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乳幼児のコミュニケーション

乳幼児のコミュニケーション

 コミュニケーションとは、情報の「発信」と「受信」のことだが、すでに胎生期の頃から、母子のコミュニケーションは始まっている。母親が、受胎の喜びを感じ、安定した生活をしていれば、胎児も安定し、順調に発育していく。一方、母親に「不安」「ストレス」「ショック」などが生じると、それは、直ちに、胎児の安定を脅かす。胎児は、母親の「心音」や「声」を聴いている。周囲の物音も聴いている。つまり、情報を「受信」している。また、胎内で、様々な運動を繰り返すこと(胎動)によって、情報を「発信」している。母親は、そうした情報を「受信」しながら(胎児の胎動に喜びを感じながら)、出産を迎える。  やがて(受胎からほぼ266日後)、胎児は出生して、新生児となる。「出産期」は、人生にとって、「最も不安定(生命の危険を伴う)」な時期だといわれている。なぜなら、これまで臍帯をとおして行ってきた「エラ呼吸」を、大気中の「肺呼吸」に転換しなければならないからである。生後まもなく発する「産声」は、「肺呼吸」が始まったことを意味する。それは、単なる生理的な「発声」だが、新生児は、それを、コミュニケーションの「発信信号」として使い始める。その内容は、「不快」の表現である。胎内に比べ、大気中には様々な刺激物(光・音・気温・湿度・気圧、等々)が存在する。新生児は、これまで母胎を通して「間接的に受信」してきたが、出生後は「直接」受信しなければならない。そのことで生じる「ストレス」の程度は計り知れない。     
新生児は、胎生期時代の「安定」を求めて「泣く」。それは「不快」を訴える、情報の「発信」であり、(乳幼児の)コミュニケーションの第一歩である。したがって、母親は、その「発信」を「無条件」に「受信」しなければならない。その方法は、①返事をすること(母親の声を聴かせること)、②抱き上げること(胎内の環境を再現すること)、③授乳すること、④おむつをとりかえること、⑤着替えをすること、等々である。新生児は、自分の「発信」が母親に通じ、母親が自分の状態を「快適」にしてくれたことによって、「安心」「安定」し、母親を「信頼」する。したがって、新生児が泣く(不快を訴える)、母親が関わる(不快を取り除く)、新生児は泣き止む(安心・安定する)というプロセスが、コミュニケーションの第一歩である。新生児の不快感は、乳児に成長するにつれて、様々に分化していく。空腹、痛い、気持ちが悪い、苦しい等という生理的段階から、驚く、怖い、淋しい、つまらない、怒る等という心理的段階に発展することによって、「感情」が芽生える。乳児は、その「感情」を、泣き声を「変化」させて「表現」する。母親は、乳児の泣き声を聞いただけで、その不快感、「感情」を察することができるようになる。特に、淋しい、つまらない、という感情に対して、母親は「抱き上げる」「抱きしめる」という行動で対処することを、「抱きくせがつく」というが、その関わりは極めて重要である。人は独りでは生きていけない。つねに、誰(この場合は母親)かと、直接に接しながら、触覚・嗅覚を通して「感情」の交流を図る。そのことによって、乳児の「安心」「安定」「信頼感」(愛着心)が、確固としたものになるからである。(育児書などには、「早くから自立心を養うために、赤ちゃんが泣いていても放っておきましょう」「抱きぐせがつかないように気をつけましょう」などと書かれていることがあるが、それは誤りである。例・「スポック博士の育児書」)      
 新生児の不快感が、驚く,怖い、淋しい、つまらない、怒る等という「感情」に発展していくことと併行して、快感もまた、満腹感、気持ちがいいといった生理的段階から、美味しい、うれしい、おもしろい、楽しい、好奇心等という「感情」に分化する。乳児は、その「感情」を、微笑む、声を出す、体を動かす、凝視する等の「行動」で表現する。母親は、それらの「行動」に、「笑顔」「声かけ」「愛撫」「抱っこ」等で応じる。乳児は、自分の「発信」が、母親に通じ、母親が自分の「快感」を「共感・共有」してくれたことによって、その「感情」(喜び)を、さらに拡大・定着することができるようになる。母親もまた、乳児を喜ばせようとして、あやす、くすぐる、いないいないばあ、おつむてんてん、高い高い等の「芸」をしてみせる。乳児は、それを見て、おもしろい、楽しいという感情を深化させながら、「人間」という存在に対する関心を高めていく。周囲にある様々な物のなかで、「人間」だけは、「特別な存在」であることに気づき始める。以上が、コミュニケーションの第二歩である。         
 この第一歩と第二歩の関わりの中で、とりわけ重要な役割をはたすのが「声」である。乳児も母親も、必ず「声」を媒介にして「交信」し合う。乳児が空腹を訴えて「泣き声」を出す。隣の部屋で仕事をしていた母親が「はーい、待っててね」と声をかける。乳児はその声を聞いて、しばし泣き止む、といった「やりとり」がその典型である。乳児は、周囲で発する様々な物音の中から「母親の声」だけは、自分に「快適」をもたらしてくれる「特別な存在」であることに気づく。やがて、その声は、母親だけでなく、父親、兄弟、そして「人間の声」へと特化されていく。人間の声は、猫やカラスの鳴き声と違って、「特別な意味」があるのだ、ということを学習するのである。また、自分が声を出す(喃語)と、「そう、お話ししてるの」「△×○×△」「ふうん、そうなの」というように、周囲から必ず声が返ってくる。その「交信」こそが、将来の「会話」を可能にする礎となるのである。
さて、これまでは、主として乳児と母親の「直接的」な交信であったが、幼児段階になると、手が使えるようになる。物をつかんだり、はなしたりできるようになると、幼児は、その物を媒介として、周囲の人と「関わる」ようになる。はじめは、手当たり次第に物を取り出しては放り投げる、机上の物をつかんでは下に落とす等といった「行動」(おいた)を繰り返し、(おそらく初めて)「叱られる」ことを経験する。欲しい時には「ちょうだい」の動作をする、また「ちょうだい」と言われると、持っている物を「手渡す」ということが、コミュニケーション・マナー であることを学習する(教えられる)。また交信の手段として「指を差す」という行為も始まる。 幼児は「アッ、アー」などと言いながら「指を差す」、同時に、相手の顔も見ている。それは「会話」の第一歩であり、「ママ、アレを取ってちょうだい」、「パパ、オンモに連れてって」「アッ、ヘリコプターが飛んできた」等々、その時、その場に応じて、多種多様な意味が含まれている。この「物をやりとりすること」、「指差しで気持ちや考えを伝えようとすること」が、コミュニケーションの第三歩である。 
 通常の場合、乳幼児のコミュニケーションは、以上の経過を辿って発達するが、何らかの事情で、支障が生じている場合がある。その時は、以下の項目に注目する必要がある。
〈(「遠城寺式・乳幼児分析的発達検査表」(九大小児科改訂版)慶応通信・1982年)より抜粋引用〉
【対人関係】   
①泣いているとき抱き上げるとしずまる
②人の顔をじいっと見つめる
③人の声がする方に向く
④あやすと声を出して笑う
⑤人を見ると笑いかける
⑥鏡に映った自分の顔に反応する
⑦親しみと怒った顔がわかる
⑧おもちゃをとられると不快を示す
⑨身ぶりをまねする(オツムテンテンなど)
⑩人見知りをする
⑪父や母の後追いをする
⑫ほめられると同じ動作をくりかえす
⑬困難なことがあると助けを求める
【発語】
①元気な声で泣く
②いろいろな泣き声を出す
③泣かずに声を出す(アー、ウァ、など)
④声を出して笑う
⑤キャーキャーいう
⑥人に向かって声を出す
⑦おもちゃなどに向かって声をだす
⑧マ、バ,、パなどの音声が出る
⑨タ、ダ、チャなどの音声が出る
⑩さかんにおしゃべりをする(喃語)
⑪音声をまねようとする
⑫ことばを1~2語、正しくまねる
⑬2語いえる
⑭3語いえる
⑮絵本を見て一つのものの名前をいう
⑯絵本を見て三つのものの名前をいう
⑰二語文をはなす(「わんわんきた」など)
⑱「きれいね」「おいしいね」などの表現ができる
【言語理解】
①大きな音に反応する
②人の声でしずまる
③母の声と他人の声をききわける
④親の話し方で感情をききわける(禁止など)
⑤「いけません」というと、ちょっと手を引っ込める
⑥「バイバイ」や「さようなら」のことばに反応する
⑦要求を理解する(おいで、ちょうだい、ねんねのうち一つ)
⑧要求を理解する(おいで、ちょうだい、ねんねの全部)
⑨簡単な命令を実行する(「新聞を持っていらっしゃい」など
⑩絵本を読んでもらいたがる
⑪目、口、耳、手、足、腹を指示する(4つ)
⑫「もうひとつ」「もうすこし」がわかる
⑬鼻、髪、歯、舌、へそ、爪を指示する(4つ)
⑭大きい、小さい、がわかる

以上の項目の中で「すでにできている」「今、できつつある」(できたり、できなかったり)、「まだ、できない」ものは何かを明らかにし、「今、できつつある」ことは、いつでも、どこでも、誰に対してでも「できるようにする」こと、「まだ、できない」ことについては、その要因は何か、できるようになるためには、どんなことが必要かを、考察することが肝要である。(2013.4.3)





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言語障害教育資料・「私の言語学習」

私は今、日本語を話しています。しかし、英語を話すことはできません。中学校、高校、大学と10年間も英語を勉強したはずなのに、英語を話すことはできません。なぜでしょうか。また、日本語は、特にとりたてて勉強したわけではないのに、気がつくと、話せるようになっていました。なぜでしょうか。
 日本語を話せるのに英語は話せない、その理由は、私の頭の中に日本語は入っているのに英語は入っていないからです。学校で10年間も勉強したのに、どうして入らなかったのでしょうか。答えは簡単です。「入れ方」を間違えたのです。私は中学校で、教科書を見ながら、アルファベットの「文字」を読んだり、書いたりすることから始めました。つまり、英語を「見る」「書く」という方法で頭の中に入れようとしたのです。言い換えれば、英語を「文字言語」として、頭の中に入れようとしたのです。では、日本語の場合はどうでしょう。私は、物心ついたとき、すでに日本語を話せるようになっていました。それ以前に「五十音」や「かな文字」の勉強をしたおぼえはありません。にもかかわらず、私は日本語を話せるようになったのです。なぜでしょうか。日本語を「文字言語」として頭に入れようとしなかったからでしょう。言い換えれば、日本語を「音声言語」として、頭に入れたからです。「見る」「書く」という方法ではなく、ただひたすら「聞く」という方法で日本語を学んだからだと思います。中学校以後の英語の学習を思い出してみても、「聞く」という方法は、「見る」「書く」に比べて、大変わずかだったように感じます。母国語と外国語の学習方法が異なることは当然でしょうが、それにしても「聞く」活動は少なすぎました。その結果、私は英語(文字)を「見たり」「書いたり」すれば、ある程度その意味を理解できるのに、「聞いただけでは」ほとんど理解できないという、「学習障害」の状態に陥ってしまったのです。言語発達の筋道で考えれば、まず、①聞いて理解する、②聞いた音声を再現する,③音声と文字を対応(マッチング)する、④文字を音声化する(音読)という順序をたどるのが自然です。しかし、私の英語学習は、いきなり③の音声と文字を対応する(アルファベットを音読する)というステップから始めたため、①②の「音声言語」を聞いたり話したりするというステップが「未履修」だったということになります。
 言語を身につけるうえで、最も大切な学習は「聞く」という活動です。「聞く」ことによって、その言語の音韻体系、意味を頭の中に取り入れ、定着することができるのです。しかし「聞く」という活動は、目に見えません。学習活動としては「評価」しにくいという特徴があります。「話す」という活動も、テープに録音しなければ記録できず、その結果を「評価」することがむずかしいでしょう。そんなわけで、中学校からの「英語教育」は「文字言語」偏重になってしまったのかもしれません。
私が今、日本語を話せるのは、耳がよく聞こえていたからです。日本語を「聞く」ことができたからです。「聞く」ことによって、日本語の音韻体系、意味を頭の中に取り入れ、定着することができたからです。おそらく、私はそのことを、生まれて3年間の間にやり終えていたのでしょう。ですから、私はそのことをはっきりとは憶えていません。気がついたときには、もうあたりまえのように、日本語を話していたのです。幼児期の思い出として、私は「カジミマイ」という言葉を思い出します。私が「カジミマイ」と言うと、周囲の大人が笑うのです。本当は「紙芝居」と言わなければならなかったのに、私は「カジミマイ」としか発音できなかったのでしょう。まだ、日本語の音韻体系を的確に聞き分けることができず、正確に発音できない段階だったと考えられます。しかし、周囲の大人は「好意的」に笑って「許して」くれました。まだ幼児だから、正確な発音でなくても、日本語として認めてくれたのだと思います。その結果、私は大きなダメージを受けることなく、自信を失うことなく、日本語を身につけることができたのです。
 一方、私が今、英語を話せないのは、なぜでしょうか。前にも述べましたが、「英語」を「聞く」ことができなかったからです。耳がよく聞こえているにもかかわらず、英語の音韻体系や意味を的確に聞き分けることができないからだと思います。学校で10年間、英語の学習を行いましたが、単語のスペルを「見て」「書いて」憶える、名詞の単数形・複数形、格変化、動詞の現在・過去・未来、関係代名詞などなど、正しい文法を憶える、そして文章を「和訳」すること等に終始し、最も大切な「聞く」という学習はほとんど行わなかったのです。また、学校では、「カジミマイ」のような「誤り」を、「笑って許してもらえる」雰囲気はありませんでした。スペルの一文字が違っただけで「厳しく」訂正されるのです。そのことが繰り返されれば、自信を失い、意欲が減退することは当然の結果だと思います。
言語を身につけるうえで、最も大切な「留意点」は、「楽しく」「いい気になって」「笑って許してもらえる」雰囲気づくりではないでしょうか。
 以上を要約すると、言語の学習で最も大切な学習は、「聞く力」を育てることであり、それは「楽しい」雰囲気の中で行われることが有効的である、ということです。
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「指差し行動」の意味

生後1年ほどになると、乳児は「マンマ」「ブーブ」などと片言を話すようになるが、同時に(人差し指1本で)「指を差す」行動が現れる。この行動は、「人間」特有の行動であり、他の動物には見られない。そしてまた、その行動は、「指差し確認」とか「人から後指を差されないように」とか「指示する」とか、言われるように、「特別な意味」を含んでいるのである。その意味とは、「今、私はこれ(それ、あれ)を見ている」ということである。さらに、人間はその行動を、コミュニケーションの手段として使っている。相手に向かって、「今、私が見ているのは、これ(それ、あれ)です。あなたも見て下さい」という気持ちを伝えているのである。乳児が、事物を指さして「アッアー」などと言うのは、「それを取って」「あれは何?」「これが欲しい」「あれは前にも見たことがあるよ」 などという意味や気持ちを、周囲の人に伝えているのである。また、乳児は、相手からの問いかけに対する「返事」として、「指を差す」行動があることを学ぶ。絵本を見ながら、「ワンワンはどれ?」「ブーブはどれかな?」などと問いかけられると、「指を差して」応えるのである。このとき、乳児は、「犬や自動車を見分けること」(認識活動)と、「指を差して応えること」(コミュニケーション行動)の二つを「同時に」要求されているのだが、いずれかに支障が生じていると、正確に応じることができない。その一の例、「ワンワンはどれ?」と尋ねられても、「ワンワンはどれ?」とオウム返しをするだけで、指を差さない。その二の例、「ワンワンはどれ?」と尋ねられても、よく絵を見ないで、手当たり次第、目に入った物を指さす。一の例は、(おそらく)認識活動は正常だが、コミュニケーション行動が未熟だということになる。反対に、二の例は、コミュニケーション行動は正常だが、認識活動が未熟だということになる。一の例の場合、「指を差す」代わりに、「手(首)を引っぱる」行動(クレーン行動)をすることがある。この行動は、自分の欲求を満たそうとする直接的な行動であり、コミュニケーション行動とはいえない。相手の手を、自分の手の延長(道具)として活用しているにすぎないからである。二の例は、まだ事物を正確に「見分ける」(弁別する)ことができないだけであって、相手とのコミュニケーションを通して、様々な学習を進めていく態勢が整っている。したがって、相応の時間をかければ、調和的な発達が期待できる。しかし、一の例は、周囲の事物や生活習慣、等々を、相手からではなく(コミュニケーションを媒介とせずに)、直接的に「自学自習」してしまうおそれがある。「認識活動」は正常であっても、そこで身につけた知識や技能を、集団の中で「応用できない」という事態に陥るおそれがある。そこで、一の例の場合には、以下のような取り組みが必要になる、と思われる。
【目標】人(相手)との「やりとり」ができるようにする。
《領域1》相手と「表情」で「やりとり」ができるようにする。
・相手に笑いかけられると、笑い返す。(あいさつ)
・にらめっこ、あっぷっぷ、いないいないばあ、などの遊びを「楽しむ」。
・「変な顔」を見て笑う。
・「怖い顔」を見て泣く。
・「いいお顔」をする。
《領域2》相手と「声」で「やりとり」ができるようにする。
・泣いて、相手を呼ぶ。
・相手の声を聞いて、しずまる。(泣き止む、落ち着く)
・相手の声を聞いて、声を出す。
・声を出して、相手を呼ぶ。
・相手の声(語調)を聞いて、まねする。(えっ?、あっ!、あーあ等)
・相手の「ことば」を聞いて、まねする。
《領域3》相手と「身振り・動作」で「やりとり」ができるようにする。
・相手の「身振り」を、まねする。(指遊び、手遊び、グウチョッキパー、指差し等)
・相手の「動作」を、まねする。(おいかけっこ、かけっこ、ぴょんぴょん、ダンス等)
・「おうまさんごっこ」を楽しむ。(スキンシップ)
・「おすもうごっこ」を楽しむ。(スキンシップ)
・ジャンケン遊びを楽しむ。
・「幸せなら手をたたこう」「むすんでひらいて」などを一緒に楽しむ。
・「鬼ごっこ」「かくれんぼ」を楽しむ。
《領域4》相手と「物」の「やりとり」ができるようにする。
・相手から、物を「受け取る」。
・相手に、物を「手渡す」。
・欲しい物を、「指差して」「受け取る」。
・相手が「指差した」物を「手渡す」。
・相手に「ちょうだい」と言って、「受け取る」。
・相手に「どうぞ」と言って、「手渡す」。
・「お店屋さんごっこ」を楽しむ。
《領域5》相手と「ことば」で、「やりとり」ができるようにする。
・相手に、名前を呼ばれたら、振り向く。(相手の顔を見る)
・相手に、名前を呼ばれたら、「返事」をする。(手を挙げる)
・相手に、「パパ」「ママ」などと言って、呼びかける。
・相手に、「わんわんは、どれ?」と聞かれて、指差す。
・相手に、絵を指差して、「なーに?」と尋ねる。
・相手に、「これはなーに?」と聞かれて、「わんわん」と答える。
・相手に、「お名前は?」と聞かれて、答える。
・相手に、「おめめは?お耳は?お口は?」などと、尋ねられて、その部位を触る。
・相手に、「たっち、えんこ」などと言われて、その動作をする。
・相手に、「これ、なーに?」と頻繁に尋ねる。
【留意点】
 以上の取り組みの中で、最も重要なものは、「笑顔」の「やりとり」である。「好きこそものの上手なれ」という言葉があるように、そのことが「好き」になることが上達の早道である。いずれの活動も「楽しく」「遊びの中で」行うことが大切である。また、乳児の反応が「あいまい」であったり、「誤り」であったとしても、それを「指摘」「訂正」することは禁物である。なぜなら、そのことによって、乳児は「自信」を失い、たちまち意欲が半減してしまうから。大切なことは一点、「コミュニケーション行動」と、その「意欲」を育てること、言い換えれば、こちらからの働きかけに「応じ」られるようになりさえすれば、それでよい、ということを肝銘すべきである。(2013.4.6)
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