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乳幼児の育て方・Ⅰ・「泣く子」と「おとなしい子」

【誕生から3ヶ月頃まで】
今、目の前で赤ちゃんが火のついたように泣いていたら、お母さんはどうしますか。思わず、抱き上げるでしょう。「おお、よしよし」と声をかけてほおずりをしたり、おしりを軽くたたいてあげたりするでしょう。ミルクがほしいのかな、おむつが汚れたのかな、など、いろいろと考えてみるでしょう。そしていろいろと思いあたることをやってみたら、赤ちゃんは泣きやんでくれました。お母さんはやれやれひと安心と、胸をなでおろすでしょう。
 こうした光景は、生まれて間もない赤ちゃんのいる家庭では、どこでも見られることだし、別にたいした意味はないように思われるかもしれません。しかし、この光景の背後には、今後の赤ちゃんの成長・発達にとって、きわめて重要な意味が秘められているのです。 赤ちゃんが泣く、お母さんが世話する。このことは、赤ちゃんを生命の危険から守り、健康な発育を助けるためには、必要不可欠なことですが、それ以上に、赤ちゃんの「こころ」の発達・成長にとって重要な意味があります。はじめ、赤ちゃんは、ただ本能によって「反射的」に泣いているだけです。しかし、お母さんは、それを黙って見のがすことはできません。お母さんは、いろいろと「世話」をします。その結果、赤ちゃんは「とても快い状態」を味わえるようになります。それは、もしかしたら、まだお母さんのおなかの中にいたころの、あの夢見心地の気分なのかもしれません。
 やがて、赤ちゃんは、もっともっと「快い状態」を味わいたくなるでしょう。そのためにはどうすればよいか。お母さんの毎日繰り返し行う「世話」によって、「泣くこと」と「世話」をすることが結びつき、それが「快い状態」を招くという事実を、赤ちゃんは学ぶようになるでしょう。そうだ、泣けばいいのだ!泣くことによって、赤ちゃんは「快い状態」を確保できるようになり、生後の不安定な状態から脱出する方法を発見することになります。
 「安心感」、それは「こころ」の発達にとって、なくてはならないものです。そして、その「安心感」が、自分自身の力によってではなく、「他の人間の力を必要とするものであり」、そのためには、まず「自分自身が他の人間に働きかけなければ得られない」という事実を、赤ちゃんは学ぶのです。これは、「人間が他の人間とのかかわりの中でしか生きていけない」ことを知る第一歩であり、「人間と人間のふれあい(コミュニケーション)の方法を知る第一歩です。
 まだ、ことばを使ったり、からだを動かしたりすることができない赤ちゃんにとって、「泣くこと」だけが、自分と他人を結びつける唯一の方法なのです。赤ちゃんは、泣くことによって、自分の不安定な状態を、お母さんに知らせることができます。泣くことによって、お母さんを呼び寄せることができます。泣くことによって、世話の後にくる「安心感」を味わうことができます。言いかえれば、泣くことによって、お話をすることができます。だからこそ、お母さんは、泣いている赤ちゃんに、ことばで謝ったりするのです。「そうなの。おなかがすいたの。ごめんなさいね。おお、よしよし」、そのことばの意味が赤ちゃんに理解できないことは百も承知で、お母さんは話しかけるのです。なぜなら、そのことばの背後にある「こころのやりとり」(感情の交流)を、お母さんは何よりも大切に思っているからです。そして、その「ことばのやりとり」こそが、将来、赤ちゃんがことばを使いこなすための土台になるのです。
 あなたの赤ちゃんはよく泣きますか。あまり泣かない方ですか。どんな時に泣きますか。どんな泣き方をしますか。
 赤ちゃんの「泣く」という行動を、細かく観察してみて下さい。
 大きな声で力強く泣く赤ちゃんは、安心です。泣き声、泣き方がいろいろあり、それを聞いただけで、どうして泣いているかが、お母さんにピーンとくるような赤ちゃんは、安心です。泣いているから抱き上げると、すぐ泣き止み、下へおろすと泣き始め、もう本当にいやになっちゃう赤ちゃんは、安心です。
 ミルクを飲むと、すぐに寝てしまって、ほとんど泣かない赤ちゃんがいます。「いつも」スヤスヤ眠っていて、なんだか起こすのがかわいそうな赤ちゃんがいます。人の話では、赤ちゃんを育てるのは並大抵にことではないということだけど、うちの子はほとんど手がかからないし、なんだか拍子抜けだな、という赤ちゃんがいます。泣くことは少ないけど、一度泣き出したらさあ大変、どんなことをしても全然泣き止んでくれない、という赤ちゃんがいます。
 こうした赤ちゃんたちは、生まれて間もない頃の不安定な状態を、うまく脱出できないでいるのです。「こころ」の中は「不安」でいっぱいです。お母さんとは何なのか、今、自分を持ち上げているのは誰なのか、見るもの、聞くもの、すべてが「不安の連続」なのです。
 今、そうした赤ちゃんが目の前でスヤスヤ眠っているとしたら、お母さんはどうしますか。
(1977.1.10)
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乳幼児の育て方・Ⅰ・「抱きぐせ」と「添い寝」

【誕生から3ヶ月頃まで】
 おなかがすいているわけではない、おむつが汚れているわけでもない、それなのに赤ちゃんが泣いています。そばへ行ってお母さんが「抱っこ」するとケロリと泣き止んでしまう、やれやれと思ってベッドにおろそうとすると、また泣き出す。このようになってしまうことを、「抱きぐせ」がつくといいます。そして一度「抱きぐせ」がついてしまうと、おそうじや、おせんたくなどの家の仕事が山ほどあるのに、全くはかどらなくなってしまうでしょう。そんなわけで、世のお母さんたちは、この「抱きぐせ」をあまり歓迎しないようです。また、赤ちゃんに早くから「独立心」をやしなうためにも、甘やかさにことが大切であり、「抱きぐせ」はつけない方がよい、という考え方もあります。
 さて、あなたならどう考えますか。赤ちゃんを育てるうえで最も大切なことは、つねに、赤ちゃんの状態を的確につかみ、その状態を少しでも生き生きした状態へと高めてあげるような「手助け」ではないでしょうか。そのためには、いつも赤ちゃんの立場で、赤ちゃんの気持ちになってものごとを考える必要があります。
 今、赤ちゃんが泣いているとすれば、それは赤ちゃんにとって明らかに「不快な状態」が生じているからです。それが単なる空腹などの生理的な不快感であるか否かにかかわらず、お母さんはそれを取り除いてあげることが必要でしょう。赤ちゃんは「たいくつ」しているのかもしれません。「さびしい」のかもしれません。お母さんに「抱っこ」されて、いろいろなものをながめてみたいのかもしれません。いずれにせよ、赤ちゃんは今、「お母さんを必要としている」のです。そうした赤ちゃんの「必要感」が満たされなくても、別に命にかかわることはないでしょう。しかし、赤ちゃんの「こころの発達」という観点から考えると、これは大きなマイナスなのです。呼んでも呼んでもお母さんがそばに来てくれないとすれば、赤ちゃんはどんな気持ちになるでしょう。お母さんが今どんなに忙しいか、また自分に「独立心」をやしなってくれようとして「知らんふり」をしているなどと考えるすべもありません。何度か泣き続けたあと、もうくたびれてしまい、泣いてみても何の変化もなかったことを悟ります。そしてだんだんと「泣くこと」をやめてしまうかもしれません。ということは、お母さんにとってはとても育てやすい赤ちゃんに変わっていくことでしょうが、逆に赤ちゃんにしてみれば「もうお母さんが必要でなくなってしまう」ことであり、お母さんに対する「不信感」が芽生えることを意味するのです。
 【このころの赤ちゃんにとって大切なことは、安定した生活のリズムを体得し、日一日とたくましい体力を身につけていくことであることはいうまでもありませんが、それにもまして「人間」について知り、「人とのかかわり合い」を学んでいくことなのです。だとすれば、もし赤ちゃんの聴覚に障害がある場合、極めて不利な状況に立たされることは明らかです。周囲からの情報の中で、耳から取り入れるものは極度に制限され、そのぶんだけ周囲の「なりゆき」から遠ざけられてしまうからです。とりわけ「人の立ち居振る舞いの物音」「声」などを十分に聞き取ることができないとすれば、それだけ「人間」に関する学習は遅れてしまうでしょう。
 そんなわけで、聴覚に障害がある赤ちゃんにとっては、まずお母さんとの密着した「かかわり」が何よりも必要であり、お母さんは赤ちゃんと周囲の音の世界の状況との間に、パイプを通し、両者の情報交換がよりスムーズに行えるような「手助け」をする必要があるのです。つまり、赤ちゃんにとって「自分の欲求に必要だと感じられるお母さん」であることが、聴覚の訓練ともつながる大切なことだといえましょう。】
 「抱きぐせ」がついたからといって、「甘えぐせ」がついたことにはなりません。「お母さん、ちょっと来てよ。抱っこして、ボク(ワタシ)にいろいろな音のある世界の面白さを味わわせたり、見せたりしてちょうだい。何かおもしろいことをして、ボク(ワタシ)を楽しませてよ!」、赤ちゃんはそう叫んでいるのです。この赤ちゃんの要求に絵無理に無条件に」応えてあげることによって、赤ちゃんとお母さんの「こころの絆」はしっかりと結ばれ、これからの家庭生活(社会生活)の土台が着実につちかわれていくことになるのです。
 赤ちゃんが眠りに入る時の状態も、事情は全く同じです。ひとりで機嫌よく眠ってしまう赤ちゃんよりも、お母さんに「抱っこ」されなければ眠らない、お母さんと体が触れあっていなければ眠らない、という赤ちゃんの方が、むしろ「お母さんを必要としている」のではないでしょうか。その状態が何十年も続くわけではありません、心配は御無用なのです。(1977.1.10)
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乳幼児の育て方・Ⅰ・「笑う子」と「笑わない子」

【誕生から3ヶ月頃まで】
お母さんにとって、赤ちゃんの「にっこりした笑顔」ほど素晴らしく感じるものはありません。思わず抱き上げて、ほおずりしたくなるでしょう。毎日の育児や家事の疲れがいっぺんにふきとんでしまい、この子のためならどんなことでもしてあげようという気持ちが湧き上がってくるでしょう。赤ちゃんの「にっこりした笑顔」は、お母さんの気持ちに張り合いを与え、育児に対する意欲を奮い起こさせるという意味で、大きな力を持っているといえましょう。そればかりではありません。お母さんに限らず、周囲のおとなたちは、にっこり笑っている赤ちゃんを黙って見過ごすわけにはいかないという気持ちになるのです。
 電車の中などで、おんぶされた赤ちゃんがニコニコ笑ったりしていると、全く見ず知らずの人が思わず笑いかけたり、あやしたりしている光景をよく見かけます。そして、その赤ちゃんを、周囲の誰もが「なんて可愛い赤ちゃんだろう」と感じたりするのです。
 こうしたことも、ごくあたりまえのように思われますが、赤ちゃんの成長発達にとって、とても大切な役割を果たしています。つまり、「赤ちゃんが笑う」ということの中には、次の二つの重要な意味がふくまれているのです。第一に、赤ちゃんは「笑う」ことによって、周囲のおとなを惹きつけることができます。私たちおとなは、笑っている赤ちゃんに対して「必ず何かの働きかけ」をするのです。笑い返す、あやす、ことばをかける、抱きしめる等々。そのことによって、赤ちゃんはたくさんの刺激を受けることになり、見たり聞いたり感じたりする機会が倍増するでしょう。しかも、それらの刺激は直接「人間」が与える刺激であり、その内容も極めて人間的なものといえましょう。くるくる回っている風車をぼんやり見つめている時とは比べものにならないほど、多くの人間的なことがらを学ぶことができるでしょう。
 「赤ちゃんが笑う」ということの中にふくまれる第二の重要な意味は、そのことによって自分以外の人間と「やりとり」をすることの楽しさ・おもしろさを知り、その「方法」を着実に身につけていくことができるということです。赤ちゃんが笑います。おとながあやします。赤ちゃんが「もっと」笑います。おとなが「もっと」あやします。こうした繰り返しは、もうすでに立派な「気持ちのやりとり」です。人と「やりとり」をするということは、何らかのサインを相互に送り合う(交信する)ことですが、そのためにはある時間の流れの中でサインを送ったり受けとめたりする役割を交互に演じ変えていかなければなりません。また、他人のサインを受けとめるためには一定の集中力も必要ですし、逆に自分がサインを送る時も相手の状態をよく見極めておかなければならないでしょう。今、赤ちゃんは「笑いかける」ことによってサインを送り、「笑い返す」ことによってサインを受けとめたことを伝えようとしているのです。いわば「笑いかける」ことは話しかけであり、「笑い返す」ことは返事なのです。そしてこのことは、将来、赤ちゃんが「ことば」(対話)を学んでいくうえでの、極めて重要な土台になると考えられます。なぜなら「ことば」とは、まず第一に他人と「気持ちのやりとり」をするためにあるからです。そして、ことばを学ぶということは、つまるところ「ことばを使って他人と様々な内容のやりとりをすること」を学ぶことに他ならないからです。
 【聴覚に障害のある赤ちゃんは、何もしなければ「ことば」をおぼえることはできない、といわれています。だから、赤ちゃんに聴覚の障害がありとわかったら、いっときも早く「特別な方法」で「ことば」を教えていかなければならない、といわれています。そしてその「特別な方法」のまず第一歩は、「ことばのやりとり」の土台となる「ことば以前のやりとり」が確実にできるようにすることなのです。「ことば以前のやりとり」、その代表的なものが「笑顔によるやりとり」ではないでしょうか。ホラ、赤ちゃんが笑っています。お母さんに話しかけているのです。お母さんも笑い返して下さい。やさしくことばを投げかけて下さい。ほっぺたをつついて下さい。ホラ、赤ちゃんがもっと笑いました。赤ちゃんは返事をしたのです。「おもしろいなあ、もっとしてよ」、もうすでに学習ははじまっているのです。
 「赤ちゃんが笑ってくれません」。どうしてでしょう。原因を考えてみて下さい。何か思いあたることはありませんか。お母さんと接することの少ない赤ちゃん、かぜや消化不良で発育が順調でない赤ちゃん、周囲の物音に敏感すぎる赤ちゃん、泣くことの少ない赤ちゃん、おとなしく手のかからない赤ちゃん、がまん強い赤ちゃん、みんなまだ自分のことでせいいっぱい、とても他の人とやりとりをするゆとりがないのです。
 でも、あきらめてはいけません。赤ちゃんにとって、お母さんの「にっこりした笑顔」ほど素晴らしく感じるものはないかもしれないからです。】(1977.1.10)
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乳幼児の育て方・Ⅰ・「抱っこ」がらくにできますか?

【誕生から3ヶ月頃まで】
 このころの赤ちゃんにとって、「抱っこ」をしてもらうことは、最大の喜びです。その喜びの中には、次の四つの喜びがふくまれているからです。
 第一は、お母さんの体の感触(ぬくもり)をじかに味わえる喜びです。もしかしたら、お母さんのおなかの中で聞いた心臓のリズミカルな快い響きを、もう一度感じることができるのかもしれません。(お母さんは、赤ちゃんを抱っこするとき、本能的に左の胸に赤ちゃんの頭部がくるようにするといわれています)。
 第二は、お母さんの「ぬくもり」に加えてオッパイを飲ませてもらえるかもしれないからです。それは空腹が満たされるという充足感だけでなく、お母さんの乳首を唇でなめたり、舌で吸ったりする感触もまた、大きな喜びでしょう。(ミルクよりも母乳を、という識者の意見も、人工の乳首ではそのような喜びを十分に与えることができないのではないか、という考えによるものと思われます)。
 第三の喜びは、「抱っこ」されることによって、体が垂直になり視野が開けるという喜びです。「ねんね」の状態では、天井しか見ることができません。しかし「抱っこ」してもらうと視線が水平になり、周囲にあるいろいろなものが目に入ってきます。家の中にはずいぶんいろいろなものがあるんだな、赤ちゃんはお母さんの「ぬくもり」を感じながら。好奇心を芽生えさせることができます。
 第四の喜びは、そのことによって、周囲にあるいろいろな品物の中で、とりわけ「人間の顔」をじっくり観察できる喜びです。その顔には、他の品物と違っていろいろと動き変化する、おもしろいものがついています。お母さんの輝くような目、大きくふくらむほっぺた、ほら穴のような口、白い歯、チョロチョロ動く舌、一日中見ていてもあきることはないでしょう。赤ちゃんは、このように「お母さんの顔をじっと見つめる」ことによって、他のいろいろな品物の中から「人間」を識別することができるようになり、「人間への関心」を高めていくのです。
 以上のように、「抱っこ」は赤ちゃんに、はかりしれない大きな喜びを与えてくれます。
 ところがです。赤ちゃんの中にはその「抱っこされること」が苦手な子がいます。そのひとつのタイプは、抱っこすると「まだ首がぐらぐらしてしまい安定しない」というタイプです。生後まもない赤ちゃんはみなそのような状態ですが、通常3~4ヶ月位たつと、いわゆる「首がすわり」安定するようになります。6ヶ月を過ぎてもまだ首がすわらないような場合には、赤ちゃん自身の発育が遅れがちになっていることが考えられます。出産時にトラブルがあったり、生後の発熱、消化不良などによって順調な発育が得られなかったのではないか。いずれにせよ、お医者さんに相談してみることが必要でしょう。
 次のタイプは、抱っこすると「手足をバタバタさせたり、体が弓のように反りかえってしまったりして、お母さんの体にぴったりくっつこうとしない」タイプです。とても「抱っこ」しにくく重たい感じのする赤ちゃんです。このような赤ちゃんは、何らかの理由で、お母さんの「ぬくもり」を喜びと感じることができずに、むしろ「こわい、痛いなど」(不快)と感じてしまっているようです。そして前に述べた「おとなしく手のかからない赤ちゃん」「泣くことの少ない赤ちゃん」「一度泣き出したらなかなか泣きやもうとしない赤ちゃん」「いつも知らん顔をしている赤ちゃん」「笑わない赤ちゃん」などが、そのタイプになることが多いようです。
 このような場合には、むりやり「抱っこ」することはひとまず避け、どうすればお母さんの「ぬくもり」を快いと感じとってくれるようになるか、いろいろと研究してみる必要があるようです。通常、赤ちゃんは生後まもないころの「不安定」な状態を、「泣く」ことによってお母さんの「世話」(保護)を獲得し、そのことによって得られる「安心感」がお母さんに対する「愛着心」を生み、お母さんの「ぬくもり」を快いと感じとることができるようになります。しかし、生後まもないころの「不安定」な状態から脱出しようとしても、うまくお母さんの「世話」(保護)が獲得できなかったような場合(その原因が赤ちゃん自身にある場合もあり、お母さんの育て方にある場合もあります)には、その「不安定」な状態に「じっと耐える」ことしかできず、そのためつねに「不安」な気持ちが先行してしまっていることが考えられます。
 赤ちゃんの「不安」な気持ちを解消してあげることは、いつでも必要なことであり、遅すぎるということはありません。ベッドに寝かせたまま、軽く体を撫でてあげたり、ほおずりをしたり、いろいろ試しながら、赤ちゃんの顔が「うっとりとした夢見心地」の表情になるまで、がんばって下さい。
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乳幼児の育て方・Ⅱ・お母さんはどうやって赤ちゃんを泣きやませますか?

【3ヶ月頃から12ヶ月頃まで】
 赤ちゃんが泣いています。赤ちゃんは今、お母さんを呼んでいるのです。さあ、あなたはどうしますか。時と場合によるかもしれません。しかしそれがどんな時であっても、赤ちゃんが「来てほしい」と思っていることにかわりないのです。その気持ちにどうやって応えるかが問題です。一番まずい応え方は、母さんがひとりで「もう少しまっててね」と思って(沈黙したまま)「しばらくそのままにしておく」という応え方です。それは結果として「無視」することであって、お母さんが心の中でどれだけ赤ちゃんのことを大切に思っていたとしても、赤ちゃんに通じることにはならないからです。「しばらくそのままにしておく」と、赤ちゃんはますます激しく泣くことになるか、反対に疲れて泣きやんでしまったりします。もし泣きやんでくれれば、とても都合がよいでしょう。しかしそれは、あくまでお母さんにとっての都合なのであって、赤ちゃんにとっては極めて都合の悪いことになるのです。なぜなら、赤ちゃんは決してお母さんの目の回るような忙しさを察して泣きやんでくれたわけではないからです。赤ちゃんは泣くことに疲れてしまったのです。「お母さんに来てほしい」という気持ちは満たされないままで、もう泣き続けることができなくなってしまったのです。その結果がどうなるかはもうおわかりでしょう。赤ちゃんは「泣く」ということが無駄であることを学びます。自分から他に働きかけても、何の見返りもないことを学びます。そればかりか、お母さんに対する「不信感」さえ抱くようになるかもしれません。そして今の「不安定」な気持ちを、お母さんに来てもらって脱出しようとするのではなく、全く別の手段によってまぎらわすことを学ぶようになります。そして、自分の気持ちを表情や動作であらわすことをしなくなり、いつも無表情で、一見とても「がまん強い」赤ちゃんになっていくのです。こうした傾向は、赤ちゃんの成長発達にとって極めて都合の悪いことです。赤ちゃんはつねに周囲の人(主としてお母さん)とのかかわりの中ではじめてさまざまなことを学びとっていくことができるのに、みずからその「かかわり」を避けてしまうことになるからです。
 赤ちゃんはつねに「わがまま」です。赤ちゃんを育てるということは、赤ちゃんの「わがまま」のために周囲の人(主として両親)が全面的な犠牲を強いられることだ、といっても過言ではありません。赤ちゃんが生まれたことによって、両親の家庭生活は一変します。しかし、そのことをさけるわけにはいかないのです。
 赤ちゃんが泣いています。今、お母さんが何をしているか、周囲がどんな状態か、などということは全くおかまいなしに泣いています。どうすればよいでしょう。まず第一に考えなければならないことは、お母さんの都合、周囲の状況などは二の次にして、赤ちゃんの「来てほしい」という気持ちを尊重することです。「どうしたの、今行きますよ。待っててね」、お母さんの声で泣きやんだとすれば、赤ちゃんの気持ちはひとまず満たされたことになります。【聴覚に障害のある赤ちゃんであっても、まず「声をかける」ことが大切です。はじめは見えないところから普通の大きさの声で、次に少し大きめの声で、次に見えるところへ行って、というように「声のかけ方」をいろいろ変えてみて、反応をみることが大切です。声をかけても泣きやんでくれません。その時は、何をおいてもまず赤ちゃんのそばへ行き、お母さんのにっこりした笑顔を見せる必要があります。「ホーラホラホラ、どうしたの。おむつがよごれたのかな。おなかがすいたのかな」、声をかけながら、どうして泣いているのか原因を調べなければなりません。思いあたることをやってみて、泣きやんでくれれば別に心配はありません。しかし、特別思いあたることがない時、抱っこすれば泣きやむのにもとの状態にもどすとすぐ泣はじめるとき、眠くて泣いていることはわかるけど、いつも抱っこされなければ眠らないようになってしまったらどうしようと考える時、お母さんは迷うでしょう。
 しかしどんな場合でも、赤ちゃんがお母さんに対して「そばにいてほしい」「何かしてほしい」と思っていることにかわりはないのです。そして、赤ちゃんの気持ちに全面的に応えてあげることが、赤ちゃんを育てるということの第一歩なのです。】
 赤ちゃんを抱っこしているお母さんは、自然に赤ちゃんのおしりを軽くたたいたり、ゆすったりしています。そうすると、赤ちゃんは本当に気持ちよさそうにうっとりとした顔をしています。そのことの中から赤ちゃんの気持ちの中に「お母さんは素晴らしい人だ」という信頼感や「ゆとり」が芽生えてくるのです。
 赤ちゃんが泣いています。お母さんはまず第一に、何をおいても赤ちゃんのそばへ行き、直接自分の手で、自分の体で、自分の声で赤ちゃんを「泣きやませる」ことを考えてください。たとえそうしたことが日に何十回あろうとも、です。(1977.1.10)
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乳幼児の育て方・Ⅱ・なによりも「人の声」が大切

【3ヶ月頃から12ヶ月頃まで】
 デパートのおもちゃ売り場へ行くと、数え切れないくらいいろいろなおもちゃが並んでいます。しかし、このころ(乳児期)の赤ちゃんのものとなると、おのずと限定されてきて、品物はたくさんあっても、いくつかの種類に分類されてしまいます。その一は、音の出るおもちゃで、赤ちゃんが「聞いたり見たりして楽しむ」ものです。その二は、おしゃぶりの類で、中には振ると音の出るものもあります。その三は「指でいじったり、つかんだりして楽しむ」おもちゃです。その四は、「たっちしたりあんよしたりすることの補助をする」おもちゃです。
 さて、赤ちゃんの感覚器官の中で最も早く働きはじめるのは皮膚感覚(触覚)です。生後まもない赤ちゃんでも、口の中に物を入れると「反射的」に吸おうとします。そして口の中の皮膚感覚を使って楽しむことを学ぶようになります。また、もっと後になって(5~6ヶ月頃)手がよく動くようになると「何でも口に入れる」ことが多くなります。これは、まだ物を知るとき「見ただけ」ではどんなものかはっきりしないので「口の中の皮膚感覚」で確かめている、といわれています。あんよができるようになると、「何でも手でいじりたがる」時期がきます。これも「見ただけ」ではどんなものかはっきりしないので「手の触覚」で確かめているのです。私たちおとなであっても、洋服の生地を買うときなど「手にとって」確かめることをしています。このように、皮膚感覚は、感覚器官の中ででも重要な働きをしています。
 次に働きはじめる感覚器官は、耳(聴覚)です。次が、やや遅れて目(視覚)ということになります。この耳と目の働きで特徴的なことは、どちらも「離れたところから物を知る」手段であり、またお互いに補い合ってはじめて「物がはっきりわかる」ということです。【この特徴を知ることは、聴覚に障害のある赤ちゃんを育てるうえで、きわめて重要なポイントになると思われます。まず「離れたところから物を知る」ということは、赤ちゃんの方に「物を知ろう」という態勢ができていなければ、つまり一定の集中力や「物を選択する力」(今、知ろうとしているものは《あれ》ではなく《これ》なのだと見分ける力)が育っていなければうまくできません。また「離れたところから物を知る」とき、私たちは「見ながら《同時に》聞いている」のです。あるいは「聞きながら《同時に》見ている」のです。どちらか一方が欠けていたら。「十分に物を知る」ことができません。そればかりか、欠けていない方の働きも十分ではなくなってしまうのです。聴覚に障害のある赤ちゃんは、「見る働き」も、聞こえる赤ちゃんに比べて十分ではないだろう、ということを考えておく必要があるでしょう。】
 さて、では赤ちゃんの「物を知ろう」という態勢はどのようにしてできあがるのでしょうか。もちろん、それははじめから赤ちゃんの中に備わっているものではありません。お母さんとの数え切れないかかわり合いの中で、次第次第に確かなものになっていくのです。はじめ、赤ちゃんの中にあるものは「反射」という活動です。大きな音がすると、ピクッと手が動いたり、まぶたが動いたりします。目が見えたり、首が動いたりするようになると、「音のした方をさがす」ということもするようになります。そのことによって、赤ちゃんは「聞く働き」と「見る働き」を結びつけることができるようになり、「聞きながら同時に見る」という「離れたところから物を知る」ための基礎的な活動を学びます。しかし、まだこの段階では、赤ちゃんの活動は受け身です。周囲で生じる様々な偶然の物音や、おとなが買ってきてくれた音の出るおもちゃを、一方的に「聞かせられたり」「見せられたりしているのです。とはいえ、この受け身の活動はきわめて重要です。その中でさまざまな物と音との対応を知り、あれの音はあんな音、これの音はこんな音がするのだということを学んでいくのです。赤ちゃんの手が自由に動くようになると、テーブルの上の物を落としたり。お茶碗をたたいて喜んだりするようになります。これも、物と音との対応を知る学習なのです。この頃になると、おとなはタイコやフエなどを買ってきて与えたりします。赤ちゃんの方も、今まではとても喜んでいたオルゴールやガラガラなどは見向きもしなくなったりします。それは、赤ちゃんの中に「音を区別する力」が育ってきたことを意味します。
 通常、8ヶ月を過ぎると、赤ちゃんの中に大きな変化がおこります。それは、さまざまな音の中で「お母さんの話しことば」だけは、特別に「じっと聞き入る」ような様子が見えはじめてくるのです。これは、赤ちゃんの中に「物を知ろう」という態勢が「しっかり」できあがってきたことを意味します。つまり、さまざまな物音の中で、「お母さんの話しことば」だけは自分にとって特別興味深く大切なものだ、という「物を選択する力」が育ってきたのです。そして、その力こそが「ことばを学ぶ」うえで、最も重要な力になるのです。
 【では、聴覚に障害のある赤ちゃんに、そのような「物を知ろう」という態勢づくりをしようとするとき、どのようなことに気をつけなければならないでしょうか。
 まず第一に、「物を知ろう」という気持ちは「ゆとりのある安心感」からしか生まれないとことを知ることです。不安で泣き叫んでいる赤ちゃんに、何を見せても、何を聞かせても、すべて無駄です。それは、私たちでも同じことで、家族の一人が交通事故にあったことを知らされて、のんびり映画など観ていることができないのと全く同じことです。したがって、赤ちゃんが「ゆとりある安心感」をもっている時間をできるだけ長くする工夫が必要です。
 第二に、音をこわがったりすることはないかを観察することが必要です。生後まもない頃は物音にとても敏感だったが、ある時期から全く反応しなくなった、というような赤ちゃんもいます。その場合は、まだ「離れたところから物を知る」だけの「ゆとり」がなく、皮膚感覚で物を知ったり、やりとりをしたいと思っている段階だと考えられます。したがって、当面は、音を聞かせることを中止し、お母さんと体のふれあいを中心とした遊びを多くし、「ゆとりある安心感」をもてるようにすることが必要です。
 第三に、赤ちゃんにどんな音を聞かせたら、どんな様子を見せたか、ということをお母さん自身がきちんと記録にとどめておくことが必要です。「ある音がしたら決まってこんな様子をする」という事実が多くなればなるほど、赤ちゃんはいろいろな音の種類よ範囲を経験し、学習していることのなるからです。
 第四に、赤ちゃんが楽しんだりうれしい表情をしている時は、必ず《同時に》「お母さんの声を聞かせる」ということです。赤ちゃんにとって「楽しい」ことと「お母さんの声」が結びつくようにするのです。そうすれば「お母さんの声」を心待ちにするような気持ちが芽生え、それを特別なものとして他の物音から区別することができるようになると考えられるからです。赤ちゃんは、耳のきこえが悪いのかもしれません。しかし、だから「音を聞かせても無駄だ」「話しかけても無駄だ」と考えてしまうことは、すべてを無に帰してしまうでしょう。赤ちゃんに聴覚障害があっても、それだからこそなおさら、聞かせ、話しかけ、健聴児と同じように扱わなければいけません。赤ちゃんは、ちゃんと赤ちゃんなりに喜んで反応し、わかってくれるのです。】
聴覚障害教育の基本と実際聴覚障害教育の基本と実際
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乳幼児の育て方・Ⅱ・赤ちゃんと遊びましょう・Ⅰ

【3ヶ月頃から12ヶ月頃まで】
 さあ、おせんたくはすみましたか。これから赤ちゃんと遊ぶことにしましょう。まず、心の中をからっぽにして下さい。家の仕事のことは忘れて下さい。これから30分間は、赤ちゃんと遊ぶこと「だけ」を「考えて」下さい。そして、赤ちゃんと遊ぶこと「だけ」を「して」下さい。
 赤ちゃんは何をしているかな。目をあけています。腕をバタバタさせています。時々、自分の手をながめたり、こぶしを口に入れようとしたりしています。チャンスです。
 赤ちゃんの名前を「そっと」よびましょう。どうですか。聞こえましたか。もう少し近づいてみましょう。もう一度、そっと名前をよんで下さい。どうですか。聞こえませんか。もう少し声を大きくしてみて下さい。
 赤ちゃんのそばにすわりましょう。そっと足にさわりましょう。あ、気がついた。顔を近づけましょう。「○○ちゃん!ママよ」。どうですか。ニッコリわらってくれましたか。
 お母さんの人差し指を赤ちゃんの手に近づけて下さい。にぎるかな。にぎったら。軽く振ってみましょう。「イチニ、イチニ、イチニ」。うれしそうですか。
 赤ちゃんを「抱っこ」しましょう。正面に向かい合って、赤ちゃんのわきの下を支え、「たっち」させましょう。「お母さんの顔を見ますか」。足を動かして床をけりますか。「トン、トン、トン」。赤ちゃんを軽くジャンプさせましょう。わらいますか。声を出しますか。わらったら抱きしめましょう。声を出したら抱きしめましょう。
 赤ちゃんと「にらめっこ」をしましょう。からだをゆらしながら「アップップ」「アップップ」。顔を近づけましょう。わらいますか。声を出しますか。赤ちゃんの目はキラキラと光っていますか。笑ったら、声を出したら、「何回も」繰り返して下さい。「腕が痛くなるまで」繰り返してください。そして、「抱きしめましょう」。
 赤ちゃんの顔を正面から見つめましょう。お母さんの舌を出したり引っ込めたりして下さい。赤ちゃんはじーっと見ていますか。赤ちゃんの口元は動きますか。お母さんの目をパチパチさせて下さい。赤ちゃんもまばたきをしましたか。ほっぺたをふくらませて指で押しましょう。音が出ました。聞こえたかな。
 赤ちゃんをお母さんのひざに、後ろ向きにすわらせましょう。赤ちゃんの両手を持って、たたいて下さい。「パチ、パチ、パチ」「パチ、パチ、パチ」。赤ちゃんはうれしそうですか。うれしそうだったら何回も繰り返して下さい。「パチ、パチ、パチ」、赤ちゃんの耳元で言ってみましょう。両手をたたきながら「パチ、パチ、パチ」。赤ちゃんは声を出しましたか。「アー、アー、アー」、声が出なくても、赤ちゃんがうれしそうだったら続けましょう。そして、お母さんの手を離すのです。耳元で「パチ、パチ、パチ」。どうですか。「赤ちゃんは自分で手をたたきましたか」。
 さあ、もうずいぶん遊びました。赤ちゃんの正面から話しかけましょう。「もう、終わりね。バイバイ」。赤ちゃんを抱きしめて「チュー」をして下さい。  
 赤ちゃんを遊ぶ前の状態にもどして下さい。「○○ちゃん、バイバイ」といって手を振りましょう。どうですか。赤ちゃんの表情を見て下さい。もっと、あそびたいよー、そういっているようですか。それなら「大成功」です。 
 最後のしめくくりをしましょう。お母さんは赤ちゃんのかげにかくれて、突然顔を見せます。「イナイイナイ、バー!」、赤ちゃんの顔を見て下さい。うれしそうですか。何度でも繰り返して下さい。お母さんがかくれたとき、「赤ちゃんは声を出しますか」。「声を出したら必ず顔を見せて下さい」。にっこりして下さい。「ハーイ」と返事をしてあげて下さい。
 赤ちゃんは、もう「ねんね」の時間のようです。「抱っこ」をしましょう。「添い寝」をしましょう。そして、からだを静かにゆすりながら「子守歌」をうたってあげましょう。  
 第一段階の遊びで最も大切なことは、「お母さんと遊ぶことが一番おもしろく、一番たのしいという気持ちにさせること」です。赤ちゃんは、生後1年間でさまざまな物事を知り、おぼえていきますが、その中でも「お母さん」(人間)は特別興味深く、他の事物に比べて「ずばぬけて」おもしろいものだ、ということを学ぶのです。抱っこやおんぶをしてもらいながら、お母さんの「顔」をいじったり「髪の毛」をひっぱったりします。買ってもらったおもちゃはすぐあきてしまい、お母さんの財布や化粧道具ばかりを、いじりたがったりします。こうした傾向は、すでにお母さんの存在を他の事物と違って「特別なもの」として感じていることの証拠であり、とても大切なことなのです。したがって、第一段階の遊びによって、赤ちゃんがお母さんを呼ぶことがますます増え、お母さんの仕事をする時間がますます少なくなるようになった時、そのねらいは達成されたことになります。
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(2004/07)
中川 信子

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乳幼児の育て方・Ⅱ・赤ちゃんは声を出していますか

【3ヶ月頃から12ヶ月頃まで】
 赤ちゃんは声を出していますか。それはどんな時ですか。どんな声ですか。
 生後まもない頃の赤ちゃんは、泣くときに声を出しています。それは「声を出そう」と思って出しているのではありません。「反射的」に、泣くときに付随して「声が出てしまう」のです。
 その「泣き声」もはじめは「オギャ-、オギャー」という単調なものです。しかし、その「泣き声」は日がたつにつれて、しだいに「変化」していきます。そして,お母さんはその「泣き声」を聞いただけで、「どうして泣いているのか」ある程度の察しがつくようになります。「ああ、今はおむつがぬれているんだな」「今は、おなかがすいたんだな」「どこかいたいのかな。いつもと泣き声がちがうぞ」というように。このことの中には、きわめて重要な意味がふくまれています。どうしてでしょうか。つまり、それまでの赤ちゃんの「泣き声」は、単にお母さんを呼び寄せるためのサインに過ぎなかったのですが、それが変化することによって「○○だから来てちょうだい」というように、新たな意味が加えられるようになってきたのです。赤ちゃんとお母さんの意思の疎通がよりスムーズにできるようになる基盤ができはじめてきたのです。もちろん、赤ちゃんの方はそんなことはわかりません。しかし、お母さんの方に「赤ちゃんの泣き声を聞き分ける」態勢ができはじめたのです。つまり、赤ちゃんの気持ちがよくわかってきたのです。そのことによって、赤ちゃんとお母さんのやりとり(依存と世話)が的を得たものになり、お母さんには「自信」が、赤ちゃんにはお母さんに対する「愛着心」が高まります。
 泣き声の変化、それは赤ちゃんが自分の声をある目的のために、より的確に使いこなせるようになったことを意味します。それは、声を使ってやりとりをするという、人間の言語活動の第一歩をマスターしたことになるのです。
 また、その頃(生後3ヶ月頃)になると、赤ちゃんは泣くとき以外にも声を出すようになります。おっぱいを飲み終わってとてもいい気持ちの時など、「アー」「ウー」「オックン」などというように声を出していることがあります。これは「喃語」といって、赤ちゃんが将来話せるようになるための重要な土台になるのです。つまり、喃語によって「声の出し方」や「ことばの音の作り方」を練習しているのです。口の開き方や口の中の器官を動かすことによって、いろいろな音が出ることを知ります。その音を自分の耳で聞いて楽しんでいるのです。もちろんはじめは偶然のできごとなのですが、赤ちゃんが「アー」「ウー」などと声を出した時は、お母さんも黙っていません。にこにこしてじっと赤ちゃんの顔を見つめ、「そうなの、お話してるの、フーン」などとうなずきながら、「アーアー」などと赤ちゃんが出している声のまねをしたりします。そのことによって、赤ちゃんは「声を出すこと」と「楽しいお母さんとのやりとり」が結びつくことを知り、ますます声を出すようになっていきます。
 【さて、赤ちゃんの「喃語」は、「自分の出した声を自分で聞く」ということが前提となって発達していきます。したがって聴覚に障害のある赤ちゃんは「喃語」がとても少ないか、あってもすぐに消えてしまうか、活発にならずに細々と続いていくかのどれかになることが多いのではないか、と考えられます。また、それゆえ、喃語の状態で赤ちゃんのきこえの状態を推測することもできます。しかし、耳のきこえが普通であっても、喃語がなかなか活発にならない赤ちゃんもいるので、単純に決めることはできません。赤ちゃんは声を出していたのに、お母さんがそれに気づかず「楽しい経験」と結びつかなかった例も意外に多いのです。聴覚に障害があっても、「喃語」は本来あるのですから大事に育てましょう。】  
 赤ちゃんは声を出していますか。それはどんな時ですか。どんな声ですか。
 お母さんを呼ぶ時、とても気持ちのいい時、うれしい時、おもしろい時、笑う時、声を出している赤ちゃんは安心です。それは、声を出すことによって、ある目的を達しようとしていることのあらわれであり、赤ちゃんは「声を出そう」と思って出しているからです。それはもう、「話すことの第一歩」を歩みはじめたことになるのです。
 赤ちゃんの声は「どんな声」ですか。声の高さと大きさに注意しましょう。【聴覚に障害のある赤ちゃんの場合には「自分の出した声を自分で聞く」ことがうまくできないので、声を出すことが少なくなりますが、それでも全く出ないということはありません。その声を聞いて、ある程度の「きこえの状態」を推測することができます。沈んだ声、低すぎる声、高すぎる声、大きすぎる声、小さすぎる声などの時は、お医者さんに相談する必要があります。】
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乳幼児の育て方・Ⅱ・「まね」と「おいた」

【3ヶ月頃から12ヶ月頃まで】
 赤ちゃんがスヤスヤと眠っています。そんな時、赤ちゃんの身の回りに並べられたおもちゃの数々をながめてみて下さい。そのひとつひとつのおもちゃを見ているだけで、お母さんの脳裏にはさまざまな赤ちゃんの情景が浮かんでくることでしょう。そう言えば、最近、赤ちゃんがあまりそれらのおもちゃで遊ぼうとしなくなったような気がしませんか。どちらかというと、何の変哲もない湯飲み茶わんのふたとか、お母さんのくしや口紅、財布などをいじっているようなことが多くありませんか。もしそうだとしたら、それは赤ちゃんにとって大変な進歩なのです。
 つまり、与えられた自分向きのおもちゃよりも、お母さんが毎日ひんぱんに使いこなしている品物の方に魅力を感じはじめてきたのです。その背後には、「お母さんに対する愛着と憧れ」という気持ちが秘められています。「大好きなお母さんの持ち物をボク(ワタシ)も触ってみたい」。それは、周囲にあるさまざまな事物の中から、お母さん(人間)に関する物に特別な関心をもちはじめたことになり、気持ちのうえで一歩「人間の生活」(文化)に近づいた証拠なのです。「学ぶ」ということばの語源は「まねをする」ことだといわれていますが、今、赤ちゃんはその「まねをすべき」対象を、他の事物から区別して選択することができるようになってきたのです。これは素晴らしいことです。まさに「学ぶ」ことの第一歩といえましょう。
 この頃の赤ちゃんをよく観察すると、お母さんのしぐさや動作を「じっと目を凝らして見つめている」ことがあります。また、「ニギニギ」「オツムテンテン」などの簡単な動作のまねもできるようになります。その「まね」こそが、幼児期全体を通しての「学ぶ」ことの基礎になるのです。
 赤ちゃんは今、どんなまねができますか。かぞえてみて下さい。まねの種類と範囲が多ければ多いほど、赤ちゃんの「学ぶ」ことは確実なものになっていくのです。
 では、どのようにまねの種類と範囲をふやせばよいのでしょうか。また、その時に気をつけなければならないことはどんなことでしょうか。
 まず第一に大切なことは、「お母さんが赤ちゃんのまねをすることからはじめなければならない」ということです。事実、どのお母さんもそうしているはずです。赤ちゃんが手を振りまわした拍子にテーブルにぶつかり、音が出ました。お母さんもテーブルをたたきます。それを見た赤ちゃんがおもしろがって、また、たたきます。こんな情景はどこでも見られるでしょう。赤ちゃんが声を出しています。「バババババー」。お母さんがまねをします。「バババババー」。赤ちゃんが、また、そのまねをします。「バババババー」。こんな繰り返しがいつまでも続いて、お母さんの方がくたびれてしまうこともあるでしょう。このように、赤ちゃんにまねをさせようとするのではなく、まずお母さんが「まねをする」ことによって、自然に、「結果として」赤ちゃんが「まねをしてしまう」ような方法がよいのです。そのためには、すでに書いてきたような「赤ちゃんとお母さんの楽しいやりとり」が基盤となって、「お母さんを心待ちにしている」ような赤ちゃんの気持ちが前提となっていることはいうまでもありません。
 次に大切なことは、赤ちゃんが今やろうとしていること、できることをよく調べておき、その範囲内でまねをするようにしむける、ということです。近所の赤ちゃんができるからといって、今、それができるとはかぎりません。赤ちゃんにとって、できないことをまねさせられることは、プラスにはなりません。むしろ「まねをすること」そのものに興味をうしなってしまうおそれがあります。
 また、いつまでたっても、まねの種類と範囲が拡がらない、同じことばかりやっている、といって心配になるお母さんがいるかもしれません。しかし、そのことをどれくらいやればよいかは、赤ちゃんが決めることなのです。まだ、そのことを続けている限り、赤ちゃんにとっては意味のあることなのであり、「学ぶ」に価することなのです。同じことばかりやっているのは、赤ちゃんにとってまだそのことが十分に満足できないでいるからです。
お母さんの心配が、それに一層拍車をかけて中途半端な満足感しか与えていないため、同じことばかりしかやろうとしない例が、意外に多いのです。
 何でもお母さんのやることをまねしようとして失敗する、それを私たちは「いたずら」とか「粗相」とかいいます。しかし、そのことで赤ちゃんは「学んで」いるのです。お母さんの知らないうちに、大事な家具にクレヨンでなぐり書きをしてしまった、本当にいたずらで困ります、などという話はよく聞きます。しかし、「四つになるのにまだお絵かきができないのよ」という心配よりは、どれだけ素晴らしいかわかりません。
 赤ちゃんの「いたずら」を禁止してはいけません。危険な思いや財産の損失は、お母さんのちょっとした「心づかい」で十分に防げるはずだからです。
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麻生 武

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乳幼児の育て方・Ⅱ・赤ちゃんと遊びましょう・Ⅱ

【3ヶ月頃から12ヶ月頃まで】
 この頃の赤ちゃんの活動で特徴的なことは、「物を取って渡す」ということです。したがって、赤ちゃんと二人で物をあげたりもらったりする遊びをしながら、その中に適当な「声」や「ことば」を混ぜていき、相手のすることや言うことを、情報として受けとめていこうとする気持ちを育てていくことが大切です。
 ここで重要なことは、「物をやりとり」するということは、「ことばをやりとり」することと、気持ちのうえでは全く同じであり、「物をやりとり」する気持ちが、将来「ことばをやりとり」するための基礎になるということです。物を受け取るということは、相手からの働きかけに応じることであり、相手のことばを「聞く」という活動も、相手からの働きかけに応じることで共通しています。
 さて、赤ちゃんがテーブルの上にあるライターを手にしてお母さんにわたそうとしました。お母さんは「何をおいても」そのライターをもらう必要があります。にっこりして、「どうもありがとう」とお礼を言いましょう。赤ちゃんの頭をなでながら、おじぎをしてみせることも必要です。すると、赤ちゃんはテーブルの上にあるものを手当たり次第にお母さんにわたしはじめるかもしれません。それでいいのです。お母さんは、そのたびににっこりして、「どうもありがとう」と繰り返すのです。そのことを通して、赤ちゃんは「物をわたす」ことの喜び(充実感)を味わうと同時に、「物を受け取る」ときの「受け取り方」「もらい方」(作法)を学ぶことができるでしょう。
 こんどは、お母さんがわたす番です。「ハイ、ライターよ」「ハイ、みかんよ」「ハイ、えんぴつよ」。しかし、これは「ことば」を教えているわけではありません。赤ちゃんに、「物を受け取る」気持ちを育てているのです。赤ちゃんはお母さんと同じように「何をおいても」受け取ってくれるでしょうか。にっこりして声を出してくれるでしょうか。おじぎをしてくれるでしょうか。もしそうしてくれなかったとしても、無理矢理そうさせようとすることは避けなければなりません。赤ちゃんにはまだ気持ちの「ゆとり」がないのです。自分のことでせいいっぱい、人の働きかけに応じるゆとりがないのです。 
 テーブルの上に、赤ちゃんの知っている大好きな物を三つならべましょう。そしてその一つを指さしながら、「これちょうだい」と言って、お母さんの手のひらを重ねてみるのです。どうですか。赤ちゃんはそれを取ってお母さんの手にのせてくれたでしょうか。のせてくれたら大成功です。「どうもありがとう。これはみかんね。ママ,、みかん大好き」と言って、赤ちゃんの頭をなでてあげましょう。次は、お母さんがあげる番です。「○○ちゃん、どれがほしいの?」と言って、赤ちゃんの目をみつめましょう。三つの物を指さしながら「どれがいい?」と問いかけてみましょう。もし、赤ちゃんの中に「人と物のやりとり」をする気持ちが育っていれば、そうするだけで(「どれがいい?」という、ことばの意味がわからなくても)どれか一つを指さして「これがほしい」というそぶりをみせるでしょう。もし、赤ちゃんがとまどってしまうか、むこうへ行ってしまう場合には、まだそうした気持ちが育っていないのです。
 もう一度、テーブルの上に赤ちゃんのよく知っている大好きな物を三つ並べましょう。今度は指をささないで、ことばだけで言うのです。「ワンワンをちょうだい」。でも赤ちゃんは犬のぬいぐるみではなく、みかんをくれました。さあ、どうすれないいでしょう。それは、その時の赤ちゃんの状態によって違います。「アレ?ワンワンがほしいのよ、ワンワンよ」といってそれを受け取らなかったときの、赤ちゃんの反応を前もって考えたとき、そうすることによって怒り出すか、全く興味を失ってしまうようなことが予想される時は、「ハイ、どうもありがとう」と言って、にっこりと受け取るべきなのです。まだ、お母さんのことばを聞き分けるゆとりがないので、的確に応じることができなかったにしても、「応じよう」としたことは「たしか」なのですから。その気持ちを大切にしてあげなければなりません。むしろ。お母さん自身が鏡に向かって、自分の「口の開き方」を観察する必要があります。「ワンワン」と「ミカン」、明らかに違って見えるような話し方をしているでしょうか。
 赤ちゃんとお母さん、部屋の両隅に向かい合ってすわり、キャッチボールをしましょう。大きなボールを相手に向かってゆっくりと「ころがし合う」のです。「ころがす」「受け取る」「ころがす」「受け取る」「ころがす」「受け取る」、その繰り返しが何回続くでしょうか。赤ちゃんは、ころがす時、お母さんの顔を一瞬見てから、ころがすでしょうか。「イクワヨー」とお母さんが呼びかけたとき、赤ちゃんは「イイヨー」と受け取る態勢をととのえようとするでしょうか。
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乳幼児の育て方・Ⅱ・「ことば」がなかなか出てきません

【3ヶ月頃から12ヶ月頃まで】
 赤ちゃんが生まれてからはじめてことばを言えるようになるには、通常1年間の時間が必要です。しかし、その時間は赤ちゃんによってずいぶん差があり、10ヶ月頃にはもう片言をしゃべれるようになる赤ちゃんもいれば、1歳半頃になってやっとことばが出てくる赤ちゃんもいます。1歳半を過ぎて2歳近くなってもまだことばが出ない場合は、お母さんはとても心配になります。近所のお医者さんや保健所に相談にいくかもしれません。そしてふと「耳がきこえないのだろうか、いやそんなはずはない。後で手をたたくとびっくりしたし、ガラガラであやすと喜んで笑ったこともあったから・・・」などと考えたりするでしょう。 
 【さて、今かりに赤ちゃんの聴覚に障害があったとします。その時は、1年たっても2年たってもことばは出てこないでしょう。いうまでもなく赤ちゃんはことばを耳を通して知るのですから、ことばがどんなものかわからず、それを言えないことは当然の結果です。 ところが「耳がきこえていてもことばが出てこない場合があるのです」。ですから、お母さんにとって大切なことは、赤ちゃんのことばが出てこない原因は何なのかを、冷静に考えてみることです。本当は耳がきこえているのにきこえていないと思ってしまったり、逆にきこえていないのにきこえていると思ってしまったりすることが意外に多いのです。ここでは、赤ちゃんのことばが出てこない原因を考えるために「1年間でことばが言えるようになった赤ちゃんは、どうして言えるようになったのか」ということについて考えてみたいと思います。 
 誕生してからの1年間、赤ちゃんは何もしないでことばが言えるようになるのを待っていたわけではありません。着々とその準備をしていたのです。今、その準備の内容を箇条書きにしてみますので、あなたの赤ちゃんと比べてみて下さい。   
①赤ちゃんは力いっぱい泣きました。そして、泣くことによってお母さんを呼ぶことをおぼえました。
②赤ちゃんはオッパイをたくさん飲みました。力いっぱい舌を使って吸うことをおぼえました。
③赤ちゃんは、泣き方を変えて、今の状態をお母さんに知ってもらうことに成功しました。          ④赤ちゃんは泣くとき以外にも声を出すことをおぼえました。 
⑤赤ちゃんは声を出しながら、いろいろに口を動かして「音」をつくることをおぼえました。

⑥赤ちゃんは、笑うことをおぼえました。
⑦赤ちゃんは、人間の顔が他の物に比べてとてもおもしろいことに気づきました。
⑧赤ちゃんは、お母さんの顔をおぼえました。
⑨赤ちゃんは、お母さんといつも一緒にいると安心でき、楽しいことが起きることを知りました。
⑩赤ちゃんは、お母さんが大好きになりました。
⑪赤ちゃんは、お母さんがいなくなるとさびしい気持ちになることを知りました。
⑫赤ちゃんは、周囲にはいろいろな「音」があることを知りました。
⑬赤ちゃんは、「音」がしたとき、そっちの方を見たいと思うようになりました。
⑭赤ちゃんは、物と物をぶつけて「音」を出すことをおぼえました。
⑮赤ちゃんは、「音」を聞いて、そっちを見なくても「音を出している物」の様子が頭の中に見えてくるようになりました。
⑯赤ちゃんは、「お母さんの声」が特別に気持ちよく感じられるようになりました。
⑰赤ちゃんは、「お母さんの声」や「お母さんの顔」が、その時々によっていろいろに変化することを知りました。
⑱赤ちゃんは、お母さんやお父さんの声がとてもはっきり大きく聞こえ、他の音は小さくぼんやり聞こえるようになりました。
⑲赤ちゃんは、おもちゃの音や小鳥の声はいつも同じだけど、お母さんの声やお父さんの声はいつも違うことを知りました。 
⑳赤ちゃんは、お母さんやお父さんがこっちへやって来るとき、顔をのぞきこみながら、いつも同じ声を出すことに気づきました。
 
㉑赤ちゃんは、おもちゃよりお母さんの持ち物にさわりたいと思うようになりました。
㉒赤ちゃんは、お母さんのしていることを見ると、自分もやってみたいと思うようになりました。
㉓赤ちゃんは、落ちている物を指でつまめるようになりました。
㉔赤ちゃんは、声を出していると、お母さんが同じ声を出していることに気づきました。           ㉕赤ちゃんは、お母さんと同じ声を出してみたくなりました。時々成功すると、お母さんが抱きしめて喜んでくれることを知りました。
㉖赤ちゃんは、お母さんやお父さんが出している声の中で、とてもはっきり聞きとれるものがあることに気づきました。それは「マンマ」「ネンネ」「バイバイ」「パイパイ」「パパ」「オブ」「チョーダイ」、そして「○○チャン」という声でした。
㉗赤ちゃんは、それと同じ声を時々出せるようになりました。「マンマ」と言うと、オッパイやごはんが目の前に出てくることを知りました。

 どうですか。もし赤ちゃんの耳がよくきこえないとしたら、④⑤⑫⑬⑭⑮⑯⑰⑱⑲⑳㉔㉕㉖㉗といった準備は全くできていないか、きわめて不十分でしょう。しかし、たとえ耳がよく聞こえていたも、①②③⑥⑦⑧⑨⑩⑪㉑㉒㉓といった準備ができていなければ、ことばが出てくることにはならないのです。つまり、①②③⑥⑦⑧⑨⑩⑪㉑㉒㉓といった準備が、きこえとことばの発達の土台になり、その上に④⑤⑫⑬⑭⑮⑯⑰⑱⑲⑳㉔㉕㉖㉗という準備が築き上げられるのです。  
 さあ、赤ちゃんはどこまで土台ができあがっていますか。そしてどこまで準備が築かれているでしょう。もし、その多くが欠けていたとしても、決しておそくはありません。今、ことばが出ない原因がはっきりしてきたのですから、まだ十分でない土台や準備を確実にマスターできるようにして下さい。】




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乳幼児の育て方・Ⅲ・お母さん大好き、補聴器も大好き

【1歳頃から2歳頃まで】
 お子さんの「きこえの問題」が、「聞こうとしない」ではなく「普通のようには聞こえない」ということがはっきりしたら、補聴器をつける必要があります。しかし、「普通のようには聞こえない」といっても、それがどのような状態であるかは千差万別であり、補聴器をつければ「普通のように聞こえる」状態になるとはいいきれません。とりわけ、まだこの時期のお子さんでは「きこえの状態」を的確に把握することがむずかしいので、どのような補聴器をどのような状態にしてつければよいかは、専門家の指示に従うことが必要です。
 さて、補聴器の種類とボリュームの大きさや音質調整が決まったとします。イヤホンがはずれないように、お子さんの耳に合った耳形もできました。お母さんはどのようなことに気をつけて補聴器を身につけさせていけばよいでしょうか。
 まず第一に、「お母さん自身が補聴器についてよく知る」ことだと思います。特に、ボリュームを決められた大きさにして、いろいろな音を聞いてみることが大切です。補聴器をつけた時とつけない時ではどのように聞こえ方が変わるかを、お母さん自身の耳で確かめるのです。そして、わが子に適当だとされている音の大きさはこの程度だなのだということが、どんな時でもすぐに思い起こせるようにしておくのです。ボリュームの目盛りを決められたとおりにしておくだけでは、電池がなくなってきた時には適当な大きさではなくなってしまい、不十分です。お子さんに補聴器をつける時には、必ずその前にお母さんが自分の耳で確かめて、適当な大きさの音が出ているかを点検することが大切です。
 その二は、今、お母さんとお子さんの関係がどのような関係になっているかを冷静に見極めることが大切です。お母さんのことが大好きであり、お母さんの一挙一動を目を凝らして見つめ、何でもまねしてやろうと思っているお子さんであれば、補聴器をつけられる状態になっているといえましょう。落ち着きがなくいつも部屋の中をかけ回っている、お母さんに抱っこされると弓のように反りかえりバタバタあばれる、表情が乏しく視線が合わない、指をさして教えることがない、などといった状態のお子さんの場合には、まだ補聴器をつけて「音を聞く」だけのゆとりがなく、あまり効果が期待できません。
 その三は、無理に補聴器をつけようとしないことです。まずお母さん自身がおもしろそうにつけてみせることが大切です。そして、お子さんが「ぼく(わたし)もつけてみたい」という気持ちになるまで待つのです。大好きなお母さんがおもしろそうにつけているのを見て、お子さんがまねをしたくならないはずはありません。お子さんが不思議そうに見ています。でも、あせってはいけません。まだ早いのです。お母さんはもっともっと楽しそうに、声や音を出しながら、補聴器で遊ぶのです。
 その四、さあ、お子さんが近づいて来ました。チャンスです。補聴器をよく見せましょう。さわらせましょう。「決してこわくない」ということを十分に納得させることが大切です。お子さんはイヤホンをさわろうとするでしょうか。そして、自分の耳へ持っていこうとするでしょうか。お子さんを膝の上にすわらせましょう。そして静かにイヤホンを耳に入れるのです。静かに名前を呼んで下さい。どうですか。お子さんの表情を観察しましょう。音が聞こえたときは、必ず表情が変化します。何ともいえないほほえみ、キラッと光る目、そんな時は音が聞こえたのです。「そーお、聞こえたの!」とことばを投げかけながら一緒に喜んであげましょう。お母さんの声につられて、お子さんも声を出すでしょうか。その時は、補聴器のマイクをお子さんの口元に近づけてあげましょう。今、自分の声をはっきりと耳にすることができるようになったのです。
 その五、補聴器ははじめから長時間つける必要はありません。はじめは1分でも2分でもよいのです。大切なことは、補聴器をつけることと「楽しい」「おもしろい」という気持ちがしっかりと結びつくようにさせることです。補聴器をつけるためには胸バンドや耳型といったこれまでの衣服以外のものを身につけなければならず、そのことはまだこの時期のお子さんにとってはとてもわずらわしいことだと思われます。したがって「つけたくない」という気持ちの方が自然であり、それが長時間つけられるようになるのは、つけた方が「楽しく」「おもしろい」という気持ちが強まってくるからです。したがって、お子さんの気持ちのままに、はじめは1分、2分、5分、10分、20分というように(午前と午後などに分けて)、徐々に時間を延ばしていくことが大切です。
 その六、補聴器をつけていろいろな音を聞かせましょう。この時大切なことは、お母さんは「音を聞かせる」ことと同時に「音を聞いて反応する」ことを、お子さんに教えることです。お子さんはまだ音が聞こえてもどう反応してよいかわかりません。音がしたらニッコリする、音がしたら体をゆする、突然音がしたらびっくりする、大きな音がしたら顔をしかめて耳をふさぐ、音がした方を指さす等々。まずお母さんがやってみせるのです。そうしたことを繰り返しているうちに、お子さんの音に対する反応はより確かなものになっていき、今、音が聞こえたことをお母さんに知らせに来たりするようになるのです。
補聴器フィッティングの考え方補聴器フィッティングの考え方
(2010/11)
小寺 一興

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乳幼児の育て方・Ⅲ・「たっち」「あんよ」はできますか

【1歳頃から2歳頃まで】
 早いもので、赤ちゃんが生まれてからもう1年が過ぎました。静かに目をつぶると、お母さんの頭の中には赤ちゃんとのさまざまな情景が走馬燈のように浮かんでくるでしょう。その思い出がお母さんにとって楽しいものであればあるほど、赤ちゃんは順調に育っているのです。しかし、お母さんによってはこの1年間「心配と不安ばかり」で何ひとつ楽しい思い出なんかない、という方もいらっしゃるかもしれません。でも、いくら心配をしてみても事態の改善は図れません。事実はひとつなのです。今、赤ちゃんはどんな「事実」として存在しているのかを冷静に見極めることが大切です。赤ちゃんにとって「お母さんのさびしそうな顔」「お母さんのため息」ほどつらく悲しいことはないのです。赤ちゃんには「どうして」お母さんが「さびしそうな顔をしているのか」わかりません。しかし、さびしそうな顔そのものは、だれよりも早く、だれよりも的確に見ぬくことができるのです。お母さんの育児という仕事の中で、最も大切な役割は「赤ちゃんに安心感を与える」ということでした。それなのに、お母さん自身が心配ばかりしていては、赤ちゃんが安心できるはずがありません。この1年間をふりかえって、たとえ楽しい思い出がなかったとしても、赤ちゃんに対してだけは「笑顔」で接することを心がけて下さい。
 さて、お誕生日を迎える頃、赤ちゃんには大きな変化がおこります。そうです。「たっち」「あんよ」ができるようになることです。この「たっち」「あんよ」をはじめた時期は、赤ちゃんの全体的な発達をみる時の重要なポイントになります。通常、1歳半くらいまでにはできるようになりますが、2歳を過ぎてもまだできない場合には、専門家に相談する必要があります。
 赤ちゃんにとって「たっち」「あんよ」ができるようになるということは、自分の体を自由に移動させることができ、自分の興味・関心を十分に満たせる条件が整うということで、極めて重要な意味があります。もうこれからは、のぞきたいものを自由にのぞくことができ、さわりたいものを自由にさわることができるのです。赤ちゃんの気持ちは充実し、毎日が好奇心と喜びの連続でしょう。一方、お母さんにとっては、いっときも目を離せない、手のかかる時期に入っていくのです。
 ところで、赤ちゃんの「たっち」「あんよ」ができる時期に、もうひとつ大きな変化がおこります。それは、はじめて「ことばらしいことば」を言えるようになることです。「マンマ」「ワンワン」「ブーブ」等々。この「話しはじめ」の時期と「歩きはじめ」の時期の関係がどうかをみることも、今後の赤ちゃんの発達、とりわけ「ことばの発達」を考えるうえで重要なポイントになります。
 ①「歩きはじめ」よりも「話しはじめ」の方が早い。
 ②「歩きはじめ」と「話しはじめ」は、ほぼ同時。
 ③「歩きはじめ」のほうが「話しはじめ」よりも早い。
 この三つの場合を比べた時、③は「ことばの発達」にとって、あまり都合がよくないことがわかります。どうしてでしょうか。①や②の場合は、自由に動き回って好奇心を満足させる喜びを知る前に、すでに「ことばを交わし合う」ことの便利さや喜びを知っているのです。それに比べて③の場合には、そうしたことを知る前に、動き回って自分の好奇心を満たすことの喜びを知ってしまうために。「ことばを聞いたり話したりすること」にあまり興味・関心が湧かなくなってしまうことが考えられるからです。  
 【聴覚に障害のある赤ちゃんには、③の場合が多いようですが、たとえはっきりしたことばを話すことはできなくても。「歩きはじめ」と同じ時期に「指をさして知らせる」「指をさして要求する」「声を出して呼ぶ」「ことばを話しかけると、じっと口元を見たり、聞き入ったりする」「ひとりで遊びながら声を出している」というようなことがあれば、それはとても明るい材料です。反対に、時々ことばらしいことを言うことはあるが、それはその場とあまり関係のないことだったり、人の話しかけを全く無視して動き回っていたりするような場合には、注意する必要があります。「たっち」「あんよ」は、赤ちゃんの興味・関心を伸ばし、豊かな知識を身につけていくためには必要不可欠なことですが、それが「人とのかかわり」を通して行われなければ、「ことば」を使わないで。ただ黙々と自分だけの世界で満足してしまうおそれがあるからです。 
 さて、あなたの赤ちゃんの場合はどうでしょうか。
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(2007/04)
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乳幼児の育て方・Ⅲ・「聞こえない」ことと「聞こうとしない」ことの違い

【1歳頃から2歳頃まで】 
 名前を呼んでも振り返らない、話しかけても反応がない、ことばを全然おぼえない、聞きわけがなくしつけができない、言いたいことをことばで表せない、といった「事実」があると、まず疑ってみるのは「耳のきこえ」です。そして事実、そのような場合には、いずれにせよ「耳のきこえ」に問題があるのです。ただし、その問題とは次の三つの内容をふくみます。
①耳は聞こえているが、音や音声に対して興味・関心がうすく(恐怖感をもっていたりすることもある)聞こうとする「気持ち」が育っていない。むしろ「聞くまい」という気持ちが強い。その結果「聞こえない」のと同じか、またはそれに近い状態になっている。
②耳は聞こえているが、音や声を聞いておぼえる力や、音や声の違いを聞き分ける力が十分に育っていない。つまり、耳をうまく働かせることができない。
③耳は普通のようには聞こえていない。
 したがって、お子さんの「耳のきこえ」の問題が、そのうちのどれに該当するかを見分けることが最も重要になります。しかし、まだこの時期のお子さんは、はっきりそれと断定することは危険であり、おおよその見当をつけながら長期間にわたって観察することが必要になります。
 さて、お子さんが今それぞれの問題をもっていた場合、「どのような聞こえ方」をしているのでしょうか。 
 まず①の場合は、ちょうど全く興味のないラジオやテレビを長時間、聞かされ続けているような状態になるでしょう。若者が謡曲を聞かされるような、お年寄りがモダンジャズを聞かされるような、そんな状態と似ているのではないでしょうか。思わずスイッチを切りたくなるでしょう。でももし、切っても切っても「聞こえてくる」としたらどうなるでしょう。耳をふさぐか、その場を逃げ出すかもしれませんね。それでも「聞こえてくる」としたら・・・。もうどうなるかおわかりでしょう。
 ②の場合は、どうでしょうか。それは、好きな洋画を字幕無しで見るような状態に似ているでしょう。今、目の前で起きている出来事には興味あるけど「何と言っているのかわからない」「もうすこしゆっくり言ってくれればわかるのに速すぎてわからない」「もう一度くりかえしてくれればいいのに」といった状態で聞いていることが考えられます。
 ③の場合は、好きなテレビのボリュームをほとんど聞こえない状態か、雑音が入ってはっきり聞こえない状態にして見るのに似ているでしょう。この場合でも、せっかくのおもしろさが半減して、もう見るのはやめようとあきらめてしまうことには変わりありません。 【「難聴」とは、③のような場合をいいます。ところが、この場合は複雑な問題をはらんでいます。つまり、①や②だけの場合は③をふくみませんが、③の場合は①や②の問題を「同時に」ふくんでしまうことが多いのです。いいかえれば、耳が普通のように聞こえないために、音や声に対する関心が乏しく、たとえ聞こえる状態になったとしても聞こうとしない、あるいは、たとえ聞こえる状態になったとしても聞いておぼえる力がたりない、といった問題です。そればかりか、音や声に対する興味・関心はもとより、人間にまつわる物事に興味・関心が育っていないので、①なのか③なのか判断がつけにくいというお子さんも多いのです。そのような場合には、まず①の問題を改善することが先決です。   お子さんは、耳が普通のように聞こえないのかもしれません。しかしただそれだけならば、「聞こえているのに聞こうとしない」という問題ほど重大ではないのです。なぜなら、聞こえる状態になりさえすれば、聞こうとする気持ちが起こってきて、すぐにでも音や声、ことばを聞く学習をはじめることができるからです。】
 お子さんの問題は、単純に「耳が普通のように聞こえない」ということだけでしょうか。それは、お子さんの表情、視線、しぐさなどを見ればある程度の見当がつきます。お母さんや他人の顔をまっすぐに見る子、笑いかけると笑いかえす子、お母さんのすることをまねしようとする子、指をさして教える子、手まねで伝えようとする子、ひとつのことに集中できる子、他の子どもに興味があり近寄ろうとする子、などはまず安心です。
 もし、そのようなことがみられないお子さんの場合には、ただ単に「聞こえる」状態にしても問題の改善は図れません。その前に、人との「やりとり」をしようとする気持ちが育っていないからです。 
 お子さんは「聞こえない」のかもしれません。しかし、「聞こえる」ようになれば、「聞こうとする」でしょうか、それが問題です。 
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村上 裕成

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乳幼児の育て方・Ⅲ・「指さし」をしますか?

【1歳頃から2歳頃まで】
 「あんよ」ができるようになると、お子さんは自由にあたりを動き回ることができるようになり、いろいろな事物に対する興味・関心は、今までとは比べものにならないほど増大します。もう、思ったところへ行くことができ、さわりたいものを思う存分いじることができるのです。「いたずら」の量は倍増し、お母さんにとっては、ちょっとでも目を離せない時期がやってきました。
 それにつれて、今までおもしろがってやっていたことでは満足しなくなり、お母さんに対してさまざまな要求をするようになります。タンスの上にあるおもちゃを取って欲しい、冷蔵庫の中のジュースが欲しい、水を飲みたい、茶だんすの中のお菓子が食べたい等々。「そんなときお子さんはどのような方法でお母さんに助けを求めるでしょうか」。まだことばを十分に話せないお子さんが身につける方法として、次の二つが特徴的です。  
 その一は、欲しい物またはそれがある方向に向かって「指をさす」方法です。その時、お子さんは必ず人差し指一本を伸ばして指示します。また、お母さんの顔と欲しい物を交互の見ながら「声を出す」ことも特徴的です。「アーアー」と言いながら、タンスの上のオルゴールを指さしたりします。するとお母さんは「この子はオルゴールが欲しいのだな」ということを了解します。 
 その二は、「お母さんの手首をつかまえて,欲しい物がある所まで連れて行き、直接お母さんの手でその物を取らせようとする」方法です。この時、お子さんはほとんどお母さんの顔を見ようとしません。また、声を出すこともあまりしません。  
 この二つの方法は、お母さんに助けを求めていることに違いはないのですが、「ことばを学習する」という観点からみると、根本的な違いがあるのです。つまり「指をさす」方法で特徴的なことは、欲しい物とお母さんの顔を見比べるということ、声を出している、ということです。これは「自分」の要求をお母さんという「他人」に、「声を出しながら」「間接的に」表現しているのです。いいかえれば、自分の手と声を、目的を果たす手段として使いながら「あれを取って」という「意味」を表現しているのです。もう、お母さんに対して話しかけていることと同じです。それに対して、「手首をつかまえて連れて行く」方法はどうでしょうか。お子さんの目の中に入っているものは、お母さんの顔ではありません。お母さんの手または腕です。つまりお母さんを「他人」(人間)としてではなく「道具」として見ているのです。ちょうど私たちが高い所にあるものを「棒」を使って取ろうとするように、お子さんはお母さんの「手」を棒のように利用しようとしているのです。これは、「自分」の要求をお母さんという「他人」に頼んでいるのではなく、お母さんを「自分」の体の「延長」として使おうとしていることに他なりません。したがって、お母さんと「やりとり」をする必要はなく、話しかけていることにはならないのです。
 どうですか。お子さんはどちらの方法を身につけていますか。指をさしたらまず安心、手首をもったら要注意です。
 さて「指をさす」ことは、お子さんが「ことばを話す」ことの原点になります。ある事物を指さしながら「アーアー」と声を出すということ、その背後には、今述べたような「あれを取って」という意味ばかりではなく、その時と場面に応じて多種多様な意味が含まれているからです。道を歩きながら、絵本を見ながら、テレビを見ながら、買い物をしているお店屋さんの中で、電車で窓の景色をながめながら、というようにお子さんはありとあらゆる場面で「指をさす」ことでしょう。その中には「あっ、あれ見たことあるよ」「あれはナーニ?」「あれは、とてもきれいな色だな」「あっ、ほら見つけたよ、お母さんも見てごらん」「あれ、欲しいなあ」というような意味が、お母さんに対する働きかけとして含まれているのです。したがって、お子さんが指をさしながらお母さんの顔を見た時は、「ことばのやりとり」をする絶好のチャンスです。笑顔でうなずきながら「そうねえ、あれはワンワンね。かわいいワンワンね。おうちのとおんなじね」「あれは、タンポポの花よ。きれいねえ」「あっ、ほんとだ。赤いブーブだ。ウーウーウーっていってるね」というように、「さりげなく」応えてあげることが大切です。そうしたお母さんの「返答としての語りかけ」は、スムーズにお子さんの気持ちの中に入っていくことができます。まずお子さんの方に「お母さんの返答を期待する気持ち」が高まっているからです。
 「指をさす」ことは、人間だけに特有の行動であるといわれています。通常、「指をさす」ことができるようになるためには、お母さんと赤ちゃんの表情や声、手まねなどによる「やりとり」ができるようになり、その中で、一点を集中して凝視できるようになること、お母さんが指さしたものを見ることができるようになること、が必要だと考えられます。まだ「指をさす」ことができないお子さんの中には、お母さんが指をさした方向を見ようとせず、指そのものを見てしまうことが多いようです。まだ、お母さんとの気持ちのやりとりが十分にできていないので、お母さん(人間)に対する興味・関心が少なく、「指をさす」という行為の意味が十分にのみこめないでいるのでしょう。したがって、もう一度、「乳幼児の育て方・Ⅰ~Ⅱ」を読み返していただき。そこからあせらずにやりなおすことが大切だと思われます。
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乳幼児の育て方・Ⅲ・お子さんと遊びましょう・Ⅲ

【1歳頃から2歳頃まで】
 お子さんにとって一番大切なことは、「音に対して敏感になる」「音に対して気持ちを集中させる」ということです。しかし、お子さんの前でいろいろな音を出してみたところで、「敏感になったか」「気持ちを集中させているか」どうかはわかりません。「よく聞いてごらん」と言ってもても、「聞く」ということがどうすることかわからなければ意味がなくなります。そこで、「音が聞こえたら何かをする」というルールをつくり、その遊びの中でさまざまな音を聞かせることが有効的です。
 はじめは、音がしたら飛び上がる、音がしたら歩く、音がしたら積み木を積む、というような「今、音がしているかどうか」を聞き分ける遊びが必要です。出す音を大きくしたり、小さくしたりすることで「どの程度の音まで聞こえるか」を観察することができます。また、お子さんによっては小さい音が聞こえにくいのに、大きな音にすると、とても痛く感じる場合があります。普通の人にはそれほど大きい音に感じられなくても、とてもうるさく感じてしまうのです。いろいろな音を出してみて、このくらいの音から聞こえ始め、このくらいの音になるとうるさすぎてしまう、ということを調べ、どの程度の音が一番聞こえやすいかを的確に把握しておくことが大切です。 
 次に、音が出た「数」を聞き分ける遊びも必要です。音の数だけ手をたたく、音の数だけ○を書く、音の数だけ積み木を積む、というような遊びです。これは、単に音を聞き取るだけではなく、「聞いておぼえる力」をやしなううえで重要です。将来、歌をおぼえる時なども、この力が大きく影響します。音をゆっくり出したり、速く出したりすることでリズム感覚をやしなうこともできます。
 次は、いろいろな音を「聞き分ける」遊びです。乗り物、動物の鳴き声、電話のベル、時計の音などを聞かせ、それと同じ絵や写真と結びつけさせるような遊びが考えられます。これは、お子さんにとってとてもむずかしいことなので、まず絵や写真、実物をよく「見せ」たうえで、その音をよく聞かせておくことが必要です。次にその音をテープレコーダーにとっておき、「見せない」で聞かせ、「今、何の音がしたか」を当てさせるのです。 最後は、いよいよ「ことば」を聞き分ける遊びです。昔からある「カルタ」は恰好の材料になります。しかし、それをそのまま使ってもうまくいかないでしょう。絵札だけ5枚くらい並べて、その絵に描かれている「物の名前」を言うのです。「ネコ」「リンゴ」「バナナ」「ボウシ」というように。それができたら。ことばを二つずつ、三つずつというように、「聞いておぼえる力」をやしなうようにします。
 また、絵に描かれている事物の「動作」や「様子」をことばで言って、カルタ取りをすることも大切です。「食べています」「泣いています」「広いです」「大きいです」というように。この時気をつけることは、動詞や形容詞は名詞と違って変化するものであり、お子さんはまだそのことを知らないため、「食べています」と言った時は正しく絵札を拾えたのに、「食べる」「食べた」「食べている」などと言った時には拾えなくなってしまうことがある、ということです。したがって、いろいろとことばを変化させて言い、どんな場合でも正しく拾えるようにすることが必要でしょう。
 以上のことができるようになったら、紙芝居のような大きな場面の絵を拾うことも必要です。紙芝居などは、どの絵も人物は同じなので単語だけ聞いているだけでは、拾い分けることができないでしょう。「誰がどうしてどうなったか。どこでどうしてどうなったか」というような複数の情報を組み立ててその「絵」を思い浮かべなければならず、「聞いて考える力」が必要になります。
 さて、今まで述べたような遊びをするうえで気をつけなければならないことがあります。それは、お子さんがうまくできなかった時どうするか、ということです。結論から言うと、お子さんがそれを「喜んで」「おもしろそうに」やっていれば、「できなくてもいい」(間違えてもいい)のです。それを「喜んで」「おもしろそうに」やっている限り、お子さんは全力を出してやっているのであり、できないのは今の段階ではやむを得ないからです。間違っても、お子さんができないからといって、叱ったり責めたりしてはいけません。それでは「遊び」の意味がなくなってしまいます。
 お子さんにとって「楽しい」経験が多ければ多いほど、「何でもやってみよう」「知りたい」という意欲が増し、自分で学習の機会を増やしていくことができるからです。できなくてもいい、楽しくおもしろくやることが大切なんだ、ということをお忘れなくがんばって下さい。  
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村上 裕成

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乳幼児の育て方・Ⅲ・絵本を見せましょう

【1歳頃から2歳頃まで】
 お母さんが絵本を読んであげようと思って、お子さんをひざの上にのせ、最初のページを読みはじめました。ところがどうしたことでしょう。お子さんはまだそのページを読み終わらないうちに、次のページをめくろうとするのです。「何だかこの子は絵本を見るよりめくる方がおもしろいみたい」、なんてがっかりしてしまったことはありませんか。
 お子さんに絵本を与えようとする時に、注意しなければならないことがいくつかあります。まず第一に、お子さんはまだお母さんのようには「見る力」が発達していないということを理解することです。今、お子さんは物を見る時、どのような「見方」をしているかを知ることが大切です。「見る」ということの中には、色がわかる、形がわかる、一定時間見続ける、目で線を追う、全体を見渡す、絵と実物の対応ができる、などといった内容が含まれています。お子さんは、長い時間をかけて、それらを徐々にマスターしていくのです。もし、お子さんがパパの買ってきた週刊誌のうらにある犬の写真を「目ざとく」見つけて「指をさした時」、新聞の折り込み広告にあった新車の写真を「指さしながら」ニッコリした時、ようやく絵本を見る土台ができあがったといえましょう。
 次に、お子さんにとって絵本はあくまでも「おもちゃ」のうちの一つにすぎず、まだことばを学ぶためのテキストではないということです。したがってそれは、はじめは「さわる」ものであり「いじる」ものであり、パラパラとめくって楽しむものに過ぎません。それを繰り返しているうちに、次第次第にそこに描かれている絵を「じっと見入ったり」、指をさすようになるのを待つことが大切です。また、お母さんとお子さんと絵本の関係が、「お母さんが絵本を使ってお子さんに教える」といようにならないように気をつけることが大切です。関係としては「全く逆」になるのがよいのです。お子さんが絵本を使って楽しむ、お母さんがその手助けをする、お子さんが絵本の絵を指さしてお母さんに教える、お母さんはそれにうなずきながらことばを添えて応える、つまり絵本を読む(見る)のは
お子さん自身であり、お母さんはその補助役に過ぎないという関係です。絵本の中の絵をよむか、文字をよむ(注目する)、どこのページに時間をかけるかは、お子さんの自由にすることが、絵本を好きにさせるコツです。
 次に、どのような絵本を与えればよいかも大切なポイントになります。はじめは、「実物そっくり」に描かれた絵本がよいと思われます。家庭用品、食べ物、動物など絵辞典風にまとめたものが市販されています。一つ一つ絵を指さしながら、実物と照らし合わせていくことは、物を見分ける力、絵の意味を理解する力をやしない、ことばの学習の土台づくりに役立ちます。はじめから終わりまで同じ種類の絵が描かれているもの、幻想的な絵などは、まだこの時期のお子さんには役立ちません。その次には、人間のさまざまな表情やしぐさがよいと思われます。動物を擬人的に描いた簡単な絵物語なども適当です。この場合も、お母さんはあくまでお子さんの補助役に徹することが大切です。お子さんがじっと見入っている絵を見ながら、お子さんの心の動きをそっとことばにおきかえてあげるのです。「あっ、ワンワンがイタイイタイって泣いているねー。エーンエーンって泣いているねー」というように、擬声語や擬態語をたくさん取り入れて話しかけてあげると、お子さんは絵本とお母さんの顔を見比べながら、絵本の世界に没頭できるようになるでしょう。
間違っても、お母さんがお子さんより先に指さしながら「これナーニ?」「これ何してんの?」などと問い詰めることはしないで下さい。まだ、お子さんにはそれに応えるだけの力もゆとりもないのです。
 絵本はまた、他にもいろいろな利用の仕方があります。もうボロボロになってしまった絵本でも、あるページをはさみで適当に切って「絵合わせパズル」ができます。絵本の中のある絵を切りぬいて台紙にはりつければ「絵カード」ができます。ページをバラバラにして、お話の順序通りに並べたり、場面の絵のカルタ取りもできます。
 絵本は、単にお母さんが「読んで聞かせる」ためのものではありません。絵本を最大限に利用しましょう。
 お子さんが絵本をぶらさげてやって来ました。そしてお母さんに「読んで」とせがむのです。こうなったら大成功です。お子さんは暗に「お母さん、また今日もことばのべんきょうをしようよ」と言っていることと同じなのですから。
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乳幼児の育て方・Ⅲ・ことばがはっきりしません

【1歳頃から2歳頃まで】
 どんな子どもでも、ことばを話しはじめたその時から誰にでもわかるようにはっきり話すということはありません。はじめは、ただ声を出すだけであり、その声が次第にことばらしくなっていくのです。耳が普通にきこえる子どもでも、私たちおとなと全く同じように話せるようになるためには5年間かかるといわれています。その間に、ことばを聞き分ける力、口の中のいろいろな器官を使ってことばの音を作る力が徐々に育っていくのです。
 【したがって、もしお子さんの耳のきこえが悪いとしたら、ことばがはっきりしないのは当然のことです。大切なことは、ことばがはっきりしないことを気にしないことです。たとえはっきりしないことばでも、一生懸命声を出してお母さんに何かを伝えようとしていることを至上の喜びとすべきだと思います。なぜなら、声を使って何かを伝えようとすることこそが、話すことの第一歩だからです。はじめからはっきり話させようとして、お母さんが無理に教え込もうとすると、かえって声を出すことが嫌いになり、話すことの学習が遅れてしまいます。】
 声を出していることは出しているが何を言っているのかさっぱりわからない、というお子さんはいませんか。そんな時はどうすればいいのでしょうか。まず「何を言っているのかわからない」ということをもう一度よく考えてみる必要があります。さっぱりわからないのは、お母さんの気持ちがお子さんの声ばかりに集中してしまい、声だけでわかろうとしているからではないでしょうか。お子さんが感じていること、考えようとしていること、伝えようとしていることは、私たちおとなが考えるほど複雑なものではありません。お子さんの、一連の行動、表情、しぐさなどその時の場面をよく見ていれば、今何を伝えようとしているか、だいたいの察しはつくものです。また、声全体の調子や語尾の調子からでも「今は私に教えようとしている」「今は私にたずねているんだ」というようなことは区別ができるように思われます。したがって、「さっぱりわからない」とあきらめてしまわずに、声以外の情報も手がかりにして「こんなことを言っているのではないかしら」と見当をつけることが大切です。そしてニッコリうなずきながら「フーン、そうなの」と応えてあげましょう。(たとえ見当がつかない場合でもです)そのことによって、お子さんは自分の話がお母さんに伝わったという喜び、「充実感・張り合い・自信」を感じることができるからです。「お母さんは、ボク(ワタシ)の話を聞いてくれる」という気持ちが、お子さんをおしゃべりにし、ことばの学習の機会をより豊かにしていくのです。
 お子さんのことばはまだまだはっきりしません。やむを得ません。それが自然な姿なのです。お子さんがはっきりしないことばを話している時、お子さんの頭の中にはさまざまな情報・イメージがめまぐるしく回転しています。つまり「考えて」いるのです。このことを大切にしたいと思います。
 【さて、お子さんのきこえが悪い場合、当然ことばははっきりしませんが、その時、「どんな声を出しているか」ということは問題になります。今、お子さんが「おさかな」のことをオアアア」と言ったとします。その時「オアアア」という声は、普通の人が「オアアア」と言う声と全く同じでしょうか。声全体が高すぎたり、低すぎたりすることはありませんか。声が鼻にぬけたり、鼻がつまった時のようにはなりませんか。のどに力が入って苦しそうな声ではありませんか。はじめは強くおわりが消えてしまうようなことはありませんか。息づかいが妙にせかせかして目立つことはありませんか。このような場合には、ことばをはっきり言うことの「土台」になる「声の出し方」自体に問題があるのです。きこえが悪い場合、自分の声を十分に聞くことができないので、自分の声の大きさや高さ、調子をうまく調節することができません。また声を出している実感を、耳以外の部分で確かめようとするために、のどに力が入りすぎたりすることがあります。そのような時は、要注意です。
 補聴器の役割は、他人の声をきくためだけではなく、自分の声を聞くためにもあります。特に、高度難聴のお子さんの場合には、自分の声を聞く役割の方が大きくなります。補聴器によって、自分の声を改善することができるからです。したがって、「声の出し方」自体に問題がある場合には、まだ補聴器が十分身についていないか、補聴器の調整の仕方が不十分であり、自分の声がよく聞こえない状態にあることが考えられます。補聴器をつけた時とつけない時の声の状態を比べてみて、あまり変化がみられない場合には、専門機関への相談が必要だと思われます。】 
聴覚障害児の発音技能の形成に関する研究聴覚障害児の発音技能の形成に関する研究
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板橋 安人

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乳幼児の育て方・Ⅲ・お子さんに「お手伝い」をしてもらいましょう

【1歳頃から2歳頃まで】
 このころのお子さんは、おとなのすることを何でもまねします。「まね」は、お子さんの成長・発達にとって必要不可欠であることは、すでに述べました。そこで、今度はその「まね」を単なる「まね」に終わらせないで、ひとつの「仕事」へと高めていくことを考えてみてはいかがでしょう。
 「物を運ぶこと」「戸を開けたり閉めたりすること」「物を並べること」などは、もう立派にできるはずです。お子さんによっては「コップの水を移すこと」「野菜の葉っぱをちぎったりすること」などもできるかもしれません。
 お母さんの毎日の仕事の中でも部分的には,お子さんに手伝ってもらえるようなことがたくさんあるように思われます。「お手伝い」は、次の二つの意味で大きなプラスになるでしょう。その一は、手や指の動きを器用にするということです。お子さんの耳のきこえの状態が気になって「できないこと」ばかり心配しているよりは、「できること」をふやすことが大切です。「手や指を動かすこと」は、耳のきこえには関係ないはずです。また「集中力」や「持続力」をやしなう上でも大きなプラスになるでしょう。その二は、お母さんにたのまれて「お手伝いをする」ことの喜び(充実感)が味わえるということです。「障子を閉めてきて」「あっ、おっこっちゃった。拾ってよ」「パパに新聞を持って行ってあげて」、こんな何でもないことでも「仕事」は「仕事」であり、お子さんは喜んでやってくれるはずです。その喜びが、やがては家族の一員としての自覚や誇りへと高められていくのです。
 お子さんは、おとなのすることを何でも「まね」しようとしています。それが危険なことでない限り、どんなことでもやらせてあげましょう。また、その「まね」がうまくできなくても、叱ったりバカにしたりすることは禁物です。どうすればうまくできるか、やり方を見せて、はげますことが大切です。何度も失敗をくりかえす中で「粘り強さ」「持久力」がやしなわれるからです。
 食器を台所から食卓へ運ぶこと、食べたものの後片付け、醤油を小皿に注ぐこと、ごみを拾ってくずかごに捨てること、植木鉢に水をやること、新聞をたたむこと、しぼった洗濯物をお母さんに手渡すこと、サヤエンドウのすじをむしること、テーブルの上を拭くこと、等など・・・。
 さあ、お子さんはいくつ「お手伝い」ができますか。  
子どもを伸ばすお手伝い―家事ができる子はなんでも気づきなんでもできる子どもを伸ばすお手伝い―家事ができる子はなんでも気づきなんでもできる
(2006/06)
辰巳 渚

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乳幼児の育て方・Ⅲ・お母さんの「話しかけ」

【1歳頃から2歳頃まで】                             
ことばは、生まれつき人間にそなわっているものではありません。だから、子どもはおとなのことばを「学ぶ」ことによって初めて身につけることができるのです。お父さんやお母さんの「話しことば」をお手本として聞きながら、それをマネすることによって身につけていくことになります。通常は、いつのまにか知らず知らずのうちにおしゃべりができるようになるので、とりたててお父さんやお母さんがことばを「教えた」わけではありません。子どもが問いかけてきたことに親が答えているだけで、十分ことばを身につけることができるのです。このことは、聴覚障害のあるお子さんにどうやってことばを身につけさせるかを考える時、とても大切なヒントになります。おとなの方はとりたててことばを教えようとしたわけではない、しかし、子どもは自分からそれを学ぼう(マネしよう)としておとなに問いかける、おとなはそれに答える、という関係の中で着実にことばを身につけていく、ということです。そして、その関係は「表情・声・動作などによる気持ちのやりとり」を土台として、子どもの側に「知りたい」という欲求が生じなければ成り立たないものなのです。この「知りたい」という欲求が、今、お子さんにどれだけ高まっているかを知ることが重要です。落ち着きがない、何でもさわりたがる、すぐに物を口の中に入れようとする、気が散りやすい、こうした状態のお子さんは「知りたい」という欲求がまだ不十分(未熟)な段階であり「ことばを通して」知ろうとするところまで育っていないと考えられます。ことばとは所詮「音の集まり」で、聴覚障害のあるお子さんの場合は、それをはっきり聞き取ることができないわけですから、他の手段で「知ろう」とすることは、当然の姿なのです。
 さて、そうしたお子さんにことばを身につけさせようとする場合、どんなことに気をつけ、どんなことをすればよいでしょうか。今、そのことをお母さんの「話しかけ方」に焦点を絞って考えてみたいと思います。
 まず、「ことばを教えよう」という気持ちを捨てて、お子さんが「これなーに?」と問いかけてくることを辛抱強く「待つ」ことです。もちろんお子さんは「これなーに?」と言うことはできないでしょう。しかし、ある物を指さして「アーアー」と声を出しながらお母さんの顔を見つめるということは「これなーに?」と問いかけたことと全く同じです。まだお子さんがそのようなことをしないのに、「ことばを教えよう」としていくらたくさん話しかけても、ほとんどお子さんは聞いていないでしょう。よくいわれる「お子さんをことばのお風呂につける」ということは、お子さんの側に「何でも知りたい」という欲求があって、その欲求に対して的確なことばが与えられた時、はじめて効果があがることなのです。したがって、まだはじめの段階では、お母さんの「話しかけ」は少ない方がよいのです。ただし、その「話しかけ」は一発必中でなければなりません。道路を歩いていて犬を見つけました。お子さんの表情がかわり指さしながらお母さんの顔を見ました。話しかけるのはその時です。「あっ、ワンワンだ」、それだけでいいのです。お子さんは満足そうにうなずきます。そして、もう一度お母さんの顔を見つめました。チャンスです。お子さんは無言のうちに「今の犬についてもう少しくわしく説明して」と問いかけているのです。「大きいワンワンだね-。大きいねえ」、両手を広げて話しかけます。それだけでいいのです。大切なことは、お母さんの「話しかけ」をどれだけ集中して聞こう(見よう)としているか、「話しかけ」によってお子さんはどのような反応をしたかを、細かく観察することです。それによって、もっと話しかけるべきか、もう終わりにすべきかはおのずとわかるようになります。
 次に、今お母さんとお子さんの目の前にあるものについて話しかけるということも大切です。特に、今お子さんが見ているものについて話しかけるのが効果的です。高度難聴のお子さんの場合は、お母さんの口もとを見せることが必要であり、どうしても向かい合わなければなりませんが、その時でも今お子さんが見ているものを、お母さんも一定時間一緒に見続けてから、そのあとでお子さんに話かけるようなゆとりが必要です。まだお子さんがそれを見ていて、もっと見たいと思っているのにそれを中断して話しかけることは、お子さんの「知りたい」という欲求を妨げることになり、結果的には「気が散りやすい」生活態度を招くことになります。
 最後に、話しかけることばの長さが問題です。はじめは短いほどお子さんにとっては楽であり、的確に聞き取ることができます。私たちが英語で話しかけられた時と同じです。ただ「サンキュー」と言われれば完全に聞き取れますが、ペラペラと続けてまくしたてられると、もう何が何だかわからなくなり、その中に「聞いたような単語が二つか三つあるな」、といった状態になるでしょう。お子さんの場合も全く同じだと考えられます。今、お子さんが全くおしゃべりができない状態の場合は一つのことばで、片言が言えるようになった状態の場合は一つまたは二つのことばで、ことばが二つ、つながるような状態の場合は、二つまたは三つのことばで、というように現在のお子さんのおしゃべりの状態と同じ程度からちょっと長くした程度のことばで話しかけることが効果的です。
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乳幼児の育て方・Ⅳ・お子さんの「行動」を観察しましょう

【2歳頃から3歳頃まで】
 お子さんは2歳になりました。「わが子は耳のきこえが悪い」という思いは、いっときもお母さんの心からはなれず、毎日が「心配」と「あせり」の連続であるかもしれません。とりわけ2歳ともなると、他の子どもはずいぶんとしっかりしてきて「何でもできる」ように思われ、わが子の「未熟さ」がきわだって感じられることでしょう。
 しかし、冷静に考えてみてください。お子さんが他の子どもと比べて異なる点は「耳のきこえが悪い」ということだけなのです。身体を動かすこと、目で見ること、指を動かしこと、人とつきあうこと、食べること等々、その他のことについては何ら異なることなく、他の子どもと同じようにできていいはずです。ところが、実際はどうでしょうか。直接「耳を使うこと」以外のことでも、まだ未熟であることが意外に多いようです。それは、耳からの情報が入りにくいために行動はいつも一歩遅れがちになる、ことばをうまく使いこなせないために物事の意味の理解が不十分である、というようなことが原因として考えられますが、それ以上にお母さん自身の気持ちや接し方も大きく影響しているように思われます。つまり、お母さんの気持ちが「わが子の耳のきこえ」ばかりに集中してしまい、他のことまで目が行き届かなくなるということです。そのために、お子さんの現在の「全体像」(どのような生活能力を身につけているか)を見失いがちになり、お母さんの接し方とお子さんの現在のあり方とがうまくかみあわなくなってしまうのです。お子さんの「全体像」を知るということは、当面どのような育て方をしていけばよいかを考えるうえで、きわめて重要なことです。
 そこで今、お子さんが全体としてどのような発達をしているか、どんなことはできて、どんなことはできないかをはっきりさせるために、『乳幼児精神発達診断法』(津守真・稲毛教子・大日本図書)という本を参考にしながら、だいたい2歳から3歳にかけて、子どもはどのようなことができるようになっていくかを述べてみたいと思います。お子さんの様子を観察しながら、今できること、まだできないことを整理してみて下さい。
 まず、「身体がよく動くか」(運動能力)ということについてです。通常、2歳までには「立つこと」「歩くこと」(20分位)「かなりよく走ること」「リズムに合わせて体を動かすこと」「椅子などの上から飛び降りること」などができるようになります。2歳を過ぎると、「両足で跳ぶこと」「ぶら下がること」「階段の上がり降り」「すべり台」などができるようになり、3歳前後には「ブランコに立って乗ること」「三輪車に乗ってこぐこと」などができるようになります。
 次は、「物を探したり、使ったりすること」(探索・操作)です。2歳までには「鉛筆のなぐりがき」「水や砂を器に入れたりこぼしたりすること」「障子やふすまの開け閉め」「そうじのまね」「物を紙や布で包むこと」「おもちゃの電話で遊ぶこと」「ボールのやりとり」「積み木を並べること」「人形のおんぶやだっこ」などができるようになります。2歳を過ぎると、「ままごと遊び」「乗り物ごっこ」などの遊びや「はさみで切る」ことができるようになり、3歳では「○や簡単な人の顔を描くこと」「のりづけ」「積み木でトンネルを作ること」などができるようになります。
 次は、「人とかかわろうとする意欲や、やりとりをする能力」(社会性)についてです。2歳までにできることは「わざといたずらをして人の気をひこうとすること」「父母のしぐさのマネをすること」「困難な場面ではあきらめないで助けを求めること」「鉛筆をにぎらせて書いてくれとせがむこと」「みせびらかすこと」「友だちと手をつなぐこと」などです。2歳を過ぎると、「自分から外に遊びに行くこと」「友だちの名前をおぼえること」「追いかけっこ」「いいきかせればがまんすること」「年下の子どもを抱っこしようとしたり、食べさせようとしたりすること」「ふざけて母を部屋に閉じ込めたりすること」などができるようになります。3歳になると「友だちとケンカをするといいつけにくること」「電話ごっこで交互に会話すること」ができるようになります。
 次は、「食事・排泄・生活習慣」についてです。2歳までには「キャラメルなどの紙をむいて食べること」「スプーンを使うこと」「ストローで飲むこと」「自分の口の周りやこぼしたところを拭くこと」「家族の茶碗や箸を区別して並べること」「おしっこをした後で知らせること」「ぼうしをかぶること」「靴をぬぐこと」「食事・入浴に父をさそうこと」「自分の体に石けんをつけて洗おうとすること」「物をかたづける手伝い」などができるようになります。2歳を過ぎると、「大便をおしえること」「おしっこの前におしえること」「靴をはくこと」「飲み込まないでブクブク」などができるようになります。3歳になると、「箸を使うこと」「歯磨きの習慣」「おもらしをしなくなり夜中でも母を呼ぶこと」「ひもの結び目をほどくこと」などができるようになります。
 最後は、「物事の理解やことばの能力」についてです。聴覚障害があるお子さんの場合、当然遅れがちになっていることが考えられますが、どの程度遅れているか。たとえ遅れていても「確実にできることは何か」を的確に見極めることが大切です。まず1歳前後には「櫛やブラシや鉛筆などをおとなのしぐさをまねして使う」「知っている場所、欲しい物などを指さしておしえる」「新聞を持ってきて、などというとわかる」「目はどこ、耳はどこなどと尋ねると指さす」「本を読んでとせがむ」「本をよむように声を出す」「名前を呼ばれると返事をする」ことなどができるようになります。2歳近くになると、「お話を聞くことが好きになる」「簡単な質問に答える」「おとなの言ったことば(単語)をそのままマネして言う」「欲しい物があるとチョウダイと言う」「高いところの物を台を使ってとる」ことなどができるようになります。2歳を過ぎると、「いちいちナーニと聞く」「ことばを二つ三つつなげて話す」「童謡が部分的に歌える」「アノネと言って話しかけてくるが後が続かない」「赤、青などの色の名前がわかる」ようになります。また2歳半頃には、「自分の名前を言ったり、話に中に自分の名前を入れたりする」ようになり、3歳になると「ボク、ワタシなどと言う」ことができるようになります。「もう一つちょうだい」の意味もわかるようになります。
 さあ、いかがでしょうか。お子さんは「耳のきこえが悪い」わけですから、それと直接関係のある「物事の理解やことばの能力」に遅れが見られるのは当然といえましょう。しかし、他の能力でも遅れがちになっていたりはしませんか。その中には、お母さんの気持ちが「耳のきこえ」の問題にばかり集中してしまい、「まだやらせていなかった」「いくらやらせようとしてもできないので、つい手伝ってしまった」「心配でやらせる気にならなかった」というような接し方・育て方が原因となっていることがあるかも知れません。
 今、お子さんのどんな能力は年齢なみに発達しているか、どんな能力は遅れがちになっているかを的確に見極め、遅れがちになっているのは何故かを冷静に考えることが大切だと思われます。「耳のきこえ」に限らず、遅れがちになっている能力のすべてにわたって、どのように育てていけばよいかを考えることが、今後の課題になるわけです。
乳幼児精神発達診断法―0才~3才まで乳幼児精神発達診断法―0才~3才まで
(1961/07)
津守 真、稲毛 教子 他

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乳幼児の育て方・Ⅳ・「むずかり」や「反抗」

【2歳頃から3歳頃まで】
 このごろのお子さんの様子を見てみると、以前に比べてどうも素直でなくなってきたというようなことが気になりませんか。靴下をはかせようとすると、前はおとなしくはかせてもらっていたのに、このごろは自分ではくと言って聞かない。「じゃあ自分でやってごらん」と言うと、うまくはけないでかんしゃくを起こす。あるいは、「新聞もってきて」などと言うと、以前は喜んで持ってきてくれたのに、このごろは「イヤ」と言ってそっぽを向いてしまう。テレビを見ていると、わざと画面の前に立ちはだかって邪魔をする。「よしなさい」とたしなめると、ますますおもしろがってやる。とにかく、何をやるにもまずお母さんに「さからって」からでないとやらないようになってしまった、というようなことはありませんか。他の子どもを見ると、みんなお母さんの言うことを「ハイハイ」と素直に聞いているような気がして、自分のしつけがなっていないからだと思い悩むことはありませんか。
 または、ひとりで十分できることなのに「できない」といって、わざとお母さんを困らせたり手伝ってもらおうとするようなことはありませんか。
 このような「むずかり」や「反抗」は、お子さんの成長・発達、特に「こころの成長・発達」にとって必要不可欠なものだと考えられています。人間は他の動物に比べて最も未熟な状態で生まれ、また親の保護や世話を必要とする期間も、最も長いとされています。(社会的に自立するためには20年近くかかります)したがって、乳児期の赤ちゃんは、身も心もお母さんから完全に独立しているとはいえません。それが、この頃になると、身体的にはもう一人前の人間としてひとりあるきができるようになります。そして心の面でも、お母さんから独立し「ひとり歩き」したいという気持ちが芽生えてくるのです。それが、はじめに書いたような「さからう」という行動としてあらわれてきたといえましょう。
 お子さんがお母さんに「さからう」のは、お母さんのことが嫌いになったからではありません。むしろ「自分」というものの存在がはっきりとしはじめ、それを大好きなお母さんにぶつけることによって、お母さんの反応を観察したり確かめたりしているのです。自分がこうするとお母さんはどうするか、この程度までならお母さんはおこらないけど、それ以上にするとおこりだす、また同じことをやってもその時の状態によってお母さんの反応はちがう、などということをお子さんは驚くほど敏感に学んでいくのです。そして、そのことが、お母さん以外の人とつき合っていく時の予備知識として貴重な参考になるのです。家の中では甘ったれでしょうがないけど、外へ出ると意外なほどしっかりする、というようなお子さんなら、あまり心配はありません。反対に、家の中ではおとなしく素直だけれど外へ出ると乱暴になる、というようなお子さんの場合には注意が必要です。なぜなら、お子さんがお母さんに「さからう」ことを十分にやらせてもらえないために、それが外に向かって爆発しているように思われるからです。しかも、そのような場合には、お母さんがお子さんの乱暴なことを気づかないでいることが多いようです。
 聴覚障害があるお子さんの場合、幼児期においてお母さんに「さからう」ことがほとんどなかったか、あっても始まる時期が遅れることが多いようです。むしろ、この時期には「さからう」というよりは、自分の思っていること、やりたいこと、やってほしいことなどを、うまくお母さんに伝えることができずに「かんしゃく」をおこしてしまうことが多いと考えられます。そして「さからう」ことが始まるのは、お母さんとの「やりとり」がスムーズにできるようになってからのことであり、両者をはっきりと区別する必要があります。
 いずれにせよ、お母さんに対して「ぐずること」や「反抗すること」は、お子さんがお母さんから離れ「ひとり歩き」を始めようとする第一歩なのです。大切なことは、必要以上に心配しすぎて、それを力ずくで止めさせようとしないことです。むしろ「ぐずりたい」「反抗したい」という気持ちをそのまま受け入れてあげること、しかしそうされるとお母さんとしてはとても「困ること」をお子さんにおだやかに伝えることが必要です。「反抗したい」という気持ちを受け入れるということは、それを許すことではありません。また、甘やかすことでもありません。「あなたの気持ちはわかるけど、お母さんはとても困ってしまう。それでもあなたはそれをやりたいと思うか」ということを「ことば」や「理屈」ではなく「表情」や「雰囲気」で伝えるのです。説得するのではなく、気持ちや感情に働きかけようとするのです。
 お母さんの本当に困った顔、それは「しかめっ面」ではありません。文字通り「本当に困った顔」なのです。
子どもの反抗期における母親の発達―歩行開始期の母子の共変化過程子どもの反抗期における母親の発達―歩行開始期の母子の共変化過程
(2004/12/25)
坂上 裕子

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乳幼児の育て方・Ⅳ・「ゴロゴロ」「ウロウロ」行動の意味

【2歳頃から3歳頃まで】
 お子さんがたいへん静かにしているので、ふと気がつくと部屋の隅やテーブルの下などでゴロゴロと寝そべっていたりすることはありませんか。どう考えても眠いはずはないのに、ゴロゴロと寝そべりたがることはありませんか。あるいは、意味もなく部屋の中をウロウロ歩き回ったりしていることはありませんか。
 こうした行動は、お母さんにとってはそれほど迷惑なことではなく、むしろ世話がやけないのでつい見落とされがちになります。しかし「ことばを学ぶ」という点からみると、要注意なのです。
 生まれたばかりのサルをすぐに親から離して一匹だけ隔離して育てると、同じような行動が見られるといわれています。また、動物園にいるトラなども、たえず檻の中をウロウロと歩き回っています。こうした行動は、他の仲間との「かかわり」が絶たれた場合の「異常行動」だと考えられています。
 この考えは、人間の場合にもあてはまるようです。生まれたばかりの赤ちゃんが、何らかの理由でお母さんとの「かかわり」がうまくとれなかった場合、赤ちゃんは「不安」「緊張」といった気持ちでいっぱいになってしまいます。それが幼児期まで続くと「不安」や「緊張」のために、周囲のできごとに対する興味・関心が芽生えずに、「何もしないでゴロゴロしている」とか、その不安や緊張をまぎらわすために「ウロウロ歩き回る」といった行動を示すと考えられます。
 これはたいへん困ったことで、すぐにでも何らかの手をうたなければなりません。まず第一に、お子さんの「不安」や「緊張」の原因として思い当たることはないか、考えることが必要です。多くの場合、お母さんとの接触が疎遠になっていることが考えられます。しかも、文字通り「体と体の接触」が断たれている場合が多いのです。お子さんが立って歩けるようになると、それだけで「だっこ」や「おんぶ」の機会は少なくなります。またお子さんに聴覚障害がある場合には、お母さんの「やさしい声」も十分に聞こえないわけですから、満たされない気持ちがいつまでも続いている、ということが考えられます。お母さんの方も、お子さんの耳が聞こえないというショックから、気持ちが晴れずあれこれと思い悩むことの連続で、お子さんの気持ちを満たしてあげるゆとりがないかもしれません。
 しかし、今お子さんの気持ちが「不安」と「緊張」でいっぱいになっているとすれば、まずお母さん自身が全力を挙げて精一杯それをときほぐしてあげなければならないでしょう。ニッコリ笑いかけること、だっこやおんぶ、おうまさんごっこ、くすぐりっこ、おすもう、ぐるぐる回しなど、ありとあらゆる手段を考えて、「体と体の接触」をふやすことが必要です。「ことば」は要りません。表情と表情で十分に気持ちの伝え合いができるからです。
 もしそのことによって、お子さんの表情がほぐれ、目の光が輝いてくれば成功です。「もっとやって」という素振りが見えれば成功です。何をするにも興味を示さなかったお子さんが「やりたいこと」を見つけることができたからです。しかも、それはひとりでやることではなく、お母さんという「相手」を必要としているものだからです。
 お子さんは、いつまでも「やって」「やって」としつこくせがむかもしれません。しかし、ここが大切な時なのです。何回でも、お子さんが「もういい」という気持ちになるまでやり続けるのです。そのために、お母さんは家の仕事ができなくなってしまうかもしれません。くたびれてへとへとになってしまうかもしれません。それでも、努力してやる続けることが必要なのです。お子さんの「不安」や「緊張」がほぐれ、人間とかかわることのおもしろさ、喜びを、今やっと味わえるようになってきたからです。それが「相手のしていること」や「相手の言っていること」を「見たり」「聞いたり」しようとする気持ちへと発展し、「見る力」「聞く力」「まねする力」を着実に伸ばしていく土台になるからです。
 お子さんが寄ってきました。また遊んでとせがむのです。洗濯物は山のようにたまっているのに、でもその方が、きちんと整えられた部屋の片隅でゴロゴロしているお子さんに感謝しながら、せっせと仕事がはかどるよりは、よっぽど素晴らしいことを悟らなければなりません。
子どものこころとことばを育てる子どものこころとことばを育てる
(2006/03)
大熊 喜代松

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乳幼児の育て方・Ⅳ・「抱っこ」「添い寝」はいつまで

【2歳頃から3歳頃まで】
 結論から申しますと、「抱っこ」や「添い寝」は、お子さんが「もういい」というまで続けるべきです。「抱っこ」や「添い寝」をやめる時期は、お母さんではなくお子さんが決めることなのです。
 「そんなことをしたら、いつまでたってもやめられない」とお母さんは思うかもしれません。それでいいのです。お子さんがいつまでも「そうしてくれ」とせがむ以上、それをしてあげないよりは、してあげる方がお子さんにとってはしあわせなのですから。
 大切なことは、お子さんの気持ちを無視してそれをやめることではなく、どうして「そうしてくれ」とせがむのか、について冷静に考えることです。少なくとも、お子さんはお母さんに「抱っこ」や「添い寝」をしてもらうことによって「心の安定」が得られることがわかります。このこと自体は素晴らしいことであり、どんな子どもでも必ず経験してくることなのです。しかし、問題となっていることは、その時期が他の子どもに比べて遅れすぎているということでしょう。その場合、お子さんが今、次の状態のどちらであるかを見極めることが大切です。①ずっと前から「抱っこ」「添い寝」の習慣が続いており、もう他の子はやめているのに、うちの子はやめられない。②ずっと以前はそういうことはなかったのに、最近になって始まった。
 さあ、お子さんの場合はどちらでしょうか。①の場合は、次のようなことが考えられます。お母さんに「抱っこ」や「添い寝」をしてもらうことによってしか「心の安定」が得られず、もう大きくなってみっともないことはよくわかっているけれど、そうしないわけにはいかない、とお子さんが感じているということ。ということは、お母さんあるいは周囲の人たちがお子さんに「不安」や「緊張」の気持ちを起こさせており、「心の安定」を著しく妨げている場合です。お子さんが現在できること以上の、むずかしいことを無理にやらせようとしていたり、お子さんの相手をしないで放りっぱなしにしていたりすることによって、お子さんの「不安」や「緊張」が高まっている場合です。こんな時、お子さんはいつまでたっても「抱っこ」や「添い寝」をせがみ続けるでしょう。どうしたらよいでしょうか。ただ「抱っこ」や「添い寝」を続けるだけでは不十分です。お子さんの「不安」や「緊張」の原因を取り除くことが必要です。お子さんに対する強制(期待過剰)・放りっぱなし(放任)といった接し方を改めることが必要なのです。まだ他に考えられる原因があれば、それもすっきりと取り除いてあげなければなりません。
 さて②の場合は、やや事情が異なります。つまり、②の場合のようなことがおこることは「とても素晴らしいできごと」なのです。大いに喜ぶべきことだと思います。なぜなら、今、ようやくお子さんはお母さんの素晴らしさがわかりかけてきたからです。今、ようやく、お母さんのことを「なくてはならぬ大切な人」と感じ始めてきたからです。これから、お母さんという「人間」を通して「人間の世界」の様々なことがらを「学ぶ」出発点に立ったということなのです。最近のお子さんの様子を見ると、以前に比べて大きな変化がたくさん見られるはずです。お母さんに甘える、ぐずる、自分でできることなのにやってもらおうとする、わざといたずらをしてお母さんの様子をうかがう、お母さんのすることをじっと見ている、お母さんのすることをマネしようとする、遊んでとうるさくつきまとう、喜怒哀楽の表情が豊かになった。どうですか。あてはまることはありませんか。そうした変化と「抱っこ」「添い寝」をせがむことが、ほぼ同時に始まったとすれば、それはとても素晴らしいことなのです。
 いずれにしても、「抱っこ」「添い寝」は、お子さんの成長・発達にとって必要不可欠の経験なのです。それを早く卒業させたいとお母さんが願うならば、生活の中で様々な楽しい経験をふやし、「抱っこ」や「添い寝」以上の「心の安定」が得られるようにすることが大切だと思います。
阿部秀雄のきっと親子がしあわせになる「抱っこ法」―泣いて甘えて子どもは育つ! (新紀元社の子育てシリーズ)阿部秀雄のきっと親子がしあわせになる「抱っこ法」―泣いて甘えて子どもは育つ! (新紀元社の子育てシリーズ)
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阿部 秀雄

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乳幼児の育て方・Ⅳ・「指しゃぶり」の意味

【2歳頃から3歳頃まで】                             お子さんが「指しゃぶり」をするのは何故だと思いますか。それはひとことで言うと「さびしい」からです。心が満たされていないからです。「そんなはずはない。私は十分にかわいがっているつもりだし、ほしがるものはたいてい与えているはずなのに」と、お母さんは思うかもしれません。そうなのです。たしかにそうなのです。しかし、それでもお子さんは「満たされていない」と感じているのです。それはいったいどういうことでしょうか。
 お子さんの「指しゃぶり」は、お母さんの「接し方」「育て方」に原因があるためばかりでなく、むしろお子さん自身の生理的不満足感にも大きな原因があると考えられます。 「指しゃぶり」という行動は、お子さんに素晴らしい喜び(快感)を与えてくれるものなのです。唇や口の中の皮膚感覚が適度に刺激されて、うっとりとした「夢見心地」の世界を味わうことができるのです。この喜びを知るということは素晴らしいことです。それは、かつて授乳の時に得たお母さんとの身体接触による喜びが土台になっているものであり、たまたま他にすることがなく退屈な時に、ふと無意識にその喜びを再現しようとしているからです。
 お子さんは今、指をしゃぶるととてもいい気持ちになれるのです。お母さんの素晴らしさを味わうことができるのです。とってもゆったりした気持ちになり、気分が落ち着くのです。それは、お子さんが「人と関わることの喜び」を知り、周囲の様々な事物の中で「人間」というものを特別なものとして区別し、それに対する興味・関心が高まってきたことを意味します。
 したがって、お子さんが「指しゃぶり」をするのは「人恋しさ」のあらわれです。「人を恋しい」と思う気持ち(お子さんは、ただ快感を求めているだけですが)をよりどころとしているからこそ素晴らしいのです。
 とはいえ、今、お子さんが目の前で「指しゃぶり」をはじめたら、あまりいい気持ちはしません。そんなとき、どんなことに気をつけ、どんなことをすればいでしょうか。
 まず第一に、「すぐその場で直接的にそれをやめさせよう」と考えないことが大切です。指にからしを塗ったり、包帯を巻いたりすることは昔からよく行われています。しかし、そうすることによって、お子さんの「指しゃぶり」がなくなったとしても、根本的な解決にはならないことはもうおわかりでしょう。それはお子さんの「喜び」を取り上げてしまうことに他ならないからです。お子さんはますます「満たされない」気持ちになり、心のひずみが大きくなることでしょう。
 第二に、お子さんが「指しゃぶり」をしなければいられないような気持ちになった原因について考えることが大切です。お子さんに対してむずかしすぎることを要求する、お子さんと一緒に遊ぶ(つきあう)ことが少なく放りっぱなしのことが多い、乳児期十分にオッパイをしゃぶったり吸ったりする喜びを与えなかった、「抱きぐせ」や「添い寝」をしないように気をつけた、このような場合、「指しゃぶり」が長引いたり、再発したりすることが多いようです。
 第三に、お子さんが「指しゃぶり」をしていたら、お母さんも一緒にうっとりと喜んであげる気持ちをもつことが大切です。静かに抱いてあげて、そっと抱きしめること、体をさすってあげること、子守歌を聞かせること、お話をしてあげることなどで、その喜びを「倍加」させることによって、十分に味わわせ、早く「もういい」という気持ちにさせることが必要です。お子さんがいつ「指しゃぶり」をやめるか、それはお子さんの自由です。お子さん自身が「もういい」という気持ちになるまで「待つ」より他はありません。「指しゃぶり」の喜び以上に、もっと大きな喜びを味わえるようになった時、お子さんの「指しゃぶり」は、自然になくなります。
 「指しゃぶり」は「困ったクセ」ではありません。むしろ、お子さんの成長・発達にとって必要不可欠のものであり、どんな子どもでも一度は経験することなのです。(生後5~6か月の赤ちゃんをごらん下さい)お子さんの場合、それがたまたま長引いているか、今、初めて始まったかのどちらかにすぎないのです。いずれにせよ、それを「直接的にやめさせよう」とすることではなく、「それ以上の喜びを味わわせる」ことによって、そのことを卒業させるという方法が無害であり効果的だと考えられます。 
指しゃぶりにはわけがある―正しい理解と適切な対応のために (子育てと健康シリーズ)指しゃぶりにはわけがある―正しい理解と適切な対応のために (子育てと健康シリーズ)
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岩倉 政城

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乳幼児の育て方・Ⅳ・「できるのにやろうとしない子」と「できないのにやろうとする子」

【2歳頃から3歳頃まで】
 デパートのおもちゃ売り場でのできごとです。1歳半のAちゃんと2歳半のBちゃんが、乗り物コーナーの前にやって来ました。Aちゃんは、すぐに三輪車を見つけると「それに乗るんだ」という様子で必死です。お母さんは、まだ無理だからこっちにしなさいとブランコを勧めますが聞き入れません。お母さんは,やむを得ずAちゃんを三輪車に乗せました。案の定まだ無理で、こぐことはおろか、何度もひっくりかえりそうになりました。 一方、Bちゃんはどうしたわけか、お母さんのそばで乗り物を見ているだけで、いっこうに乗ろうとするそぶりを見せません。お母さんが「乗ってごらん」と勧めてみても、お母さんに体をすり寄せて「できないよー」というそぶりを見せるばかりです。お母さんはがっかりして「この子は何ていくじがないんだろう、もう2歳半なんだからできないはずはないのに」と思われるかもしれません。 
 さてAちゃんとBちゃんを比べてみましょう。Aちゃんは、だれがみてもできそうにないことを、「やりたがり」ました。そして案の定「失敗」してしまいました。反対に、Bちゃんは、だれもができるだろうと思うことを「やろうとしません」でした。その結果、「失敗」はしませんでした。しかし「成功」もしませんでした。
 Aちゃんは「積極的だが無鉄砲でみさかいがない子」だと見られるでしょう。Bちゃんは「慎重派だが引っ込み思案で意欲に欠ける子」だと見られるでしょう。これからの成長・発達を考えると、どちらが得をするでしょうか。それは、いうまでもなくAちゃんです。Aちゃんは「失敗」しました。しかし、その「失敗」を「経験」することによって、何かがAちゃんの中に残ったからです。Bちゃんは「失敗」しませんでした。しかし、それは何もしなかったからであり、Bちゃんの中に残るものはほとんどないでしょう。「失敗は成功のもと」という言葉があるように、数多くの失敗を繰り返してこそ成功することができるのです。このことを「試行錯誤」といいますが、その「経験」が多ければ多いほど、着実で豊かな成長・発達が期待できるわけです。
 今、お子さんはAちゃんですか、Bちゃんですか。Aちゃんなら、ひと安心です。けがをしないように、危険なところに近づかないように細心の注意をはらう必要はありますが、お子さんの「やりたがること」をどんどんやらせることによって、日一日と「成功」(できるようになること)の回数がふえていくことでしょう。
 もしBちゃんのような場合だったらどうでしょう。つまり「できるのにやろうとしない子」の場合です。ここで大切なことは、生まれつきの性格でそうなのだ、というようには考えない方がよいということです。子どもはもともと意欲的であり積極的な存在です。そうでなければ、他の動物にはまねのできない「歩く」(二足歩行)というような困難な動作を、あんなに着実に習得できるわけがありません。
 Bちゃんは、生まれつき消極的であったわけではなく、いつ頃からか「そうなっていった」のです。思い出して下さい。お子さんがもっと小さかった頃(1歳から1歳半くらいまで)何でもやりたがってお母さんを困らせたことはありませんか。あぶないものをいじりたがる、大切な物を使いたがる、そのたびにお母さんは「あ、それはだめよ」「いけません」といって「取り上げた」ことはありませんか。お子さんを危険から守るためには当然のことですが、おとなの都合だけで「取り上げた」こともあったのではないでしょうか。部屋が散らかるから、後始末が大変だから、というこちら側の都合で、お子さんの「やりたがること」を禁止したり、制限したりしたことはなかったでしょうか。そのことによって、お子さんは「やりたくてもできない」からあきらめてしまい、だんだん「やる気」をなくしてしまします。
 また、お母さんが「やってごらん」といった場合でも、性急に「成功」させようとすると、お子さんの「やる気」はなくなります。お子さんはお母さんとは違うのです。絶対に、はじめからお母さんとは同じようにはできないのです。何度も繰り返し失敗しながら、少しずつお母さんのやり方に近づいていくのです。洋服を着ること、脱ぐこと、はしを使うこと、靴をはくこと、脱ぐこと等々、すべてのことをお子さんは「失敗しながら」学んでいくのです。はじめから「成功」を要求すると、お子さんの心の中には「失敗してしまった」という気持ちだけが残り、自信を失います。そして「失敗」をおそれ、失敗するよりは何もしない方が、お母さんに叱られないですむ、という気持ちになっていきます。
 お子さんは「できるのにやろうとしません」、これは問題です。お母さんに「失敗してはいけません。みんなができるようにやりなさい」という気持ちで見られていることを、誰よりも強く感じているにちがいありません。「へびににらまれたカエル」状態になってしまっているのでしょう。
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(1985/09/14)
ピープル

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乳幼児の育て方・Ⅳ・お子さんと遊びましょう・Ⅳ

【2歳頃から3歳頃まで】
 お子さんと遊ぶということは、「お子さんを遊ばせる」ことではありません。お子さんのために家事の仕事をしないで「お子さんを見守っている」ことでもありません。文字通り、お子さんと「一緒に何かをする」ことなのです。その時、お母さんはもうお母さんではなくなってしまうことが必要です。つまり、お母さんとしての役割は捨て、お子さんと同じレベル、同じ気持ちで遊ぶのです。
 お子さんと公園に行きました。すべり台があります。ブランコがあります。砂場があります。まず、お母さんからはじめるのです。「やってごらん」という前に、お母さんがやってみるのです。それが、お子さんと遊ぶ時の鉄則です。なぜでしょうか。すいすいと階段をのぼり、サッと滑り降りたけれど勢い余って尻もちをついたお母さん、ブランコをビュンビュンこいでいるお母さん、砂まみれになってトンネルを掘っているお母さん、そんなお母さんの姿を見て、お子さんは目を見張るでしょう。いつものお母さんではないお母さんがそこにいるのです。お子さんは、夢中になってお母さんのすることをマネしはじめるに違いありません。「ボク(ワタシ)もやる」「ボク(ワタシ)にもやらせて」、あとは簡単です。お子さんがそれをできるように手助けをしてあげればよいのです。
 このころのお子さんにとって大切なことは、「歌を歌うこと」「絵を描くこと」「ごっこ遊び」「友だちの中で遊ぶこと」です。そして、どの遊びでも今述べたように「まずお母さんがやってみせる」ことが必要なのです。お子さんがそれを上手にできるようになるためには、「それをやりたい」「それをやることがおもしろくてしょうがない」という気持ちが育たなければなりません。それにはお母さんのお手本が必要であり、また全面的な手助けが必要なのです。はじめから上手にできることはめったにありません。何回も何回も失敗を繰り返し、次第に上手にやるコツをおぼえていくのです。お子さんが上手にできなくても、やろうとしたことをほめてあげましょう。
 ①歌は部分からおぼえます
 お子さんの前で体を動かしリズムをとりながら童謡を歌って聞かせましょう。テレビマンガの主題歌でもけっっこうです。お子さんはニコニコして聞いていますか。体を動かしながら(リズムをとりながら)聞いていますか。それだけでいいのです。お母さんの歌の一部分は必ずお子さんの記憶の中に残るでしょう。そして、いつのまにか、そこだけお母さんと一緒に身体表現をしたり、歌ったりすることができるようになるでしょう。
 ②絵はお母さんの絵がお手本です
 お母さんがだまって絵を描き始めれば、お子さんはそれをのぞき込んでくるでしょう。「ねこ」「でんしゃ」「おうち」、何でもかまいません。お子さんにわかるように、単純な線だけで描いてみせるのです。お子さんも描きたいといってせがむでしょう。お子さんがどんな絵を描いてもほめてあげましょう。お子さんが描いた○の中に、お母さんが目や鼻を描き入れてあげると、とても喜ぶものです。終わったら、その紙に今日の日付を書き込んでおきましょう。お子さんの変化がはっきりとわかるようになります。
 ③ごっこ遊びは人形で
 お子さんの大好きな人形(人形でなくてもよいのです)をお母さんが「抱っこ」します。そして、その手や足をちょっと動かしてみるのです。「オーイ、○○チャン」「○○チャン、あそびましょ」、お子さんはニコニコして近づいて来ましたか。{○○チャン、コンニチワ」、人形にあいさつをさせます。お子さんもあいさつで応えましたか。「○○チャン、抱っこしてよ」、思いつくままに、お子さんの大好きな人形のつもりになって、お母さんが働きかけるのです。ごっこ遊びの重要さは、この「つもりになる」ということです。言い換えれば「想像の世界」に入るということです。聴覚障害のあるお子さんにとっては、この「想像の世界に入る」ということが、特に大切です。単なる「空想」ではなく、周囲の人たちの「気持ち」を「想像したり、推量したり」することへと結びついて発達していくからです。今、あの人は自分のことをどう思っているか、を「想像」によって察知できることが、勘違いによるトラブルを防ぐ唯一の方法だからです。それはコミュニケーションの土台として、最も大切なことだと思います。
 ④友だち遊びはあせらずに
 まだお母さんとの遊びがうまくできないのに、友だちとうまく遊べることはありません。友だちに近づこうしない、友だちの中に入るとすぐに乱暴する、相手にしてもらえない、まったく勝手なことをしておかまいなし、こんな場合はまだお母さんとの遊びが十分ではないのです。たとえお子さんが友だちの中へ入りたがっても、それはお母さんと二人きりでいることから逃げだそうとしているのかもしれません。お母さんとの遊びも大好きだけど、友だちと遊ぶ方がもっとおもしろい、という気持ち(状態)を育てることが大切です。
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乳幼児の育て方・Ⅳ・指を動かす遊びをしましょう

【2歳頃から3歳頃まで】 
 人間が他の動物に比べて決定的に異なることは「安定して二本足で歩ける」ことだといわれていますが、そのことによって人間は両手(前足)を自由に使いこなすことができるようになりました。火を使ったり、物(道具)を作ったり、絵や記号を描いたりすることができるのも、この手を自由に動かすことができるからです。その手の中でも、とりわけ十本の指を器用に動かせるということが、「つまむ」「はじく」「すくう」「こねる」「まるめる」「やぶく」「切る」「はめる」などといった複雑で微細な作業を可能にしています。しかも、その作業は単に手や指の活動だけではなく、「見ること」「聞くこと」「感じること」といった感覚器官と密接に結びついており、それが人間のいろいろな活動をよりたしかなものとし、ひいては「考える」活動の大きな手助けとなっているわけです。
 たとえば「積み木遊び」活動を見てみると、そこには「持つ」「並べる」「のせる」「はめる」といった手の活動を通して、「形を見分ける」「形を組み立てて、ある事物に見立てる」(想像・イメージ化)といった認識活動が深められていきます。また、その際の微妙な指の動かし方によって「注意力」「集中力」「持続力」などもやしなわれるでしょう。
 そんなわけで、今、お子さんの手や指がその程度器用に動かせるかを見ることは、大切なことです。通常、赤ちゃんの「手の動き」がどのように発達していくかを見てみますと、生後間もなく一番初めにできることは「握る」ということです。手のひらにものをさわらせると、それを握ろうとします。しかし、まだ指の動きは完全ではなく、手のひら全体を開いたり閉じたりする程度で、握る時間も長くはありません。生後3か月くらいになると、手を口に持っていったり、腕を振りまわしたりすることが多くなり、「握る」ことができる時間(持続力)も長くなります。4か月頃になると、自分から手を伸ばして「つかむ」「ひっぱる」「いじる」ということができるようになり、赤ちゃんの興味・関心をより豊かにしていくための大きな手助けとなります。また、「両手の指をからませる」ようなこともできるようになります。6か月を過ぎると、物と物を両手で「打ち合わす」、片手から片手へ「持ちかえる」というような両手のバランスのとれた活動が生じてきます。さらに、8か月頃になると、指の動きは複雑さを増し、テレビのスイッチ、カギ、食器などの日常品を「いじったり」、床に落ちている小さな物を「拾ったり」して遊ぶようになります。ハイハイしながら、おとなには気がつかないほどの小さな物でも目ざとく見つけていじっている姿がよく見られますが、そのような活動を通して「細かい物を見分ける力」「集中力」などが着実にやしなわれていくのです。1歳のお誕生日頃には、物の使い方をふまえた活動ができるようになります。「ふたの開け閉め」「鉛筆のなぐりがき」などがそれです。これは、道具の機能や目的を知り、それに応じた使い方をするという意味で、とても大切なことです。立って歩けるようになると、腕全体の力も増し「戸の開け閉め」、おもちゃを「押したり」「引っぱったり」することができるようになります。また、2歳頃には指の器用さはいっそうたしかなものとなり、コップからコップへ「水を移すこと」、積み木を「並べること」、物を紙で「包むこと」などができるようになります。2歳半を過ぎると不完全ながら「はさみで切る」もするようになり、3歳前後には積み木でトンネルを「作ったり」、のりをつけて「はったり」することができるようになります。また、「描く」こともしっかりしてきて「○や簡単な顔」を描けるようになります。
 このような発達過程をたどりながら、子どもの「見る力」と「する力」は着実に結びつき、それが「考える力」「ことばによる想像力」の大きな土台となるのです。また、指の動きを見ることは、体の末端部分の運動機能を見ることでもあり、「話す」ための器官である唇や舌、口蓋がスムーズに動かせるかを測るバロメーターにもなります。
 したがって、「指の動き」は、現在のお子さんの発達段階を集約的にあらわしているといえましょう。またそれゆえ、逆に「指の動き」を活発で的確なものにすることによって、お子さんの成長・発達をより着実に促すことができるわけです。
 聴覚に障害のあるお子さんの場合には、「見ること」と「聞くこと」を密接に結びつけることが必要であり、さらにそれと「指を動かすこと」との結びつきを図ることが大切です。今まで述べたような様々な活動に加えて、「オルガン」「エレクトーン」「鍵盤ハーモニカ」などにも興味を示し、楽器をひけるようにすることも、たいへん大事なことなのです。
だいすき!手遊び指遊び―0歳から遊べるだいすき!手遊び指遊び―0歳から遊べる
(2011/02)
斎藤 二三子

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《「聞く力」を育てるために》・1・「感度」

谷俊治先生は、「聞く力」を七つの過程に分析して説明されておられます。

1 感度
その1は、「感度」であります。「どれくらい小さい音が聞こえるか」ということであり、いわゆる「聴力」であります。音は、物体が振動することによって生じます。それが空気を振動させ、その振動が人間の鼓膜に伝わり、内耳の聴覚神経を刺激し、それが脳に伝わったとき、私たちは「聞こえた」と感じることができます。その聞こえ始めた「最も小さい音」を0デシベルの大きさと言います。正常な聴力は、0デシベル以上の音を聞き取ることができます。注意しなければならないことは、この単位は人間の感覚をもとにして決められたものであり、物体が振動するときの「物理的な単位」ではないということです。
物体が振動しても、その振動が小さければ人間の耳には聞こえません。でも、音はしているのです。つまり、0デシベルは「音がし始めた」大きさではなく、「聞こえ始めた」大きさだということができます。(ただし、「音がし始めた」大きさを0デシベルということがあり、その場合は0デシベル・SPLという断り書きをすることになっています)
 人間の聞こえ方には「個人差」がありますが、0デシベルの音が聞こえれば、生活に支障はないということです。30デシベルの音が聞こえないと、ささやき声が聞こえにくくなり、40デシベルの音が聞こえないと、通常の会話が聞こえなくなる、90デシベルの音が聞こえないと、耳元での大声も聞こえない、と説明されています。また、一口に「音」といっても、様々な種類があります。「音色」「音質」などといわれていますが、音響学的には、それを「周波数」という基準で表します。生活の中で生じている自然な音は、様々な周波数が混合しており、いわゆる「雑音」といわれるものです。一方、専門家は、ある特定の周波数だけの音を人工的に作り出すことができました。それが「純音」といわれる機械音です。たとえば、テレビやラジオで使われる「時報」の音は「純音」(800ヘルツ)です。
 その人が「どれくらい小さい音がきこえるか」(感度)を調べる方法として、「純音聴力検査」があります。これは、125ヘルツ、250ヘルツ、500ヘルツ、1000ヘルツ、2000ヘルツ、4000ヘルツ、8000ヘルツの純音が、「どれくらい小さい音から聞こえ始めるか」を調べる検査です。人間の「話し声」は、250ヘルツから4000ヘルツの周波数だといわれているので、特に、その周波数に注目して「平均聴力」という値が設定されています。
 この検査を行うためには「オーディオメーター」という器具を使います。検査の器具や方法は様々ですが、要するに「音を聞かせて、その反応を見る」という点では共通しています。乳児に対しては、決められた周波数、決まられた大きさの音を聞かせ、「反射」(まぶた、手足などの動き)を観察します。幼児に対しては、音を聞かせて、その音源を探す行動(詮索反応)を観察します。学齢が近づく頃になりと、「音が聞こえたら手を挙げる、ボタンを押す」などの「条件付け学習」ができるようになるので、成人と同じ方法で検査をすることが可能になります。(いずれの方法でも反応が確認できない場合、専門家による脳波聴力検査という方法もあります)
 「音を聞かせて、反応を見る」ということは、口で言うほど簡単ではありません。こちらが音を出しても、相手が聞いているとは限らないからです。また、音を聞いたとしても、反応するとは限らないからです。「聞こえているかどうかわからない」という結果に終わることもしばしば生じます。 
 私の経験を反省すると、聴力検査は「再確認」のために有効ですが、その結果にだまされることがあるので、細心の注意が必要です。まず、生活の様子を「行動観察」することによって、「聴覚障害の有無」を判断することの方が大切だと思います。聴覚障害がある場合には、生活の中で「視覚依存」(眼に頼る、キョロキョロ見回す、相手の口元を見るなど)の行動が目立ちます。しかし、「聞こえる音」に対しては「的確に」反応します。一方、聴覚障害がないのに「音に反応しない」場合があります。「耳をふさぐ」「独り言を言う」などの行動が見られる場合には、まず聴覚障害はないでしょう。しかし、音に対して「敏感すぎる」という意味で「問題」が生じていることはたしかでしょう。「聞こえすぎる」ということは、「うるさい」ということですから、結果として「聞こうとしない」「聞こえない」ということと同じです。聴覚障害がある場合でも、「うるさい」ということがあります。音の聞こえ方は、周波数によって異なりますので、125ヘルツは0デシベルであっても4000ヘルツが90デシベルといった場合には、音は聞こえるが「はっきり聞こえない」という状態が生じます。音を大きくしても、はっきり聞こえるようにはなりません。そんな時は「うるさい」「聞こうとしない」「聞こえない」という結果になるでしょう。
 音の大きさには「快適レベル」があります。言葉や音楽を聴くときに、最も「心地よい」大きさという意味です。それは、聞こえ始めた最も小さい音より40デシベル大きい音、といわれています。したがって、聴力が0デシベル(正常)の場合には、40デシベルが「快適レベル」です。では聴力が80デシベル(聴覚障害)の場合はどうでしょうか。計算上は120デシベルということになりますが、実際は違います。90デシベルを超えると「痛覚レベル」といって、音を「痛い」と感じてしまうのです。「痛覚レベル」は、聴覚障害があってもなくても、同じといわれています。正常な場合には、0デシベルから90デシベルまでの大きさを「痛くなく」聞き分けることができますが、80デシベル以上の聴覚障害がある場合、「聞こえ始めた音」を10デシベル大きくしただけで、「痛い」と感じてしまうかもしれません。つまり、聞き分けられる音の大きさの幅が狭いのです。極端な場合には、「聞こえ始めたときはもう痛い」ということだってあるかもしれないのです。 
 聴覚障害の実態を的確に把握するということは、まず第一に、聴力(「感度」)を正確に測定するということです。第二に、「快適レベル」の大きさ、聞き分けられる音の大きさの幅を、正確に把握するということです。そのために、指導者は、「聴力検査」の技術を身につけなければなりません。前述したように、「聴力検査」は、相手に「反応してもらう」(反射・反応・条件付け)ことを前提としますので、相互の信頼関係が不可欠であり、検査者には、相手との豊かなコミュニケーション能力や、細心の観察力・洞察力が要求されます。いわば、「音」を媒介として、相手と「心のキャッチボール」をすることですから、「検査をしてやる」というような態度で接すると、正確な結果は得られないでしょう。その技術を習得するためには、数多くの経験を積み重ねることが大切だと思います。 私の場合、毎年、校内の「定期健康診断」の時に、全校児童の「聴力検査」(選別検査)を行いました。それが、たいへん役に立ったと思っています。(つづく)
聴覚検査の実際 改訂3版聴覚検査の実際 改訂3版
(2009/11)
不明

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《「聞く力」を育てるために》・2・「弁別力」

2 弁別力
 その2は、「弁別力」であります。「音を聞き分ける」ということです。「感度」が正常であっても、「弁別力」には個人差があります。「弁別力」は、周囲の様々な音を聞き、それらの「差異」を聞き分け、分類する能力ですから、生まれつき備わっているものではなく、生後の「学習」によって身につくものです。前にも述べましたが、「日本語を聞き分けられても、英語は聞き分けられない」という私の実態がそれを証明しています。私には「英語を聞き分ける」という学習が不十分だったのです。その結果、私の英語の「弁別力」は、ほとんど身についていません。
 さて、私たちは、まず「音」を「全体のまとまり」として、おおざっぱに「聞き分け」ます。まだ歩けない赤ちゃんは、耳だけが頼りです。「オルゴールの音」「チャイムの音」「掃除機の音」「足音」「お母さんの声」等々、生活の中で聞こえる音で周囲の物事を理解します。目が見えるようになると、「音がした方を見る」(キョロキョロする)という行動が目立ちます。「詮索反応」といいます。はじめは、物珍しいので、様々な音がするたびにそちらを見ますが、数ヶ月もすると、特別な音だけにしか興味を示さなくなります。音を聞くだけで、今、どんなことが起きているか「想像」できるようになるからです。  「弁別力」の第一段階は、「音」を聞いて、その意味を理解するようになるということです。言い換えれば、「音の世界」の中で生活できるようになり、そのことを通して、他人との「つながり」(音の意味を共有する)が生まれるようになるともいえるでしょう。 「弁別力」の第二段階は、今述べた、「特別な音」にだけ興味を示すようになるということです。では、特別な音とは何でしょうか。それは「人間の声」です。「人間の声」は、私たちの生活にとって、必要不可欠なものであることに気づきます。「お母さんの声」「お父さんの声」「兄弟の声」、それらは他の音に比べて一定ではありません。その時々によって、微妙に変化するのです。ただ「発声」しているのではなく、ことばを話している(「発語」している)からです。                             お母さんの「同じ声」でも、「マンマ」「ネンネ」は違います。その違いを聞き分けられるかどうか。さらに、その「マンマ」「ネンネ」という音は、お父さんの「違う声」でも「同じ」だと判断できるかどうか。
 「弁別力」の第三段階は、声の「異同」にかかわりなく、「マンマ」「ネンネ」という語音が「同じ」であることを理解できるということです。音響学的には、お母さんの「マンマ」と、お父さんの「マンマ」は全く違います。しかし、それが「同じ」であると判断できる(概念認知)ことによって、はじめて「ことばを聞き分ける」ことができるようになるのです。 
 「弁別力」の第四段階は、「音」を「全体のまとまり」としてではなく、「一音」「一音」に分析し、その「異同」を聞き分けられるようになるということです。「マンマ」「ネンネ」の「マ」と「ネ」は違う音だが、「ン」は同じである、というように。
 この「弁別力」を測定するために、「語音聴力検査」という方法があります。テープから聞こえてくる「ア」「キ」「シ」「タ」「ニ」・・・というような音(単音)を「一音」ずつ聞いて、それを筆記する検査です。音の大きさは「快適レベル」で行い、正答率が何パーセントであったかを測ります。正常である場合、40デシベルで100%ということになります。聴覚障害は、医学的には「伝音性難聴」と「感音性難聴」(混合性難聴)に分類されますが、「感音性難聴」の場合は、「快適レベル」であっても「キ」「シ」「チ」などの子音部を聞き分けることは困難であり、100%正しく聞き分けることはむずかしいでしょう。特に、各周波数の聴力に大きな差がある場合(高音急墜型など)には、不可能であることを理解する必要があります。一方、「伝音性難聴」の場合は、音を大きくするだけで「弁別力」が高まる可能性がありますので、「医学的所見」「オージオグラム」の結果を参考に、その実態を的確に把握することが大切です。
 昔は「聴能訓練」、今は「聴覚活用学習」といわれる内容は、この「弁別力」を養うことが目標とされていますが、その方法は専門的な知識と技術に裏打ちされたものでなければなりません。
まず、指導者自身が、相手の「聴力」「弁別力」の実態を理解し、つねに「快適レベル」で音を聞かせることができるかどうかが、問われます。最近では、補聴器が「耳かけ型」になり、「卓上補聴器」「定音圧訓練器」「聴力型聴能訓練器」などで、指導者が「音」を
モニターすることが少ないように見受けられますが、実際はどうなのでしょうか。指導者は、自分の声、教材として使われる音資材を、どのようにフィードバックしているのでしょうか。
 また、「聴覚活用学習」には、トレーニングの要素が含まれます。一定の教材を、繰り返し学習することが原則になります。そのためには、オープンリールの「テープレコーダー」は、不可欠の機器だと思われますが、今は市販されていないようです。各教室では、どのように調達されていますか。
 さて、「弁別力」を養うための「聴覚活用学習」は、どのように進めればよいでしょうか。まずはじめに、「耳を使う」という意識を養うことが大切です。今、「音がしているかどうか」を聞き分ける学習に、「いす取りゲーム」があります。音楽に合わせて歩き、音が止まったら、いすに座るというルールですが、聴覚障害がある子どもでも「ある程度までは」勝ち残ることができます。よく行動を観察すると、その子は、音を聞いていなくても、いすに座ることができます。他の子どもがいすに座ったら、自分も座ればよいからです。しかし、最後の二人になったときは、勝ち残れないでしょう。その子は、他の子の行動を「見る」だけで、音を聞いてはいないからです。「耳を使って」はいないからです。聴覚障害があれば、その代償手段として「目を使う」ことは当然です。その結果、生活の中で「視覚依存」の行動パターンが身についてしまっているのです。教室の中で、「よく聞こえるように」「よく集中するように」と座席を最前列にすることはありませんか。しかし、「後ろを振り向く」「キョロキョロする」など、かえって落ち着きがなくなる場合があります。その子の「情報収集」は、「見る」ことに重点がおかれているからです。
 「耳を使う」という意識を養うことは、「視覚依存」の行動パターンを打破することです。そのためには、「見せないで聞かせる」という方法が有効的だと考えられますが、その子にとっては、かなりの「苦痛」(ストレス、フラストレーション)が生じることを留意しなければなりません。それを軽減するためには、最初は「見せながら聞かせる」「聞かせてから見せる」「見せないで聞かせる」というステップを組むことが大切だと思います。「耳を使う」ことが、「楽しい結果」「喜び」につながるような工夫が必要です。
 つぎに、「聞き分ける音」の内容を整理します。
第一段階は、「音を聞いてその意味を理解する」ことです。様々な生活音(電話・チャイム・掃除機など)、雷、風、雨、波などの自然音、電車、飛行機、自動車、警笛など乗物の音、動物の鳴き声などを聞いて、それに該当する「写真」「絵カード」とマッチングする、といった活動が考えられます。
 第二段階は、「人間の声を聞いて、誰の声かを理解する」ことです。周囲の物音の中で、「人間の声」に「特別な関心」をもつようになれば、その声を聞いただけで、その人の顔が目に浮かぶようになります。母、父、兄弟姉妹、祖母、祖父などの家族の声、先生、友だち、「大人」「子ども」「男」「女」「店員」「アナウンサー」「外国人」等々の「声」を聞いて、それに該当する「写真」「絵カードとマッチングする、といった活動が考えられます。
 第三段階は、「ことばを聞いて、その意味を理解すること」です。前段階で、誰が話しているかを聞き分けられるようになりました。次は「何について、どんなことを話しているか」、その意味を理解するようになります。周囲の人は、当初、「聞き分けやすいことば」で話しかけます。「マンマ」「ワンワン」「ネンネ」「パンパン」「ブーブ」など、音が「繰り返し」含まれていることばで話しかけます。この段階は、母国語(言語)の学習において、きわめて重要な意味があると思います。音声に「意味」があることを理解する段階だからです。物音は、その事物を表すだけで、それ以上の意味はありません。私たちは犬の鳴き声を聞いて、そこに犬がいることを理解します。それは、具体的な事物を、具体的に理解する段階です。しかし、「ワンワン」という人間の音声を聞いたとき、そこに人間がいる(人間が話している)という具体的な事実を理解すると同時に、その人の頭の中には「犬」が思い浮かべられているという「想像」(イメージ)を「抽象的」に理解するのです。つまり、「聞く」「見る」という活動の対象が、具体的な物から抽象的な物へと広がります。言い換えれば、「見えない物を見る」(想像する)という段階です。「ワンワン」という人間の音声は、犬の鳴き声ではありません。にもかかわらず、その音声を通して、私たちは犬の鳴き声を思い浮かべ、犬の姿を見る(想像する)ことができるのです。視覚的な学習においては、実物、写真、絵、略画(記号)、文字というように、その対象が「抽象化」されていきます。同様に、聴覚的な学習においても、物音、声、単語(「擬音語」「擬声語」、「名詞」「動詞」「形容詞」)、句、文というように、その対象が「抽象化」されていくのだと思います。この段階は、「聞く」ことを通して、抽象的な学習が始まる「第一歩」の段階であり、だからこそ、きわめて重要な意味をもつと考えられます。「ワンワン」という擬声語を聞いて「犬」を想像できるということは、その子が、将来にわたって「ことば」を身につけることができるだろう、という可能性を証明することになるのです。
 さて、聴覚障害がある子どもに、この「第三段階」の学習を行う場合、どのような点に留意することが大切でしょうか。 
 はじめは、「楽器」「動物の鳴き声」などの「擬音語」「擬声語」を聞き分ける活動が有効的だと思われます。                              
<ステップ・1>
 タイコ、ラッパ、スズを目の前に置き、指導者が音を出して「見せ」ます。指導者が鳴らした楽器を「見て」、子どもも鳴らします(模倣)。どの楽器が、どんな音を出すかがわかった段階で、両者の間に衝立を置き、お互いの動きが「見えない」ようにします。指導者が、衝立の陰から、一つの楽器の音を出して「聞かせ」ます。子どもはこちらをのぞき込むかもしれません。そのときは、十分に見せる必要があります。もし、のぞき込まなくても、同じ音を鳴らせるようであれば、「楽器音を聞き分ける」ことができたのです。お互いの楽器を見せ合い「できたこと」を喜び合いましょう。次に、役割を交代します。子どもが楽器を鳴らし、指導者がその模倣をします。たまには、指導者が「わざと間違えて」、その子の「正誤弁別力」をたしかめる工夫も必要でしょう。学習の主人公は、子ども自身であることを確認するためです。
<ステップ・2> 
 指導者は、タイコ、スズを鳴らして「見せながら」、「トントン」「シャンシャン」という「擬音語」を「聞かせ」ます。ラッパは、楽器を見せながら「プップー」という「擬音語」を聞かせます。できるようになったら、ステップ・1と同様に、衝立をはさんで「模倣」をし合います。
 大切なことは、楽器の音ではなく「擬音語」を聞き分けられるようにすることです。はじめは楽器音→「擬音語」、次に「同時」、さらに「擬音語」→「楽器音」、最後に「擬音語」だけ、というように「聞かせる音」をきめ細かに「変化」させていく必要があります。
役割を交代したとき、子どもが自然に「擬音語」を発したとすれば、大成功です。もし、子どもが「楽器音」だけ鳴らしたとしても、それはそれでよいのです。「正しい反応」を要求し過ぎたり、できるようになったことをいつまでも続けていると、子どもの意欲が低下します。15分以内の活動内容を計画しましょう。「擬音語」だけで聞き分けられるようになったら、次のステップに進みます。
<ステップ・3>
 指導者は、「トントン・タイコ」「シャンシャン・スズ」「プップー・ラッパ」というように、「擬音語」のあとに「名詞」を「聞かせ」ます。 
 大切なことは、「擬音語」ではなく、「名詞」を聞き分けられるようにすることです。
徐々に「タイコ・トントン」「スズ・シャンシャン」「ラッパ・プップー」というように、「名詞」→「擬音語」の順に「聞かせ」、「名詞」だけでも「聞き分けられる」ようにします。つまり、「タイコ」「スズ」「ラッパ」という「語音」を「まとまり」(全体)として、聞き分けられるようにすることです。そのとき留意しなければならないことは、子どもの「聴力」の実態です。指導者は、その子どもが、それらの「語音」をどのように聞いているか、いつも念頭においておかなければなりません。聴覚障害がある場合、「語音」の「子音部」を聞き分けることは困難でしょう。しかし、「音節数」や「母音部」は「聞き分けられ」る可能性が高いと思います。「タイコ」は「アイオ」、「スズ」は「ウウ」、「ラッパ」は「アッア」というように聞こえていたとすれば、その「母音部」の違いを聞き分けることが、大きな「手がかり」になると思います。また、「アイオ」と「ウウ」では、はっきりと「音節数」が違うので、「聞き分けやすい」と思います。したがって、指導者は、それらの「違い」を子どもが「はっきり」と聞き分けられるように、「聞かせ方」(話し方)を訓練する必要があるでしょう。
 「動物の鳴き声」においても、「ワンワン」「モーモー」「コケコッコー」などの「擬声語」から「犬」「牛」「鶏」などの「名詞」を聞き分ける活動が考えられますので、皆さんで工夫してみてください。
 「名詞」を聞き分けられるようになった
ら、そのレパートリーを増やし、「聞く」という活動に対する「自信」を高めることが大切です。身の回りの生活用品、乗り物、食べ物、動物、植物、場所、建物、自然現象等々、数多くの「写真」「絵カード」が市販されています。それらを使って「名詞」を聞き分ける学習を「繰り返し」行うことが「弁別力」を高めます。「名詞」のレパートリーが増えてきたら、「動詞」「形容詞」も聞き分けられるようにしたいと思います。最近では「絵カード」ではなく、「動画」を使ったPC学習ソフトも開発されています。(例・『ことばの玉手箱』IBM)「音教材」としては改善の余地がありますが、工夫すれば有効的に活用できると思います。また、英語の学習教材としてCD、テープ付きの「絵カード」も市販されています。(例・『英語カード』くもん、『英語カルタ』研究社)これらは、「聞かせる」音声言語が、「単語」から「句」「文」へとステップ化されており、学習プログラムを計画するときの参考になると思います。
 以上、「音声言語」を一定の「まとまり」(全体)として聞き分ける活動について説明しました。 
 さて、第四段階は、「ア」「キ」「シ」「タ」「ニ」など、語音を「一音」ずつ「聞き分ける」ことです。この段階は、語音を「一瞬に」聞き分ける弁別力が必要であり、聴覚障害がある子どもにとっては、最も「困難」な活動だと思われます。私たちでも、英語の「R」と「L」を聞き分けることは容易ではありません。同様に、「シ」と「チ」「キ」を聞き分けることは、まず「不可能」と思った方がよいでしょう。前に述べた「語音弁別力」は、この能力を測定することですが、快適レベルで50パーセントの弁別能力があれば、かなりの音声言語を聞き分けられ、生活の中で「耳を使う」ことが可能だと思われます。
 日本語の音韻体系の特徴は、「等時的拍音形式」(時枝誠記)といって、そのリズムにあります。日本語の単語は「一音」「一音」の「長さ」が一定であることが原則です。「カラス」「ネコ」「スベリダイ」という単語の「一音」「一音」の長さは一定(直音)で、しかも、その「一音」「一音」を「一文字」で表すという特徴があります。(例外は、「長音」「促音」「拗音」「拗長音」などで、「東京」は「長音+拗長音」の「二音節」、文字は「トウキョウ」の「五文字」で表します。)「カラス」を「カーラス」「カラース」などと発音すれば、とたんに「日本語」ではなくなってしまうのです。いわゆる「外来語」は、外国語の音韻体系を日本語の音韻体系に「変換」したものであり、「バナナ」と言っただけでは、通じないかもしれません。
 日本語の音韻体系が「等時的拍音形式」であるということは、「聞き分ける」活動にとっては「わかりやすい」利点があると思います。「あ」という文字は、つねに「ア」という語音と対応しているからです。(英語の「a」は、その時々によって「ア」と読んだり「エイ」と読んだりしなければなりません。)
 語音を「一音」ずつ「聞き分ける」には、「木」「目」「歯」「毛」「手」など、一音節の単語を聞き分ける活動があります。しかし、今述べたように、それはたいへん「むずかしい」活動であることを、指導者は銘記することが大切です。また、そのためには「文字」という媒体が不可欠であり、まだ文字を習得していない段階では、困難な活動だと思います。(つづく)
きこえない子の心・ことば・家族きこえない子の心・ことば・家族
(2004/10/29)
河崎 佳子

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《「聞く力」を育てるために》・3・「記銘力」

3 記銘力
 その3は、「記銘力」であります。特に、音声言語を聞いて、音の数や、その意味をいくつまで「憶えられるか」という能力です。知能検査には、「数の復唱」という課題があります。こちらが「3・5・8・4・2」などと言って、その通りに復唱させる検査ですが、それは「聞いて憶える能力」を測定しています。かつて国語の教科書(小学校1年生)には、五つの単語を「聞いて憶える」内容がありました。したがって、6歳児の「記銘力」は「5」が標準だと考えられます。私たち「成人」でも「7」程度が限界だと思われます。(電話番号で試してみてください)聴覚障害がある場合、「音」をはっきりと聞き分けられないので、「聞いて憶え」ようとする意欲が低下し、結果として「記銘力」も身につかないということが考えられます。「よく聞こえなければ憶えられない」ことは当然と思います。その子の「快適レベル」で音を聞かせることが大前提になります。
 では、「記銘力」を育てる学習活動は、どのように進めればよいでしょうか。
① 単語を聞いて、それに該当する「絵カード」を拾う。
単語は、すでに「聞き分けられる」ものを5個程度選びます。子どもの前にその「絵カード」を並べ、指導者は「1語」を言います。子どもが、それに該当する「絵カード」を拾えれば、記銘力は「1」ということになります。同様に、「2語」「3語」「4語」ずつ言い、子どもの反応を観察します。指導者が「言い終わってから」拾うことが原則ですが、まだ言い終わらないうちに拾おうとする子どもがいます。また、言った順番を無視して拾おうとする子どももいます。さらに、最後の「1語」だけ聞いて、それを拾おうとする子もいます。そんな場合は、まだ「聞いて憶える」自信がないと思われます。
 記銘力が「1」と「2」では、子どもの気持ちに「大きな差」があります。「1」の段階では、相手に応じることで「精一杯」であり、考える「余裕」がありません。自信がない、落ち着きがない、表情がこわばる、などの行動が目立つでしょう。しかし、「2」になると、「聞こう」とする態度が確立し、自分から指導者に「注目」するようになります。「3」以上になると、「自信」が高まり、「やりとり」を楽しめるようになるでしょう。
したがって、この活動では、「記銘力」を「1」から「2」へと高めることがポイントになります。どうすればよいでしょうか。
 指導者は「1語」を言います。子どもが、それに該当する「絵カード」を「拾い終わらないうちに」、「2語目」を言います。子どもの頭の中は「1語目」のイメージでいっぱいになっているでしょう。そのときに「2語目」(新しいイメージ)を「添加」する必要があるのです。当初は「エッ、何?」ととまどうかもしれません。そのときは、もう一度確実に「聞かせれば」よいのです。そのことを繰り返しながら、聞き返すことがなくなることを「待ち続ける」ことが大切だと思います。できるようになったら、指導者は、両手を出して「2語ずつ」言います。子どもに「絵カード」を2枚拾う活動であることを知らせるためです。それもできるようになったら、役割を交代します。子どもが「2語ずつ」言い、指導者が拾います。同様にして、「3語ずつ」「4語ずつ」というように活動をステップアップしてください。
② 鍵盤ハーモニカの「探り弾き」をする。
 鍵盤ハーモニカを2台用意します。はじめに、指導者は、鍵盤を見せ「ドレミ」「ミレド」「ドドド」など「3音」のメロディーを「聞かせ」ます。子どもは、それを「見て」、模倣します。スムーズに模倣できるようだったら、「ドレミファソ」「ソファミレド」「ドレミレド」「ミレドレミ」など「5音」に増やします。(音楽の学習ではありませんので、「指使い」は自由にします)
 「3音」の模倣がスムーズにできないような場合は、1台の鍵盤ハーモニカで「楽しく」遊びます。指導者が「吹く」、子どもが「鍵盤を押す」、子どもが「吹く」、指導者が「鍵盤を押す」というように役割を交代して、その「音」に慣れ親しむことが大切です。指導者が「吹き」、子どもと一緒に「鍵盤を押す」(演奏する)、指導者が「伴奏」して、子どもが「歌う」などという活動を繰り返しながら、「自信」「意欲」を高めましょう。
 「3音」の模倣ができるようになったら、指導者と子どもの間に衝立を置き、「音」だけを聞いて「模倣」(探り弾き)ができるようにします。「5音」までできるようになったら、「かえるの歌」「チューリップ」など簡単な童謡を演奏できるようになると思います。
 音楽のメロディーは、「弁別力」「記銘力」を養うためには恰好の教材だと思います。逆に言えば、音楽が好きで、歌える歌があるという子どもには、「弁別力」「記銘力」が十分に備わっているということもできます。
③ 「ことわざ」「俳句」を憶える。
 現在、「ことわざ」「俳句」のカードが、数多く市販されています。(例・くもん、CD付きの学習参考書など)それらを使って、「ことわざ」や「俳句」に「親しむ」ことは、「記銘力」を高めるのに大いに役立つでしょう。カルタ取りのように、「ことわざ」「俳句」を聞いて「絵カード」を拾う。「ことわざ」「俳句」の上の句を聞いて、「絵カード」を拾う。「絵カード」を見て、「ことわざ」「俳句」を言う。上の句を聞いて、下の句を言う。そのような活動を、指導者と子どもが「役割交代」しながら、「楽しく」繰り返すことが大切だと思います。
 昔、「俳句カルタ」という優れた教材がありました。それは「百人一首」のように、「絵カード」と「字カード」があります。「絵カード」の裏には、下の句の字が書かれています。どんな点が優れているかというと、たとえば、「赤い椿白い椿と落ちにけり」という句では、「絵カード」には、その句の情景が描かれています。文字は何も書かれていません。しかし裏を見ると「落ちにけり」という字が書かれています。「字カード」には「赤い椿白い椿と落ちにけり」と書かれています。同様に、「夕立や家めぐりて鳴くあひる」「静かさや岩にしみいる蝉の声」「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」などの句がありました。それらの「絵カード」を並べて、俳句を聞かせると、子どもたちは何の苦もなく、該当の「絵カード」を拾うことができました。句全部を聞き分けられなくても、「赤い」「白い」「家」「あひる」「蝉」「柿」などということばを「部分的」に聞き取れれば、正答できるからです。無理な場合には、「赤」「白」「あひる」「蝉」「柿」などといって、「絵カード」を拾わせればよいわけです。文字が読める子の場合には、「絵カード」を裏返して、下の句の字と「字カード」を見比べて、正誤を判断することができます。私は、まず「絵カード」を裏返しにして、下の句を聞かせ、該当するカードを裏返して「絵」で確認し、さらに下の句を聞かせて、裏の字で確認するという方法を繰り返しました。下の句を憶えたら、「絵カード」を並べ、上の句だけ読んで、「絵カード」を裏返し、下の句を字で確認します。大切なことは、結果の正誤を子ども自身が「判断」することだと思います。そんな活動を行うには恰好の教材だったと思います。
④ 「ひらがな五十音」「かけ算九九」を暗誦する。
 いずれも「表」を見ながら、「復唱音読」「同時音読」を繰り返し、「行」「列」「段」ごとに暗誦できるようにすることで、「記銘力」を養うことができます。
 「記銘力」は、俗に「ものおぼえ」といわれる能力で、「個人差」があります。現在、いくつの情報を頭の中に貯めておけるか、指導者は子どもの実態を的確に把握しておかなければなりません。いわゆる「学習障害児」(LD)などと呼ばれる子どもの「問題」には、「記銘力」が足りないために生じている支障が少なくないと思われます。「落ち着きがない」「話を最後まで聞こうとしない」「早合点する」「聞き誤りが多い」といった「問題」の大きな要因として「記銘力」の不足がないかどうか、見極めることが大切だと思います。(つづく)
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《「聞く力」を育てるために》・4・「分析力」

4 分析力
 その4は「分析力」であります。前にも述べたように、私たちは「音」を「時間」の中で「全体」として「感じ取り」ます。しかし、その「音」には「長短」の違いがあります。「全体」としては1語であっても、「ネコ」は2音、「カラス」は3音、「スベリダイ」は5音というように。つまり、その単語が「いくつの音で作られているか」、それを理解する能力が「分析力」です。日本語の音韻体系は「等時的拍音形式」にもとづいていますので、単語を分析することは、それほどむずかしくありません。昔の子どもは、じゃんけん遊びで「グリコ」「パイナツプル」「チヨコレエト」などと、外来語を「等時的拍音形式」化して遊びました。「しりとり遊び」も、単語を分析し、語尾の音が何であるかを見つけなければなりません。「分析力」を必要としています。
 そして、最も大切なことは、この「分析力」は「かな文字」の学習にとって必要不可欠な能力だということです。「かな文字」は表音文字であり、意味を表していません。意味のある「単語」を「一音」「一音」に分析し、それに対応する視覚記号として「かな文字」が作られました。「一音」も「かな文字」も、きわめて「抽象的」な存在です。したがって、具体的なことを具体的に理解する段階では、「一音」は「声」、「かな文字」は「インクのシミ」でしかありません。「語音」(声)を分析し、それを「かな文字」に結びつけて理解することは、「抽象的」な学習であり、「弁別力」「記銘力」が不十分な場合には、「相当むずかしい」学習であることを、指導者は銘記する必要があるでしょう。
 「分析力」を養う学習としては、どのような活動があるでしょうか。
① 「単語」の「音節数」を数える。
「目」「ネコ」「カラス」「手袋」「スベリダイ」などの「絵カード」を用意し、その裏に「・」「・・」「・・・」「・・・・」「・・・・・」という数図を描く。「目」「ネコ」の「数図」の方を見せながら、「メ」「ネコ」と言って、該当するカードを裏返し、「絵」で確認する。できたら、「カラス」「手袋」「スベリダイ」というように音節数の多い「絵カード」を増やしていく。「絵カード」を見せて、「数図」を書かせる。
② 「しりとり遊び」をする。
スムーズにできない場合は、指導者が一人で行い、子どもはそれを聞いて「楽しんだり」「復唱」することから始めましょう。
③ 「絵カード」を見て、「かな文字」を並べる。
「目」には「め」、「ネコ」は「ね」「こ」、「カラス」は「か」「ら」「す」というように、並べることを繰り返します。「絵」は「食べ物」「乗り物」「動物」など、子どもが大好きな物を選ぶことが効果的だと思います。
④ 「ひらがな五十音」の「かな文字」を見分ける。
大切なことは、まず「形の違い」を見分け、同じ文字を「分類」することです。(いきなり、文字を見せて「読ませよう」とすると、子どもは自信・意欲をなくすおそれがあります)「し」「つ」「く」「へ」や「あ」「お」、「わ」「「ね」「れ」、「は」「ほ」などは「見分けにくい」ので、性急に正答を求めないように留意する必要があります。(ハングル、点字などを一回で見分けることは、私たちでも困難でしょう)子どもが、同じ文字を「分類」しようとするとき、指導者は「それとなく」その音を「つぶやくように」聞かせます。その音を、子どもは聞いているでしょうか。もし、「復唱」するようであれば、活動は順調に展開していることになります。
⑤ 「かな文字」を「音読」する。
「かな文字」の「一つ」でかまいません。子どもは、自分の好きな「文字」から読み始めます。よく目にする「文字」、特徴的な形の「文字」から読み始めます。最近では、五十音表のボードにある「一文字」を押すと、その「音」が出る玩具が市販されています。PC学習ソフト「ことばの玉手箱」(IBM)にも、「文字」をクリックすると「音」が出るという内容があります。その「音」を聞き分けられる子どもであれば、有効的に活用できるでしょう。「文字カード」を見せ、その通りにボードのキーを押すと、ボードが「音読」してくれることになります。
⑥ 「単語カード」の空白を埋める。
 「か○す」「た○ご」「た○こ」「さか○」「○くえ」などの「文字カード」を見て、空白の文字を埋める活動です。「絵」を見たり、音声言語を聞いたりしながら、単語の「語音」を分析して、その中の「一音」を「聞き出す」(抽出)能力が必要です。「絵」を見なくても、音声言語を聞かなくても埋められるようになれば、そのことばが「音韻」として頭の中に貯えられているといえるでしょう。
⑦ 「文カード」の空白を埋める。
 「はな○さく」「りんご○たべる」「うみ○ひろい」「おに○め○○なみだ」「なのはな○つき○ひがし○ひ○にし○」などの「文字カード」を見て、空白の文字を埋める活動です。文の中の助詞、助動詞を的確に聞き取り、文の意味を正しく理解することが大切です。できるようになったら、その「文カード」を「音読」する活動も必要です。後で述べる、「構成力」を養う活動に直結するからです。(つづく)
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《「聞く力」を育てるために》・5・統合力

5 統合力
 その5は「統合力」であります。語音を「一音」ずつバラバラに聞いて、それらを「一語」に「まとめて」理解する能力です。「ツ」「ク」「エ」という音を二秒間隔で聞き、「机」という単語が浮かんでくるでしょうか。「統合力」は、「音」を一定時間、頭の中に記憶しなければなりませんので「記銘力」を土台にしています。また、「統合力」は、「単語」「文」「文章」を「音読」するために必要不可欠な能力でもあります。文字を読み始めの子どもは、「カ・ラ・ス」というように「一文字」ずつ「拾い読み」し、その自分の声を聞いて(フィードバックして)、もう一度「カラス」と「まとめ読み」をします。この「拾い読み」から「まとめ読み」への段階で「統合力」が必要とされるのです。小学校低学年で「音読」を始め、徐々に「微音読」に移行し、中学年から「黙読」をさせるという指導のステップは、この「統合力」の発達段階を踏まえて作られているのだと思います。
 文章を「黙読」するとき、私たちは「文字」を通して「音」を聞いているのです。(私は英語の文章を「音読」も「黙読」もできません。なぜなら、その「音」が聞こえてこないからです)
 さて、「統合力」を養うために、どのような活動があるでしょうか。
① 「反対ことば遊び」をする。
聞き分けられる「絵カード」を数枚並べ、たとえば、「コ・ネ」と言います。「ネコ」の「絵カード」を拾うことができるでしょうか。同様に、「ナ・カ・サ」、「ロ・ク・ブ・テ」等々。俗に「隠語」といわれるものに、その表現方法は使われています。昔、「てぶくろの反対、ナーンダ?」といわれ、「ロクブテ」と答えると、6回ぶたれたような遊びをしたことを思い出します。
② 「しりとり遊び」をする。
「しりとり遊び」は、語尾の音を聞き出すために「分析力」を必要としますが、それを語頭にして次のことばを思い浮かべるためには「統合力」を必要とします。「一音」を手がかりに、「単語」を想起するのです。他に「『あ』のつくことばはナーンダ?」などという「なぞなぞ遊び」もあります。
③ 「単語カード」「文カード」を「音読」する。
今述べたように、「拾い読み」を繰り返しながら、少しずつ「まとめ読み」をできるようにすることが、重要なポイントになるでしょう。指導者は、子どもの「音読」の実態をテープなどに録音して的確に把握する必要があります。その「速度」「声の大きさ」「読み誤りの傾向」「構音の状態」などを、時間を追って記録しておくことが大切です。(つづく)
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《「聞く力」を育てるために》・6・構成力

6 構成力
 その6は「構成力」であります。単語や文の「一部」を聞いて、「全体」を「類推」する能力です。「音声言語」は、つねに「流動的」です。実際の場面では「言い誤り」「聞き取りにくさ」など「不完全」な情報になることは避けられません。そこで、その「不完全」を「補って聞く」能力が必要になりますが、それが「構成力」だといえましょう。
 「ITPA言語学習能力診断検査」には「文の構成」という内容があります。テープに「先生さようなら、みなさん○○○○○」という音声言語が録音されており、空白の部分が「聞き取りにくく」なっています。被検者は、その部分を想定して答えるわけです。
 この「構成力」は、すでに頭の中に相当量の「音韻体系」(内言語)が貯えられていることを前提としています。つまり、この「構成力」も「記銘力」を土台としているのです。 私たちの日常会話は、この「構成力」を土台にして成り立っています。「最近どうですか?」「ええ、まあまあです」「そうですか、それは何よりです」などというやりとりは、日常茶飯事です。意味としては全く不明ですが、お互いに「意味」の部分は省略し合って、「気持ち」だけを交流しているのでしょう。つまり、「一を聞いて十を知る」ような能力が必要とされるのです。会話の上手な人、下手な人の違いは、「構成力」の違いだと言っても過言ではないでしょう。
 では、「構成力」を養うために、どのような活動があるでしょうか。
① 「文カード」の空白を埋める。
「分析力」を養う活動でも述べましたが、文の中の助詞や助動詞を的確に聞き取り、音を「補って」理解する活動です。「たばこ」「たまご」「たなご」は音韻的には大変「似通って」おり「弁別」しにくい単語です。しかし、「○○○をすう」「○○○をゆでる」「○○○がおよぐ」という文の中では、どの空白に埋まるかはっきりするでしょう。聞き取りにくい単語は、文脈の中で考えながら「聞く」ことが大切になります。(そのためには、知っていることばの数を増やさなければなりません)
② 「絵カード」(単語)の「一音」を聞いて、拾う。
聞き分けられる「絵カード」を数枚並べ、指導者はその単語の語頭「一音」だけ言います。たとえば「カ」、子どもは語中・語尾の「ラ・ス」という音を「補って」(構成して)「鴉」の「絵カード」を拾うというように。
③ 「ことわざ」「俳句」の、上の句を聞いて、下の句を言う。
「絵カード」などを手がかりに、指導者が「鬼の目にも」と言い、子どもは「なみだ」と応えます。知っている(憶えた)「ことわざ」「俳句」を使って、「役割交代」しながら
「楽しく」繰り返すことが大切だと思います。また、「ITPA言語学習能力診断検査」には「ことばの類推」という内容があります。これは、「表象水準」の検査で、ことばの意味を手がかりにしなければならない(関係類推)ので、むずかしいかもしれませんが、徐々に挑戦してみてください。
④ 「日常会話」を楽しむ。
学習の場面では、どうしても正確な「ことばのやりとり」に心がけることが多く、「問い詰めたり」「正したり」することが多いように感じます。先ほども述べたように、「日常会話」とは、本来「楽しむ」ものであり、不完全な情報を、「勝手に」「補い合って」気持ちを交流することが大切だと思います。こちらが何も言わないのに、子どもの方から話しかけてくるようであれば、十分に「日常会話」を楽しんでいることになるでしょう。(つづく)
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《「聞く力」を育てるために》・7・聴解力

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7 聴解力
 さて、「聞く力」の最後の過程、その7は「聴解力」であります。「聴解力」は、これまで述べてきた「感度」「弁別力」「記銘力」「分析力」「統合力」「構成力」が総合化された能力だといえましょう。「音声言語」を聞いて、その意味(話し手の意図)を理解し、相手の考えや気持ちを「共感」できる能力です。「昔話」「放送劇」「落語」などを聞いて「楽しむ」(感動する)ことができれば、たしかな「聴解力」が身についているといえるでしょう。
 国語教育では、「読解力」といわれる「能力」が取りざたされますが、この「文章を読んで、その意味を理解する力」も、実は「聴解力」を土台にしていると考えられます。前にも述べましたが、文章を「読む」ということは、「文字の羅列」を目で追いながら、それを「音」に変換していくことです。その「音」を聞いて「意味」を理解することが「読解」に他なりません。極論すれば、「読む」ことは「聞く」ことです。「見る」ことではありません。視覚障害があっても、「点字」(触覚記号)という媒体を使えば「読む」ことができるのですから。
 では、その「聴解力」を養うために、どのような活動をすればよいでしょうか。
① 「単語」を「連続」して聞き、特定の「単語」を聞き出す。
聞き分けられる「絵カード」を数枚並べ、該当する「単語」だけ拾う。指導者は、「百人一首」の「空札読み」のように、「絵カード」とは無関係な「単語」を20語ほど「連続」して言い、その中に、並べられている「絵カード」の単語も「時折」混ぜます。子どもは、その単語を「聞き逃す」ことなく拾うことができるでしょうか。同様に、20語ほどの「単語」の中から、「食べ物」だけ、「動物」だけ、「乗り物」だけ、を聞き出して「書く」(メモする)という活動にも発展させることができます。
② 「文章」(童話・詩など)を聞いて、頭の中に残った(好きな)「単語」を書き出す。(メモする)
 「聞く」活動で大切なことは、「必要なこと」(要点)は何かを「考えながら」(ことばを「取捨選択」しながら)「聞く」ということです。「音声言語」は、「空気の振動」ですから、「形」が見えません。時間に沿って「流れるように」消え去ってしまいます。「文章」の全体を、すべて「記憶」することはできません。そこで「聞き流す」という方法が重要になります。膨大な「単語」の中から、必要なものだけを「聞き出す」ことが、上手な「聞き方」といえるでしょう。
③ 「文章」を「音読」する。
<ステップ1> 
 「文章」(文字の羅列)を「見せ」、指導者は「文節」(句読点)で区切りながら、ゆっくり「音読」(範読)します。子どもは、その「範読」に合わせて、文章を「指で」たどります。子どもの指の位置は、指導者の「範読」の場所と一致しているでしょうか。「範読」は、テープに録音し、指導者も子どもと一緒に「指で」たどる方法も考えられます。
<ステップ2>
同様にしながら、指導者は句読点まで「範読」し、そこまでを子どもは「復唱音読」します。指導者は、その活動の様子を必ずテープに録音して、「やりとり」「発声」「構音」「読み誤り」などの実態を的確に把握することが大切です。
<ステップ3>
 「文章」を見て、指導者と子どもが「同時音読」します。「語調」「スピード」「アクセント」など、指導者の「範読」と子どもの「音読」が「一致」するように、「楽しく」繰り返しましょう。
<ステップ4>
 「文章」を見て。指導者と子どもが句読点ごとに、「リレー音読」します。相手がどこまで読んだかを聞き取り、タイミングがずれないように、「呼吸を合わせて」繰り返すことが大切です。国語学習の「群読」に結びつけることができるでしょう。
<ステップ5>
 子どもは、「文章」を見て、単独で「音読」します。その様子は必ずテープに録音し、「変化」を「評価」することが大切です。
<ステップ6>
 「音読」できるようになった「文章」を「暗誦」します。「文章」を見なくても「音読」できるようになったら、指導者、保護者に向かって「発表」することもできます。「学習発表会」などを計画し、「自信」「意欲」を高めてください。
④ 「文章」の意味、内容、主題などについて考える。
 いわゆる「読解」という学習活動を行います。この活動を行うためには、子どもが「文章」をすらすらと「音読」できることが前提となります。<ステップ4・5>の段階になったら、併行して始めましょう。
「文章」の内容を理解するということは、「いつ」「どこで」「だれが」「どんな気持ちで(なぜ)」「どんな様子で(どのように)」「何をしたか」、いわゆる「5W1H」を明らかにすることですが、そのことを直接、子どもに「問いただそう」とすると、失敗します。まず、その「文章」を読んで、「どんなことがわかりましたか?」と、「問いかける」ことが大切です。(もし、答えられなければ、「文章」を「音読」(暗誦)できても、その意味は理解していないことがわかります。「では、わからないことはどんなことですか?」という問いかけにも答えられなかったとすれば、その「文章」は子どもにとって「むずかしすぎる」ということがわかります。指導者は、教材の選択を誤ったことを反省しなければならないでしょう。)幸いにも、子どもが「ももたろう」と答えたとします。指導者はどのように応じればよいでしょうか。「そう?ももたろうがでてきたの?」と、子どものことばを「復唱」しながら大きくうなずきましょう。大切なことは、「文書」の内容を「教える」のではなく、子どもが「文章」から読み取った内容を「教えてもらう」という、指導者の「姿勢」です。「教えてくれてありがとう」という気持ちです。大きくうなずいた後で、「もっと教えてください」という気持ちを込め、「それで?」と「問いかけ」、子どもの反応を待ちます。「ウーントネー、・・・おばあさん」などと答えてくれたら大成功です。「そう?おばあさんもでてきたの。それで?」「・・・おじいさん」「なるほど!おじいさんもでてきたんだね」指導者は、子どもの頭の中に「文章」の「だれが」という内容が「定着」していることを確認します。つい、「ももたろうは何をしたの?」「おばあさんは何をしたの?」などと「問いただしたい」気持ちになりますが、子どもの「答え」を限定すると、子どもの気持ちは「緊張」します。「自由」に、「間違ってもよい」という雰囲気の中で、「楽しく」やりとりすることが大切だと思います。一回目の活動は、登場人物を確認するだけで終わるかもしれません。それはそれでよいのです。子どもの中に、「もっと、たくさんのことを先生に教えてあげたい」という気持ちを育てることが、「自信」と「意欲」を高めるからです。そのようなやりとりの中で、時には「役割交代」しながら、「先生は、ももたろうは『鬼退治』に行ったったことがわかりました!」などと、「5W1H」に関する内容を伝えていくことが効果的でしょう。
 要するに、「文章」を読んで、いきなり「5W1H」を問いただすのではなく、「わかったこと」(要点)、「わからないこと」(疑問)、「思ったこと」(感想)、「おもしろかったこと」「考えたこと」等々、子どもの頭の中に浮かんだことを、「自由に」「のびのびと」表現することが「読解」のポイントではないでしょうか。

 これまで、「聞く力」とは何か、それを育てる活動はどうすればよいか、について述べてきましたが、おわかりいただけたでしょうか。「感度」から「聴解力」までの七つの過程は、指導過程ではありません。それぞれによって「難易度」が異なりますので、七つの過程、その内容を吟味し、子どもの「関心」「能力の実態」を考慮して「指導計画」(活動内容)を「組み立てる」(組み合わせる)ことが大切だと思います。指導者としての実力(「知識」「技術」)が問われることになります。(つづく)



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《「聞く力」を育てるために》・おわりに・「いくつかの留意点」

おわりに

最後に、いくつかの留意点を話したいと思います。
 ① 指導者は、自分の「声」が、子どもにとって「最も聞きやすい音」であるかどうか、つねに「確認」していなければなりません。私は、当初、指導の場面で「よーく、聞いてください」ということばを、何回も繰り返していました。それを見た、ある校長先生が、「そういわなくても、よーく聞くようにならなければ、指導とはいえない」と助言してくださいました。全く、そのとおりだと思います。指導者は、今、自分が発した声が子どもに聞こえたか、ことばとして伝わったかを「瞬時」に判断できなければならないと思います。そのためには、子どもの「表情」を見逃さないことが大切です。「聞こえたとき」「伝わったとき」、「表情」(特に目)が輝きます。自分の「声」は、聴力検査の「検査音」であり、また何よりも重要な「教材」であることを銘記する必要があるでしょう。
② 学習場面で、子どもが「あくび」をすることがあります。そんな時は、ただちに、その活動は中止しましょう。指導者の「負け」です。子どもの「責任」ではありません。「つかれた」「つまらない」「わからない」「よく聞こえない」、いずれにせよ、学習の「効果」は全く期待できません。指導者には「計画通りやらなければならない」という気持ちがあるので、「もうすこしだから、がんばってやろうね、我慢も、勉強のうち」などと強行することもありますが、自己満足にすぎないことを銘記する必要があるでしょう。
③ 聴覚障害がある場合、「聞く」ことに「集中持続できない」ことは当然です。しかし、そのことが「見る」ことにも影響を及ぼしている場合があるので、注意が必要です。私が出会った、ある子ども、小学校5年生の時、は次のような作文を書いています。
<きょう、私は知った。何を知ったのだろうか。それは「I子」という人間のことだ。I子という人間はとっても考え深い人だ。なぜわかったかというと、この前、先生がI子さんへの手紙があるでしょう。あれをI子さんは、今でもよんでいるんです。 そのよみ方に私は感心したんです。I子さんのよみ方は、一字一字よむごとにじっくり考えて先生の気持ちやみんなの気持ちをしろうとしているのです。私のよみ方はただ童話をよむときと同じようにぺらぺらとよむだけで「あ、わかった」というだけだ。それなのにI子さんはその二十倍も百倍もしろうとしている。そのI子さんのしんけんなしりたがり屋に感心してしまった。みならおう!I子さんのいいところを.。>
この子どもは、聴力90デシベル以上の「高度難聴」のため、相手の話を「読話」で理解しなければなりませんでした。「読話」は、唇の動きを「見続け」、その意味を「瞬時」に判断する活動ですが、「文章」を読むときにも「読話」の方法で「文字の羅列」をたどっていることが窺われます。「ぺらぺらとよむだけ」であり、場合によっては、「斜め読み」になっているかもしれません。
はじめにも述べましたが、「視覚依存」の学習パターンは、「見る」活動そのものを「おろそか」にするおそれがあります。
今回は触れませんでしたが、「見る力」にも、「感度」「弁別力」「記銘力」「分析力」「統合力」「構成力」といった過程があります。(「ITPA言語学習能力診断検査」には「視覚回路」の内容があり、それらの能力を測定することができます)聴覚障害児の「見る力」の実態を見極め、「問題」があれば、それを軽減する活動に取り組むことが大切です。
私自身は、「塗り絵」「ピクチャーパズル」「線引き」「パズルボックス」「文字の視写」などの活動に取り組みました。 特に、それらの活動を通して視覚的な「集中持続力」を養いながら、同時に「単語を復唱する」という聴覚的な活動を「併行」することによって、「目」「耳」「手」の「協応」がスムーズにできるようにしようと考えました。日常生活の場面では、「見ながら聞く」「聞きながら見る」「何かをしながら聞く」「聞きながら何かをする」という活動がほとんどでしょう。「情報の同時処理」能力を養うことが大切だと思います。

 今、学校現場では「特別支援教育」という考え方が導入されています。文部科学省の調査によると、「特別な支援」を必要としている子どもたちが、約6%いるということです。昔、「言語障害児」の出現率は約5%といわれていました。では、その6%の中に、「言語障害児」は含まれているのでしょうか。「当然含まれている」と、私は思います。かつては、「言語発達の遅れ」といわれていた障害が、「学習障害」(LD)という名称になったからです。かつて「言語治療教育」と呼ばれた内容は、「特別支援教育」の「一部」に他なりません。「特別支援教育」は、日本の学校教育において四十年前から始まっていたのです。その拠点は、全国の学校に設置されている「言語治療教室」(言語障害特殊学級)だと思います。「特別支援教育」が、理念ではなく「方法」として確立することを念願しています。(おわり)
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