのところではことばの消失例を1件も出していない。発語が出たら「鳴くまで待とうホトトギス」に徹するのが肝要だ。
・障害児に関しては、修正、訂正なしで指導すべきである。話したい、伝えたいというモチベーションが高ければ、ゆっくりと自動的に修正が進む。間違いを正さなければ間違ったままになると考えるのは、結果をせっかちに見るからだ。赤ちゃんことばは、教育的意図による修正訂正なしで、年齢の進行とともにゆっくり消失していく。
【ことばは意味を知っていても、発音がちゃんとできても、話せない】
・「私は英語をペーパーと鉛筆で学んだ。だから《読む》ことはできるが、《話す》ことはできない」、これが大半の日本人の実情だろう。原因は、話す、聞くの経験が極端に貧弱だからである。なのにどうして、言語発達遅滞児に絵カードで単語を教え込むのだろうか?単語帳でたくさんの英単語を覚えても英語を話せない自分自身と同じにしたいのだろうか?
・ことばの背後の意図を察知しなければ、コミュニケーションは成立しない。人の意図の理解、心の理論と言われているものである。問題の核心を突いているが、ではどうすれば人の意図を理解できるようになるのか、肝心要が明らかになっていない。しかし、背後のメカニズムは不明だが、相互に行動(ことばも含めて)模倣する関係ができあがると意図理解ができてくる。相互模倣関係が成立すると言語コミュニケーションがスムーズに成立するようになる。
【構音障害】
・言語発達遅滞児の大半は、おおむね聞こえた音に近い声で発声模倣が可能なのだが、それができない子どもたちがいる。ことばが通じず自閉症の症状を示すので、診断基準に当てはまり、自閉性障害という診断名がつけられている。
・そんな子どもたちに対して「音声言語以外の手段(ティーチ式の絵カードやマカトン法)に頼るべきだ」と主張している学者がいるが、酷い認識違いをしているように思う。視覚障害に対する点字、聴覚障害に対する手話と同じように考えるのは、明らかに間違いである。困難の所在に注目すべきである。構音に障害がある子どもを長期にわたり観察すれば、発音がゆっくりと改善することがわかるはずだ。学習のメカニズムがちゃんと働いている。
・ではどう対処すればいいのか?第一段階の対人関係の改善に続喃語のレベルで大きな声をたくさん出せば音声コントロールが少しずつ改善する。続いて、自発的発声に強化随伴操作を徹底して行う。声の大きさを強弱で区別し、普通の大きさだと通常の強化、大きめの声には大きめの声で音声模倣の応答をする。強化作用のあるものは、何であれ、随伴させる。ふざけっこ、抱っこ、食べ物の提供などで、反応強度分化強化法、すなわち反応強度に応じて強化に差をつけて大きな声をたくさん出させると、構音がゆっくり改善してくる。要点はあくまで自発発声に対しての対処であって、決して、発声の催促、誘導、強制をしない。
・次に、ワンサウンドセンテンス法を適用する。健常児の言語発達の過程では、喃語から一語文へと進む。構音障害があるので、その中間段階に一音文を挿入するのである。一音、ママなら「マ」、ネコなら「ネ」の一音だけで意味が通るのである。しかし、構音に障害があるので、自発的に子どもが出す音だけで進める。大人側が音を決めるのではなく、動作、音声の模倣ができてくると、子どもが自分で出せる声のみでことばとするようになる。子どもの声を注意深く聞き、直感をフルに働かせ、意味を了解し、大人もその一音語を積極的に使う。意味がわからないときに質問してはいけない。わかってあげられなくてごめんね、という対応をする。一音語の数が増大してくると、二音語がごく自然に混じり出てくる。二音語が増え出すと、後はどんどん複数音節のことばが出だす。
・だが、とにかく変化がスローで、センテンスが出てくるまで時間がかかる。2年、3年の長期戦である。両親も指導者側も超スローの発音のわずかな手がかりに忍耐強く粘り勝ちを目指すしかない。しかし、結果としての言語発達の状態はきわめて良好で、生活の中で語彙がどんどん増加し、言語表現がますます巧みになっていく。

〈感想〉
・この章でも、著者の(臨床経験を踏まえた)「卓見」が数多く述べられている。まず、①徹底的に甘やかすこと、②わがままを受け入れること、③自立を催促・強要しないこと、という基本方針に加えて、④くすぐり刺激(笑顔のやりとり)、⑤皮膚刺激(スキンシップ)、⑥静かな抱っこ20分(対人回避傾向の解消)、⑦逆模倣(自発的模倣から自発的な学習へ)といった「具体的方法」がわかりやすく紹介されている。とりわけ「大好きな人のまねをする。楽しそうなことをまねする。自分もできそうなことをまねする。この原則でモデルを示せばいいのである」という学習のイロハを理解することが大切である。はたして、私たちは、子どもにとって「大好きな人」に成り得るだろうか、そのことが今、問われているのだと思う。著者いわく「模倣行動の形成のために、マッチング課題を積み上げて、動作模倣を形成する手続きがある。「○○してごらん」の指示で模倣行動を誘導するのだが、一貫して子どもを受け身の状態にして指導するために、いつまでたっても模倣の自発性が育たない」。まさに、おっしゃるとおり!、そのことが従来の「応用行動分析」(オペラント法)の最大の問題点(限界)ではないだろうか。
 著者はまた、「指導対象の優先順位」を以下のように示している。〈①本人および周囲の人たちの生活を困難にしている行為にコントロール(自傷・他傷・破壊)→②対人回避傾向を解消、親密な人間関係の形成、甘やかし、依存の形成→③良好な言語発達と社会性の獲得、集団参加や人間関係→④知識の獲得と生活スキルの獲得、とくに金銭の欲求と管理〉。まず、子どもの「不適応行動への対応」を図ること、次に、対人回避傾向を解消し、親密な人間関係の形成を図ること、そのうえで、良好な言語発達と社会性の獲得をめざし、最後に「知識の獲得と生活スキルの獲得」を図ること、といった優先順位は、目の前の子どもに対する「治療方針」を検討する上で、きわめて有効な指針になるだろう。ともすれば、子どもの実態にかかわりなく、いきなり言語発達・社会性の獲得、知識・生活スキルの獲得をめざしがちになるのが現状ではないだろうか。①や②の取り組みを無視して、③や④の指導に終始していることはないか、反省しなければならない、と私は思った。
 また、著者は前章で「ことばの複雑さを考えたらとても教えられるものではない。子どもが持っているはずの言語獲得能力を何なりと駆動させればいいのだと考えるようになった。言い換えれば、教えることを放棄したのである」と述べているが、その「言語獲得能力を何なりと駆動させ」る方法について、具体的に(詳細に)紹介している。要するに、①声によるやりとりを活発にすること(おしゃべりだと言語発達は順調に進む)、②発語の誘導、催促、強制の厳禁という処置を徹底する、③障害児に関しては、修正、訂正なしで指導すべきである。話したい、伝えたいというモチベーションが高ければ、ゆっくりと自動的に修正が進む。間違いを正さなければ間違ったままになると考えるのは、結果をせっかちに見るからだ。赤ちゃんことばは、教育的意図による修正訂正なしで、年齢の進行とともにゆっくり消失していく。④ことばの背後の意図を察知しなければ、コミュニケーションは成立しない。人の意図の理解、心の理論と言われているものである。問題の核心を突いているが、ではどうすれば人の意図を理解できるようになるのか、肝心要が明らかになっていない。しかし、背後のメカニズムは不明だが、相互に行動(ことばも含めて)模倣する関係ができあがると意図理解ができてくる。相互模倣関係が成立すると言語コミュニケーションがスムーズに成立するようになる。⑤喃語のレベルで大きな声をたくさん出せば音声コントロールが少しずつ改善する。声の大きさを強弱で区別し、普通の大きさだと通常の強化、大きめの声には大きめの声で音声模倣の応答をする。ふざけっこ、抱っこ、食べ物の提供などで、大きな声をたくさん出させると、構音がゆっくり改善してくる。要点はあくまで自発発声に対しての対処であって、決して、発声の催促、誘導、強制をしない。⑥次に、ワンサウンドセンテンス法を適用する。健常児の言語発達の過程では、喃語から一語文へと進む。その中間段階に一音文を挿入するのである。一音、ママなら「マ」、ネコなら「ネ」の一音だけで意味が通るのである。子どもの声を注意深く聞き、直感をフルに働かせ、意味を了解し、大人もその一音語を積極的に使う。意味がわからないときに質問してはいけない。わかってあげられなくてごめんね、という対応をする。一音語の数が増大してくると、二音語がごく自然に混じり出てくる。二音語が増え出すと、後はどんどん複数音節のことばが出だす。だが、とにかく変化がスローで、センテンスが出てくるまで時間がかかる。2年、3年の長期戦である。両親も指導者側も超スローの発音のわずかな手がかりに忍耐強く粘り勝ちを目指すしかない。しかし、結果としての言語発達の状態はきわめて良好で、生活の中で語彙がどんどん増加し、言語表現がますます巧みになっていく。・・・ということだが、その内容もまた「言語治療」のイロハとして、肝銘すべきことである、と私は思った。(2014.5.3)




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「広汎性発達障害児への応用行動分析(フリーオペラント法)」通読・2

《第一章 広汎性発達障害について》
・(広汎性発達障害=自閉症スペクトラムの原因は脳障害であるという)脳障害説に付和雷同せずに、「現在まだ原因が解明されていない。必ずしも親の育て方が原因というわけではない」と、実態を正確に伝えるべきであろう。原因不明なのである。
・人は学習によって人になる。脳障害があろうとなかろうと、原因不明であろうと、症児たちには優れた学習能力がある。障害児たちの学習能力を上手に引き出す知恵と技術をわれわれが持っていないことが問題の本質なのである。
・広汎性発達障害児の問題は、こうした(教育の荒廃という)時代状況の中で、翻弄され、混迷を深め、難渋している。

〈感想〉
・ここでは、「広汎性発達障害児」の問題(解決への道)が、「翻弄され。混迷を深め、難渋している」現状が、著者の経験を踏まえて明解に述べられており、まさに「おっしゃる通り」、その内容に私も「全面的に同意する」。とりわけ「障害児たちの学習能力を上手に引き出す知恵と技術をわれわれが持っていないことが問題の本質なのである」という一文は文字通り「正鵠を射ている」と私は思った。

《第二章 応用行動分析の登場》
・ウォルピの恐怖症患者に対する系統的脱感作法と、ロバースの自閉症児に対する行動療法が、新しい治療法の駆動軸の役割を果たした。(しかし、心の奥深くの問題を無視しているとして、旧来の伝統的な心理学者や精神科医たちから非難、攻撃、中傷を受けることになった)
・応用行動分析(ABA)の中身は、オペラント条件付けと呼ばれている。行動を「行動に先行する事前の出来事」「行動」「行動に後続する事後の出来事」と三つの項目に分けて項目間の関係を追求すると、行動の法則性が明らかになる。これを、三項随伴性と呼んでいる。
・(その法則性とは)事後の出来事が行動の当事者にとってプラスだと、事前の出来事との行動の関連性および行動そのものに強化作用を及ぼす。事後の出来事が行動の当事者にとってマイナスだと、事前の出来事と行動の関連性および行動そのものに抑制作用をおよぼす。
・例:「宿題が出される→宿題をする→褒められる(子どもにとってプラス)」という連鎖が繰り返されると、宿題があればきちんとするようになる。(強化作用)「宿題が出される→宿題をする→間違いを叱責される(子どもにとってマイナス)」という連鎖が続くと、宿題が苦痛になる。(抑制作用)。プラスとマイナスは単純に「賞罰」と置き換えることはタブーである。強化作用を確認してその事後の出来事がプラスだと判断し、抑制作用を確認してからその事後の出来事がマイナスだと判断しなければならない。
・行動はプラスの事後の出来事によって強められ、事後の出来事がプラスかどうかは行動が強化されることを確かめて決定される。
・例:「叱っても叱っても効果がない場合」、賞罰で考えると、大人にとってはは「賞→なにもなし→罰」の順に嫌なことだが、子どもは、この順番が「賞→罰→なにもなし」なのである。子どもは、「賞」が極端に少ないかゼロだと、「罰」か「なにもなし」の二者択一事態になり「罰」にしがみついているのだ。結果的には「罰」がプラスの出来事になっているのである。
・「賞」をきちんと提供してあげてほしい。具体的には、愛情の伝達だ。
・強化子の強弱関係:食べ物などの具体的強化子<承認を受けるなどの社会的強化子<自己実現などのメンタルな強化子
・ソーシャルスキルトレーニング(SST)は「よけいなお世話だ」。
・発達遅滞児の行動コントロールの手段として体罰が必要なときがある。(危険回避の手段として、1回だけ)
・ロバースの行動療法(の改善):①食べ物による強化子は不自然。②強化随伴操作を家庭・学校に持ち込むこと。③食べ物を使ってことばの学習が可能という事実を示しながら、脳障害が原因で母親の応答がプラスの事後の出来事になり得ないと決めつけるのは、大きな自己矛盾を犯している。④意味の獲得に絵カードを使用している。(リンゴの絵カードとリンゴは「同じ」ではない)。⑤スキナーは、ことばのやりとりに働く強化作用として般性強化子(いつでも誰にでも強力に働く強化子・周囲の人からの承認、微笑、尊敬、感謝など)を強調しているが、それを有効利用していない。
・行動療法家であっても、遊戯療法の欠陥ばかりを指摘せずに、プラス面に注目すべきである。彼ら(平井信義、田口恒夫ら)は、症児の親に対する回避傾向を改善し、親の応答がプラスの事後の出来事になり得ることを明らかにしている。行動療法家は、当然それは学んで取り入れるべきであろう。
・私自身のスタート:ことばの複雑さを考えたらとても教えられるものではない。子どもが持っているはずの言語獲得能力を何なりと駆動させればいいのだと考えるようになった。言い換えれば、教えることを放棄したのである。
・フリーオペラント法:子どもの行動を一切拘束せずに、日常場面で自発される行動に強化随伴操作するだけで行動変容をはかる手続き。
・動物行動学の大御所、N.ティンバーゲンの晩年の書、「自閉症・文明社会への動物行動学的アプローチ」(田口恒夫訳、1976、新書館)という訳書が出版された。野生動物に対する接近法を自閉症児に適用したものだが、具体的操作は私自身のやり方とうり二つであった。
・現在われわれがやっている方法
①アタッチメント(愛着関係)の形成を妨げるようなことは可能な限り排除する。・親たちに、当分、しつけをすべて延期するように言った。
②過保護にして赤ちゃん扱いで充分に甘やかす。わがままは可能な限り受け入れてください、と親を説得した。
③自分が受容されている、共感されているんだということを具体的に症児に伝える必要がある。これには逆模倣が効果的である。
【要約】
(A)子どもを徹底的に甘やかして、母親の行為そのものが、母親の応答が、子どもにとって有効な強化子となるようにする。
(B)子どもの行為や発声を忠実に模倣して、子どもの自発的発声模倣、自発的行為模倣を頻出させる。そして、適切な自発的発声模倣、自発的行為模倣に強化子を随伴させる。

〈感想〉
・ここでは、日本における「応用行動分析」の歴史と《基本原理》について、著者の治療体験をまじえながら、具体的にわかりやすく述べられている。注目すべきは、「行動療法家であっても、遊戯療法の欠陥ばかりを指摘せずに、プラス面に注目すべきである。彼ら(平井信義、田口恒夫ら)は、症児の親に対する回避傾向を改善し、親の応答がプラスの事後の出来事になり得ることを明らかにしている。行動療法家は、当然それは学んで取り入れるべきであろう」といった著者の「懐の深さ」である。事実、著者自身、その学びの中から、①「ことばの複雑さを考えたらとても教えられるものではない。子どもが持っているはずの言語獲得能力を何なりと駆動させればいいのだと考えるようになった。言い換えれば、教えることを放棄したのである」。また②「子どもの行動を一切拘束せずに、日常場面で自発される行動に強化随伴操作するだけで行動変容をはかる手続き」として《フリーオペラント法》を生み出した。そして③(A)子どもを徹底的に甘やかして、母親の行為そのものが、母親の応答が、子どもにとって有効な強化子となるようにする。(B)子どもの行為や発声を忠実に模倣して、子どもの自発的発声模倣、自発的行為模倣を頻出させる。そして、適切な自発的発声模倣、自発的行為模倣に強化子を随伴させる」という方法を確立したのである。この「フリーオペラント法」という方法は、従来の「遊戯療法」の欠陥を補いながら、「応用行動分析」の限界(学習の強制・模倣の強要)を「超えている」という点で、画期的なものである、と私は確信する。とりわけ、「子どもを徹底的に甘やかして、母親の行為そのものが、母親の応答が、子どもにとって有効な強化子となるようにする」ことは、「言語発達の臨床」の著者・田口恒夫氏の「方法論」と瓜二つではないか。また、「子どもの行為や発声を忠実に模倣して、子どもの自発的発声模倣、自発的行為模倣を頻出させる」方法もまた、「自閉症治癒への道」(ティンバーゲン夫妻著)で述べられていることと変わりがなかった。行動療法家でありながら、持論にとらわれることなく、様々な考えを受け入れようとする著者の誠実な姿勢が、上のような「卓見」を生み出したことは間違いない。「稀有な」臨床家として敬意を表したい。(2014.5.12)
広汎性発達障害児への応用行動分析(フリーオペラント法)広汎性発達障害児への応用行動分析(フリーオペラント法)
(2013/07)
佐久間 徹

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「広汎性発達障害児への応用行動分析(フリーオペラント法)」通読・1

「広汎性発達障害児への応用行動分析(フリーオペラント法)」(佐久間徹・二瓶社・2013年)という本を通読する。著者のいう「フリーオペラント法」とはどういうものか。「フリー」とは「自由」という意味だが、私流に解釈すれば「拘束されない」ということであり、要するに「従来のオペラント法(応用行動分析=ABA)に拘束されない」、いわば「脱・オペラント法」もしくは「反・オペラント法」に他ならない。著者は、「行動療法」出身であり、みずからを「行動療法家」と称しているようだが、提唱している内容は、従来の「行動療法」(応用行動分析=ABA)とは「正反対」であることが、たいそう興味深かった。ちなみに、私自身は著者の提唱に「全面的に同意する」。そしてまた、私は自分を「行動療法家」だと思ったことは一度もない。以下、通読した内容を、私なりに要約しながら、感想を述べてみたい。

《まえがき》
・スキナーは、「なぜ?」「どうして?」という追求とは別に、当面の問題への対処として、事前の出来事、行動、事後の出来事の間の関連性を明らかにし、行動コントロール、行動予測が可能な法則性を提案した。
・(応用行動分析とは)「なんやしらんがこうすれば問題が解決するようだ。あるいは、問題がましになってくれる」という知恵なのである。

〈感想〉
・臨床(治療教育)で最も大切なことは、「事前の出来事」(原因)、「行動」(問題行動)、「事後の出来事」(結果・実態)を明らかにし、その法則性を究明することだと思う。そのためには、「なぜ?」「どうして?」という追求(考察)が前提となるが、応用行動分析では、そのことを「棚上げ」にしている。そのために「治療仮説」(診断)を立てずに、治療(セッション・試行)を開始する。大昔(1980年代)、行動療法家・小林重雄氏は、「日本言語障害児研究会」研究大会のシンポジウムで「私は俗物だから、人間の行動は見えるが、心の中はわからない。なぜ、どうして・・・、などという《原因究明》(仮説)はしないことにしている」といったような発言をしたことを、今でも鮮明に思い出す。
以来30余年が経過した今日、その考えが「自閉症治療」の主流となっているようだが、それは同時に「自閉症(の原因は)はわからない」が「なんやしらんがこうすれば問題が解決するようだ。あるいは、問題がましになってくれる」という知恵だけが「頼り」という証しであり、親にとっては甚だ「心もとない」、先行き不安な現状ではないだろうか、と私は思った。(2014.5.11)
広汎性発達障害児への応用行動分析(フリーオペラント法)広汎性発達障害児への応用行動分析(フリーオペラント法)
(2013/07)
佐久間 徹

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「発達障害」とは何ぞや?

 「発達障害」とは何ぞや?文科省のホームページでは以下のように説明されている。〈発達障害とは、発達障害者支援法には「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるもの」と定義されています〉。また、ウィキペディア百科辞典では、以下のように述べられている〈発達障害(はったつしょうがい、Developmental Disorder)とは、先天的な様々な要因によって主に乳児期から幼児期にかけてその特性が現れ始める発達遅延であり、自閉症スペクトラム (ASD) や学習障害 (LD)、注意欠陥・多動性障害 (ADHD) などの総称〉〈発達障害は先天的もしくは、幼児期に疾患や外傷の後遺症により、発達に影響を及ぼしているものを指す。対して機能不全家族で育った児童が発達障害児と同様の行動パターンを見せる事がよくあるが、保護者から不良な養育を受けたことが理由の心理的な環境要因や教育が原因となったものは含めない〉。要するに、「自閉症スペクトラム」「注意欠陥・多動性障害」「学習障害」を総称して「発達障害」というらしいのだが、私には、以下のことがよくわからない。当該の三つの障害をなぜ「一括り」にするのか。文科省は平成24年に、「通常の学級に在籍する発達障害の可能性のある特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査」を行ったが、「発達障害の可能性のある児童生徒」を特定する方法として、「知的発達に遅れはないものの学習面・行動面で著しく困難を示す」ことを条件にしている。要するに、通常学級で「手のかかる子」「学習について来れない子」は、すべて「発達障害の可能性がある」ということである。その結果、推定6.5%の児童生徒が該当したという。(前出・調査報告書)いうまでもなく、彼らは、「発達障害の可能性がある」に過ぎないのであって、「発達障害」であるかどうかは不明である。ウィキペディア百科事典にある「機能不全家族で育った児童が発達障害児と同様の行動パターンを見せる事がよくあるが、保護者から不良な養育を受けたことが理由の心理的な環境要因や教育が原因となったもの」も、当然「含まれている」に相違ない。私の独断と偏見によれば、「先天的もしくは、幼児期に疾患や外傷の後遺症」による「発達障害」など、1%にも満たないのではないか。大切なことは、「発達障害の」可能性がある」推定6.5%の児童生徒が、機能不全家族で育っていないか、保護者から不良な養育を受けていないか、を明らかにすることである。(2013.7.24)



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「今、赤ちゃんが危ない」(田口恒夫・近代文芸社・2002年)という《警告》

 今、私の手元に一冊の本がある。タイトルは「今、赤ちゃんが危ない 母子密着育児の崩壊」(田口恒夫・近代文芸社・2002年)。新書版180ページの小冊子で、定価は953円だが、現在、この本は絶版、書店では入手できない。インターネットの通販(アマゾン)では、中古品12000円という値がついている。12000円以上の価値があることは勿論だが、年金生活者の私には手が出ない。そこでやむなく図書館からの借り出しとなった。著者の田口恒夫氏は、知る人ぞ知る「臨床の大家」、「まえがき」で以下のように述べている。〈私は浜の漁師同様、学者でも研究者でもないし、博識な評論家でもない。ただの臨床家で、そのうえ心理学とか教育学などという学問をまともに学んだことさえない。にもかかわらず、最近体調不良でこの夏が無事越せるかどうか心配になってきたので、この際「何か思い残すことはないか」と問われたつもりで、遺言のつもりで、気象庁にタテつく浜の漁師のような心境で、言いたい放題を書いてみたのがこの本である。「わかるかなぁ、わかんねえだろうなぁ」と思いつつ・・・。〉。田口氏が自分を「浜の漁師」に例えたのは、毎日浜辺に立って海を眺めているうち、いつの間にか天気の移り変わりが読めるようになる。気象庁の天気予報よりも、自分の判断を確信するようになる。それと同じように、田口氏は「長年、たくさんの人間の子どもの成長発達の経過をじっと見てきた」ので、これから述べようとしている「遺言」は「間違いねえ」と確信している、ということであろう。
 さて、その「遺言」の中身や如何に・・・。目次を辿ると「育児の崩壊が国を滅ぼす」「この五十年で何が変わったか」「お産のしかたが変わった」「豊かな便利な社会になった」「密着育児を疎かにすると社会が崩壊するというわけ」「生後最初の1年が勝負」「最初の1,2年でもうこれだけの違いがでてくる」「母子密着育児で何が育つか 密着育児の効用」「泣かない子でも密着していればかなり救われる」「ヒトの育児は生物学的に『密着型』」「サルの『隔離飼育実験』のおどろき」「隔離飼育ザルのリハビリ実験」「人とうまく付き合う能力はどのようにして育ってくるものか」等々・・・という内容で、要するに①動物行動学的にみて、ヒトやサルの育児行動はキャリー(運び歩き)型である。(ウマやウシはフォロー型、ウサギはネスティング型、アザラシはキャシング型)②したがって、生後最初の1年から2年までは、母子密着育児により「愛着関係」を育てることに重点を置く必要がある。③そのためには、泣くこと、抱く(授乳する)こと、あやすこと、笑うこと、おんぶすること、遊ぶことなどを通して、子どもの「安心感を育てること」が肝要である。④「子どもは可愛がれば可愛がるほどいい子になる」ということである。
この本が刊行されてから10年以上が経過したが、はたして田口氏の遺言は、どれだけ「人口に膾炙」しているだろうか。「浜の漁師」は第一章で〈ヘンな子どもが増えている。今も、連続的に増え続けている。五十年前にはめったに出会うことのなかった子どもである。ほとんど男の子。よく見てみると、赤ちゃん時代からもう、明らかにオカシイ。うまいこと順調に育っている赤ちゃんの行動と比べてみれば誰にでもよくわかる。(中略)この子たちは、「指さして人に知らせる」ということをしない。人に知らせる気がない。抱きぐせはつかず人見知りもしない。幼児期になると、だんだん問題がはっきり出てくる。親になつかず、呼んでも振り向かず、物とはよく遊べるが人とは遊べない。友だちを避け、集団から離れてひきこもり、いつのまにかひとりで裏の墓場に詞割っていたりする。(中略)そういう子、その気(ケ)のある子がどんどん増えて、教室の子の1割近くを占めている。今や、その子たちが成長して青年期を迎え、大人になり、子を持つ親になり、四十歳を超えてきているのである。それは犯行動機の不可解な凶悪犯罪、安直な殺人や自殺、幼女拉致誘拐監禁などの多発と、根っこのところで、ずっと繋がっている。(中略)もし、これがこのまま進めば、人は環境破壊や放射能より、これで亡びるおそれがある。〉と警告しているが、その「予報」は「間違いねえ」、と私は思う。最近の情報では、佐賀県の1歳半児健診で15%、鳥取県の5歳児健診で9%、栃木県の5歳児健診で8%、文科省の学齢児調査で6%の子どもたちが、「へんな子」に該当する(おそれがある)らしい。いずれにせよ、田口氏の「遺言」が、いわゆる「親学」(提唱者は明星大学・高橋史朗教授)一派の主張「発達障碍やアスペルガー、自閉症は親の愛情不足が原因で、伝統的育児では発生しない」という極論と「混同」されることは必定(田口氏は「親の愛情不足が原因」とは断定していない)、これからも「日の目を見ることはないだろう」。そのことが、残念でたまらない。そしてまた、「育児の崩壊が国を滅ぼす」ことも「時間の問題」であると言わざるを得ないのが、現状である。(2013.7.27)



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「愛着障害」(岡田尊司・光文社新書・2011年)要約・《16》

《おわりに 愛着を軽視してきた合理主義社会の破綻》
・この数十年、社会環境が、愛着を守るよりも、それを軽視し、損なう方向に変化してきた。
・効率的な社会において、人間の根幹である愛着というベースが切り崩されることによって、社会の絆が崩壊するだけでなく、個々の人間も生きていくのに困難を抱えやすくなっている。合理主義に基づく社会の再構築は、みごとに失敗し、もっとも致命的な破綻を来しているのである。その失敗を引きずりながら、もがいているのが、われわれの現状と言えるだろう。その状況を変えていくためには、愛着という原点から、もう一度社会を作りな直していく必要があるだろう。

【感想】
・愛着を軽視してきた合理主義社会の破綻について、私は全面的に同意する。以上で本書を読了するが、その内容は、今から40年前に著された「言語発達の臨床」(田口恒夫編・光生館・昭和51年)と「ほぼ同じ」えあることを確認した。当時の理論は、「おおむね誤りである」と否定されたようだが、今、「愛着障害」という形で復活したとすれば、画期的なことである。田口恒夫博士は、その後「今、赤ちゃんが危ない」という遺作を残して他界したが、そこに真理が隠されていた、と私は確信する。 ・街へ出れば、必ずと言っていいほど、乳幼児を連れた若い両親に出会う。子どもをベビーカーに乗せ、両親はスマホに熱中している。はたしてその親子に「愛着関係」は成立しているのだろうか。
・この要約を終了するにあたり、今ではあまり歌われたくなってしまった童謡二編を紹介したい。①「やさしいおかあさま」〈わたしが おねむになったとき やさしくねんねんこもりうた 歌って ねかせてくださった ほんとにやさしい おかあさま  夏は ねびえをせぬように 冬はおかぜを ひかぬよう おふとん なおしてくださった ほんとにやさしい おかあさま  わたしが 大きくなったなら ご恩をお返し いたします それまでたっしゃで まっててね ほんとにやさしい おかあさま〉(詞・稲穂雅巳、曲・海沼実、1940年)、②「かあさんの歌」〈かあさんは 夜なべをして 手ぶくろ 編(あ)んでくれた こがらし吹いちゃ つめたかろうて せっせと編んだだよ 故郷(ふるさと)のたよりはとどく いろりのにおいがした かあさんは 麻糸(あさいと)つむぐ 一日 つむぐ おとうは土間(どま)で 藁(わら)打ち仕事 おまえもがんばれよ 故郷の冬はさみしい せめて ラジオ聞かせたい かあさんの あかぎれ痛い 生味噌(なまみそ)をすりこむ 根雪(ねゆき)もとけりゃ もうすぐ春だで 畑が待ってるよ 小川のせせらぎが聞える なつかしさがしみとおる(詞、曲・窪田聡・1956年)
(2015.9.30)



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「愛着障害」(岡田尊司・光文社新書・2011年)要約・《15》

2 いかに克服していくか
⑴安全基地となる存在
・愛着の原点は、親との関係で育まれる。愛着障害は、そのプロセスで躓いている。それを修復するには、親との関係を改善していくことが、もっとも望ましい。
・しかし、親の方も不安定な愛着の問題を抱えていることも多く、子どもに対する否定的な態度を改めようとしない親もいる。
・何が起きているのかを説明し、ボタンの掛け違いを気づかせる第三者が必要になる。
・その第三者が、親が果たしてくれなかった役割(安全基地という機能)を、一時的に、場合によると数年単位という長いスパンで、肩代わりをすることが必要である。そうすることで、子どもは愛着を築き直す体験をし、不安定愛着を安定型愛着に変えていくのである。
・安全基地とは、いざというとき頼ることができ、守ってもらえる場所であり、そこを安心の拠り所、心の支えとすることのできる存在である。外の世界を探索するベースキャンプでもある。トラブルや危険が生じたときには、逃げ帰ってきて、助けを求めることができるが、いつもそこに縛られる必要はない。良い安全基地であるためには、本人自身の主体性が尊重され、彼らの必要や求めに応えるというスタンスが基本なのである。気持ちが不安定で心細さを感じるうちは、安全基地を頻繁に頼り、その助けを必要とするが、気持ちが安定し、安心と自信を回復するにつれて、その回数も減り、次第に自力で行動することが増えていく。さらにもっと時間が絶てば、心のなかで安全基地のことを思い描くだけで十分になり、実際にそこに頼ることもなくなっていくかもしれない。それこそが、究極の安全基地なのだ。
・「安全基地がもてない障害」ともいえる愛着障害を克服するためには、良い安全基地となってくれる存在が、是非とも必要なのである。
【安全基地を求めてさまよい続けたルソー】
・愛着不安が強すぎるゆえに、親しい人が自分のもとを離れていくというのは、愛着障害の人がたどりやすい悪いパターンである。
・ルソーは、ヴァラン夫人をはじめ、庇護者となってくれる存在に巡り合い、彼らの助力を得ることができたが、そうした関係は、ことごとく破れていった。その原因は、愛情に対するルソーの期待値が高すぎたためである。たった一人の例外は、妻のテレーズである。テレーズは無学であったが、ルソーに対して常に忠実で、いつもそばにいてくれた。テレーズはルソーにとって、最後の安全基地であったのである。
【良い安全基地とは?】
・良い安全基地の条件は五つある。
①安全感を保証する。②感受性、共感性。③応答性。相手が求めていないことや、求めていないときに余計なことをするのは、応答性から外れている。相手がするべきことまで肩代わりすることは極力避けなければならない。安全基地は「怠け者の楽園」ではない。④安定性。その場の気分で対応が変わるのでは亡く、一貫した対応をとることである。⑸何でも話せることである。①から④までの条件がクリアされてはじめて達成できる。
・「何でも話せる」という状態が維持されているかどうかが、良い安全基地の目安だとも言える。
⑵愛着の傷を修復する
【未解決の傷を癒やす】
・愛着の傷にはさまざまなものがある。(親に捨てられた、死別した、生別した、ネグレクト、虐待、両親のけんか・離婚、親から否定された、期待を押しつけられた等々)
・愛着の傷を修復する過程は、認知的な修正を施せばいいという単純なものではない。
・認知的な修正よりも、幼いころに不足していたものを取り戻すプロセスが大事である。【幼いころの不足を取り戻す】
・愛着障害の修復過程は、ある意味、赤ん坊のころからやり直すことである。
・傷が回復するためには、幼いころの心理状態が再現され、そのとき得られなかった愛情を今与えてもらうという状態が出現することが前提である。
・幼い子どもに戻ったように、駄々をこねたり、わがままを言ったり、親を困らせる時期にしっかりと付き合うことで、次第に安定を回復することにつながるのである。
・すうかり後退したように思えるときが、回復の第一歩である。この時期に徹底的につきあうことが重要である。
・親が付き合うのが難しい場合は、親に代わる人が必要である。恋人、パートナーがもっともふさわしいが、治療者、教師、宗教者、先輩や仲間といったさまざまな援助者がその役目をになってくれることもある。
【踊子体験と愛着の修復】
・「伊豆の踊子」は、傷ついた愛着を癒やす物語だと言える。主人公は出会った踊り子から「いい人ね」と言われたことによって、「自分を素直にいい人だと感じることができた」。・人を信じることができるためには、自らの価値を肯定してもらえるという体験が重要なのである。
・ジャン・ジュネは窃盗癖によりジャン・コクトーから見捨てられた後も、ラディカルな政治活動や同性愛者の仲間によって支えられた。ジュネは仲間からも盗んだが、仲間は一緒のコミュニケーションのようなものとして受け止めた。盗癖さえ、彼を拒否する理由にならなくなったとき、ジュネは泥棒をやめた。盗むという以外の関わりをもつことがげきるようになったとき、その必要性は薄らいでいったのである。
・アニメの主人公・タイガーマスクは、「ちびっこハウス」出身で悪役レスラーとなったが、「ちびっ子ハウス」の子どもたちの前では、弱いが気の優しいお兄さんとして振る舞う。そのなかで、子どもたちが寄せてくれる純粋な愛着が、守るべき絶対の価値となっていった。誰を愛することも、信じることもなかった青年が、子どもたちとの関わりのなかで癒やされ、再び人を信じることができるようになった。それは、まさに愛着の修復が行われたということに他ならない。
【ままごと遊びと子どもの心の回復】
・愛着障害を修復する一つの手立てとして、「子ども心」を取り戻すことが、鍵をにぎるように思える。
・幼い少女に執着を抱く、ロリータ。コンプレックスの男性は、ほぼ例外なく愛着障害を抱え、満たされることなく失われた子ども時代を取り戻そうとしている。それは、傷ついた愛を修復する試みなのである。しかし、そうした試みは、しばしば幻影に終わる。
【遊びがもつ意味】
・愛着障害をを抱えた人は回復していく過程で、子ども心を取り戻すという段階を経験する。
・人は子どものころに足りなかったものを補うことで、成長の偏りを自ら修正しようとする。一見奇矯であり、滑稽にさえ映るかもしれないが、そこにあるのは、そこはかとない悲しみや寂しさであり、満たされぬ思いなのである。それをできるだけ早い時期に満たしてやれば、ある程度取り戻すことも可能なのである。それが間に合うぎりぎりのデッドラインが青年期ということになるだろう。
・愛着回避の強いタイプと、愛着不安の強いタイプでは、安心の得方や癒し方に大きな差がある。愛着回避の強いタイプでは、中性的な子どもの世界が、安心と癒しを与えてくれる安全な避難場所となるが、愛着不安の強いタイプでは、その世界は、あいまいで、宙づりにされたような、不安な境遇に過ぎなかった。(川端康成と伊藤初代の事例)
【依存と自立のジレンマ】
・愛着障害を抱えた人が良くなっていく過程において、その傷が深いほど、自分を支えてくれる人に甘えようとする一方で、反抗的になったり困らせたりするのが目立つようになる時期がある。(無視、怒り、つっけんどんなど)
・この時期が、回復への過程において、もっとも重要な局面である。
・この反抗する気持ちには、二つの段階がある。①支えてくれる人の愛情をもっと求めたいのに我慢している、自分のことを振り返ってくれないことへの怒りに由来する段階、②もう少し成長して、支えてくれる人からの期待をうっとうしく感じ、距離をとろうとしている段階。②の段階は、依存している愛着対象から分離と自立を遂げていくという大きな課題に向き合っているときである。本人は、期待に背くことで見捨てられてしまうかもしれないという不安と、依存から脱して責任ある存在として自立したいという欲求との間でジレンマを感じている。支える側は、反抗することを許容し、受け止め、動揺せず、その気持ちを認めてやることが大事である。
・支える側自身が、愛着不安を抱え、克服できていない場合は、許容できない。その落とし穴に陥るか、真に回復に向かうかの境目は、この段階を乗り越えられるかどうかにかかっている。(相手の反抗や離反も肯定的にとらえ、その根底にある気持ちを前向きに受け止める。こちらの思い通りにならないことは、自立の証しだと、むしろ祝福することが大切である。
【傷ついた体験を語り尽くす】
・愛着の傷を修復するためには、安全基地を確保し、子どものころの不足を取り戻したり、周囲に受けいれられるといった共感的、体験的プロセスとは別に、もう一つのプロセスが
必要である。それは言葉を介した、認知的なプロセスである。これらが並行して進むことによって、修復までのプロセスは盤石なものになる。
・子どものころに傷ついた体験は、言語化の不十分な情動的記憶として、その人の心や行動を無意識のうちに支配し、ネガティブな反応や感情の暴走、解離を引き起こす原因となる。そうした記憶を再び活性化することが必要である。
・嫌な出来事の記憶をたどりながら、そのときどんな思いであったかを、その人の言葉で語ってもらうことが重要である。
・最初は「何とも思っていない」「気にしていない」と問題自体を否認する。その段階を超えると、次は否定的な感情ばかりが語られる。傷が深ければ深いほど、長期間続く。そうすることが修復には必要なのである。
・その作業は、友人や恋人を相手に行われることもあれば、パートナーの力を借りて行われることもある。否定的なことを一切言わず、丸ごと受け止めてくれる存在(安全基地)に、自分の身に起きたことを、味わってきた重いとともに語り尽くすことが重要なのである。
・「一生付き合う覚悟で、腹を据えて、その人に関わろう」としている非専門家や家族の方が、愛着障害の修復という点では大きな力になる。
・書くという行為は、ある意味、愛着障害の自己治療の試みと言えるかもしれない。何を書いても許される原稿用紙という安全基地にすがるほかはないのである。(夏目漱石の例)
・ジャン・ジュネは親友の哲学者サルトルに、自分の生い立ちや味わってきた思いについて赤裸々に語り続けた。(「聖ジュネ」・サルトル)
【怒りが赦しに変わるとき】
・過去の傷と向かい合う段階を徹底的に進めていくと、ある時期から変化がみられるようになる。否定的なことばかりを語り尽くした後で、楽しかった経験や親が自分のために骨を折ってくれたことをふと思い出して「そういえばこんなことがあった」と語ったりするようになる。
・そのころから次第に、親の良かった面や愛情を受けたことにも向き合うようになる。
・そのとき、親を憎んでいるのではなく、愛しているということに気づくこともある。親を愛し、求めているからこそ、憎む気持ちが生まれていたのだということを受けいれられるようになる。悲しみと怒りの物語から、愛と赦し、希望の物語へと転化し、一緒に受け止めてくれる存在と共有することによって、とらわれは解消され、現実的な力に変わっていく。
・自分から、親を傷つけてきたことを謝りたいと思うようになったり、育ててくれたことに感謝の気持ちを伝えようとしたり、和解しようとすることも多い。親の方も歩み寄ることができると、事態は劇的に好転し、安定化と真の自立へ向かって進み始める。
・親と和解できたとき、自分自身とも「和解」することができる。自分のことを過度に否定的に考えていたのが、自分を受けいれ、自信をもつことができるようになるのである。
・親に対して否定的な見方や感情をもつことは、親が自分に対して否定的であったということの反映であり、それは自ら自分を否定することに結びついている。それは、単なる否定的な認知の問題というよりも、愛着を介した情動と結びついた問題であることにより、強烈な支配力を及ぼしていたのである。
【過去との和解】
・愛着障害を克服する過程として、「過去との和解」という段階が認められる。愛着対象へのネガティブなとらわれを脱し、自己肯定感を取り戻すために、この段階は非常に重要な意味をもつ。
・心理学者エリクソンは母や義父から「不肖の息子」とみられていたが、素晴らしい伴侶を得たことで初めて両親から見直され、その後、義父との立場が逆転、無一文になった両親を経済的に支援することになった。否定されていた過去を逆転、前向きに乗り越えることができた。
・哲学者ショーペンハウアーは生涯独身で、孤独な人生を全うしたが、最後まで母親に対する恨みを忘れなかった。彼の後半生は、一切創造的なものを生み出すこともなかった。
【義父と和解したクリントン】
・ビル・クリントンは酒乱の義父を憎み、両親は離婚したが、義父の姓を名乗り続けた。ビルが学生のとき、義父が末期ガンにかかり、毎週見舞い、自分の夢を語った。義父は「お前ならできる」とはげまし、二人は心から和解した。自信のない、冴えない存在だったビル少年が輝くばかりの魅力と自信にあふれた存在に生まれ変わる過程において、義父との和解は重要な分岐点になった。
【スティーブ・ジョブスの場合 禅、旅、妹との邂逅】
・スティーブ・ジョブスは若いころ、愛着障害の典型的な特徴(多動、反抗、戦闘的、傍若無人)を示し、利益やドラッグに心の安定を求めていたが、それに代わるものとして東洋哲学に傾倒しはじめた。放浪の旅を経て禅の導師から「自分の心に浮かんだものに素直に従う」ことを体得した。導師との関係は、彼の愛着障害の克服に大いに役だった。
・億万長者になってから、実の親を探そうとし、妹に巡り会い「親友」になった。
・ジョブスは妹を介して実の母親とも関わりをもつようになったが、一方で自分の養父母のことを積極的に自分の「親」だと周囲に主張するようになる。
・理想化した「幻の親」を克服することで、「本当の親」を再発見し、親が与えてくれたものに感謝する・・・。ジョブスの心のなかにそうしたプロセスが起きたのだろう。彼は育ての親との愛着を再確認するとともに、自分の過去と再確認することができた。それによって、彼の愛着スタイルは、少しずつ安定化の方向に向かった。(アップル社を追われても、事態を前向きに乗り越えることができた。その後、より魅力的な人格としてカリスマ性を発揮した)
⑶役割と責任をもつ
【社会的、職業的役割の重要性】
・安定した愛着スタイルばかりを課題として追求することは得策ではない。自分がやるべき役割を担い、それを果たそうとして奮闘するうちに、周囲の人との関係が安定する。そうなることで、もっとも親密な人との愛着関係においても、次第に安定していくことも多い。
・親密さをベースとする愛着関係は、距離がとりにくく、もっとも厄介で難易度が高いものだが、社会的な役割とか職業的な役割を中心とした関係は、親密さの問題を棚上げして結ぶこともできるし、仕事上の関わりと割り切ることもできる。そうした気楽さが、気のおけない関係を生み出すことにもつながる。
・役割をもつこと、仕事をもつこと、親となって子どもをもつことは、愛着障害をのりこえていくきっかけとなる。愛着回避が強く、人付き合いが苦手な人も、必要に駆られて関わりをもつようになれば、対人スキルが向上し、人と一緒に何かをする楽しさを体験するようになる。愛着不安が強い人の場合、役割をもつことで、心が安定し、愛着行動にばかり神経を傾けることから救ってくれるのである。
【否定的認知を脱する】
・愛着障害を克服する場合、否定的な認知を脱するということが、非常に重要になる。
・そのためにどうすればよいか。①どんな小さなことでもいいから、自分なりの役割をもち、それを果たしていく。自分のためというよりも、家族や人のためにもなれば、いっそう良い。その場合に大切なのは、義務感に縛られることなく、気楽に取り組むことから始めることである。②「全か無か」といった二分法的な認知ではなく、清濁併せ呑んだ、統合的な認知がもてるようになることである。嫌なこと、思い通りにならないことがあった場合、事態を冷静に受け止め、「そうなって良かったこともある」という前向きな姿勢が必要である。→ヴァリデーション(認証・承認) ③ユーモア、頓知が発想の転換になる。「良いところさがし」をすることが大切である。「何か良いことがあるはずだ」 
【自分が自分の「親」になる】
・愛着障害を克服するための究極の方法は「自分が自分の親になる」ということである。・ある女性の決心:《親に期待するから裏切られてしまうのだ。親に認められたいと思うから、親に否定されることをつらく感じてしまうのだ。もうこれからは親に左右されるのはやめよう。あの人たちを親と思うのはやめよう。その代わりに、自分が自分の親になるのだ。自分が親として自分にどうアドバイスするかを考え、「自分の中の親」と相談しながら生きていこう》。実際、その方法は、非常にうまくいった。
・エリク・H・エリクソンの場合:彼は義父からもらった名前、ホンブルガーをミドルネームのHにして、エリクソンという名前を自分でつけたのである。エリクソンは「エリクの息子」という意味を含んでいる。彼もまた、自らが自らの親となることで愛着障害を克服し、真の意味で自立を遂げたのである。
【人を育てる】
・愛着障害を克服していく過程で、自分が親代わりとなって、後輩や若い人たちを育てる役割を担うという現象が、しばしば観察される。自分自身が「理想の親」となって、後輩や若い人たちを育てるという方法である。
・夏目漱石は、父親としては失格であったが、寺田寅彦、森田草平、小宮豊隆、鈴木三重吉らの門人に慕われた。森田草平が心中未遂事件で社会から葬られそうになったとき、自宅に匿い、また作家としてやっていけるように便宜を図った。漱石は、ある意味、門人たちの安全基地となっていたのである。そうした関わりのなかで、漱石は人間的に成長し、文豪の名にふさわしい境地に達するまでになったように思える。
【アイデンティティの獲得と自立】
・愛着障害を克服するということは、一人の人間として自立するということである。自立とは、必要なときには人に頼ることができ、相手に従属するのではなく、対等な人間関係をもつということである。
・自立のためには、周囲から自分の存在価値を認めてもらうことが必要になるし、それを得ることによって、自己有用感と自信をもち、人とのつながりのなかで自分の力を発揮することができる。
・自立の過程とは、自分が周囲に認められ受け入れられる過程であり、そうした自分に対して「これでいいんだ」と納得する過程でもある。自立が成功するには、この両方のプロセスが、うまく絡みあいながら進んでいく必要がある。そちらか一方だけでは成り立たないのである。
・愛着障害の人が、その過程で躓きやすい理由は、①他者に受け入れられるということがうまくいかなかった、②自分を受け入れることがうまくかなかった、ということである。
他者に受け入れられるプロセスをもう一度やり直すとともに自分を受け入れられるようになることで、愛着障害の傷跡から回復し、自分らしいアイデンティティを手に入れ、本当の意味での自立を達成することができるのである。
・愛着障害は、夫婦関係の維持や子育てに影響しやすいという特性をもつ。子どもにしわ寄せが来て。子どもの愛着の問題へとつながっていく可能性がある。そんな負の連鎖を立つためにも、自分のところで愛着障害を克服することが重要になる。
・愛着障害を克服した人は、特有のオーラや輝きをもっている。その輝きは、悲しみを愛する喜びに変えてきたゆえの輝きであり強さに思える。そこに至るまでは容易な道のりではないが、試みる価値の十分ある道のりなのである。

【感想】
・この章では、愛着障害を克服する方法について、詳細に、わかりやすく、具体的に述べられている。まず、①「安全基地」(愛着の対象、好きな人)を確保すること、よい安全基地には5つの条件(安全感、共感姓、応答性、安定(一貫)性、何でも話せる)があること、その中でも「何でも話せる」ことが最も重要であること。次に、②愛着の傷を修復すること、そのためには、幼いころの不足を取り戻すこと(退行)、遊びを通して子ども心を回復すること、傷ついた体験を語り尽くすこと(心の奥底に封じ込まれている無意識な部分を「言語化」(意識化)すること、怒りの感情を赦しに変えること、過去との和解をすること、さらに、③役割と責任をもつこと、とくに「社会的、職業的役割」は、親密さの問題を棚上げして、仕事上の関わりと「気楽に」割り切ることができるので有効であること、その役割を果たすことで、「否定的認知」(自己無用感、劣等感)を脱すること、究極的なは「自分が自分の親になること」、他人に認められ受け入れられることによって、自分自身を受け入れ、アイデンティティを獲得できるようになることが重要である、と言うことがわかった。
 筆者は、現在、京都医療少年院勤務とある。現代社会の中で様々な問題を引き起こした少年、少女たちと向き合い、「一生付き合う覚悟で、腹を据えて。その人に関わろうとしている」専門家であることは間違いない。「愛着障害」を困ったこととして「否定的に認知」するのではなく、それを克服しようとすることによって大きな可能性が開けることにまで言及していることに、私は大きな感銘を受けた。今さらながら、「本当の問題は、発達よりも愛着にあった」という筆者の「警鐘」に、すべての臨床家は耳を傾けなければならないと思う。(2015,9.30)



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