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「愛着障害」(岡田尊司・光文社新書・2011年)要約・《1》

《はじめに 本当の問題は「発達」よりも「愛着」にあった》
・人間が幸福に生きていくうえで、もっとも大切なもの・・それは安定した愛着である。愛着とは、人と人との絆を結ぶ能力であり、人格のもっとも土台の部分を形造っている。
・昨今。「発達障害」ということばが盛んに言われ、それが子どもだけでなく、大人にも少なくないことが知られるようになっているが、この発達の問題の背景には、実はかなりの割合で愛着の問題が関係しているのである。実際、愛着障害が、発達障害として診断されているケースも多い。
・どういう愛着が育まれるかということは、先天的にもって生まれた遺伝的要因に勝るとも劣らないほどの影響を、その人の一生に及ぼすのである。その意味で、愛着スタイルは、「第二の遺伝子」と言えるほどなのである。
・愛着の問題は、一部の人の特別な問題ではない。ほとんどの人に近く当てはまる問題でもある。
・愛着の安定性や様式は、対人関係のスタイルや親密さの求め方だけでなく、その人の生き方や関心、恋愛や子育ての仕方、ストレスに対する耐性や生涯の健康にまで関わっている。意識しないところで、知らず知らずその人の心理と行動を支配しているのである。他の生き方もできたはずなのに、なぜ、この生き方をしてきたのか。その疑問は、その人の愛着の特性を理解したとき、氷解するだろう。

【感想】
 〈本当の問題は「発達:よりも「愛着」にあった〉という筆者の指摘(仮説)に、私は全面的に同意する。「発達」は、変化(ステップアップ)のプロセスであるが、「愛着」は、形成されたか、されなかったか、という一点に絞られる。100%形成された、50%形成された、全く形成されなかった、という程度の差はあっても、一歩一歩、段階を追って形成されていくものではない。「愛着」には当然《相手》が不可欠であり、相手次第では、一瞬にして100%形成され、また相手次第では一生かけても全く形成されない、ということがあり得る。また「愛着」は「発達」と異なり、一度形成されたからといって、恒久的に続くわけではない。時と場合によって「千変万化」するものである。
 筆者は〈この発達の問題の背景には、実はかなりの割合で愛着の問題が関係しているのである。実際、愛着障害が、発達障害として診断されているケースも多い〉と述べているが、今「発達障害」と診断されているケースの《すべて》が「愛着障害」である、と私は確信している。「発達障害」と診断されている人々の様々な言動(問題)を「理解できない」「常軌を逸している」などと評価している人々は、自分自身の「愛着」がどのようにして形成されたか、また「愛着」とはそもそもどのようなものなのか、について省みることが肝要である。
 本書の次章から、それらのことが明らかにされることを大いに期待しつつ、読み進めることにする。 (2015.9.20)



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「愛着障害」(岡田尊司・光文社新書・2011年)要約・《2》

《第1章 愛着障害と愛着スタイル》
【あなたの行動を支配する愛着スタイル】
・愛着スタイルは、その人の根底で、対人関係だけでなく、感情や認知、行動に幅広く影響していることがわかってきた。パーソナリティを形造る重要なベースとなっているのである。
・安定した愛着スタイルのもち主は。相手が助けになってくれると信じきっているので、実際にすぐに助けや慰めを求め。それを得ることができる。しかし、不安定な愛着スタイルの人は、そんなことをすると拒絶されるのではないかと不安になって、助けを求めることをためらったり、最初から助けを求めなかったりする。あるいは、助けを求めても、求め方がぎこちないため、相手を苛立たせてしまったり、肝心なことを切りだせなかったりして、結局、効果的に相手から助力を得ることができにくい。
・その人の愛着スタイルというのは、母親との関わりを出発点として、その人にとって重要な他者との関係のなかで、長い年月をかけて培われていく。
【抱っこからすべては始まる】
・人は、生まれるとすぐに母親に抱きつき、つかまろうとする。逆に言えば、育っていくためには、つかまり、体に触れ。安らうことができる存在が必要なのである。
・抱っこをし、体を接触させることは、子どもの安心の原点であり、愛着もそこから育っていく。抱っこをすることで、子どもから母親に対する愛着が生まれるだけでなく、母親から子どもに対する愛着も強化されていく。
・子どもが泣くと、すぐに抱っこする母親の場合、子どもとの愛着が安定しやすいが、放っておいても平気な母親では、不安定な愛着になりやすい。
・抱っこという実に原始的な行為が、子どもが健全な成長を遂げるうえで非常に重要なのである。それは、子どもに心理的な影響だけでなく、生理的な影響さえ及ぼす。子どもの成長を促す成長ホルモンや神経成長因子、免疫力を高める物質、さらには、心の安定に寄与する神経ホルモンや神経伝達物質の分泌を活発にするのである。
・抱っこは、スキンシップという面と、「支え、守る」という面が合わさった行動である。よく抱っこされた子は、甘えん坊で一見弱々しく見えて、実のところ、強くたくましく育つ。その影響は、大人になってからも持続するほどである。
【特別に選ばれた存在との絆】
・(愛着における不可欠な特性の一つは)愛着の対象が、選ばれた特別の存在だということである。これを「愛着の選択性」という。愛着とは、ある特定の存在(愛着対象)に対する、特別な結びつきなのである。愛着対象は、その子にとって特別な存在であり、余人には代えがたいという性質をもっている。特別な存在との間には、見えない絆が形成されているのである。それを「愛着の絆」と呼ぶ。
・実の親に育てられた子どもでも、同居する祖父母や親戚が可愛がってくれるからというので、母親があまり可愛がらなかった場合、後年、精神的に不安定になるということは、しばしば経験するものである。
【愛着の形成と臨界期】
・愛着の形成とは、特別に選ばれた人物との関係が、不動のものとして確立する過程だともいえる。
・新生児のときから、すでに愛着の形成は始まっているが、まだそれは原初的な段階にある。生後6か月くらいまでであれば、母親を少しずつ見分けられるようになってはいるものの、母親が他の人に変わっても、あまり大きな混乱はおきない。新しい母親に速やかになじんでいく。ただし、この段階でも、母親が交替すると、対人関係や社会性の発達に影響が及ぶこともわかっている。結ばれ始めた愛着がダメージを受けると考えられる。6か月を過ぎるころから、子どもは母親をはっきりと見分け始める。ちょうど、人見知りが始まるころだ。それは、愛着が本格的に形成され始めたことを意味している。生後6か月から1歳半くらいまでが、愛着形成にとって、もっとも重要な時期とされる。この「臨界期」と呼ばれる時期を過ぎると、愛着形成はスムーズにいかなくなる。
・愛着がスムーズに形成されるために大事なことは、十分なスキンシップとともに、母親が子どもの欲求を感じとる感受性をもち、それに速やかに応じる応答性を備えていることである。子どもは、いつもそばで見守ってくれ、必要な助けを与えてくれる存在に対して、特別な結びつきをもつようになるのだ。求めたら応えてくれるという関係が、愛着を育むうえでの基本なのである。この時期、母親はできるだけ子どもの近くにいて、子どもが求めたときに、すぐに応じられる状態にあることが望ましい。 

【感想】
・ここまでの要点は、①安定した愛着が形成されると、対人関係、感情、認知、行動面で大きな問題が生じない、②愛着は「抱っこされる」ことによって形成される、③愛着の対象は「特別な選ばれた存在」でなければならない、④愛着の「臨界期」は生後6か月から1歳半までである、ということである。
・私自身を例にとると、私の母は私が生後5か月のときに病死した。したがって愛着形成の「臨界期」には、すでにその対象を失っていることになる。さればこそ、私の愛着スタイルは極めて不安定であり、対人関係、感情、認知、行動面に大きな問題を生じさせたことは明らかである。特に、「対人関係」「感情」面での「偏り」は顕著で、社会性の未熟さ、交友関係の狭さは否定できない。未だに「人の感情に共感できない」「他人の気持ちを理解できない」ことで、様々なトラブルを抱えているのである。
・「愛着」とは、「人を好きになる感情」「仲良くする生業」とも言い換えられようが、いずれにせよ、「理屈」「道理」とは無縁である。
・筆者は「まえがき」で〈どういう愛着が育まれるかということは、先天的にもって生まれた遺伝的要因に勝るとも劣らないほどの影響を、その人の一生に及ぼすのである。その意味で、愛着スタイルは、「第二の遺伝子」と言えるほどなのである〉と述べている。その「第二の遺伝子」にどう向き合えばよいのか、実に悩ましい問題である、と私は思った。(2015.9.20)



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「愛着障害」(岡田尊司・光文社新書・2011年)要約・《3》

【愛着の絆と愛着行動】
・いったん、愛着の絆がしっかりと形成されると、それは容易に消されることはない。愛着におけるもう一つの重要な特性は、この半永久的な持続性である。(「母をたずねて三千里」のマルコ少年)
・愛着の絆で結ばれた存在を求め、そのそばにいようとする行動を、愛着理論の生みの親であるイギリスの精神科医ジョン・ボウルビィは「愛着行動」と呼んだ。(「ママ」と呼びながらべそをかく、マルコ少年の大旅行)
・大人になるにつれ、母親に対する愛着は、日々の生活の中に埋没し、愛着行動も抑えられているが、心の奥底の部分では、子どものころとそれほど変わらないまま維持されているのだ。(斎藤茂吉「死にたまふ母」、遠藤周作≠織田信長)
【愛着の傷と脱愛着】
・子どもが助けを求めたとき、母親(養育者)はすぐに必要なものや慰めを与え、安心と抱擁で包むことで、子どもは母親との間に揺るぎない愛着を育むことができる。そして基本的な安心感や基本的信頼感とよばれる感覚を育んでいく。この世界が安心できる場所で、人は自分の助けとなってくれるものだと信じることができる感覚である。これは、物心がつくよりもはるか以前の体験によって、脳の奥深くに組み込まれる。
・愛着を脅かす、最も深刻な状況は二つある。一つは、愛着対象がいなくなる場合である。死別や離別によって乳幼児期に母親がいなくなることは、幼い子どもにとって世界が崩壊するににも等しい過酷な体験である。子どもは、まず泣き叫ぶ。悲しみと怒りを爆発させる。現実を受けいれることができず、それに抗議しようとする。「抵抗」と呼ばれる段階である。数日を過ごし、母親が戻ってこないとわかるにつれ、表立って泣き叫ぶことはなくなる。今度は、暗い表情で部屋の片隅にうずくまり、意気消沈して、無気力な状態を示し始める。好きだったおもちゃに触れようともせず、他の誰にも関心を示さない。食欲は落ち、睡眠も妨げられることが多い。この抑うつ的な段階は「絶望」と呼ばれる。さらに数ヶ月が過ぎて、その時期を乗り越えると、母親の記憶は封印され、何事もなかったように落ち着いて生活するようになる。「脱愛着」の段階に達したのである。周囲はほっとするが、そのために子どもが払った犠牲は果てしなく大きい。生存のために、子どもは母親への愛着を切り捨てるというぎりぎりの選択をしたのである。まだ幼く、大人の保護に頼ってしか生きていくことができない時期に、愛着の絆が強く持続しすぎることは、生存にとってはむしろ不利に働いてしまう。自分を可愛がってくれていた母親を求めつづけ、母親以外を拒否すれば、それは死につながる。こどもは究極的な選択として、母親を忘れ、新しい養育者を受けいれるという道を選ぶほかない。脱愛着を起こすことで、愛着対象を失った痛みから逃れるしかないのだ。
・離別期間が長すぎる場合には、完全な愛着の崩壊が起こる。心の中で母親という存在を理想化し憧れ抱くものの、実際に再会してみると、一緒に暮らしてうまくいくのは最初だけで、やがて強い拒絶反応が起きてしまうのがふつうである。

【感想】
 以上、二節の記述は、生後5か月で母親を亡くした私自身の軌跡に全く当てはまる。私が物心ついたときには、すでに「抵抗」「絶望」の段階を終え、「脱愛着」に達していたものと思われる。母親がいなくても「寂しい」「悲しい」と感じることはなかった。ただ「自分には何か欠けている」「自分(の境遇)は誰とも同じではない」といった不満感、孤独感は、古稀を過ぎた今でも、感じることがある。筆者はマルコ少年や斎藤茂吉の例を挙げているが、私の場合は、長谷川伸の「瞼の母」の心象風景がすぐに浮かんでくる。「会わなきゃよかった、泣かずにすんだ」という後悔すら、私にはない。どうすることもできない「絶望」「諦め」に戻っていくだけなのである。(2015.9.20)



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「愛着障害」(岡田尊司・光文社新書・2011年)要約・《4》

【親を求めるがゆえに】
・愛着を脅かす、もう一つの深刻な状況は、守ってくれるはずの親から虐待を受け、安全が脅かされるという場合である。この場合、子どもは親を求めつつ、同時に恐れるというアンビバレントな状況におかれる。しかも、親がいつ暴力や言葉による虐待を加えてくるかわからないといった状況は、子どもにとって予測も対処も困難である。ただ「自分は無力で悪い存在だ」という罪の意識や自己否定の気持ちを抱えされてしまう。自分がダメな子だから親は愛してくれないのだ・・・そう考えて納得しようとする。
・親に認められたいという気持ちは、それがほどよく満たされた状態で成長していけば、大人になるころには、自然と消えていく。しかし、その思いを満たされずに育った人は、いくつになっても、心の奥底で「親に認められたい」「愛されたい」という思いを引きずることになる。親に過度に気に入られようとしたり、逆に親を困らせたり反発したりするという形で、こだわり続けるのである。
【安全基地と探索行動】
・愛着という現象は、対人関係のみならず、幅広い能力の発達にも関わってくる。そこには、愛着のもう一つの特性が関わっている。
・子どもは、愛着という安全基地(アメリカの発達心理学者メアリー・エインスワース)がちゃんと確保されているとき、安心して外界を冒険しようという意欲をもつことができる。逆に、母親との愛着が不安定で、安全基地として十分機能していないとき、子どもは安心して探索行動を行うことができない。その結果、知的興味や対人関係においても、無関心になったり消極的になったりしやすい。守られていると感じている子どもほど、好奇心旺盛で活発に行動し、何事にも積極的なのである。
・1歳半を過ぎるころから、子どもは徐々に母親から離れて過ごせるようになる。しかし、ストレスや脅威を感じると、母親のもとに避難し、体を触れ合わせ抱っこしてもらうことで、安全を確保し安心を得ようとする。
・3歳半ごろまでには、一定期間であれば母親から離れていても、さほど不安を感じることがなくなり、また母親以外の人物とも、適度に信頼して関わりをもつことができるようになる。母親を主たる愛着対象、安全基地として確保しながら、同時に、他の従たる愛着対象をもち、活動拠点を広げ始めるのである。
・このことは、大人においても基本的に同じである。安定した愛着によって、安心感、安全感が守られている人は、仕事でも対人関係でも積極的に取り組むことができる。「安全基地」を確保している人は、外界のストレスにも強い。幼いころにしっかりと守られて育った人では、大人になってからも自分をうまく守れるのである。
・ただ気をつけたいのは、過保護になってサポートを与えすぎ、子どもの主体的な探索行動を妨げたのでは、良い安全基地ではなくなるということである。安全基地とは、求めていないときにまで縛られる場所ではないのである。それでは、子どもを閉じ込める牢獄になってしまい、依存的で、不安の強い、自立できない子どもを育ててしまう。

【感想】
・この節では、愛着を脅かすもう一つの深刻な状況、愛着対象(親)は存在しているが、その親から虐待をうけるケースについて述べられている。子どもは「抵抗」「絶望」「脱愛着」することはない代わりに、親を「求めつつ恐れる」というアンビバレントな状況に追い込まれる。その結果、〈「自分は無力で悪い存在だ」という罪の意識や自己否定の気持ちを抱えされてしまう。自分がダメな子だから親は愛してくれないのだ・・・そう考えて納得しようとする〉。また、〈いくつになっても、心の奥底で「親に認められたい」「愛されたい」という思いを引きずることになる。親に過度に気に入られようとしたり、逆に親を困らせたり反発したりするという形で、こだわり続けるのである〉という指摘は、昨今の「家族関係」の問題要因を考えるうえで、たいへん参考になった。
・子どもにとって、親は「安全基地」であり、それが探索・好奇心の源になる、という考え方に、私も全面的に同意する。さらに〈ただ気をつけたいのは、過保護になってサポートを与えすぎ、子どもの主体的な探索行動を妨げたのでは、良い安全基地ではなくなるということである。安全基地とは、求めていないときにまで縛られる場所ではないのである。それでは、子どもを閉じ込める牢獄になってしまい、依存的で、不安の強い、自立できない子どもを育ててしまう〉という指摘は重要である。「発達障害」と呼ばれる子どもの親の中には、知らず知らず、そのような「育て方」(過保護・過干渉)に陥っているケースが少なくないだろう、と私は思った。
(2015.9.21)



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「愛着障害」(岡田尊司・光文社新書・2011年)要約・《5》

【ストレスと愛着行動の活性化】
・何か特別な事態が生じて、ストレスや不安が高まったときには、「愛着行動」が活発になる。それが健全な状態であり、自分を守るために重要なことである。
・愛着行動には、さまざまなヴァリエーションがある。(幼い子ども→直接行動、フランクル→愛する人を回想する)
・愛着行動は、ストレスや脅威が高まった状況で、愛着システム(愛着を担う脳内の仕組み)が活性化された結果、誘発される。誘発のされ方には、人によって大きな違いがあり、そこに、各人の愛着のスタイルの特性がはっきりと示される。
・安定した愛着においては、ストレスや脅威に対して、愛着システムが適度に活性化され、ほどよく愛着行動が増加することで、ストレスの緩和や安定の維持が図られる。
・人によっては、ストレスや脅威を感じても、愛着行動がほとんどみられないことがある。(愛着を求める行動をとっても、拒絶されたり、何の反応もかえってこないことが繰り返された結果、最初から求めない行動スタイルを身につけたと理解される。)
・また、ストレスや脅威に対して、過剰なまでの愛着行動が引き起こされる人もいる。
(愛着システムが過剰に活性化しており、少しでも愛着対象が離れていきそうな気配を感じただけで、強い不安を覚える。これは、愛着システムが育まれる時期に、過剰活性化戦略が、自分の安全や安心を守るのに有利だった結果、そうした行動スタイルを身につけたと考えられる。養育者の関心が薄く、大げさに騒いだときだけ、かまってもらえたというような状況である。)
・もっと複雑な反応がみられることもある。ストレスや脅威が高まったときに、愛着行動とは一見正反対な行動が引き起こされる場合である。本当はそばにいてほしい人を拒否したり、攻撃したり、無関心を装ったりするというものだ。
(こうした逆説的な反応は、愛着の問題が深刻なケースほど強く、また頻繁にみられる。求めても応えてもらえず、逆に傷つけられることへの不安や怒りが、アンビバレントに同居する結果だと考えられる。)
【子どもの四つの愛着パターン】
・子どもの愛着パターンを調べられるのに、よく用いられるのは、エインスワースが開発した新奇場面法である。(子どもと母親を離し、また再会させるという場面設定をして、そのときの子どもの反応を観察することで、愛着のパターンを分類する)
《安定型》母親から離されると泣いたり不安を示したりするが、その程度は過剰というほどではなく、母親が現れると素直に再会を喜び、母親に抱かれようとする。(6割強)
《回避型》母親から引き離されてもほとんど無反応で、母親と再会しても目を合わせず、自分から抱かれようともしない。安全基地をもたないため、ストレスを感じても、愛着行動をおこさないタイプだということができる。(1割5分~2割)小さいころから児童養護施設などで育った子どもに典型的にみられるが、親の関心や世話が不足して放任になっている場合でもみられる。回避型の子どもは、その後反抗や攻撃性の問題がみられやすい。
《抵抗/両価型》母親から離されると激しく泣いて強い不安を示すのに、母親が再び現れて抱こうとしても拒んだり嫌がったりする。しかし、いったんくっつくと、なかなか離れようとしない。母親の安全基地としての機能が十分でないために、愛着行動が過剰に引き起こされていると考えられる。(1割程度)親がかまってくれるときと無関心なときの差が大きい場合や、神経質で厳しく過干渉な場合が多い。その後、不安障害になるリスクが高く、いじめなどの被害に遭いやすいとされる。
《混乱型》回避型と抵抗型が入り混じった、一貫性のない無秩序な行動パターンを示すのが特徴である。まったく無反応かと思うと、激しく泣いたり怒りを表したりする。また、親からの攻撃を恐れているような反応をみせたり、逆に親を突然叩いたりすることもある。混乱型は、虐待を受けている子や精神状態がひどく不安定な親の子どもにみられやすい。安全基地が逆に危険な場所となることで、混乱を来していると考えられる。その後、境界性パーソナリティ障害になるリスクが高いとされる。
【統制型と三つのコントロール戦略】
・不安定な愛着状態におかれた子どもでは、3,4歳のころから特有の方法によって周囲をコントロールすることで、保護や関心が不足したり不安定だったりする状況を補うようになる。統制型の愛着パターンと呼ばれるもので、攻撃や罰を与えることによって周囲を動かそうとするパターンと、良い子に振る舞ったり、保護者のように親を慰めたり手伝ったりすることで親をコントロールしようとするパターンがある。
・子どもによっては、ほんの4歳ごろから、親の顔色を見て、機嫌をとったり慰めようとしたりという行動を示す。親が良くない行動をとったときや自分の思い通りにならないときに、叩こうとするといった攻撃的手段に訴えることは、3歳ごろから認められる場合もある。
・このコントロール行動は、無秩序な状況に、子どもながらに秩序をもたらそうとするものだと言えるだろう。こうしたコントロール戦略は、年を重ねるごとにさらに分化を遂げて、特有のパターンを作りだしていく。その後の人格形成に大きな影響を及ぼすことになる。
・それらは、大きく三つの戦略に分けて考えることができる。
《支配的コントロール》暴力や心理的優越によって、相手を思い通りに動かそうとするもの。
《従属的コントロール》相手の意に従い恭順することで、相手の愛顧を得ようとする戦略である。相手に合わせ、相手の気に入るように振る舞ったり、相手の支えになったりすることで、相手の気分や愛情を意のままにしようとする点でコントロールといえる。
《操作的コントロール》支配的コントロールと従属的コントロールがより巧妙に組み合わさったもので、相手に強い心理的衝撃を与え、同情や共感や反発を引き起こすことによって、相手を思い通りに動かそうとするものである。
・いずれのコントロール戦略も、不安定な愛着状態による心理的な不充足感を補うために発達したものである。この三つは、比較的幼いころから継続してみられることが多い一方で、大きく変化する場合もある。また、相手によって戦略を変えてくるいうことも多い。それによってバランスをとっているともいえる。

【感想】
この節の内容を要約すると以下の通りである。
・ストレスや脅威が高まると、脳内の愛着システムが活性化して「愛着行動」を誘発する。その誘発のされ方は、人によって様々であり、その人の愛着スタイルの特性が示される。安定した愛着では、ほどよい「愛着行動」が誘発され、ストレスの緩和や安定の維持が図られるが、①愛着行動がほとんどみられない、②愛着行動が過剰すぎる、③愛着行動とは正反対の行動がみられる、場合がある。
・子どもを親から引き離した場合、四つの愛着パターンに分類できる、「安定型」「回避型」「抵抗/両価型」「混乱型」である。「回避型」は「愛着行動」が乏しい。その後、反抗や攻撃性の問題がみられやすい。「回避型」は「愛着行動」が過剰である。その後、不安障害、いじめの被害に遭いやすい。「混乱型」は「回避型」と「抵抗型」の両方を併せ持っている。その後、境界性パーソナリティ障害になるリスクが高い。
・不安定な愛着状態におかれた子ども(「回避型」「抵抗型」「混乱型」)は、3、4歳のころから特有の方法によって周囲をコントロールする。統制型の愛着パターンと呼ばれるもので、攻撃や罰を与えることによって周囲を動かそうとするパターンと、良い子に振る舞ったり、親を慰めたり手伝ったりすることで、親をコントロールするパターンがある。・こうしたコントロール戦略は、その後の人格形成に大きな影響を及ぼす。
・コントロール戦略は、支配的コントロール、従属的コントロール、支配と従属を巧妙に組み合わせた操作的コントロールに分類できる。

 ここでは「愛着システム」(脳内の仕組み)、「愛着行動」「愛着パターン」「愛着スタイル」「コントロール戦略」という言葉がキーワードである。親子の愛着(互いに相手を愛し合い、必要不可欠な特別な存在だと感じるような接触)が積み重ねられる(抱っこ、おんぶに代表される身体接触が繰り返される)ことによって、「愛着システム」が形成されるが、それが不十分な場合、「愛着行動」(相手を求める行動)が極端に乏しかったり、過剰すぎたり、混乱したり、という問題が生じる。その問題を「回避型」「抵抗型」「混乱型」というパターンに分類して説明している。また、「愛着システム」が不十分な場合、その人は「コントロール戦略」を使って、その不十分さを補おうとする。周囲に対して「支配的」「従属的」「操作的」に振る舞って、心の安定を得ようとする。そうした「心の動き」が、その人の「人格」を形成していくのだ、という筆者の指摘はたいそう興味深く、説得力があった。
 余談だが、「今、赤ちゃんがあぶない」の著者・田口恒夫氏は「言語発達の臨床」という書物の中で、(「愛着システム」が脳内に形成されるためには)「抱っこ、おんぶ」に代表される「身体接触」(相互交流)は《一千時間以上必要》と述べている。はたして、現代の親たちは、それだけの時間をわが子のために費やしているだろうか。(2015.9.22)



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「愛着障害」(岡田尊司・光文社新書・2011年)要約・《6》

【良い子だったオバマ】
・オバマ大統領は、「良い子」や「優等生」を演じきった。「従属的コントロール」を駆使した典型である。
・クリントン大統領は、母親に対してはとても従順であったが、それ以外の女性に対しては支配的で、うまく利用したり搾取しようとした。「操作的コントロール」の典型である。【愛着パターンから愛着スタイルへ】
・幼いころの愛着スタイルは、まだ完全に確立したものではなく、相手によって愛着パターンが異なることも多いし、養育者の接し方が変わったりすることでも変化する。
・十代初めのころから、その人固有の愛着パターンが次第に明確になる。そして成人するころまでに、愛着スタイルとして確立されていく。
・大人の愛着スタイルは、大ざっぱに言って、安定型(自律型)、不安型(とらわれ型)、回避型(愛着軽視型)の三つに分けられる。不安型は、子どもの抵抗/両価型に対応するものである。不安型と回避型は、不安定型に属する。
・遺伝的な気質とともに、パーソナリティの土台となる部分を作り、その人の生き方を気づかないところで支配しているのが愛着スタイルである。愛着スタイルは恒常性をもち、特に幼いころに身につけたものは7~8割の人で生涯にわたり持続する。生まれもった遺伝的天性とともに、第二の天性としてその人に刻み込まれるのである。遺伝的天性を変えることはできないとしても、愛着という後天的天性を守ることは可能である。
【愛着障害と不安定型愛着】
・虐待やネグレクト、養育者の頻繁な交替により、特定の人への愛着が損なわれた状態を反応性愛着障害と呼び、不安定型愛着を示す状態の中でも、もっとも重篤なものと考えられる。
・反応性愛着障害は大きく二つに分かれ、誰にも愛着しない警戒心の強いタイプを抑制性愛着障害と呼び、誰に対しても見境なく愛着行動がみられるタイプを脱抑制性愛着障害と呼ぶ。
・抑制性愛着障害は、ごく幼いころに養育放棄や虐待を受けたケースに認められやすい。愛着回避の重度なものでは、自閉症スペクトラムと見分けがつきにくい場合がある。
・脱抑制性愛着障害は、不安定な養育者からの気まぐれな虐待や、養育者の交替により、愛着不安が強まったケースにみられやすい。多動や衝動性が目立ち、注意欠陥/多動性障害(ADHD)と診断されることもしばしばである。
《反応性愛着障害の診断基準(DSM-ⅣーTR)》
A 5歳以前に始まり、(略)対人関係で、以下の⑴または⑵によって示される。
⑴ 対人的相互反応のほとんどで、発達的に適切な形で開始したり反応したりできないことが持続しており、それは過度に抑制された、非常に警戒した、または非常に両価的で矛盾した反応という形で明らかになる。(例:子供は世話人に対して接近、回避、および気楽にされることへの抵抗の混合で反応する。または硬く緊張した警戒を示すかもしれない)
⑵拡散した愛着で、それは適切に選択的な愛着を示す能力の著しい欠如を伴う無分別な社交性という形で明らかになる。(例:あまりよく知られていない人に対しての過度のなれなれしさ、または愛着の対象人物選びにおける選択力の欠如)
B 基準Aの障害は発達の遅れ(精神遅滞のような)のみではうまく説明されず、広汎性発達障害の診断基準も満たさない。
C 以下の少なくとも1つによって示される病的な養育
⑴ 安楽、刺激、および愛着に対する子供の基本的な情緒的欲求の持続的無視
⑵ 子供の基本的な身体的欲求の無視
⑶ 主要な世話人が繰り返し変わることによる、安定した愛着形成の阻害(例;養父母が頻繁に変わること)
D 基準Cにあげた養育が基準Aにあげた行動要因の原因であるとみなされる。(例:基準Aにあげた障害が基準Cにあげた病的な養育に続いて始まった。
【三分の一が不安定愛着を示す】
・(一般の児童のうち)安定型の愛着を示すのは、およそ三分の二で、残りの三分の一もの子どもが不安定型の愛着を示すのである。愛着障害と呼ぶほど重度ではないが、愛着に問題を抱えた子どもがかなりの割合存在することになる。さらに成人でも、三分の一くらいの人が不安定型の愛着スタイルをもち、対人関係において困難を感じやすかったり、不安やうつなどの精神的な問題を抱えやすくなる。
・このような広い意味での「愛着障害」は、「愛着スペクトラム障害」と同義である。
・愛着障害は、現代人が抱えているさまざまな問題に関わっているばかりか、一見問題なく暮らしている人においても、その対人関係や生き方の特性を、もっとも根底の部分で支配しているのである。

【感想】
・以上で、第1章は終わるが、私が最も興味を惹かれたのは「反応性愛着障害の診断基準」(DSM-ⅣーTR)の内容である。中でも、「基準Cにあげた養育が基準Aにあげた行動障害の原因であるとみなされる」と明記されていることであった。筆者は、反応性愛着障害の「抑制性愛着障害」は《自閉症スペクトラムと見分けがつきにくい場合がある》、また、「脱抑制性愛着障害」は、《注意欠陥/多動性障害(ADHD)と診断されることもしばしばである》と述べている。現代の定説では、自閉症スペクトラムや注意欠陥/多動性障害(ADHD)は「発達障害」と一括りにされ、原因はいずれも「脳の機能障害」(親の育て方に因るものではではない)とされているが、この診断基準では(親の)《病的な養育》が行動障害の原因であると《みなしている》。反応性愛着障害は《病的な養育》によって生じる、また「愛着障害」と「発達障害」の《見分けがつきにくい》とすれば、自閉症スペクトラムや注意欠陥/多動性障害の原因が「病的な養育」(親の育て方)に因ると《みなされても》「誤り」ではないのではないか。
 筆者は、本書の帯で「本当の問題は発達よりも愛着にあった」と強調している。今後の論脈が、どのように展開していくのか、ますますの興味をもって次章を読み進めたい。(2017.8.23)



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「愛着障害」(岡田尊司・光文社新書・2011年)要約・《7》

《第2章 愛着障害が生まれる要因と背景》
【増加する愛着障害】
・子どもの数が減り、一人ひとりの子供が、手厚く大切に育てられているはずの現代において、愛着の問題を抱えた子どもだけでなく、大人までも増えているという現実がある。
(虐待、育児放棄、境界性パーソナリティ障害、依存症、過食症、「草食系男子」)
・愛着の問題を抱えている子どもだけでなく、大人までが、この社会にあふれているという事実は、何を意味しているのだろうか。
・愛着障害が生み出される原因について、これまでわかっていることを述べていきたい。
【養育環境の関与が大きい】
・不安定愛着を含む、広義の愛着障害を生み出す要因は何か、これまで行われた双生児研究や養子研究の結果は、愛着障害の要因が、主として養育環境によるものであることを示している。おおむね7~8割が養育などの環境的要因によるとされ、残りの2~3割が遺伝的要因によると考えられている。
【親の不在】
・養育環境の問題にはさまざまなタイプがあるが、もっともはやく知られていたのは親の不在である。
・愛着形成が完了しない時期に母親から離された子どもは、愛着自体が乏しい脱愛着傾向を抱えやすく、母子分離不安の高まった時期に母親を失うと、「見捨てられ不安」や抑うつが強まりやすい。その境目が2,3歳ころだと言えるだろう。
【川端康成の場合】
・「十六歳の日記」には、感情に流されず、事実だけを冷静に見つめるという回避型愛着の特徴が刻印されている。
【K君の場合】
・K君は1歳のとき、母親と生別した。3歳の兄とともに保育園に預けられた。兄は慣れたが、K君は一向になじめなかった。3歳になったとき、5歳の兄とともに母親と再会した。K君は母親の記憶がまったくなかったらしく、なじもうとしなかった。兄が6歳になったとき、母親が家に戻ってきた。兄は大喜びだったが、K君はどんなふうに接してよいか、わからない様子だったという。その後の成長も兄弟で対照的だった。兄は活発、社交的で母親にも遠慮なく甘えることができたが、K君は無気力で友達づきあいも少なく、母親に遠慮して本心から打ち解けることはなかった。
【ルソーの場合】
・ジャンジャック・ルソーは、愛着障害の人にみられる典型的な特徴や症状を示した人である。
・母親はルソーの誕生の直後に亡くなった。ルソーの面倒をみたのは父親と未婚の叔母であった。父親はルソーを溺愛した。
・ルソーは利発だったが、幼いころから問題行動を示すようになっていた。物を盗ったり、嘘をついたり、いたずらもひどかった。(盗み、虚言、度の過ぎたいたずらは愛着障害の子どもにしばしばみられる典型的な問題行動である)
【養育者の交替】
・愛着障害の原因として重要と考えられるのは、養育者の度重なる交替である。
・脱愛着がどんどん進んでいき、誰に対しても信頼や愛情を抱きにくい人間にしてしまう危険がある。
【漱石の場合】
・夏目漱石も、愛着障害を引きずり続けた。彼は生涯愛着障害を抱え、それを克服しようと文学者になった人物だと言える。
・漱石は、生まれて間もなく里子に出された。姉が不憫に思って連れ帰ったが、1歳10か月のころ、
夏目家の書生だった人物の養子になった。書生夫婦は漱石を溺愛したが、二人の愛情には、自然の情愛とは異なる、押しつけがましさと違和感があった。漱石は、親たちの期待に合わせて行動するしかなかったが、その反動は、問題行動となって現れ始めた。強情、わがままがひどくなり、度の過ぎたいたずらをするようになった。また、統制型の愛着パターンを思わせるコントロール戦略を養父母に対してとった。
・漱石が7歳のとき、養父母の夫婦仲が険悪となった。漱石は養母と二人で暮らしたり、養父、養父の愛人とその娘と四人で暮らしたりしていたが、見かねた実家に引き取られた。実家に戻ったとき、漱石は実の両親を祖父母だと思っていた。しかし、半年から1歳半という愛着形成の臨界期を、実家の両親のもとで過ごしたので、生母に対しては、愛着の絆が形成されていたと考えられる。幼い漱石は、長く離れていた我が家に、生理的とも言える安堵を覚えたが、父親の拒絶によって、親を慕う思いは裏切られる。5年後、母が亡くなり、漱石少年はますます強情になり、いたずらやけんかがひどくなって、叱られたり、否定されたりすることが多くなったが、愛着障害の子どもの典型的な経過だと言える。そのころの心境は「坊っちゃん」の中ににじみ出ている。
・後年、養父は二十余年ぶりに漱石の前に姿を現すと、金の無心をするようになる。漱石は、養父との付き合いをむげに断ることもできずにいた。この養父に対する愛着ゆえに、実の父親との絆が育ちにくかった面もあったかもしれない。
・漱石は、どちらの親に対しても、中途半端な絆しか結ぶことができなかった。それが、後々の漱石を脅かし続けることになる実存的な不安の根底にあったに違いないし、皮肉っぽい両価的な態度もそこに由来するのだろう。
・漱石は、幼児期後期には、統制型の愛着パターンをみせたりしているが、その後、養育者が転々と変わるという体験のなかで、回避型の愛着スタイルを強めていったと考えられる。統制型と回避型の両方が入り混じった、特有のパーソナリティを発展させたのである。人に容易に気を許さず、子どもの扱いも極端に苦手で、嫌っていたという面には、人との交わりを気楽に楽しめない回避型の性向のみならず、思い通りにコントロールできない相手に対して、どう接していいかわからないという統制型の不器用さの名残が表れている。
・しかし、愛着障害は、漱石に生きづらさを抱えさせただけではない。明らかに彼の想像力の源は、愛着障害とともに彼が抱えてきた悲しみや憧れ、自己矛盾にあった。不幸な生い立ちによる愛着障害を抱えていなければ、夏目金之助は生まれていても、夏目漱石は存在しなかっただろう。
【太宰治の場合】
・太宰治は、「境界性パーソナリティ障害」ということで、大方の意見の一致をみているが、その根底には「愛着障害」があった、と考えられる。
・太宰治は、生後間もなく、乳母に預けられた。乳母は太宰を「溺愛」し、太宰は乳母を愛慕した。太宰にとっての不幸は、乳母に対して抱いた愛着を、両親に対して抱くことができなかったことである。そして、その乳母と、ある日(5歳ころ)突然別れなければならなくなったという生涯消えぬ傷跡を残したことである。太宰は「見捨てられた」。その後(8~9歳ころ)乳母と再会したが、乳母には男児が生まれており、太宰に対しては「実によそよそしかった」。(「新樹の言葉」)
・太宰は、乳母に対する思慕の情、記憶を一緒に消し去るという「脱愛着」のプロセスを進んだ。太宰が高等学校に入った年の夏休み、乳母が死んだことを知らされたが、別段、泣きもしなかった。だが、愛着対象への思いを切断するという荒療治は、何か大切なものも一緒に切断してしまう副作用を伴う。
・太宰がなぜ実の親に対して、素直な愛情を感じることができなかったのか。親もまた太宰に対して、否定的な反応ばかりを返したのか。太宰が抱えることになる生きることに対する違和感の根っこは、生裂きにされた愛着にあるように思える。
・「新樹の言葉」は、太宰治中期の作品だが、処女作の「思い出」に、乳母は登場しない。この時期、彼はまだ、乳母との別離の傷跡に正面から向き合っていなかったのだろう。

【感想】
・ここでは、「愛着障害が生まれる要因と背景」が、川端康成、K君、ルソー、夏目漱石、太宰治の「事例」を通して述べられている。いずれも「母親の不在」「養育者の交替」によって、「脱愛着」のプロセスを進み、統制型の愛着パターンを身につけ、「不安障害」「境界性パーソナリティ障害」を発症している。
・川端康成、夏目漱石、太宰治といえば、日本文学を代表する人気作家である。それらの作品の源泉には「愛着障害」があったという指摘は、実に興味深かった。また、その「人気」の秘密は、読者の側からも「脱愛着」に共感するニーズがあるからかもしれない。
・「愛着障害」の要因は「病的な養育(環境)」にある。川端、夏目、太宰が生きた時代と現代では、「家族制度」「社会風俗」「生活慣習」などに様々な違いがあると思われるが、今、なぜ「病的な養育」が蔓延することになってしまったのだろうか。K君の事例が、大きな示唆を与えてくれるかもしれない。(2015.9.26)



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「愛着障害」(岡田尊司・光文社新書・2011年)要約・《8》

【親の愛着スタイルが子どもに伝達される】
・「親の不在」「養育者の交替」といった問題のないふつうの家庭に育った子どもでも、三分の一が不安定型の愛着パターンを示し、大人のおよそ三分の一にも、不安定型愛着スタイルが認められるのはなぜか。それは、親の愛着スタイルが子どもに伝達されやすいからである。
・母親の愛着スタイルと子どもの愛着パターンは密接に関係し、母親が不安定型の愛着スタイルをもつ場合、子どもも母親との間に不安定型の愛着パターンを示しやすいことが明らかになっている。
・養子となった子どものケースで、実の母親と養母のそれぞれが子どもにもたらす影響を比べてみると、実の母親の愛着スタイルよりも、養母の愛着スタイルの影響の方が、ずっと大きいのである。(遺伝的要因よりも養育環境の影響が大きい)
・父親の愛着スタイルや他の人物の愛着スタイルも影響を及ぼす。
・父親と母親で愛着スタイルが異なっている場合には、安定型の愛着スタイルをもつ親との関係が、不安定型の方の親との間に生じやすい不安型の愛着パターンを補ってくれる場合もある。その後出会う人との関係によって、修飾や修正を受け、十代初めごろに愛着スタイルとして固定していく。
【愛着障害を抱えていたミヒャエル・エンデの母親】
・ミヒャエル・エンデの母親は、孤児であった。15,6歳で孤児院を出ると看護師、洋品店、アクセサリー店経営などを経て、37歳のとき28歳の男性と結婚した。世界恐慌、ナチス台頭というその年にミヒャエルが生まれた。母親は、父親の愛情を執拗なほどに確認した。また、父親の欠点や失敗に対して、容赦なく責め立てた。父親は平穏に育ち、気性も穏やかで、忍耐強い性格のだったが、愛着という点においては小さな傷を抱えていた(離婚歴など)。両親はミヒャエルを非常に可愛がったが、現実回避的なところがあった父親は、次第に子どもを重荷に感じるようになった。夫婦の関係は、つねに不安定であり、ケンカが絶えなかった。
・過保護の一方で、両親が罵倒し合うのを聞いて育ったミヒャエルは「自分が二人をつなぎとめなければならないと思っていた」。自分が良い子にしていなければ、両親は別れてしまうという気持ちをずっと抱いていた。こうした境遇は、反抗的な一面と、相手の顔を見て相手を喜ばせようとふるまう性向のまじった、複雑な性格を育むことになった。(統制型の愛着パターン)
【愛着スタイルと養育態度】
・両親が揃っていて、ちゃんと養育を行っている場合でも、子どもが不安定型愛着を示すのは《親の関わり方と関係がある》からである。
・回避型の愛着パターンを示す子どもでは、母親は子どもに対して、感受性や応答性が乏しい傾向が認められている。平たく言えば無関心であまりかまわないのである。
・抵抗/両価型の愛着パターンを示す子どもの場合、母親自身不安が強く、神経質だったり、子どもに対しては厳格すぎたり、過干渉だったり、甘やかしたりする一方で、思い通りにならないと突き放すといった両価的な傾向がみられる。子どもを無条件に受容し、安心感を与えるというよりも、良い子であることを求める傾向が強いのである。そのため、子どもは陰日向のはっきりした、二面性を抱えやすい。
・混乱型の愛着パターンを示す子どもの場合、母親の態度や気分によって、反応パターンが大きく変動するのが特徴で、母親が精神的に不安定であったり、虐待を行っている場合に認められやすい。
・ミヒャエル・エンデの場合には、愛着不安の強い不安型の母親と、何事にも距離をおこうとする回避型の父親との間で育ったが、母親に近い不安型愛着の傾向が強く、それを克服するのに、周囲の気分をコントロールしようとする統制型を発展させたようにみえる。エンデには、母親の過剰とも言える愛情があり、母親との愛着自体は、比較的安定したものであった。それが、彼の人生を守ったことは疑いない。
【ビル・クリントンの場合】
・ビルが生まれたとき、父親はすでに事故死していた。母親は、ビルが1歳前後のとき、看護師になろうと、ビルを祖父母に預け、旅立ってしまった。祖父母は、ビルを厳しくしつけた。楽しい思い出は、思い出すのも抵抗があるほど少なかった。
・看護師になった母親が、新しい夫を連れてビルを迎えに来た。祖母は反対、法廷闘争になりかけたが、母親が勝ち、ビルを連れ去った。祖母と母親とがいがみ合い、その板挟みになったことはビル少年の愛着にさらに傷を負わせた・
・新しい父親はろくでなし、母親は浮気性で毎晩のようにケンカが絶えなかった。
・ビルは、母親に対して驚くほど従順だった。祖母も母親も、義父さえもビルは愛していた。不安定型の愛着は、人の顔色に敏感で、相手にうまく合わせる能力の過形成を伴うが、ビルの場合にも、そうしたことが起きたと言えるだろう。
・みじめで不安定な家庭生活とは裏腹に、ビルは周囲から明るく社交的で、幸福な子どもだと思われていた。彼はそう思われるように振る舞うことで、バランスをとることを覚えていたのだ。演じること、嘘をつくことは、そのころからビル・クリントンの「天性」であったと、多くの証言が裏付けている。
・それでも、母親は常にビルの味方であることに変わりなく、母親の機嫌をとるという統制型愛着の傾向はみられるものの、二人の間の愛着の絆は不安定ながら保たれていた、その点に、まだ救いがあったと言えるだろう。
【ヘミングウエイの場合】
・ヘミングウエイの母親は、裕福な家庭に育ち音楽的な才能に恵まれていたが、家事や育児といった家庭的なことはおろそかになりがちであった。掃除や料理はことに嫌い、子育てにも無関心であった。医師である父は母に頭が上がらず、はっきりと自分の気持ちを主張できない不器用なところもあった。子どもの教育方針やしつけをめぐっても、夫婦間にはずれがあった。父はピューリタンで勤勉・誠実、アウトドアの活動を好んだ。母は、自己満足のために、ヘミングウエイをコンサートや美術館に連れ出した。姉と双子の姉妹として育てたいという願望から、女装させられることもあった。
・幼いころは、母親のなすがままだったヘミングウエイは、次第に母親に対する反発や嫌悪を示すようになる。その根底には、母と子との間にあるはずの情愛の欠落があった。
・父親は、厳格・潔癖、不寛容で神経質な面を備えていたので、ヘミングウエイは父親に対しても、怒りや反発を感じていた。やがて父親は自殺、その反発は罪悪感へと変わり、母親に対する反発は憎しみへと変わっていった。
・ヘミングウエイが作家として成功した後も、その態度は極めて冷ややかであった。
【ネガティブな態度や厄介者扱い】
・不安定型の愛着スタイルを生む重要な要因の一つは、《親から否定的な扱いや評価を受けて育つ》(厄介者扱いされて育つ)ことである。その典型的な例は太宰治のケースであろう。「生まれて、すみません」は、彼の心の本質を、もっとも端的に表した言葉である。・親から否定的な評価しかされなかった子どもが、親をもっと困らせるようなことをそてそれを実現することは、愛着障害のケースでは頻繁にみられる。否定的な扱いを受けて育った人は、どんなに優れたものをもっていても、自己否定の気持ちを抱えやすくなる。

【親に認めてもらえなかった中原中也】
・中原中也は、父親が32歳、母親が29歳のときのできた最初の子だった。両親の喜びはことさらで期待も大きかった。外で友達と遊ぶことや水泳は禁じられた。その「過保護」によって、中也は次第に反抗的になり、手に負えなくなった、両親は中也を寺に預け、「思想矯正」を図ったが、中学三年を落第した。両親は世間体を気にして、中也を所払いして京都の中学に送った。中也はいっそう心を荒ませ、3歳年上の女優・長谷川泰子と同棲したり、無頼の生活に耽り始める。
・中也は、親を安全基地として支えにすることができなかった。その結果、不安定な関係の中に、自分の身の置き所を求めようとして裏切られたり傷つけられられたりし、いっそう人生を混乱させていく。
・彼は、親友の小林秀雄に長谷川康子を奪われ、一度に二人の人間に裏切られた。後年、精神に変調を来し、被害妄想にとらわれたりするが、そのことが遠因のひとつになったと言えなくもない。
【母親のうつや病気も影響する】
・母親のうつは、不安定愛着の要因として非常に重要である。
・うつは、虐待やネグレクトが起きる一つのリスク・ファクターであるという実態が明らかになっている。うつになりやすい人では、完璧主義や潔癖症、強すぎる義務感といった性格傾向を備えていることが多く、そうした性格と結びついた行動様式が虐待を誘発しやすいと考えられている。
【ウィニコットの場合】
・小児科医から児童精神科医の草分け的存在となり、母子関係の重要性に最初に着目した一人にイギリスのW・D・ウィニコットがいる。
・裕福な家に生まれたウィニコットは三人兄弟の末っ子で姉が二人いた。父親は市長を務めたこともある地元の名士であった。ウィニコットに対しては支配的で、遊ぶ暇は亡かった。母親は、目立たない存在で、一説によるとうつを抱えたいたとされる。授乳中に生が高ぶってしまうためウィニコットの離乳は早められた。
・後にウィニコットは、子どもの健全な成長と精神の安定のためには、何よりも母性的な没頭が必要であり、その欠如が、子どものさまざまな問題の背景にあることを指摘しているが、それはウィニコット自身が幼年期に、母親の母性的没頭が損なわれるような状況におかれた体験と「因果関係」がある。
・ウィニコットは、母親のうつが子どもの精神的安定や発達に影響することを最初に指摘した人物でもある。子ども時代のウィニコットは、沈んでいる母親に安心を与えることが「自分の仕事」であるとみなしていたという事実は、彼がその後、うつの母親に育てられた子どもについて述べたことと、ぴったり重なるのである。
・ウィニコットの姉二人は、独身のまま両親のもとに留まり、両親の世話をして生涯を終えた。母親のうつがもたらした分離不安の高まりによって、自立が妨げられたのではないかという疑いを抱かせる。ウィニコットは「偽りの自己」としてしか生きられなかった、という。
・ウィニコットは結婚し、離婚と再婚も経験している。14歳のときに寄宿学校に送られたことは幸いだったかもしれない。
【母親以外との関係も重要】
・愛着の問題は、母親との関係だけを取り上げて事足れりとされるものではない。
・親の離婚や死別と、愛着スタイルとの関係を調べたミクリンサーらの研究によると、子どもが4歳未満のときに父親が死亡したり、離婚していなくなった場合、子どもには愛着回避、愛着不安の傾向がともに有意に高く認められ、愛着スタイルが不安定になりやすいことが示された。
・恋人や配偶者は、愛着スタイルに関して、かつて母親が及ぼした影響に匹敵するほどの大きな影響を及ぼすことがある。それまで変動の激しかった対人関係が、安定した愛着スタイルの人と一緒にいるようになって、落ち着いてくることもある。逆に、安定型の愛着スタイルをもつ人が、不安定型の愛着スタイルをもつ配偶者の影響で、不安定型に変化するという場合もある。
・共倒れするか。互いが幸福をつかむかの分かれ目は、どこにあるのだろうか。その点については後の章で述べたい。
【一部は遺伝的要因も関与】
・新生児の段階でイライラしやすかったり、ストレスに対してネガティブな反応を強く示すなどして、母親が扱いづらいと感じる赤ん坊では、後に抵抗型や混乱型の愛着パターンを示す傾向がみられた。これは、遺伝的要因により、愛着障害を生じやすい不利な気質が関与している可能性を示している。ただ、そうしたケースでは、母親も子どもに対して反応が乏しかったり、過度にコントロールしようとする傾向がみられた。遺伝的な気質と母親の反応性が不利な方向に相互作用を起こすことで、不安定型の愛着パターンが形成されていくと考えられる。
・愛着障害(不安定型愛着)に関連する遺伝子として最初に見つかったのは、D4ドーパミン受容体遺伝子の変異で、繰り返し配列が通常よりも多く、48塩基縦列反復(48bpVNTR)と呼ばれる領域が、通常は2回または4回反復するところを7回反復していた。この変異が最初に見つかった子どもは、混乱型の不安定愛着を示していたが、その後の研究で、混乱型の愛着パターンを示す子どもの67%で、この遺伝子変異が認められることがわかった。それに対して、安定型の愛着を示す子では20%、回避型では50%の頻度で認められ、この遺伝子変異をもっている子の場合、混乱型の愛着障害になるリスクが、もたない子の4倍になると計測されたのである。
・この遺伝子変異は、母親が通常のコミュニケーション能力を示す場合には不利に働き、愛着障害を引き起こすリスクを高めるが、母親が混乱した情緒的コミュニケーションを行う場合には、むしろ不安定型愛着になるのを抑える方向に働いていたのである。この遺伝子変異をもつ子どもは、正常な感受性をもたないので、傷つくことを避けられるのかも知れない。
・遺伝的要因の関与のうち、もう一つ、セロトニン・トランスポーター遺伝子の変異がある。(セロトニン・トランスポーターとは、神経伝達物質セロトニンが、神経細胞の軸索の先端からシナプスと呼ばれる間隙に放出された後、このセロトニンを再び取り込む働きをしているタンパク質である)遺伝子の変異によりトランスポーターが効果的に作られないと、セロトニンの再取り込みがスムーズにいかなくなり、セロトニン系の信号伝達機能を弱めてしまう。つまり不安を抱きやすくなったり、うつになりやすくなったりする。
・セロトニン・トランスポーター遺伝子には、短い配列(s)のタイプと長い配列のタイプ(l)があり、遺伝子は父親と母親からもらったDNAがペアになっているため、s
/s、s/l、l/lの三つの組み合わせがある。短いタイプほどセロトニン・トランスポーターを作る能力が低く、s/s型の人では、子どものころから不安を覚えやすかったり、うつになりやすいことが知られている。脳のレベルでも扁桃体の活動が活発で、ストレスホルモンの放出が多い傾向がみられる。些細な刺激も不快に受け止めやすく、愛着形成にも影響することが予想されるのだが、実際、混乱型の愛着パターンを示す子どもには、s/s型の子が多いのである。
・また、短い配列のタイプでは、母親の配列が乏しい場合、l/l型の子はその影響を受けにくいが、s/s型や、s/l型の子どもはその影響を受け、不安定な愛着パターンを示しやすい。60~70%の子どもがs/s型か、s/l型で、l/l型の子は30~40%にとどまるため、母親がうつ病や不安障害に罹患しているケースでは、子どもも、その遺伝的形質を共有していることも少なくない。その場合は、不安や抑うつ的になりやすい傾向を母子が共有することで、悪循環を形成しやすいと考えられる。
・このように、子どもの側の要因と母親側の要因が絡まり合い、不利な面が重なり合うことで、愛着障害が生じていくと考えられている。悪循環をつくりやすいという意味でも、母親のうつや不安障害は、重要な問題だと言える。

【感想】
・以上で第2章は終わる。「愛着障害が生まれる要因と背景」が詳述されていた。まず、愛着が形成される臨界期(3歳)までに、①母親と離別すること、②養育者が交替することが挙げられ、次に、両親が揃っている場合でも、母親の状態、両親の関係、養育態度の如何によっては、愛着障害が生まれうること、さらに一部は遺伝的要因も関与することが述べられている。
・実例として、ミヒャエル・エンデ、ビル・クリントン、ヘミングウエイ、中原中也、ウィニコットの場合が採りあげられている。母親の不安が子どもとの愛着形成を妨げ、抵抗型、混乱型の愛着パターンを招く事例が多かったが、中原中也の場合は、両親の養育態度が大きく影響しているケースで、大変興味深かった。両親は中也の誕生を喜び、溺愛したが、「期待」「過保護」が高まりすぎて、中也は反抗的になる。子どもを期待通りの鋳型にはめ込もうとする親の方針が、ますます中也の心を荒ませ、混乱させていく。このような事例は、今でも珍しいことではない。
・筆者は【愛着スタイルと養育態度】の中で、①母親が子どもに対して、無関心であまりかまわない場合は、回避型、②母親自身不安が強く、神経質、厳格、過干渉、矛盾傾向がある場合は、抵抗/両価型、③母親が精神的不安定、虐待を行っている場合は、混乱型、と分析しているが、私にはとても参考になった。現在、子どもの三分の一が不安定型の愛着パターンを示すといわれるが、その母親の養育態度が上記のいずれかに該当することは間違いないだろう。また、〈うつになりやすい人では、完璧主義や潔癖症、強すぎる義務感といった性格傾向を備えていることが多く、そうした性格と結びついた行動様式が虐待を誘発しやすいと考えられている〉とも述べられている。「完璧主義」「潔癖症」「義務感」
といった価値観は、世間では肯定される。中原中也の両親のように、「世間体」を重視して、子どもの気持ちを無視する親も少なくないだろう。わが子よりも世間を大切にし、「良い親」を演じようとすることはないか、反省しなければならない、と私は思った。
・余談だが、〈恋人や配偶者は、愛着スタイルに関して、かつて母親が及ぼした影響に匹敵するほどの大きな影響を及ぼすことがある。それまで変動の激しかった対人関係が、安定した愛着スタイルの人と一緒にいるようになって、落ち着いてくることもある。逆に、安定型の愛着スタイルをもつ人が、不安定型の愛着スタイルをもつ配偶者の影響で、不安定型に変化するという場合もある〉という記述もあった。昨今の若者たちが、なかなか結婚に踏み切れない事情も、そのあたりにあるのだろうと、妙に納得してしまった。筆者は続いて「共倒れするか。互いが幸福をつかむかの分かれ目は、どこにあるのだろうか。その点については後の章で述べたい」とも記しているので、期待を込めて次章を読み進めたい。(2015.9.27)



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「愛着障害」(岡田尊司・光文社新書・2011年)要約・《9》

《第3章 愛着障害の特性と病理》
【愛着障害に共通する傾向】
・愛着障害には回避型と不安型のような正反対とも言える傾向をもったタイプが含まれるが、その根底には、大きな共通点がある。
・愛着障害は、素晴らしい能力とパワーをもっている。
【親と確執を抱えるか、過度に従順になりやすい】
・親との関係をみるうえで重要なのは、愛着に問題がある場合、親に対する敵意や恨みといったネガティブな感情、あからさまな確執や軋轢だけでなく、過度の従順さや良い子としての振る舞いといった形で親に奉仕しようとすることも多いことである。また、両方の感情や行動が、両価的に混在していることも多い。関係がうまくいっている局面では、気に入られようとして親を喜ばせるが、それがうまくいかない局面になると、否定的な感情が噴出し、関係が急に悪化したりする。
・もうひとつ重要なのは、親の期待に応えられない自分をひどく否定したり、責めることである。親を否定している一方で、親から認められない自分を、駄目な人間のように考えてしまう傾向がみられやすいということである。
【ヘミングウエイの後悔】
・ヘミングウエイは、母親に対して否定的な言葉を浴びせかけ、関わりを絶ってきた自分への悔恨と罪悪感を感じていた。それが、後に彼を苦しめるうつ病の一因ともなっただろう。拒絶、攻撃、憎悪とともに理想化、罪悪感といったものが混じったアンビバレントな思いは、母親と不安定な愛着しかもつことができなかった子どもたちが、母親を失ったとき、共通して抱くものである。
【信頼や愛情が維持されにくい】
・狭い意味での愛着障害は、誰にもまったく愛着を感じないか。逆に、誰に対しても親しげに振る舞うか、ということである。後者の場合、誰にでも愛着するというのは、特定の愛着対象をもたないという点で、誰にも愛着しないのと同じであり、対人関係が移ろいやすい。対人関係、恋愛関係において、誰に対しても同じような親しさで接すれば、トラブルや争いの原因になるし、信頼関係の維持も困難にする。
・広義の愛着障害では、その程度は軽くなるが、本質的な傾向は同じだと言える。親密な関係が育ちにくい場合もあれば、たちまち親密な関係になるものの持続性がなく、すぐに冷めてしまったり、別れてしまうという場合もある。いずれにせよ、特定の人との信頼関係や愛情が長く維持されにくいという点では共通している。
【何度も結婚に失敗したのは】
《ヘミングウエイの結婚歴》
①ハドリー・リチャードソン:8歳年上。心に傷を抱えた情緒不安定な女性。息子を一人もうけたが、ヘミングウエイの浮気で離婚。
②ポーリン・ファイファー:雑誌編集者、浮気の相手。次々と子どもが生まれたが、浮気の泥仕合で離婚。
③マーサ・ゲルボーン:駆け出しの作家。母親に似た上昇志向の強い野心的な女性。家庭そっちのけで海外を飛び回る。この結婚はもっとも短命に終わった。
④メアリー・ウェルシュ:母性的な女性。横暴な命令にも忠実に従う、優しく忍耐強い女性。夫のあらゆる欠点を受け入れれ、添い遂げた。
・ヘミングウエイの回想記では、ハドリーに対してだけは、別れた後も特別な思いをもる続けていた。
【ほどよい距離がとれない】
・愛着障害における対人関係の特性は、相手との距離が近すぎるか、遠すぎるか、どちらかに偏ってしまい、ほどよい距離がとれないということである。
・相手との距離を調節する土台となっているのが、その人の愛着スタイルである。
・回避型:親密な距離まで相手に近づくことを避けるため、対人関係が深まらない。
・不安型;距離をとるべき関係においても、すぐにプライベートな距離に縮まってしまい、親しくなることイコール恋愛関係・肉体関係ということになる。
・混乱型:最初はよそよそしかったり、打ち解けなかったりするが、個人的なことを少し話しただけで、急速に接近し、恋愛感情に走ってしまうことが起きやすい。
【傷つきやすく、ネガティブな反応を起こしやすい】
・このネガティブな反応には二つのパターンがある。
・一つは、ストレスを自分に対する攻撃と受け止め、すぐさま反撃行動に出るというものである。暴力的な行動で他人に対して怒りを爆発させる。
・もう一つは、その反撃が自分自身に向かい、自分を傷つける行動に走る。典型的なものは、うつや不安である。感情を抑えがちな我慢強い人に、こうした反応が起きやすい。
・症状となって表れた段階を「疾患」として捉えるのが、現在の診断体系であるが、最終段階を云々するだけでは、病的なプロセスを防ぐことにはならない。ドミノ倒しの最初の段階に関わっているのが、愛着障害であり、最後の段階が、さまざまな「疾患」なのである。
【ストレスに脆く、うつや心身症になりやすい】
・愛着は、心理的のみならず生理的な機能の発達にも関与している。しばしば、神経過敏で、自律神経系のトラブルに見舞われやすい。(夏目漱石は→神経衰弱、胃潰瘍。太宰治→不眠症、薬物依存症)
・画家の例:ルノワール、モネ→安定型 ゴッホ、ユトリロ、モディリアニ→不安定型
【非機能的な怒りにとらわれやすい】
・安定型の人の怒りは、建設的、問題解決的であり、敵意や憎しみは、個人ではなく問題そのものに向けられる。
・不安定型の人の怒りは、相手を精神的・肉体的に痛めつけることに向けられがちである。
破壊的な効果しかない怒りを「非機能的怒り」と呼ぶ。
【過去にとらわれたり、過剰反応しやすい】
・非機能的な怒りにみられやすい特徴は、傷つけられたことに長くとらわれ続けることである。水に流してしまえば済むことが、それでは気が収まらず、何年も何十年も不快な思いに心を乱し、人生を空転させてしまうことも起きる。
・傷にとらわれてしまうのは、愛着に傷を抱えた人の特性とも言える。
・愛着の傷は、もう一つの特性を生みやすい。それは、過剰な反応をしやすいということである。思い込みが激しいところもある。ありのままの相手ではなく、自分の記憶のなかの存在に重ねてしまい、そこからくる思い込みによって相手を即断してしまうのである。
【「全か無か」になりやすい】
・愛着障害は、全か無かの二分法的な認知に陥りやすい。好きと嫌いがはっきりしすぎて、嫌いな人にも良い点があるということを認められない。こうした傾向は、対人関係を長く維持することを困難にする。
・夏目漱石の作品、生き様は、その典型的な例である。
【全体より部分にとらわれやすい】
・愛着障害の人は、全体的な関係や視点ではなく、部分に分裂した関係や視点に陥りやすい。相手からどんなに恩恵を施されても、一度不快なことをされれば、それ以外のことは帳消しになって、相手のことを全否定してしまう。→「部分対象関係」(メラニー・クライン)
・これは乳児にはふつうにみられるが、成長とともに相手を全体的な存在としてみることができるようになる。→「全体対象関係」
・クラインの「対象関係」を、ボウルビィは「愛着」として捉えなおした。部分対象関係から全体対象関係への移行は、愛着の成熟を表しているとも言えるが、その過程において、もっとも重要なのは、相手に「心」や「人格」という言葉で表現されるような統合的な存在を感じられるようになるということである。
・部分対象関係と全体的対象関係を隔てるものは、「相手の気持ちがわかるかわからないか」ということであり「共感性が芽生えているか」ということである。
・愛着障害の人は、相手の気持ちに対する共感性が未発達な傾向を示す。相手の立場に立って、相手のことを思いやるということが苦手になりやすい。幼いころ、共感をもってせっしてもらうことが不足していたことと関係しているだろう。
・恋愛関係において、特有の歪みを生じやすい。愛情の対象となるのは、相手のごく一部分であることも起こり得る。相手の肉体だけ、容姿、家柄、学歴だけに特別な関心を示すこともある。
【川端の初恋】
・川端の初恋は、同じ寄宿舎の下級生であった。その少年の、肉体の部分に愛着したことが、「少年」という作品に残されている。
・部分への執着を極限まで追求すると「眠れる美女」のような幻想に行きつくことになる。【ヘミングウェイと闘牛】
・「私は牛を牛以外のものと思ったことはありませんよ。私は動物に愛着をもったことなどありません」(「並はずれた生涯;アーネスト・ヘミングウェイ」)
・愛着障害の人には、ときとして、残酷趣味や動物虐待の傾向がみられることがある。その根底には、歪められた攻撃性の問題と、共感性の欠如が関わっている。
・感受性の極度の低下は、危険に対する無頓着という形でもみられる。危険に対する極度の鈍感さは、重度の回避型愛着の人にみられやすい。
【意地っ張りで、こだわりやすい】
・愛着障害の人の重要な特徴の一つは、過度に意地を張ってしまうことである。非機能的な怒りと同じ意味で、非機能的な執着と言えるだろう。
・不安定な愛着環境で育つと、自分にこだわることで、自分を保とうとする。親が不安定な愛着スタイルの持ち主の場合には、親自身も柔軟性を欠き、子どもに対して無理強いや支配的な対応になりがちなため、子どもも同じようなスタイルを身につけやすい。
・愛着障害の根が深いほど、さらに天邪鬼な反応がみられるようになる。「甘えたい気持ちを我慢すると、反抗したくなる」
・柔軟性の乏しさは、厳格さや不寛容さにも通じる。ある真理実験では、不安定型愛着スタイルの人は、自分の価値観や道徳観から外れている人に対して「厳しく罰するべきだ」という意見を多く述べた。
・他人の評価においても、不安定型の人は、先入観に縛られ、感情的な反応を起こしやすい傾向がみられた。

【感想】
・ここまでは、愛着障害の特性、病理のいくつかについて述べられている。要するに、①親と確執を抱えるか、過度に従順になりやすい。②信頼や愛情が維持されにくい。③ほどよい距離がとれない。④傷つきやすく、ネガティブな反応を起こしやすい。⑤ストレスに脆く、うつや心身症になりやすい。⑥非機能的な怒りにとらわれやすい。⑦過去にとらわれたり、過剰反応しやすい。⑧「全か無か」になりやすい。⑨全体より部分にとらわれやすい。⑩意地っ張りで、こだわりやすい。という「特性」である。また、それらの「特性」がどのような「病理」を生み出すかについても、いくつかの事例が挙げられていた。
・これらの特性は、誰もが自分を反省するとき、いくつかは思いあたることがあるのではなかろうか。私は、宅間守、宮崎勤、川崎の少年A、佐世保の少女といった人物が思い浮かぶ。他ならぬ私自身の中にも、そのような特性が秘められていることは間違いない。それは生後5か月で母親を亡くした生育史からも、私自身が不安定な愛着スタイルを抱えていることは明らかであり、十分に納得できることばかりであった。では、それらの特性が「病理」にまで進行しなかったのは何故か。おそらく、「父親への愛着」が形成されていたから、と思う他はないが、それも14歳までのことであった。私は、中原中也の場合と同様、「世間体を気にする」父親に反抗し、「意地っ張りで、こだわりやすい」、天邪鬼な
性格を今も持ち続けている。また、それ以外にも「全か無か」「全体より部分にとらわれやすい」といった特性は、私の人格形成に大きく関与していると思われる。本書の第六章では「愛着障害の克服」について述べられている。期待を込めて先を読み進めたい。(2015.9.28) 



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「愛着障害」(岡田尊司・光文社新書・2011年)要約・《10》

【発達の問題を生じやすい】
・子どもは愛着という安全基地があることで、安心して探索活動を行い、認知的、行動的、社会的発達を遂げていく。愛着は、あらゆる発達の土台でもあるのだ。愛着障害があると。発達の問題を生じやすい。
・安定した愛着の子どもは、自分一人では手に負え合い問題に対して、助けを求めたり、相談したりすることがスムーズにできる。しかし、愛着障害があると、自力で対処しようとして極限まで我慢し、結果的に潰れてしまうということが起きやすい。
・愛着障害を抱えた人では、向上心や自己肯定感が乏しい傾向がみられる。目標に向かって努力しようという意欲が湧きにくい。親を喜ばすために頑張ろうという気持ちを持ちにくい。
・愛着障害を抱えた偉人(夏目漱石、ミヒャエル・エンデ、ヘルマン・ヘッセ、スティーブ・ジョブズら)のなかには、子どものころ問題児で、いまなら「発達障害」という診断を下されたと思われるような人が少なくない。(ジョブズ→ADHD,エンデ→放火、ヘッセ→破壊、放火、自殺未遂
【発達障害と診断されることも少なくない】
・本来の発達障害は、遺伝的な要因や胎児期・出産時のトラブルで、発達に問題を生じたものであるが、愛着障害にともなって生じた発達の問題も、同じように発達障害として診断されている。両者を区別するのは、症状からだけでは難しい場合も多い。ごく幼いころに生じる愛着障害は、遺伝的要因と同等以上に、その子のその後の発達に影響を及ぼし得る。愛着パターンは、第二の遺伝子と呼べるほどの支配力をもつのである。
・アスペルガー症候群として診断された人が、実は、愛着障害だったというケースにも少なからず出会う。
・アスペルガー症候群が、遺伝的な要因に基づく障害だという、一般的な理解に従うならば、その人を、アスペルガー症候群と診断するよりも、愛着スペクトラム障害と診断した方が、事実をより正確に反映することになるだろう。
・愛着障害のケースに、発達障害の(対処・アプローチ)方法をそのまま当てはめようとしてもなかなかうまくっかない。
・発達障害があって育てにくいために、親との愛着形成がうまくいかず、愛着の問題を来している場合もある。自閉症の子どもの場合、母親との愛着の安定性を調べると、健常児の場合よりも、不安定型愛着の割合が高い。しかし、より症状が軽度な自閉症スペクトラムでは、健常児と比べて不安定型愛着の頻度には、違いが認められていない。発達障害があっても、愛着への影響は小さく、両者は別の問題として理解した方がよい。

【感想】
・ここでは「発達障害」と「愛着障害」の共通点と違いについて述べられており、私にとっては、極めて重要な部分である。共通点は《症状》であり、見ただけでは区別がつかない。筆者は「(より症状が軽度な自閉症スペクトラムでは)発達障害があっても、愛着への影響は小さく、両者は別の問題として理解した方がよい」と述べているが、それに含まれるアスペルガー症候群については「アスペルガー症候群と診断するよりも、愛着スペクトラム障害と診断した方が、事実をより正確に反映することになるだろう」とも述べている。矛盾していないだろうか。また、「愛着障害のケースに、発達障害の(対処・アプローチ)方法をそのまま当てはめようとしてもなかなかうまくっかない」と述べているが、では、「発達障害」のケースに、「愛着障害」の(対処・アプローチ)方法をそのまま当てはめようとした場合、うまくいくのだろうか。さらに、「(発達障害があって育てにくいために、親との愛着形成がうまくいかない)自閉症の子どもの場合、不安定型愛着の割合が高い」とあるが、どのような対処・アプローチを行えばよいのだろうか。
 いずれにせよ、「発達障害」か「愛着障害か」、「愛着障害」を伴う「発達障害」に対してどのようなアプローチをすればよいか、という問題は、親、関係者、専門家らの思惑が複雑に絡み合い、簡単に片づけることができない、というのが現状ではないか、と私は思った。(2015.9.28)



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「愛着障害」(岡田尊司・光文社新書・2011年)要約・《11》

【自分を活かすのが苦手】
・不安定愛着型の子どもは、自分の可能性を試すことについて、過度の不安を感じたり、投げやりで無気力になったり、最初から諦めていたりしがちである。その結果、自分の可能性の芽を摘んでしまうことも多い。
・愛着障害の人は、自分の潜在的な能力を活かせていないことが多い。
【キャリアの積み方も場当たり的】
・回避型や不安型の愛着を示す若者の場合、キャリアの選択がなかなかできず、かといって十分な模索をするわけでもない。わずかな見聞や情報だけで決めてしまうという傾向がみられている。自分の選択に対する満足度も低い。
【依存しやすく過食や万引きも】
・愛着障害の人が、自分を支えていくためには、何らかの対象に依存するしかないが、それは麻薬的な悪い依存になりやすい。
・⇒アルコール、薬物、食べること、買い物、恋愛、セックスといった快楽行為
・⇒物への異常な執着→物、お金を「愛情の代用品」にする→万引き
【ヘミングウェイと依存症、うつ】
・ヘミングウエイは生涯、アルコールや恋愛への依存症があり、うつや猜疑心に付きまとわれ、自殺にまで追い込まれた。
【青年期に躓きやすい】
・不安型の人は、慣れ親しんだ人たちと別れ、自分だけを頼りに見知らぬ環境で暮らしてかなければならないということが、強いプレッシャーとなりやすく、情緒的な混乱をしばしば引き起こす。
・回避型の人は、失敗を恐れるあまり過度に防衛的になり、思いきりよくチャレンジしたり、難しい課題に取り組むことを自分から避けてしまうので、実力が発揮されにくい。
【子育てに困難を抱えやすい】
・二つのパターンがある。①子どもが嫌いで関心がない。②子どもが好きだが上手に愛せない。どう接したらいいかわからない。
・スティーブ・ジョブスは、クリス・アンという女性と親密になったが、アンが妊娠すると、中絶をせまり、彼女がそれを拒むと、関わりを一切絶ってしまった。
・夏目漱石、谷崎潤一郎、川端康成、太宰治らは、みな子どもに対して関心が乏しいか、上手に愛せない人たちであった。
・愛着障害の人は、子どもとの関係が安定した絆として維持されにくく、わが子でありながら疎遠になってしまったり、憎しみ合う関係になることもある。
・逆に、自分の世話係や相談相手にすることで子どもに依存し、孤独や満たされない思いを紛らわそうとするケースもある。子どもは親に縛られ、自立が妨げられてしまう。
【良い父親ではなかったヘミングウェイ】
・最初の妻との間に生まれた息子ジョンは、ヘミングウェイの離婚後、母の手に委ねられ、母の離婚後、再びヘミングウェイの元に戻された。(最悪の養育環境)
・二人目の妻との間にできた二男パトリック、三男グレゴリーの世話は、妹や乳母に任せっきりで夫妻は二人だけで旅行した。
・表向きは、包容力のある良いパパを演出しようとしたヘミングウエイだが、その実態はひどくお粗末で、最悪の父親ぶりであった。
【父親になることをしり込みしたエリクソン】
・エリクソンは不義の子として生まれたため、実の父親が誰か知らないまま育った。
・愛着障害を抱えているジョアンと親密になったが、彼女が妊娠していると、すっかり狼狽し「永続的な関係を築くことへの不安」にとらわれ、結婚を逃れようとした。
・しかし、友人に説得されて結婚、家事・育児はジョアンに任せっきりだったが、ジョアンは自立し、エリクソンを支えた。
・家庭では「邪魔者」「問題児」扱いしかされなかった二人だったが、理想的ともいえる家庭を築くことができた。
【アイデンティティの問題と演技性】
・愛着障害があると、アイデンティティの問題も生じやすい。愛着は、安心感を与える土台であり、そこが障害を受けると、「自分が自分である」ということに確信をもちにくくなる。
・アイデンティティは、集団の一員としてのアイデンティティ、性のアイデンティティ、自分という存在としてのアイデンティティなど重層性をもつ。これらさまざまな次元のアイデンティティにおいて問題を生じやすい。
・「自分が自分である」ことに違和感があると、無理をしているという感覚をともないやすい。その結果、ある役割を本心から果たすのではなく、「演じている」という感覚をもちやすくなる。
【道化という関わり方】
・不安定型愛着の人は、三枚目やオッチョコチョイや道化役を演じることで、周囲から「面白い人」「楽しい人」として受けいれられようとする。
・道化役を演じてしまう人は、自己卑下的な傾向が強く、その根底には自己否定感がある。自分を粗末に扱うことで、相手に気を許してもらおうとするのである。他者に対する一つの媚びであるが、そうしないでは生きてこれなかった子ども時代の境遇が、そこに反映されている。
・「人間失格」(太宰治)
・一方で、辛辣、シニカルな毒舌や乾いたユーモアをみせる人もいる。
・両者に共通するのは、人生や世のなかに対して第三者のように関わっているということである。どこか超然とした達観があり、自分が対等なプレイヤーとして加わることを、最初から諦めている。
【内なる欠落を補うために】
・自分自身に対する違和感は、自分の欲望や喜び、満足感といった感覚がわからなくなる失感情症(アレキシサイミア)として表れることもある。
・「自分には『空腹』という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです」(「人間失格」太宰治)
・安全基地をもたず、自分の欲求や感覚よりも、周囲への気づかい の方に全神経を注ぎ込み、空腹を満たすという本能的な喜びにさえ気持ちを注ぐことができない。
・失感情症は、他人と喜びや悲しみを共有することの困難に通じる。共感したくても、それを実感できないから、共感しようがないのである。不安定で確かなものがない感覚のなかで、愛着障害の人が拠り所とするのは、演じるということであり、それによって、ぽっかり空いたバツの悪い間をうめようとするのである。
・演じることに密接に関係した問題行動は虚言である。自分という存在の薄さを、作り話によって補う意味がある。嘘で装うことで、自分が願望する存在や相手に気に入られる存在になろうとするのである。
【反社会的行動の背景にも多い】
・愛着障害を抱えた子どもには、物を盗んだり、壊したり、弱いものをいじめたりといった、反抗やいたずらといった問題行動がしばしばみられる。
・実際、非行に走る少年少女の大部分は愛着障害を抱えている。
・「エミール」の著者・ルソーには「盗癖」があった。
・愛着障害の人にみられやすい犯罪行為の代表は万引きや盗みである。盗みは、愛情を得る代償行為になっていたり、愛情を与えてもらえないことの仕返しとして行われることもある。恵まれない境遇にある自分の当然の権利として、あるいは反抗の証しとして、確信犯的に人の物を盗るようになる。
【ジャン・ジュネという奇跡】
・ジャン・ジュネの傑作でサブテーマとなっているのは、盗癖とホモセクシャルであり、そこには彼自身の人生が反映されている。彼は愛着障害が陥りやすい危険を、極端な形で症状化してみせると同時に、それを克服する道程を、われわれに示してくれた。
・未婚の母のもとに生まれたジャン・ジュネは7か月後、遺棄され、家具職人一家の里子になった。養父母は優しく寛大であったが、ジャンの盗癖がはじまり次第にエスカレートしていった。
・ジャンは、里親のもとを去った後、何度も落ち着くチャンスがあったにもかかわらず、盗みや放浪を繰り返しては、感化院や刑務所を行き来するようになった。
・ジャン・ジュネの本当の奇跡は、作家として成功したことよりも、彼が泥棒として人生を終えなかったことだ。
・ジャン・ジュネは小説家から、ヴェトナム反戦やパレスチナ問題、黒人問題など、マイノリティの立場に立つ政治活動に身を投じていった。それは「搾取する連中から盗んでやらないといけないんだ」と語っていた少年が、社会と折り合いをつけた姿だったのだろう。
【安住の地を求めてさまよう】
・愛着障害の人のなかには、家出や放浪を繰り返す人がいる。出家したり、遁世をしたりというケースもある。
・その代表は、ゴータマ・シッダルタ、すなわち釈迦である。
・釈迦の遍歴において、母親的な女性との出会いをみることができるが、それは性愛的な煩悩が超越した慈愛へと高められ、それに一体化することで、悟りにいたる。それは、釈迦が母親として求めたものの、究極の形だったのではないだろうか。
【性的な問題を抱えやすい】
・愛着障害の人は、性的な問題を伴いやすい。愛着は対人関係の基本であると同時に、性愛も愛着を土台に発達するのである。愛着障害は対人関係に影響を及ぼすのと同じように、性愛にも、さまざまな形で皺寄せがくる。
・愛着障害が生じる環境では、母親は妊娠中から、あまり恵まれた状況にないことが多く、高いストレスによって、妊娠中のホルモン環境が胎児の成長に悪影響を及ぼす危険が増大するのである。(男児の妊娠中に、母親が強いストレスを浴びたり、ある種の薬物を服用していると、胎児の精巣から分泌される男性ホルモンの量が少なくなる。これは性同一障害や同性愛傾向を生む要因となる)
・また、愛着障害の子どもでは、混乱した性的障害を幼いころから受けてしまうというケースも少なくない。母性的な愛情への憧れと性愛の混乱がみられたり、男女の役割の倒錯がみられたりしやすい。
・ジャン・ジュネ:「女性に魅力を感じたことは、一度もない」
・夏目漱石;女装癖
【ルソーの変態趣味】
・ルソーにも性倒錯的な趣味があった。
・母親が子どもに対して冷淡だったり、虐待を加えたりした場合、子どもは女性に対して強い敵意を抱くようになり、非常に歪んだ形でしか女性を愛することができなくなることもある。(サディズム、幼児性愛)
・性的倒錯の背景には、ほとんど例外なく愛着障害がみられる。
【谷崎潤一郎の女性観】
・谷崎純一郎も、特異な愛着障害を抱えていた。
・谷崎の描く世界では、相互的な愛よりも、一方的な献身やマゾヒズム的犠牲こそが、愛の本質なのである。「痴人の愛」「卍」「春琴抄」「少将滋幹の妻」
・谷崎の幼年期の特徴は、甘やかされて過保護に育てられたということと、肝心の母親の愛情が欠けていたというアンバランスさに要約できるだろう。三島由紀夫の幼年時代の境遇と共通している。(三島は谷崎の作品を高く評価している点が面白い)
【親代わりの異性と、ずっと年下の女性】
・愛着障害を抱えた人は、しばしば親代わりの存在を求める。ずっと年上の異性が恋人や配偶者となることも珍しくない。逆に、ずっと年下の異性に親のように振る舞うことで、自分が欲しかった存在になろうとすることもある。
・男性の場合、成熟した女性への忌避もある。母親との関係が不安定で、母親に対する憎悪や過度の理想化があると、通常の恋愛や愛情を伴った肉体関係が困難となるのである。
・喜劇王チャールズ・チャップリンは、ずっと年下の女性を好んだことで知られている。
・乳飲み子だったころから母親が忙しかったうえに、その後(父親と離婚)ずっと不安定な母親を見て育ったことで、チャップリンは愛着不安の強い、不安定型の愛着スタイルを抱えることになった。
・また、チャップリンの人生に欠落していた父親という存在は、その欠落ゆえに憧れとなった。はるかに年下の女性を妻にすることは、父親を求める願望を、逆に自らが父親的な存在として振る舞うことで、代償するものである。同じく父親の不在という心のすき間を抱えていたウーナ・オニールとの結婚が、37歳という年齢差を超えて、稀に見る幸福なものとなりえたのは、まさにその点に秘密があったように思える。
【誇大自己と大きな願望】
・偉大な人物には、愛着障害を抱えているケースが少なくない。
・誇大自己は、幼い時期にみられる自己愛の一形態である。自らを神のように偉大な存在と感じ、万能感や自己顕示性、思い通りにならないときに表れる激しい怒りを特徴とする。
・コフートによると、誇大自己の願望がほどよく満たされ、またほどよく挫折を味わうことで、バランスのとれた段階へと成熟していく。しかし、何かの理由で、急激に挫折を味わうと、誇大自己の段階にとどまり続けてしまう。それは愛着障害で起きることに他ならない。
・誇大自己が残ったままの愛着障害の人は、誇大自己の願望を、現実とは無関係に膨らまし続けることで、傷ついた自己愛を保とうとするのである。それが、大きな理想を実現し、逆境をはねのける原動力となっている側面もある。
・しかし、それは両刃の剣でもある。
【高橋是清の『強運』】
・高橋是清は、生まれてまもなく里子に出され養家で育ったが、「自分は運のいい子だ」という信念をもつようになったという。
・外国人の商館で下働きをし、外国に渡ったが、奴隷に売り飛ばされた。しかし、彼のなかには楽天的な万能感が、艱難辛苦を不思議と乗り越えさせた。
・無鉄砲で騙されやすい性格は容易に治らず、大借金を抱えるなど浮き沈みの激しい人生を送った。彼の「強運」は、危険な目にそれだけ遭遇したということであり、無防備な人生を歩んだということにほかならない。
【独創的な創造性との関係】
・作家や文学者に、愛着障害を抱えた人が、異様なほど多い。(夏目漱石、谷崎潤一郎、川端康成、太宰治、三島由紀夫)日本の近代文学は、見捨てられた子どもたちの悲しみを原動力にして生み出されたとも言えるほどである。
・「欠落」を心のなかに抱えていなければ。直接に生産に寄与するわけでもない創作という行為に取りつかれ、人生の多くを費やしたりはしないだろう。書いても書いても癒し尽くされない心の空洞があってこそ、作品を生み出し続けることができるのだ。
・芸術の分野以外でも、政治や宗教、ビジネスや社会活動の領域で、偉大な働きや貢献をする人は、しばしば愛着障害を抱え、それを乗り越えてきたというケースは少なくない。愛着障害の人には、自己への徹底的なこだわりをもつ場合と、自己を超越しようとする場合がある。その二つは、表裏一体ともいえるダイナミズムをもっている。自己へのこだわりを克服しようとして、自己超越を求めることは多いが、同時に、自己に徹底的にこだわった末に、自己超越の境地に至るということも多いのである。
・彼らの行動や思考が、独創性や革新性をもたらすということは、彼らが「親という安全基地をもたない」ということと深く関係しているように思える。いきなり社会の荒波に放り出されて生きてきたようなものであり、その困難は大きい。しかし親という安全基地は、しばしばその人を縛りつけてしまう。そこが安全であるがゆえに、あるいは親に愛着するがゆえに、親の期待や庇護という「限界」にとらわれてしまうことも多い。親が設定した「常識」や「価値観」にがんじがらめにされ、常識的な限界を超えにくいのである。愛着が不完全で、安全基地をもたない場合には、そこに縛られることがないので、まったく常識を超えた目で社会を見たり、物事を感じたり、発想することができやすい。これが、独創性という点で、大きな強みを生むのである。
・創造とは、ある意味、旧来の価値の破壊である。破壊的な力が生まれるためには、旧来の存在と安定的に誼を結びすぎることは、マイナスなのである。親を代表する旧勢力に対する憎しみがあった方が、そこから破壊的なまでの創造のエネルギーが生み出されるのだ。
・その意味で、創造する者にとって、愛着障害はほとんど不可欠な原動力であり、愛着障害をもたないものが、偉大な創造をを行った例は、むしろ稀と言っても差し支えないだろう。技術や伝統を継承し、発展させることはできても、そこから真の創造は生まれにくいのである。なぜなら、破壊的な創造など、安定した愛着に恵まれた人にとって、命を懸けるまでには必要性をもたないからである。
・漱石は東大教授という安定した地位を擲って新聞小説家になった。谷崎は東大を中退し作家活動に飛び込んだ。スティーブ・ジョブズは、大学を中退してドラッグ、放浪という遍歴を繰り返した。バラク・オバマは、大学卒業後、一流企業に就職せず、ソーシャル・オーガナイザーとして活動した。
・彼らの創造的な人生の原点にあるのは、既成の価値を否定し、そこから自由になろうとしたことである。彼らにそれができたのは、彼らが内部に不安定な空虚を抱え、常識的な行動によっては満たされないものがあったからだ。その源をさかのぼれば、愛着の傷ということに行きつくだろう。

【感想】
・以上で、「第3章 愛着障害の特性と病理」は終わる。
・筆者は、「親という安全基地をもたない」愛着障害のネガティブな特性(病理)として、①信頼や愛情が維持されにくい、②ほどよい距離がとれない、③傷つきやすい、④ストレスに脆い(うつや心身症の要因になる)、⑤非機能的な怒りにとらわれやすい、⑥過剰反応しやすい、⑦「全か無か」になりやすい、⑧全体よりも部分にとらわれやすい、⑨意地っ張りでこだわりやすい、⑩発達の問題を生じやすい(発達障害と診断されることも少なくない)、⑪自分を活かすのが下手、⑫キャリアの積み方も場当たり的、⑬依存しやすい(過食・万引き)、⑭青年期に躓きやすい、⑮子育てに困難を抱えやすい、⑯道化という関わり方をする、⑰反社会的な行動を生み出す、⑱安住の地を求めてさまよう(家出・放浪)、⑲性的な問題を抱えやすい、⑳親代わりの異性とずっと年下の異性、㉑誇大自己と大きな願望、を挙げている。
・私自身、生後5か月で母親と死別したので、「親という安全基地」は父親が代償したが、愛着は不十分であり、愛着障害を抱えて生きてきた、といっても過言ではないだろう。事実、小学校入学時の健診では「知恵遅れ」の疑いがあるとされ、再検査を受けた経験がある。また、入学後の学校生活になじめず、1か月ほどは「登校」を拒否した。以後の自分史をふりかえっても、「ほどよい距離がとれない」「傷つきやすい」「過剰反応しやすい」「全か無かになりやすい」「全体よりも部分にとらわれやすい」「意地っ張りでこだわりやすい」「道化という関わり方をする」といった特性は、自分の性格として思いあたる。また「安住の地を求めてさまよう」願望は、今でもある。
・一方、筆者は、愛着障害のポジティブな特性(可能性)についても述べている。それは、「親という安全基地をもたない」がゆえに、旧来の常識、伝統に縛られない破壊的なエネルギーが生み出す「革新性」「独創性」ということである。夏目漱石、谷崎潤一郎、川端康成、太宰治、三島由紀夫らの例を挙げ、〈「欠落」を心のなかに抱えていなければ。直接に生産に寄与するわけでもない創作という行為に取りつかれ、人生の多くを費やしたりはしないだろう。書いても書いても癒し尽くされない心の空洞があってこそ、作品を生み出し続けることができるのだ。〉と述べている。私自身、「欠落」を心のなかに抱え、書いても書いても癒し尽くされない心の空洞があることはたしかであり、作品を生み出し続ける「真似事」もしているが、結果は「駄作の反古」が積み重ねられるばかりで、その可能性とは無縁であることがわかった。(2015.9.29)



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「愛着障害」(岡田尊司・光文社新書・2011年)要約・《12》

《第4章 愛着スタイルを見分ける》
【愛着スタイルが対人関係から健康まで左右する】
・それぞれの愛着スタイルは、「作業モデル」と呼ばれる行動のプログラムをもっている。それは、幼いころからこれまでの人生のなかで作り上げられてきた、行動や反応の鋳型であり判断基準である。
・このプログラムの特異な点は、心理学的な解釈や行動選択に関わるだけでなく、ストレスに対する耐性のような生理学的な反応までも左右し、健康や寿命にも大きく影響する。・愛着障害は、不安定な愛着スタイルを抱えた人の問題であるが、愛着スタイルは、すべての人が関係する問題である。
【大人の愛着スタイルを診断する】
・大人の愛着スタイルの判定には、二つの方法が行われている。一つは、成人愛着面接である。
・もう一つは、質問紙による検査で「親密な対人関係尺度」と呼ばれるものである。愛着不安と愛着回避のスコアが、それぞれ高いか低いかによって、四つのカテゴリーに分類される。いずれも低い場合には「安定型」、愛着不安が強く愛着回避が弱い場合は「不安型」、愛着回避が強く愛着不安が弱い場合は「回避型」、両方とも強い場合は「恐れ・回避型」と判定される。
【ストレスが高まったとき、人を求めますか?】
・不安型の人は、愛着行動が過剰に増加する。
・回避型の人は、ほとんど増加しないか、減ってしまうこともある。
・安定型の人は、ほどよく増加する。
【つらい体験をよく思い出しますか?】
・不安型の人は、(怒りや不安という感情を伴って)すぐに思い出す。楽しい経験は思い出せない。
・回避型の人は、思い出すのに時間がかかる。(傷ついた体験を極力避けようとする。)
・安定型の人は、不安型と回避型の中間である。
【愛する人のために犠牲になれますか?】
〈ある研究では〉
・安定型の人は、自分が犠牲になってもいいと答える傾向がみられた。
・不安定型の人は、嫌がったり、躊躇ったりする気持ちが強くみられた。しかし、自分の価値観や信念のためなら死んでもいいと答えた人が多かった。
【愛着スタイルと仕事ぶり】
・安定型の人は、仕事に対して積極的で問題もなく、満足度も高い。仕事に対人関係の問題をもちこまない。
・不安型の人は、仕事においても愛着と関連した行動が多く、そのことに大きな関心とエネルギーが割かれる。仕事上の成功、失敗は、単に仕事の問題ではなく、自分が受けいれられるか、拒否されるかという対人関係の問題にすり替わりやすい。肝心な仕事自体がおろそかになることも起きる。仕事をうまくやりこなせているかどうかに自信がもてない。平均よりも給与が低い傾向がみられる。
・回避型の人は、仕事上の問題よりも、同僚との軋轢が多く、孤立を招きやすい。同僚に対して関心が乏しかったり協調性に欠けるためである。
・不安定型の人は、仕事の満足度が低く、仕事のストレスや燃え尽きも多い。家族との関係が不安定で、足を引っ張られてしまうことが起こりやすい。
【対人関係か仕事か】
・不安型の人の関心は、何をおいても対人関係に向けられる。人から承認や安心を得ることが、きわめて重要だからである。
・回避型の人は、対人関係よりも仕事や勉強や趣味に重きをおく。対人関係のわずらわしさを避けるために、仕事や勉強に逃げ場所を求めている面もある。世間に向けての自立の体裁を整え、社会的な非難や家族からの要求を回避するために利用している面が強かったりする。仕事や社交、レジャーなどをバランスよくとるのも苦手で、仕事に偏りがちな傾向もみられる。
【愛着スタイルと攻撃性】
・回避型の子どもは、敵意や攻撃行動が多いが、若者や大人においても当てはまる。
・不安型の子どもは、母親に対する強い依存とともに、抵抗や攻撃が特徴的に認められる。欲求不満からくる怒りを母親にぶつけるのである。こうした傾向は、若者や大人の不安型の人にも認められる。彼らの攻撃性は、親やパートナー、子どもといった身内に向けられる。(家庭内暴力)
・不安型の人では、パートナーからの支えを必要としている間は怒りが抑制されるが、支えが必要なくなると、怒りが爆発する。
【健康管理に気を配る方ですか?】
・安定型の人は、健康を維持するために、運動をしたり、食事に気を使ったりということに熱心に取り組む傾向がみられる。
・不安型の人は、きちんとした健康管理を行っていない傾向がみられる。痛みに弱く、不調や苦痛を感じやすい。些細なことでも大騒ぎする。
・回避型の人は、健康管理に無頓着な傾向がみられる。自分の症状やストレスについてあまり自覚がないので、病気が進んで初めて気がつくということになりがちである。身体疾患の罹患率が高い傾向がみられる。(例;潰瘍性大腸炎)
・恐れ・回避型の人は、病院に行くのを億劫がり、治療をちゃんと受けない傾向がある。
【喪の作業の仕方がちがう】
・安定型の人では、故人への愛着を保ちつつ、それを緩やかに薄れさせていくことができる。
・不安型の人は、喪の作業が遷延化して長期化しやすい。悲しみや喪失感はふつうの人よりも大きい。存命中とは対照的に、故人を理想化して回想する傾向がみられた。
・回避型の人は、喪の作業そのものが欠如する傾向がみられる。涙も流さず、割と平然としていることもある。しかし、体の変調となって表れることが多い。故人のことを否定的に語る傾向がみられる。
・恐れ・回避型の人は、喪の作業が困難で不安定なものになりやすい。不安や抑うつ、悲嘆反応が強く表れ、心的外傷様の反応もみられる。アルコール依存に逃避するということも多い。
【愛着スタイルは死の恐怖さえも左右する】
・不安型の人は、死の恐怖や不安を抱きやすく、死について考えることも多い。死を恐れる理由として「私が死んだら、私のことは忘れられてしまう」「死んだらあの人にもう会えない」というように、死を対人関係の延長のなかで位置づける。
・回避型の人は、死に対する恐怖が小さい傾向がある。死を恐れる理由として「死んだらどうなるかわからない」というように、自分の人生を自分でコントロールできないので厄介だと感じるのである。
・安定型の人は、死を肯定的、建設的に乗り越えようとする。子どもや次の世代に関心や愛情を注いだり、創造的な活動や社会貢献に努めようとする。

【成人愛着面接では、親との関係に焦点を当てる】
・成人愛着面接の特徴は、親(養育者)という愛着対象との関係に焦点を当て、それが心のなかで、どのように整理されているかをみる点である。
【成人愛着検査(自己診断用】
①あなたの親(母親、父親、それ以外の養育者)との関係で思い浮かぶ形容詞を、五つ答えてください。■母親 ■父親 ■その他
②いま、答えた五つの形容詞の一つ一つについて、それを具体的に表す子ども時代の経験を答えてください。
③あなたが子どものときに、困ったり、病気になったり、怪我をしたときに、親はどんな反応をしましたか。
④もし、あなたが、子どものころ、親(養育者)と離ればなれになったり、死別した経験があれば、そのことをあなたはどんなふうにかんじていましたか。
⑤もし、あなたが、親(養育者)との関係で、心が傷つくような経験をしたとすると、それはどんなことですか。
⑥親(養育者)に対するあなたの気持ちが変化したということはありますか。あるとすれば、どんな変化ですか。
⑦親(養育者)に対するあなたの現在の気持ちは、どんなものですか。
《検査結果をどのように判定するか》
・この検査の眼目とするところは、被験者が子ども時代に、親(養育者)との関係で、どの程度一貫性のある心理的体験をしたかをみることである。その程度によって、三つのタイプのどれにあてはまるかを判定する。⑴自律型 ⑵愛着軽視型 ⑶とらわれ型
・自律型は、①で答えたそれぞれの形容詞について、それが表す具体的な体験を豊かに思い出して語ることができる。子ども時代の体験に対して一貫した態度を示し、過去や現在の親との関係について客観的に振り返ることもできる。ネガティブな体験に対しても、共感や許しの気持ちを示し、親に対して肯定的に語る。
・愛着軽視型は、一応ポジティブな形容詞で表現するが、それを具体的に表す経験について、生き生きと思い出すことができない。幼少期の記憶が乏しい。親(養育者)との関係については、大して重要なことではないという態度を示す。
・とらわれ型は、子ども時代や親(養育者)との関係について客観的に振り返ることが困難である。今なお恨みや怒りを引きずっており、質問に対しても曖昧な答えしか返さなかったり、質問されることで不機嫌になったりする。
・以上の三つのタイプに当てはめるのが難しい場合は、⑷分類不能型とする。
・分類不能型も、自律型ではないという意味で、判定の意義がある。克服の途上にある場合、タイプの混在が起きて分類不能型を呈することがある。複数の親、養育者に対して、それぞれタイプが異なるという場合もある。
・もう一つチェックすべき点は、④と⑤の質問、親(養育者)との離別(死別)や外傷的体験についての質問に対する反応である。この質問に対して、混乱や沈黙、拒否的な反応を示した場合は、⑸未解決型と判定する。未解決型は、これまでの四つのタイプのどれかに重複して診断される。
【子ども時代の愛着パターンとの関係】
・自律型の人は、安定型の愛着スタイルに相当し、愛着の問題はおおむね認められない。
・愛着軽視型の人は、回避型に相当する。脱愛着の傾向を示し、過去の傷つき体験を記憶から切り離し、蓋をすることで、心の安定を保っていると言える。人に頼らず、自分の力だけを当てにし、独立独歩型、一匹狼型のライフスタイルをとりやすい。親密な関係を避けたり、人を信頼しなかったり、権力や業績や金の力といったものを信奉することで、自分の価値を守ろうとするのである。
・とらわれ型は、不安型に相当し、子どもの抵抗/両価型に対応する。親(養育者)との傷ついた関係が、今も生々しく心を捉えており、親を求める気持ちと憎んだり拒否したりする気持ちとが葛藤している状態にある。傷を受け止め。乗り越えるということが、まだできていない。親以外の対人関係においてもアンビバレントな感情にとらわれたり、過剰に傷ついたりして、不安定になりやすい。
・幼いころの混乱型は、その後の対応次第で、どの愛着スタイルにも分化し得るが、とらわれ型になることが多い。虐待や対象喪失などによる心の傷が深いと未解決型の愛着スタイルも合併しやすい。両者が合併したケースは、大部分、境界性パーソナリティ障害や、その状態になりやすい傾向を抱えている。愛する人との別離といった愛着不安が強まる状況で、再び混乱を呈しやすい。

【感想】
・この章では、「大人の愛着スタイル」を診断する方法について、述べられている。その一つは、「親密な対人関係体験尺度」と呼ばれる質問紙による検査である。「1 積極的に新しいことをしたり、新しい場所に出かけたり、新しい人に会ったりする方ですか」という質問に①はい、②いいえ、③どちらとも言えない、と答える形で、合計45の質問が設定されている。その結果を集計すると、被験者の愛着スタイルが「安定型」「不安型」「回避型」「恐れ/回避型」に分類される仕組みになっている。私は、これまで自分自身をはじめ数人に実施したが、その結果は極めて明確に出たように思う。ちなみに、私自身の愛着スタイルは「回避ー安定型」(愛着回避が強いが、ある程度適応力があるタイプ)であった。
 もう一つは「成人愛着面接」と呼ばれる面接検査である。この検査は、相手との信頼関係がよほど親密にならないと、実施が難しいだろう。質問の内容は、プライバシーや外傷的体験にも触れており、問題の核心を直視せざるを得なくなるからである。日常的な面談(雑談)のなかで、折に触れてそれとなく話題にしながら、時間をかけて答えてもらうような配慮が必要だと思った。
 いずれにせよ、その人の「愛着スタイル」を究明することは有効であることに変わりはなく、その結果が「愛着障害の克服」につながることは間違いない、と私は確信している。期待を込めて、次を読み進めたい。(2015.9.29)



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「愛着障害」(岡田尊司・光文社新書・2011年)要約・《13》

《第5章 愛着スタイルと対人関係、仕事、愛情》
1 安定型愛着スタイル
【安定型の特徴】
・安定型の第一の特徴は、対人関係における絆の安定性である。自分が愛着し信頼している人が、自分をいつまでも愛し続けてくれることを確信している。自分が困ったときや助けを求めているときには、それに必ず応えてくれると信じている。 
・もう一つの特徴は、率直さと前向きな姿勢である。人がどういう反応をするかということに、あまり左右されることがない。
・自分が相手の要求を拒否したり、主張を否定したりすると、相手が傷つき、自分のことを嫌うのではないかと心配したりはしない。自分の考えをオープンにさらけだした方が、相手に対して誠実であり、お互いの理解につながると考える。
・互いに意見を述べて、論じあうときも、がむしゃらに議論に勝とうとしたり、感情的に対立したりするのではなく、相手への敬意や配慮を忘れない。相手の主張によって自分が脅かされたとは受け取らないので、客観的なスタンスを保ちやすい。
・愛する人との別れに際しても、悲しい気持ちを抱きながらも、不安定になったり、生きていく勇気を失ったりすることはない。
・仕事と対人関係のバランスが良いことも、大きな特徴である。
2 回避型愛着スタイル
《回避型の特性と対人関係》
【親密さよりも距離を求める】
・回避型は、距離をおいた対人関係を好む。親しい関係や情緒的な共有を心地よいとは感じず、重荷に感じやすい。
・人に依存もしなければ、人から依存されることもなく、自立自存の状態を最良とみなす。他人に迷惑をかけないことが大事だと、自己責任を重視する。
・もう一つの大きな特徴は、葛藤を避けようとすることである。人とぶつかりあったりする状況が苦手で、自分から身を引くことで事態の収拾を図ろうとする。
・その一方で、ストレスが加えられると短絡的に反応し、攻撃的な言動に出てしまいやすい。冷静そうに見えて、切れると暴発してしまう。
【何に対しても醒めている】
・本気で熱くなることが少ない。情動的な強い感情を抑えるのが得意で、それにとらわれることもない。そうすることで、傷つくことから自分を守っているとも言える。
・愛する人との別れに際してもクールである。
・(実験結果によると)感情的な反応の認知において鈍感な傾向がみられる。表情の読み取りが不正確である。
【自己表現が苦手で、表情と感情が乖離する】
・自己開示を避けるので、自己表現力が育ちにくい。
・親しみを求められたり、愛情を確かめられたりするようなサインに無頓着で、気づかないということも多い。
・喜びや関心の表情が乏しい。
・表情が感情と食い違っていたりする。
・仕事や趣味などの領域で自己主張する傾向が強い。それは聖域であり、誰からも侵されることを好まない。
【隠棲願望とひきこもり】
・面倒くさがり屋でもある。面倒なことを後回しにする。(川端康成、夏目漱石)
【種田山頭火の場合】
・「私が自叙伝を書くならば、その冒頭の語句として、・・私一家の不幸は母の自殺から初まる・・と書かねばならない」
・祖母の養育→小学校は欠席がちで成績不振→周陽学舎で首席→山口中学で並の人→早稲田大学に進学・中退→実家の酒造りに取り組む→ 見合い結婚→酒造り破綻→熊本で古本屋→額縁の行商→離婚(その気はなかったが、兄に捺印を迫られて)→世捨てと旅の人生。【回避型の恋愛。愛情】
・どろどろしたものを嫌う、淡泊なところがあり、相手との絆を守ろうとする意志や力に乏しい。
・川端康成「愛の道は忘却という一筋しかあり得ぬ」
【パートナーの痛みに無頓着】
・愛するパートナーが苦しんでいても、そのことを自分の痛みのように共感することが難しい。心の構造、脳の働き方自体が違っているので、他人事として客観的にしか受け止められない。共感的な脳の領域の発達が抑えられていると考えられる。
・場合によっては、有利に働くこともある。客観的に物事を見極めたり、対処したりすることができる。冷静な判断力が求められるような専門職に向いている。職業的な能力においては一流の技術の持ち主であることが多い。
【助けを求められることが怒りを生む】
・ロールズらの実験:交際中のカップルを対象、女性だけが苦痛を伴う実験の被験者になってもらうことを告げる。それから5分間、そのことを聞かされたカップルがどういく反応を示すかビデオで記録する。その後、予定していた実験は中止になったと告げる。
・回避型の人は、男女とも強い怒りをみせた。男性は、女性の不安が強く、男性の助けを得ようとすればするほど強い怒りを示した。女性は、不安が強いほど、男性の支えが得られない場合や男性の怒りが強いほど、強い怒りを示した。(悪循環)
・男女を問わず、回避型のパートナーをもつことは、いざというときに助けになってくれないどころか、怒りの反応に遭遇することを覚悟しなければならない。頼られることは面倒事であり、面倒事をもち込まれることは怒りを生むということなのである。
3 不安型愛着スタイル
《不安型の特性と対人関係》
【なぜ、あの人は、気ばかりつかうのか】
・不安型の人は、相手の表情に対して敏感で、読み取る速度は速いものの、不正確であることが多い。怒りの表情と誤解してしまうことが多々ある。一番の関心事は「人に受けいれられているかどうか」「人に嫌われていないかどうか」にあるからだ。
【拒絶や見捨てられることを恐れる】
・「愛されたい」「受けいれられたい」「認めてもらいたい」という気持ちが非常に強い。拒絶されたり、見捨てられることに対して、極めて敏感である。その結果として、相手に逆らえないということが、しばしばみられる。(太宰治)
・支配的なタイプの人では、相手が自分を欺こうとしているのではないか、裏切ろうとしているのではないかという猜疑心に姿を変える。
・他者というものを、自分を傷つけたり、非難したり、うっとうしく思う存在としてみなす傾向がある。自分自身についても、取り柄のない、愛されない存在と思いがちである。
【すぐ恋愛モードになりやすい】
・対人関係は、愛着関係と連携関係に二分される。愛着関係は情緒的なつながりであり、連携関係は、利益や目的で結びついた、便宜的で合理的なつながりである。愛着関係は持続性をもつが、連携関係は、状況次第ですぐに解消される。
・不安型の人は、連携関係を愛着関係と錯覚してしまうことが起きやすい。
【べったりとした依存関係を好む】
・距離が保たれている限り、とても優しく、サービス精神があり、接していて心地よいが、親密な関係になったとき、急激にもたれかかってきて、相手のすべてを独占したいという傾向が顕著になる。親密になればなるほど、急速に自分と他者との境界が曖昧になり、相手を自分の一部のように思い込んでしまう。自分が愛されていることを確かめようとする過剰確認行動も認められやすい。
・通常は、24時間いつでも相手をしてもらえるような恋人やパートナーが、愛着対象と同時に依存対象となって、不安型の人を支えることになる。
【ネガティブな感情や言葉が飛び火しやすい】
・不満や苦痛といったネガティブなことを、つい口に出してしまう傾向がみられる。ネガティブな感情が広がりやすい。
・否定的な感情にとらわれやすく、些細なことをいつまでも引きずりやす性向は、怒りをじくじくと長びかせやすい。
・怒りや敵意の矛先が、自分自身にも向けられやすい。(うつ)
【パートナーに手厳しく、相手の愛情が足りないと思う】
・不安型の女性の場合、不満やストレスを、パートナーに対して強くぶつける傾向がみられる。(→産後うつ)
・パートナーに対するネガティブな評価は、パートナーのモチベーションを低下させてしまう。(悪循環)
【両価的な矛盾を抱えている】
・両価的とは、求める気持ちと拒絶する気持ちの両方が併存している状態のことである。
・不安型の人では、期待や賞賛に対しても、うれしい反面、もし相手の期待を裏切ったらと考えてプレッシャーになってしまう。
【不安型の恋愛、愛情】
・自分が愛されているかどうかということは、非常に大きなウェイトを占める。(回避型の人には想像できない)
・不安型の人は、愛されていると感じると、自分は価値のある存在だと思えるが、愛されていないと感じたとたんに、自分が無価値になったように感じやすい。パートナーから素っ気なくされたり、否定的なことを言われたりすると、急に自信がなくなり、落ち込んでしまう。それは、パートナーに対する評価にも跳ね返ってくる。自分の愛情を与えられないとなると、パートナーの存在自体が無意味になってしまう。
4 恐れ・回避型愛着スタイル
・恐れ・回避型は、対人関係を避けて。ひきこもろうとする人間嫌いの面と、人の反応に敏感で、見捨てられ不安が強い面の両方を抱えているため、対人関係は錯綜し、不安定になりやすい。
・疑り深く、被害的認知に陥りやすい傾向がある。自分をさらけ出すのが苦手で、うまく自己開示できないが、一方で、人の頼りたい気持ちも強い。
・養育者との関係において深く傷ついた体験に由来していることが多い。まだ愛着の傷を引きずり続けている未解決型の人も多い。些細なきっかけで不安定な状態がぶりかえし、混乱型の状態にスリップバックを起こしやすい。
・混乱型は、虐待された子どもに典型的にみられるもので、愛着対象との関係が不安定で、予測がつかない状況におかれたことで、一定の対処戦略を確立できないでいるものである。
年齢とともに、対処戦略を確立して、一定の愛着スタイルをもつようになるのだが、別離体験や孤立的状況などにより、愛着不安が高まったり、愛着の傷が再び活性化すると、混乱型の状態に戻ってしまうことがある。境界性パーソナリティ障害は、愛着という観点で言えば、混乱型に逆戻りした状態だと言える。混乱に呑み込まれると、情緒的に不安定になるだけでなく、一過性の精神病状態を呈することもある。
【漱石の苦悩の正体】
・漱石の愛着スタイルは、ベースは回避型であろうが、恐れ・回避型と言うこともできる。
・漱石の作品は、いかに自分の正体を見破られないように隠蔽しつつ、かつ自分を表現するかという二つの相反する要求の微妙なバランスの上に成り立っていた。(「道草」「硝子戸の中」)
・自分の幼時を回想したエピソードは、曖昧模糊として距離があり、他人事のように淡々と語られる。一方で、自分の評価や周囲の反応というものに非常に敏感だった。少しでも自分がないがしろにされたと思うと、激しい怒りを抑えることができなかった。
・晩年の漱石は、被害妄想や幻聴といった一過性精神病症状と胃潰瘍が何度もぶりかえした末、命を奪われることになった。

【感想】
・この章では、「愛着スタイルと対人関係、仕事、愛情」について、それぞれのスタイルの特徴が述べられている。安定型は、すべてに問題なく物事が推移していくように記されているが、それは「理想」であり、実際には極めて稀な事例ではないか、したがって、世の人々は、「回避型」「不安型」「恐れ・不安型」のいずれかに分類されるというのが「現実」であろう。「回避型」は、言い換えれば「ドライ」で「淡泊」、「不安型」はその反対で「ウェット」で「しつこい」、「恐れ・不安型」は、「非常識」で「病的」ということになるのだろうか。
・いずれにせよ、そうした観点で世間の事象や人間模様を「観察」することは、極めて重要かつ有効である、と私は思った。古くは小平善雄、大久保清、永山則夫、近くは宮崎勤、宅間守、神戸の少年A、佐世保の少女に至るまで、「わけがわからなかった」(常軌を逸した)事象の謎が解き明かされる。すべては、「ドミノ倒し」の結果だけを見て「そう思った」だけのことであり、その「始まり」を見極めなければならない、ということであろう。
・さて次章は、その「始まり」をどのように防ぐか(「愛着障害の克服」)について述べられている。私の期待は膨らむばかりである。
(2015.9.30)



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「愛着障害」(岡田尊司・光文社新書・2011年)要約・《14》

《第6章 愛着障害の克服》
1 なぜ従来型の治療は効果がないのか
【難しいケースほど、心理療法や認知行動療法が効かない理由】
・「心理療法」「認知行動療法」で効果が得られにくいのは、「愛着障害」という観点が
導入されていないからである。
・愛着障害や不安定型愛着に対する治療は、未発達の分野である。治療者の一部を除いて、認識も経験も乏しい。問題意識もない。
【精神分析が愛着障害を悪化させるのは】
・境界性パーソナリティ障害など重いレベルの精神疾患の場合、精神分析療法が逆に症状を悪化させてしまう危険がある。認知行動療法で目覚ましい効果が得られる場合もあるが、うまくいかない場合が多い。カウンセリングでも、ある人では効果が出るのに。別の人では惨憺たる結果になってしまう。それは「愛着スタイルや愛着の安定性」という要素が、非特定因子としてかかわっているからである。
・どの治療法をとるにせよ、難しいケースが改善するという場合には、愛着障害の部分に、うまく手当が施されているのである。
・愛着障害の部分に手当がされ、その部分が改善することで、他の部分も変化を受けいれる準備が整い、働きかけが有効になるのである。
・精神分析は、患者が語る言葉をひたすら聞き、それに対して、共感ではなく解釈を与
えることによって、洞察を生み出すという治療である。転移、つまり治療者への愛着を利用し、患者に心を開くことを求めながら、患者がそうすると、それを温かく抱擁するのではなく、分析という刃で冷たく切り刻むことで応えるのだ。不安定な愛着しかもたない者が、そんなことをされたら、ひどく愚弄されたように感じ、不安定になることは当然なことだ。(マーロン・ブランド「しかし、返ってきたのは氷のように冷たい態度だけだった。この男には、およそ温かみというものがなかった。彼は人間の洞察力に欠けていて、私には何の助けにもならなかった」)
・精神分析の治療は、知的なプロセスであり、暴力的なまでの分析を患者に突きつけ、患者の奥底に隠れている醜い欲望の正体を暴き出し、それに向き合わせることで、回復をもたらそうという、いわば「知的ショック療法」なのである。そうした知的な操作をいくら行ったところで、愛着障害は少しも改善しない。患者は治療者の「冷たさ」にイライラし、怒りだすか失望する。癒しを求めているのは、患者のなかにある愛着障害であり、その本質的な障害にとって、知的分析も認知的な操作も空疎なだけであり、肝心の問題をないがしろにしたとしか感じないのである。
・薬物療法に至っては。薬物依存という代償を払いながら、安定剤や睡眠薬という避難場所を提供するのが精いっぱいだった。
・このように、通常の精神医学の方法では、根本にある障害を改善することは期待しがたいのである。精神医療の大部分は、愛着や愛着障害が、種々の精神疾患の成因や回復において、どれほど大きな役割を果たしているかということについて、十分な認識や対処の術をもたないのが現状なのである。
【なぜ、彼らは回復を生じさせたのか?】
・優れた臨床家は、治療の方法自体とは別の何か(治療の本体とされる部分ではなく、もっと前段階で無意識的に行われる、原初的なプロセス)をもっている。この部分にこそ、治療がうまくいくかどうかの秘密が隠されている。専門家でなくても、人を癒し回復させていく能力をもっている人は、その秘密を体得している。それは、彼らが成長するなかで、人を回復させる試みのなかで、いつのまにか身につけたものである。それこそが、愛着の傷を癒やすのである。
・エリクソンは、ナチスの脅威から逃れるため、家族でアメリカに渡り、小さな借家の一室を面接室にして(型破りな)治療を始めた。その治療によって、深刻な自己不全感に苦しんでいたマーサ・テイラーという女性を快復させた。エリクソンが彼女に与えた、無防備とも言える親密さ、あけすけさが、マーサが抱えていた愛着不安をやわらげ、リラックスして自分の問題を語り、それを受けいれることを容易にしたもではないだろうか。エリクソンは、マーサが直面している困難を直感的に感じ取ることができたに違いない。なぜ、それが可能だったかと言えば、彼も同じ問題で悩みつづけ、それを克服してきたからだ。
【愛着障害を乗り越えた存在のもつ力】
・安定型の人は、不安定型の人を安定させる働きがある。
・マーガレット・ミッチェルは、不安定型愛着を抱えていたが、不安定型愛着を抱えた男性と結婚、たちまちけんか別れに終わった。再婚の相手、ジョン・ミッチェルは、父親を早く亡くし、苦学して新聞記者になったが、母親の愛情を一身に受けて育ったため、不安定なところはみじんもなく、安定型の愛着スタイルをもっていた。ジョンと結ばれたことでマーガレットは次第に安定し、ジョンの助力によって「風と共に去りぬ」という大長編小説を書き上げることができた。ジョンも父親を喪うという体験をしているので、その傷を克服した経験が、マーガレットを適切に支えることにつながったのではないか。
・不安定型の人を支えようと頑張るのは、同じ不安定型の人であることが多いが、どちらも不安定すぎると、共倒れということになりかねない。支える力が。不安定障害をある程度克服していることが必要である。
・愛着障害という根源的な苦悩を乗り越えた存在は、人を癒し、救う不思議な力をもっているかもしれない。必ずしも「克服した」という完了形である必要はない。克服の途上であるがゆえに、いっそう救う力をもつということもあるのではないか。その人自身、自らの愛着の傷を癒やすためにも、人を癒やすことが必要であり、その過程を通じて、癒やす側も癒やされる側も、打ち克っていける。なぜなら愛着障害とは、人が人をいたわり、世話し、愛情をかけることにおける躓きだからだ。

【感想】
 ここでは、従来型の治療が効果がない理由について述べられている。いずれの治療法においても、「愛着障害」という観点が欠落しており、愛着スタイルが「安定型」であることを前提としている、したがって「不安定型」の患者にとってはむしろ逆効果である、という指摘には説得力があった。従来型の治療で効果がないケースの「すべて」が、「不安定型」の患者である、と私も思う。 
 また、治療者の愛着スタイルも、大きく影響する。治療者自身が「安定型」であることが不可欠の条件だが、一般の「安定型」よりも、愛着障害を克服した治療者、または克服しつつある治療者の方が、患者の苦しみを「共感的」に理解することが可能であり、劇的な回復につながるという事例(エリクソン、ジョン・ミッチェル)も興味深かった。
 愛着障害の克服は、まず「人が人をいたわり、世話をし、愛情をかける」という治療者と患者の「共同作業」に他ならない、ということを私は学んだ。次は、いよいよ「いかに克服していくか」という本書の《眼目》が述べられている。期待を込めて、読み進めたい。
(2015.9.30)



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「愛着障害」(岡田尊司・光文社新書・2011年)要約・《15》

2 いかに克服していくか
⑴安全基地となる存在
・愛着の原点は、親との関係で育まれる。愛着障害は、そのプロセスで躓いている。それを修復するには、親との関係を改善していくことが、もっとも望ましい。
・しかし、親の方も不安定な愛着の問題を抱えていることも多く、子どもに対する否定的な態度を改めようとしない親もいる。
・何が起きているのかを説明し、ボタンの掛け違いを気づかせる第三者が必要になる。
・その第三者が、親が果たしてくれなかった役割(安全基地という機能)を、一時的に、場合によると数年単位という長いスパンで、肩代わりをすることが必要である。そうすることで、子どもは愛着を築き直す体験をし、不安定愛着を安定型愛着に変えていくのである。
・安全基地とは、いざというとき頼ることができ、守ってもらえる場所であり、そこを安心の拠り所、心の支えとすることのできる存在である。外の世界を探索するベースキャンプでもある。トラブルや危険が生じたときには、逃げ帰ってきて、助けを求めることができるが、いつもそこに縛られる必要はない。良い安全基地であるためには、本人自身の主体性が尊重され、彼らの必要や求めに応えるというスタンスが基本なのである。気持ちが不安定で心細さを感じるうちは、安全基地を頻繁に頼り、その助けを必要とするが、気持ちが安定し、安心と自信を回復するにつれて、その回数も減り、次第に自力で行動することが増えていく。さらにもっと時間が絶てば、心のなかで安全基地のことを思い描くだけで十分になり、実際にそこに頼ることもなくなっていくかもしれない。それこそが、究極の安全基地なのだ。
・「安全基地がもてない障害」ともいえる愛着障害を克服するためには、良い安全基地となってくれる存在が、是非とも必要なのである。
【安全基地を求めてさまよい続けたルソー】
・愛着不安が強すぎるゆえに、親しい人が自分のもとを離れていくというのは、愛着障害の人がたどりやすい悪いパターンである。
・ルソーは、ヴァラン夫人をはじめ、庇護者となってくれる存在に巡り合い、彼らの助力を得ることができたが、そうした関係は、ことごとく破れていった。その原因は、愛情に対するルソーの期待値が高すぎたためである。たった一人の例外は、妻のテレーズである。テレーズは無学であったが、ルソーに対して常に忠実で、いつもそばにいてくれた。テレーズはルソーにとって、最後の安全基地であったのである。
【良い安全基地とは?】
・良い安全基地の条件は五つある。
①安全感を保証する。②感受性、共感性。③応答性。相手が求めていないことや、求めていないときに余計なことをするのは、応答性から外れている。相手がするべきことまで肩代わりすることは極力避けなければならない。安全基地は「怠け者の楽園」ではない。④安定性。その場の気分で対応が変わるのでは亡く、一貫した対応をとることである。⑸何でも話せることである。①から④までの条件がクリアされてはじめて達成できる。
・「何でも話せる」という状態が維持されているかどうかが、良い安全基地の目安だとも言える。
⑵愛着の傷を修復する
【未解決の傷を癒やす】
・愛着の傷にはさまざまなものがある。(親に捨てられた、死別した、生別した、ネグレクト、虐待、両親のけんか・離婚、親から否定された、期待を押しつけられた等々)
・愛着の傷を修復する過程は、認知的な修正を施せばいいという単純なものではない。
・認知的な修正よりも、幼いころに不足していたものを取り戻すプロセスが大事である。【幼いころの不足を取り戻す】
・愛着障害の修復過程は、ある意味、赤ん坊のころからやり直すことである。
・傷が回復するためには、幼いころの心理状態が再現され、そのとき得られなかった愛情を今与えてもらうという状態が出現することが前提である。
・幼い子どもに戻ったように、駄々をこねたり、わがままを言ったり、親を困らせる時期にしっかりと付き合うことで、次第に安定を回復することにつながるのである。
・すうかり後退したように思えるときが、回復の第一歩である。この時期に徹底的につきあうことが重要である。
・親が付き合うのが難しい場合は、親に代わる人が必要である。恋人、パートナーがもっともふさわしいが、治療者、教師、宗教者、先輩や仲間といったさまざまな援助者がその役目をになってくれることもある。
【踊子体験と愛着の修復】
・「伊豆の踊子」は、傷ついた愛着を癒やす物語だと言える。主人公は出会った踊り子から「いい人ね」と言われたことによって、「自分を素直にいい人だと感じることができた」。・人を信じることができるためには、自らの価値を肯定してもらえるという体験が重要なのである。
・ジャン・ジュネは窃盗癖によりジャン・コクトーから見捨てられた後も、ラディカルな政治活動や同性愛者の仲間によって支えられた。ジュネは仲間からも盗んだが、仲間は一緒のコミュニケーションのようなものとして受け止めた。盗癖さえ、彼を拒否する理由にならなくなったとき、ジュネは泥棒をやめた。盗むという以外の関わりをもつことがげきるようになったとき、その必要性は薄らいでいったのである。
・アニメの主人公・タイガーマスクは、「ちびっこハウス」出身で悪役レスラーとなったが、「ちびっ子ハウス」の子どもたちの前では、弱いが気の優しいお兄さんとして振る舞う。そのなかで、子どもたちが寄せてくれる純粋な愛着が、守るべき絶対の価値となっていった。誰を愛することも、信じることもなかった青年が、子どもたちとの関わりのなかで癒やされ、再び人を信じることができるようになった。それは、まさに愛着の修復が行われたということに他ならない。
【ままごと遊びと子どもの心の回復】
・愛着障害を修復する一つの手立てとして、「子ども心」を取り戻すことが、鍵をにぎるように思える。
・幼い少女に執着を抱く、ロリータ。コンプレックスの男性は、ほぼ例外なく愛着障害を抱え、満たされることなく失われた子ども時代を取り戻そうとしている。それは、傷ついた愛を修復する試みなのである。しかし、そうした試みは、しばしば幻影に終わる。
【遊びがもつ意味】
・愛着障害をを抱えた人は回復していく過程で、子ども心を取り戻すという段階を経験する。
・人は子どものころに足りなかったものを補うことで、成長の偏りを自ら修正しようとする。一見奇矯であり、滑稽にさえ映るかもしれないが、そこにあるのは、そこはかとない悲しみや寂しさであり、満たされぬ思いなのである。それをできるだけ早い時期に満たしてやれば、ある程度取り戻すことも可能なのである。それが間に合うぎりぎりのデッドラインが青年期ということになるだろう。
・愛着回避の強いタイプと、愛着不安の強いタイプでは、安心の得方や癒し方に大きな差がある。愛着回避の強いタイプでは、中性的な子どもの世界が、安心と癒しを与えてくれる安全な避難場所となるが、愛着不安の強いタイプでは、その世界は、あいまいで、宙づりにされたような、不安な境遇に過ぎなかった。(川端康成と伊藤初代の事例)
【依存と自立のジレンマ】
・愛着障害を抱えた人が良くなっていく過程において、その傷が深いほど、自分を支えてくれる人に甘えようとする一方で、反抗的になったり困らせたりするのが目立つようになる時期がある。(無視、怒り、つっけんどんなど)
・この時期が、回復への過程において、もっとも重要な局面である。
・この反抗する気持ちには、二つの段階がある。①支えてくれる人の愛情をもっと求めたいのに我慢している、自分のことを振り返ってくれないことへの怒りに由来する段階、②もう少し成長して、支えてくれる人からの期待をうっとうしく感じ、距離をとろうとしている段階。②の段階は、依存している愛着対象から分離と自立を遂げていくという大きな課題に向き合っているときである。本人は、期待に背くことで見捨てられてしまうかもしれないという不安と、依存から脱して責任ある存在として自立したいという欲求との間でジレンマを感じている。支える側は、反抗することを許容し、受け止め、動揺せず、その気持ちを認めてやることが大事である。
・支える側自身が、愛着不安を抱え、克服できていない場合は、許容できない。その落とし穴に陥るか、真に回復に向かうかの境目は、この段階を乗り越えられるかどうかにかかっている。(相手の反抗や離反も肯定的にとらえ、その根底にある気持ちを前向きに受け止める。こちらの思い通りにならないことは、自立の証しだと、むしろ祝福することが大切である。
【傷ついた体験を語り尽くす】
・愛着の傷を修復するためには、安全基地を確保し、子どものころの不足を取り戻したり、周囲に受けいれられるといった共感的、体験的プロセスとは別に、もう一つのプロセスが
必要である。それは言葉を介した、認知的なプロセスである。これらが並行して進むことによって、修復までのプロセスは盤石なものになる。
・子どものころに傷ついた体験は、言語化の不十分な情動的記憶として、その人の心や行動を無意識のうちに支配し、ネガティブな反応や感情の暴走、解離を引き起こす原因となる。そうした記憶を再び活性化することが必要である。
・嫌な出来事の記憶をたどりながら、そのときどんな思いであったかを、その人の言葉で語ってもらうことが重要である。
・最初は「何とも思っていない」「気にしていない」と問題自体を否認する。その段階を超えると、次は否定的な感情ばかりが語られる。傷が深ければ深いほど、長期間続く。そうすることが修復には必要なのである。
・その作業は、友人や恋人を相手に行われることもあれば、パートナーの力を借りて行われることもある。否定的なことを一切言わず、丸ごと受け止めてくれる存在(安全基地)に、自分の身に起きたことを、味わってきた重いとともに語り尽くすことが重要なのである。
・「一生付き合う覚悟で、腹を据えて、その人に関わろう」としている非専門家や家族の方が、愛着障害の修復という点では大きな力になる。
・書くという行為は、ある意味、愛着障害の自己治療の試みと言えるかもしれない。何を書いても許される原稿用紙という安全基地にすがるほかはないのである。(夏目漱石の例)
・ジャン・ジュネは親友の哲学者サルトルに、自分の生い立ちや味わってきた思いについて赤裸々に語り続けた。(「聖ジュネ」・サルトル)
【怒りが赦しに変わるとき】
・過去の傷と向かい合う段階を徹底的に進めていくと、ある時期から変化がみられるようになる。否定的なことばかりを語り尽くした後で、楽しかった経験や親が自分のために骨を折ってくれたことをふと思い出して「そういえばこんなことがあった」と語ったりするようになる。
・そのころから次第に、親の良かった面や愛情を受けたことにも向き合うようになる。
・そのとき、親を憎んでいるのではなく、愛しているということに気づくこともある。親を愛し、求めているからこそ、憎む気持ちが生まれていたのだということを受けいれられるようになる。悲しみと怒りの物語から、愛と赦し、希望の物語へと転化し、一緒に受け止めてくれる存在と共有することによって、とらわれは解消され、現実的な力に変わっていく。
・自分から、親を傷つけてきたことを謝りたいと思うようになったり、育ててくれたことに感謝の気持ちを伝えようとしたり、和解しようとすることも多い。親の方も歩み寄ることができると、事態は劇的に好転し、安定化と真の自立へ向かって進み始める。
・親と和解できたとき、自分自身とも「和解」することができる。自分のことを過度に否定的に考えていたのが、自分を受けいれ、自信をもつことができるようになるのである。
・親に対して否定的な見方や感情をもつことは、親が自分に対して否定的であったということの反映であり、それは自ら自分を否定することに結びついている。それは、単なる否定的な認知の問題というよりも、愛着を介した情動と結びついた問題であることにより、強烈な支配力を及ぼしていたのである。
【過去との和解】
・愛着障害を克服する過程として、「過去との和解」という段階が認められる。愛着対象へのネガティブなとらわれを脱し、自己肯定感を取り戻すために、この段階は非常に重要な意味をもつ。
・心理学者エリクソンは母や義父から「不肖の息子」とみられていたが、素晴らしい伴侶を得たことで初めて両親から見直され、その後、義父との立場が逆転、無一文になった両親を経済的に支援することになった。否定されていた過去を逆転、前向きに乗り越えることができた。
・哲学者ショーペンハウアーは生涯独身で、孤独な人生を全うしたが、最後まで母親に対する恨みを忘れなかった。彼の後半生は、一切創造的なものを生み出すこともなかった。
【義父と和解したクリントン】
・ビル・クリントンは酒乱の義父を憎み、両親は離婚したが、義父の姓を名乗り続けた。ビルが学生のとき、義父が末期ガンにかかり、毎週見舞い、自分の夢を語った。義父は「お前ならできる」とはげまし、二人は心から和解した。自信のない、冴えない存在だったビル少年が輝くばかりの魅力と自信にあふれた存在に生まれ変わる過程において、義父との和解は重要な分岐点になった。
【スティーブ・ジョブスの場合 禅、旅、妹との邂逅】
・スティーブ・ジョブスは若いころ、愛着障害の典型的な特徴(多動、反抗、戦闘的、傍若無人)を示し、利益やドラッグに心の安定を求めていたが、それに代わるものとして東洋哲学に傾倒しはじめた。放浪の旅を経て禅の導師から「自分の心に浮かんだものに素直に従う」ことを体得した。導師との関係は、彼の愛着障害の克服に大いに役だった。
・億万長者になってから、実の親を探そうとし、妹に巡り会い「親友」になった。
・ジョブスは妹を介して実の母親とも関わりをもつようになったが、一方で自分の養父母のことを積極的に自分の「親」だと周囲に主張するようになる。
・理想化した「幻の親」を克服することで、「本当の親」を再発見し、親が与えてくれたものに感謝する・・・。ジョブスの心のなかにそうしたプロセスが起きたのだろう。彼は育ての親との愛着を再確認するとともに、自分の過去と再確認することができた。それによって、彼の愛着スタイルは、少しずつ安定化の方向に向かった。(アップル社を追われても、事態を前向きに乗り越えることができた。その後、より魅力的な人格としてカリスマ性を発揮した)
⑶役割と責任をもつ
【社会的、職業的役割の重要性】
・安定した愛着スタイルばかりを課題として追求することは得策ではない。自分がやるべき役割を担い、それを果たそうとして奮闘するうちに、周囲の人との関係が安定する。そうなることで、もっとも親密な人との愛着関係においても、次第に安定していくことも多い。
・親密さをベースとする愛着関係は、距離がとりにくく、もっとも厄介で難易度が高いものだが、社会的な役割とか職業的な役割を中心とした関係は、親密さの問題を棚上げして結ぶこともできるし、仕事上の関わりと割り切ることもできる。そうした気楽さが、気のおけない関係を生み出すことにもつながる。
・役割をもつこと、仕事をもつこと、親となって子どもをもつことは、愛着障害をのりこえていくきっかけとなる。愛着回避が強く、人付き合いが苦手な人も、必要に駆られて関わりをもつようになれば、対人スキルが向上し、人と一緒に何かをする楽しさを体験するようになる。愛着不安が強い人の場合、役割をもつことで、心が安定し、愛着行動にばかり神経を傾けることから救ってくれるのである。
【否定的認知を脱する】
・愛着障害を克服する場合、否定的な認知を脱するということが、非常に重要になる。
・そのためにどうすればよいか。①どんな小さなことでもいいから、自分なりの役割をもち、それを果たしていく。自分のためというよりも、家族や人のためにもなれば、いっそう良い。その場合に大切なのは、義務感に縛られることなく、気楽に取り組むことから始めることである。②「全か無か」といった二分法的な認知ではなく、清濁併せ呑んだ、統合的な認知がもてるようになることである。嫌なこと、思い通りにならないことがあった場合、事態を冷静に受け止め、「そうなって良かったこともある」という前向きな姿勢が必要である。→ヴァリデーション(認証・承認) ③ユーモア、頓知が発想の転換になる。「良いところさがし」をすることが大切である。「何か良いことがあるはずだ」 
【自分が自分の「親」になる】
・愛着障害を克服するための究極の方法は「自分が自分の親になる」ということである。・ある女性の決心:《親に期待するから裏切られてしまうのだ。親に認められたいと思うから、親に否定されることをつらく感じてしまうのだ。もうこれからは親に左右されるのはやめよう。あの人たちを親と思うのはやめよう。その代わりに、自分が自分の親になるのだ。自分が親として自分にどうアドバイスするかを考え、「自分の中の親」と相談しながら生きていこう》。実際、その方法は、非常にうまくいった。
・エリク・H・エリクソンの場合:彼は義父からもらった名前、ホンブルガーをミドルネームのHにして、エリクソンという名前を自分でつけたのである。エリクソンは「エリクの息子」という意味を含んでいる。彼もまた、自らが自らの親となることで愛着障害を克服し、真の意味で自立を遂げたのである。
【人を育てる】
・愛着障害を克服していく過程で、自分が親代わりとなって、後輩や若い人たちを育てる役割を担うという現象が、しばしば観察される。自分自身が「理想の親」となって、後輩や若い人たちを育てるという方法である。
・夏目漱石は、父親としては失格であったが、寺田寅彦、森田草平、小宮豊隆、鈴木三重吉らの門人に慕われた。森田草平が心中未遂事件で社会から葬られそうになったとき、自宅に匿い、また作家としてやっていけるように便宜を図った。漱石は、ある意味、門人たちの安全基地となっていたのである。そうした関わりのなかで、漱石は人間的に成長し、文豪の名にふさわしい境地に達するまでになったように思える。
【アイデンティティの獲得と自立】
・愛着障害を克服するということは、一人の人間として自立するということである。自立とは、必要なときには人に頼ることができ、相手に従属するのではなく、対等な人間関係をもつということである。
・自立のためには、周囲から自分の存在価値を認めてもらうことが必要になるし、それを得ることによって、自己有用感と自信をもち、人とのつながりのなかで自分の力を発揮することができる。
・自立の過程とは、自分が周囲に認められ受け入れられる過程であり、そうした自分に対して「これでいいんだ」と納得する過程でもある。自立が成功するには、この両方のプロセスが、うまく絡みあいながら進んでいく必要がある。そちらか一方だけでは成り立たないのである。
・愛着障害の人が、その過程で躓きやすい理由は、①他者に受け入れられるということがうまくいかなかった、②自分を受け入れることがうまくかなかった、ということである。
他者に受け入れられるプロセスをもう一度やり直すとともに自分を受け入れられるようになることで、愛着障害の傷跡から回復し、自分らしいアイデンティティを手に入れ、本当の意味での自立を達成することができるのである。
・愛着障害は、夫婦関係の維持や子育てに影響しやすいという特性をもつ。子どもにしわ寄せが来て。子どもの愛着の問題へとつながっていく可能性がある。そんな負の連鎖を立つためにも、自分のところで愛着障害を克服することが重要になる。
・愛着障害を克服した人は、特有のオーラや輝きをもっている。その輝きは、悲しみを愛する喜びに変えてきたゆえの輝きであり強さに思える。そこに至るまでは容易な道のりではないが、試みる価値の十分ある道のりなのである。

【感想】
・この章では、愛着障害を克服する方法について、詳細に、わかりやすく、具体的に述べられている。まず、①「安全基地」(愛着の対象、好きな人)を確保すること、よい安全基地には5つの条件(安全感、共感姓、応答性、安定(一貫)性、何でも話せる)があること、その中でも「何でも話せる」ことが最も重要であること。次に、②愛着の傷を修復すること、そのためには、幼いころの不足を取り戻すこと(退行)、遊びを通して子ども心を回復すること、傷ついた体験を語り尽くすこと(心の奥底に封じ込まれている無意識な部分を「言語化」(意識化)すること、怒りの感情を赦しに変えること、過去との和解をすること、さらに、③役割と責任をもつこと、とくに「社会的、職業的役割」は、親密さの問題を棚上げして、仕事上の関わりと「気楽に」割り切ることができるので有効であること、その役割を果たすことで、「否定的認知」(自己無用感、劣等感)を脱すること、究極的なは「自分が自分の親になること」、他人に認められ受け入れられることによって、自分自身を受け入れ、アイデンティティを獲得できるようになることが重要である、と言うことがわかった。
 筆者は、現在、京都医療少年院勤務とある。現代社会の中で様々な問題を引き起こした少年、少女たちと向き合い、「一生付き合う覚悟で、腹を据えて。その人に関わろうとしている」専門家であることは間違いない。「愛着障害」を困ったこととして「否定的に認知」するのではなく、それを克服しようとすることによって大きな可能性が開けることにまで言及していることに、私は大きな感銘を受けた。今さらながら、「本当の問題は、発達よりも愛着にあった」という筆者の「警鐘」に、すべての臨床家は耳を傾けなければならないと思う。(2015,9.30)



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「愛着障害」(岡田尊司・光文社新書・2011年)要約・《16》

《おわりに 愛着を軽視してきた合理主義社会の破綻》
・この数十年、社会環境が、愛着を守るよりも、それを軽視し、損なう方向に変化してきた。
・効率的な社会において、人間の根幹である愛着というベースが切り崩されることによって、社会の絆が崩壊するだけでなく、個々の人間も生きていくのに困難を抱えやすくなっている。合理主義に基づく社会の再構築は、みごとに失敗し、もっとも致命的な破綻を来しているのである。その失敗を引きずりながら、もがいているのが、われわれの現状と言えるだろう。その状況を変えていくためには、愛着という原点から、もう一度社会を作りな直していく必要があるだろう。

【感想】
・愛着を軽視してきた合理主義社会の破綻について、私は全面的に同意する。以上で本書を読了するが、その内容は、今から40年前に著された「言語発達の臨床」(田口恒夫編・光生館・昭和51年)と「ほぼ同じ」えあることを確認した。当時の理論は、「おおむね誤りである」と否定されたようだが、今、「愛着障害」という形で復活したとすれば、画期的なことである。田口恒夫博士は、その後「今、赤ちゃんが危ない」という遺作を残して他界したが、そこに真理が隠されていた、と私は確信する。 ・街へ出れば、必ずと言っていいほど、乳幼児を連れた若い両親に出会う。子どもをベビーカーに乗せ、両親はスマホに熱中している。はたしてその親子に「愛着関係」は成立しているのだろうか。
・この要約を終了するにあたり、今ではあまり歌われたくなってしまった童謡二編を紹介したい。①「やさしいおかあさま」〈わたしが おねむになったとき やさしくねんねんこもりうた 歌って ねかせてくださった ほんとにやさしい おかあさま  夏は ねびえをせぬように 冬はおかぜを ひかぬよう おふとん なおしてくださった ほんとにやさしい おかあさま  わたしが 大きくなったなら ご恩をお返し いたします それまでたっしゃで まっててね ほんとにやさしい おかあさま〉(詞・稲穂雅巳、曲・海沼実、1940年)、②「かあさんの歌」〈かあさんは 夜なべをして 手ぶくろ 編(あ)んでくれた こがらし吹いちゃ つめたかろうて せっせと編んだだよ 故郷(ふるさと)のたよりはとどく いろりのにおいがした かあさんは 麻糸(あさいと)つむぐ 一日 つむぐ おとうは土間(どま)で 藁(わら)打ち仕事 おまえもがんばれよ 故郷の冬はさみしい せめて ラジオ聞かせたい かあさんの あかぎれ痛い 生味噌(なまみそ)をすりこむ 根雪(ねゆき)もとけりゃ もうすぐ春だで 畑が待ってるよ 小川のせせらぎが聞える なつかしさがしみとおる(詞、曲・窪田聡・1956年)
(2015.9.30)



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