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「自閉児と情緒」(昌子武司著・教育出版・1980年)抄読・1

【はじめに】
・私は、本書の2年前に出版された「情緒障害」(昌子武司著・教育出版・1978年)を通読している。そこで、前書の内容と重複しない「2章 自閉児の特質」「3章 自閉児の母親」「4章 自閉児の治療仮説」を抄読したい。

2章 自閉児の特質
【要約】
1 行方不明、人みしり
⑴母親から離れて「淋しい」「悲しい」「やるせない」という情緒が現れてこない。
⑵母親と再会した時の「よろこび」「うれしさ」「安心」といった情緒も現れてこないようである。
⑶母親の「なげき」「悲しみ」という情緒がよく伝わらないようである。
⑷母親に「甘え」たり「たよっ」たりするようなことも、あまりないようである。
⑸弟や妹に対して「しっと」したり「怒っ」たりすることもあまりない。「かわいい」という情緒ももたない。「珍しく」もないし「おもしろく」もない。
⑹母親と他人を区別していないようである。母親の「いとおしい」「かわいい」という情緒が伝わらないからではあるまいか。
⑺しかしまったく感情がないわけではない。「怒り」「恐れ」「快」などを表現することがある。
⑻その感情はすべて、エスカレーター、自動車、大きな声、音によって起こされている感情のように思える。

【感想】
 ここでは、(自閉児と母親の)「母子関係の稀薄さ」について述べられている。言い換えれば、子どもと母親との間に「愛着関係」が形成されにくかった、ということである。その要因として考えられることは二つある。
 その一は、母親が子どもを「いとおしい」「かわいい」と感じない場合である。この場合は、母親の情緒が欠落しているのだから、愛着が伝わるはずがない。「情緒の欠落」(人に対する無感情、無関心)という状態が、そのまま子どもに伝わってしまうことは明らかである。(例・アカゲザルを使ったハーロウの実験、池田小児童殺害事件の犯人など)
 その二は、子どもが母親に愛着を感じない場合である。子どもに「感覚の異常」があるために、母親との接触を「不快」に感じてしまうことが考えられる。その「不快」感が持続し、様々な支障(不適応)が固定化する。著者はこの考え方を「仮説」として採用しているようだ。
いずれにせよ、自閉児の特質を考える前提として「母子関係の稀薄さ」を指摘していることについて、私は全面的に同意できる。
(2017.8.13)



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「自閉児と情緒」(昌子武司著・教育出版・1980年)抄読・2

2 仮説 情緒の欠落
【要約】
・「自閉児は情緒が欠落しているのではないか」という仮説が成立するように思う。
・情緒が現れるのには、二つの様式がある。
A 人の情緒による感応、共鳴という様式で現れる。(共感、同一化)
反共鳴→「怒る」と「恐怖」を現す、「愉快」そうにすると「沈んで」しまう。
B ①強い欲求が内在している ②その欲求を「人」が阻止する ③その阻止した「人」か、自分という「人」に向かって突出してくる、という順序で生まれてくる情緒である。・自閉児は「人」との関係において起こる欲求は弱いようである。たとえば、母親の愛情に共鳴しない。母親と他人との区別がつかないから、母親にいてほしいという欲求は稀薄である。母親がいないという欲求の阻止が起こっても、「悲しさ」「淋しさ」という情緒も起こってこないし、母親が帰宅した時に、母親に怒りを現すこともない。
・自閉児の「パニック」は、「人」の行動によって起こされることは少ないし、「人」を攻撃するということも少ない。「人」にその原因を求めてもむだである。
・自閉児は、物理的なものや、物理的なものの動き、変化(物象)によって刺激を受けて、感情が発動するように思える。(原情)
・自閉児は情緒は稀薄であるが、強力な原情を豊富にもっている、といえる。

【感想】
 「自閉児は情緒が欠落しているのではないか」という著者の仮説は、その通りだと私も思う。著者は、感情が「情緒」として顕在化する前の段階として「原情」を想定している。それは、物や物象により刺激を受けて発動する感情であり、原初的な感覚をベースにしている。「うっとうしい」「うるさい」「ハッとする」「ゾクッとする」「暑くるしい」「寒けがする」「ハラハラする」「疲れた」などという不快感、不安感であり、また生活経験が積まれれば「高所恐怖」「建物恐怖」「尖端恐怖」「パニック」などという恐怖感も発生する。一方、快感としては「さわやか」という感情があるだけである。
 いずれも、「人」の存在とはかかわりのない感情だが、誰にでもお馴染みの「気分」ではないだろうか。通常は、そうした原情を「人」との接触(接近、かかわり)によって、「情緒」にまで発展させるが、自閉児の場合は、まだその段階にとどまっていると考えられる。また、それも自閉児に限ったことではない。「ノイローゼ」(神経症)「躁うつ病」(抑うつ反応)「統合失調症」などなどの「情緒障害」(精神疾患)もまた、「人」とのかかわりに支障が生じているために、強力な原情に支配されていると、私は思った。
(2017.8.14)



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「自閉児と情緒」(昌子武司著・教育出版・1980年)抄読・3

3 仮説 感覚の異常
【要約】
◎なぜ、自閉児のみが、強く激しい原情を持ちながら情緒への発達を遅延させているのか。・仮説 感覚が鋭すぎるのではないか、鈍すぎるのではないか、混乱しているのではないか(デラカート)
・各感覚器官の末梢部の障害なのか、中枢部の障害なのかは判然としない。
・感覚の異常の中には、従来は「こだわり」という言葉で説明されているものもある。「こだわり」とは、一種の「甘え」である。
・「物事に『こだわる』人は、人間関係の中でたのんだりとりいったりすることが、容易にできない人である。甘えたい気持ちは人一倍あるのだが、相手に受け入れられないのではないかという恐怖があってそれを素直に表現できない」(土居健郎)
・自閉児の「こだわり」は、「自分の決めた一定の行動を繰り返し」「そのパターンからはずれようとしない」というような意味であり、「甘え」とは異質なものであろう。
・「不安」ということも、(通常のような)対人関係の中での不安ではなく、対物関係の中での不安である。
・「こだわり」よりも「同一性保持」という言葉を使った方が安全であるように思う。
・「感覚の異常」がベースにあって、「情緒の欠落」はその結果かもしれない。
・感覚の異常は、外界の認知の異常につながる。学習するとか、それを積み上げるということがうまくゆかない。精神薄弱の傾向が目立ってくるということも説明できる。「情緒の欠落」と組み合わせて考えれば、自閉児の言語の発達遅延、対人関係の稀薄さを説明することも可能であるように思われる。

【感想】
 ここでは、自閉児の原情が情緒に発展していかない要因として、自閉児の中に「感覚の異常」があるのではないか、という仮説が述べられている。
 感覚が鈍ければ「感覚刺激要求行動」(匂いを嗅ぐ、動く物を見続ける、体を掻く、飛び跳ねる、自傷など)、鋭すぎれば「感覚刺激回避行動」(耳をふさぐ、目をつぶる、偏食など)、混乱していれば(内部感覚が鋭すぎれば)「奇異と思われる行動」(奇妙な動作、癖など)が生じる。自閉児の、いわゆる「常同行動」の中には、以上に該当すると思われるものが少なくない。
 ただし、これらもまた誰にでも見られる行動(無くて七癖)であり、頻度、程度(強度)の差があるに過ぎない。
 大切なことは、「感覚の異常」が何によって生じているかを見極めることであり、そうした行動が目立つからといって、自閉児の中に「感覚の異常」がある、と決めてかからないことである。たしかに、聴覚障害児、視覚障害児(いずれも感覚が鈍い)の中には自閉症状を併せもつ子どももいるが、そうでない子どももいる。その違いは何に因るかを明らかにする必要がある。
(2017.8.15)



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「自閉児と情緒」(昌子武司著・教育出版・1980年)抄読・4

3 小集団での指導
【要約】
・自閉児を集団に入れることによって、あいさつができるようになった、列に並べるようになった、机に向かえるようになった、文字が書けるようになった、などということは、子どもの全体像のある部分(あいさつをする)あるいは要素が、集団行動の流れに沿って伸びたように見えただけである。目に見えることであるだけに、わかりやすいので、両親や経験の浅い指導者がおかしやすい誤謬である。
・集団の中で期待できるのは、まず情緒の交流である。
《理想的な状態を模型的にいえば》
①まず指導者との1対1の関係の中で接触をする。
②素朴な情緒(「怒り」「淋しさ」「悲しさ」「うれしさ」「楽しさ」「反抗」など)を表現するような小集団に入れる。
③課題を果たす(情緒は現れにくい)という指導内容ではなくて、遊びを主体とすべきである。
④第1の目標は「怒り」「淋しさ」「悲しさ」「うれしさ」「楽しさ」「反抗」「甘え」といった素朴な情緒がよく出現するようになることである。競争場面が起こったり、けんかが起こったりするはずである。
⑤第二の目標は、それらの情緒が、さらに「恥ずかしさ」「てれる」「もどかしい」「うらやましい」「すばらしい」「なさけない」などというレベルの高い情緒が出現することである。
⑥前記⑤のレベルにまで達した時にはじめて、正常児群の中に入れても(小集団から始めて)効果を期待することができる。

【感想】
 ここで述べられていることに、私は全く同感である。自閉児の治療教育は「情緒の交流」を最大の中心課題にしなければならないはずだが、多くの治療担当者は「目に見える」ことだけで両親を安心(納得)させ、自閉症状の改善(著者の場合は「情緒の交流」)という本質に迫る取り組みは少なかった。なぜなら、それは不可能だと担当者が初めからあきらめていたか、成果が「見えにくい」「見落とされやすい」からである。当時、行動療法で取り組んでいたある学者が「私は俗物だから、目に見えないものはわからない(想像できない)。だから目に見える、誰にでもわかりやすい方法を選ぶ」と明言していたことを思い出す。前述した『自閉症治療の到達点』(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)における成果も「運動」「生活習慣」といった「目に見える」領域に限られていた。
 「情緒の交流」をめざす取り組みは、母親の「情緒の安定」を前提とするだけに、大きな困難をかかえている。しかし、そのことを避けて「自閉症治療の到達点」に達することはできないだろう、と私は思った。(2017,8.16)



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「自閉児と情緒」(昌子武司著・教育出版・1980年)抄読・5

4 親子合宿
・自閉児の小集団指導の一つとして、合宿訓練が実施されている。かなり意味のある効果が期待されると思う。
 第一に、子ども同士の間に濃密な情緒の交流を起こすことができる。物および物象によって刺激を受けやすい自閉児は、違った物理的な環境ですごすと、ふだんとは違った感情(原情であるかもしれないが)を表現するはずである。感情の表現が豊かになることは容易に予想できる。同じ時間に同じ食事をし、いっしょに風呂に入り、いっしょのふとんで寝るということは、情緒の交流をさらに深めてゆくに違いない。
 第二に、子どもたちを強い欠乏状態におくことができる。
①欠乏状態から、その情緒の交流を目の前にいる指導者に求めてくる。指導者との間に親密度を加えてゆく効果があるかもしれない。欠乏状態は強い欲求を起こす。強い欲求は強い情緒の発動を起こす。パニック状態になっても、周囲に気がねする必要もない、思い切って我慢をするような体験をさせることもできる。
②家庭に帰った時に、親に対する親密度が増加する。
③指導者にとって、新しい指導のヒントを与えられる機会になる。

◎親子合宿では、次のことが期待できる。
○親子関係の実態がよくわかる。
○母親の接し方の中から学ぶものも多い。
○母親同士の交流を深めるのに役立つ。
・母親の情緒を安定させるために、もっともよいのは母親同士の語り合いをもつことである。
・各地に「自閉症親の会」が誕生し、その活動は、この種の子どもたちの指導に大きな影響を及ぼしつつあり、今後に期待されるところも大きい。連帯感を強めるためにも親子合宿は意味のあるものといえる。
・自閉児の親は、無理解な社会の中で孤立した生活を続けているものである。他人に対して警戒的で、自己防衛的な態度ですごしている。親子合宿だけは、周囲はすべて理解者である。安心して自由にふるまえる最高の場である。
○指導者と母親との交流を深めるのに役立つ。
・自閉児の指導については、指導の定説がない、「情緒」というあいまいな心情がからんでいる問題であるだけに、相互の誤解が生じやすい。「情緒の交流」をめざすことを理解させることは難しい。言葉で説明するより、実際場面で「わかってもらう」ことのほうが大切である。「わかりあう」ことにもっとも有効なのは、授業参観のような場ではなく、「共同生活の場」であることはいうまでもない。

【感想】
 ここで述べらていることに、まったく異存はない。
著者は、37年前〈各地に「自閉症親の会」が誕生し、その活動は、この種の子どもたちの指導に大きな影響を及ぼしつつあり、今後に期待されるところも大きい〉と書いたが、その親の会は発展し各都道府県に「自閉症協会」という名称で存続している。ちなみに、
「東京都自閉症協会」のホームページには以下のような記載がある。
◆目的 
 自閉症児者の健全な育ちと社会参加を保証するために、自閉症児者及びその家族への多角的な支援、自閉症に関する正しい知識の社会への普及啓発、支援者の養成、医療・教育・福祉体制の増進を図ることを活動の目的としています
◆活動方針 以下の実現のために、定款に則り自主的な事業を行なうとともに、関係機関への働きかけならびに関係団体との連携・協働を行ないます。
①自閉症に対する社会の正しい理解、ならびに、自閉症児・者の尊厳が守られる共生社会の実現
②自閉症児・者とその家族の生活の質的向上、そのための諸サービスの強化
◆自閉症を知る
自閉症とは・・・
自閉症とは、先天的な原因から、
1.対人関係の特異性
2.コミュニケーションの質的障害
3.イマジネーションの質的障害
という3つに特徴があらわれることから診断される障害です。「自閉」という言葉からイメージされる「自らこころを閉ざしている病気」ではありません。また、育て方によって、後天的になるものでもありません。
原因は、まだ不明ですが、さまざまな所見や遺伝的研究から、先天的な脳機能の違いが原因となる障害だと、考えられています。
自閉症は、重度の知的障害を合併している人から、知的な障害がほとんどない人、IQ(知能指数)が通常より高い人まで幅広く、その個性も多様です。どこからどこまでが「知的障害」、どこからどこまでが「自閉症」と区切れるものではなく、まるで虹の光のように連続していることから、自閉症スペクトラム(Autistic Spectrum Disorder:ASD)といわれます。
従来、知的障害のある(IQ70~75以下)人が7割から8割といわれていましたが、ここ数年、知的障害をともなわないタイプの自閉症が広くしられるようになり、早期発見が進んだことから、知的障害をともなわないアスペルガー症候群などの高機能ASDの割合が増えていると、医療機関や教育機関では実感されています。
また、てんかんを発症する自閉症児・者の例は多く(20%以上)、重度知的障害のある人の方がその割合が高いというデータがでています。そのほか、さまざまな感覚や、運動機能に特異性をもつ人もたくさんいます。このことからも、自閉症が精神の障害でなく脳の機能・器質障害であると想像されます。
◆子供の障害がわかって間もない親御さんへ
 自閉症は一生続いていく脳の発達の障害です。しかし今のお子さんの状態がずっと続くのではありません。自閉症という障害を持っていても、子供は成長していきます。
障害のないお子さんの発達と比べると、少し違った形かもしれませんが、確実に成長していきます。
自閉症と診断されて間もない今は、びっくりしたり、悲しんだり、どうしてこういうことになってしまったんだろうと思ったり、子どもの将来が不安だったり、いろいろな感情がおしよせてきているかもしれませんが、あなたと同じような気持ちになっている親、それを体験してきた親は、たくさんいます。
100人に一人の子供が、発達障害があるといわれているのですから。
どうか孤立しないでください。仲間を探してください。一人で悩まず、みんなで考えて子育てをしていきましょう。
「自閉症」は、まだまだ社会で、正しく理解されていない部分もある障害です。
障害について、周囲の人から心無いことを言われたり、間違ったアドバイスを受けることがあるかもしれません。
しかし、平成17年には発達障害者支援法という法律ができ、各都道府県に発達障害者支援センターができました。世の中は、自閉症を含む発達障害者を理解しよう、支援しようという方向で、どんどん変わってきています。自閉症児・者にとっては、社会の仕組みが、まだ整備不十分のところもありますが、たくさんの人が、よりよい方向に変えていこうと運動をしています。

 以上の中で、私が気になる部分は以下の点である。
1 自閉症について冒頭で「先天的な原因から、1.対人関係の特異性2.コミュニケーションの質的障害3.イマジネーションの質的障害という3つに特徴があらわれることから診断される障害です。「自閉」という言葉からイメージされる「自らこころを閉ざしている病気」ではありません。また、育て方によって、後天的になるものでもありません」と《断定》しているのに、
2 続いて「原因は、まだ不明ですが」と断りつつ「さまざまな所見や遺伝的研究から、先天的な脳機能の違いが原因となる障害だと、考えられています」という《考え》(推測)を強調していること。
3 「子供の障害がわかって間もない親御さんへ」〈自閉症は一生続いていく脳の発達の障害です〉と《断定》していること。

 これらの見解は、専門家(あるいは文科省、厚労省など)の知見を踏襲したものであり、とりわけ「育て方によって、後天的になるものでもありません」という断定は、親にとって「自分の責任ではない」という一種の安堵感を与えるかもしれない。しかし、同時に「自閉症は一生続いていく脳の発達の障害です」と断定されれば、絶望的になることもやむを得ない。「しかし今のお子さんの状態がずっと続くのではありません。自閉症という障害を持っていても、子供は成長していきます。障害のないお子さんの発達と比べると、少し違った形かもしれませんが、確実に成長していきます」という時の《成長》がどのような成長なのか、体重が増え、身長が伸びることも《成長》である。《1.対人関係の特異性
2.コミュニケーションの質的障害 3.イマジネーションの質的障害》といった特徴は軽減、消滅するのだろうか、といったことが「子どもの障害がわかって間もない親御さん」の率直な気持ちではないだろうか。同じような気持ちの親がたくさんいても、社会の理解が進んでも、肝心の障害が「一生続く」とすれば、親の気持(情緒)は安定するはずがない。
 《原因は、まだ不明です》、だからこれまでの《さまざまな所見や遺伝的研究》はすべてが仮説であり、《先天的な脳機能の違いが原因となる障害》ではないかもしれません。その原因を究明するために、今も、さまざまな試行、研究が続けられています。そのために親の力を結集してがんばりましょう、という方が親にとっては希望が湧き上がるのではないだろうか。
 自閉症の様態は千差万別であり、原因も特定されていない。その点で、身体障害(脳性まひ、四肢欠損障害、聴覚障害・視覚障害など)、ダウン症などの先天的障害と「同質」なものであると断定することは早計であると、私は思う。専門家は、「まだよくわからない」うちに「説明しなければならない」立場にあり、わからないことを説明しているうちに、「わかったつもり」になり、それを断定してしまうことはないか。「自閉症は一生治らない」ことを証明することは誰にでもできる。治そうとしなければよいのである。治そうとして、あくなき追求(試行錯誤)を重ねるのが、専門家に求められる使命ではないだろうか。
(2017.8.20)



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Author:ケンモ ホロロ
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