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「言語発達の臨床第1集」通読・《18》1章・言語発達遅滞児の臨床(18)

【感想】
E 既存の概念との関係
⑷心理神経学的学習障害児・各種の行動問題児とはどこが共通し、どこが本当に違っているのか。
《所見》
・いわゆる「学習障害(LD)児」は、WISC知能診断検査やITPA言語学習能力診断検査などにより、下位検査項目の「アンバランス」が認められる。「動作性検査」と「言語性検査」結果に、大きな差が見られる。「聴覚回路」と「視覚回路」の学習能力に、大きな差が見られる。自閉症児の場合にも、そのような傾向が見られることが「共通」している。
一方、「どこが本当に違っているか」は、明確に断定できない。自閉症児に見られる、(場面・物・人に対する)「回避」行動、「葛藤」(常同)行動が、「学習障害児や各種の行動問題児」にも見られるかどうか・・・、見られるとすれば、その点も「共通」している。
・概して、学習障害児や行動障害児(例えば、注意欠陥多動性障害児)の「人関係」(社会性)は、自閉症児よりは「発達」しているように思われるが、詳細は不明である。また、「他傷」「破壊」など「反社会的」行動も双方に見られるが、その原因、因果関係が「共通」しているかどうかは不明である。
⑸小児てんかんや脳波異常との関係はどうか。
《所見》
・現在のところ、自閉症児と「脳波異常」に《関連性》はない。
・小児てんかんが「自閉症になる」事例は見られるが、自閉症が原因で「てんかんになる」ということは確証されていない。聴覚障害児、視覚障害児、知的障害児、身体障害(脳性マヒ)児が「自閉症になる」(自閉症を合併する)事例は見られるが、自閉症が原因で、それらの障害を発生する(合併する)ことが確証されていない(あり得ない)のと同様である。
⑹いわゆるラポートという概念と、ここでめざされている人関係とは、どのように関係するか。
・子どもの方からセラピスト(臨床家)に自発的に「接近」し、「関わり」を求めてくる状態になったとき、「いわゆるラポート」の第一歩が踏み出されたことになる。
・同様に、親の方から自発的にセラピストに相談し、アドバイスを求めるようになったとき、本来の「ガイダンス」「カウンセリング」が可能になる。
・セラピストは、まず第一に、親の「主訴」(相談の趣旨)を理解しなければならない。それは、時間の経過とともに「変容」していくだろう。したがって、①当初の「主訴」は何であったか、②それは「いつ」「どのように」変わったか、③現在ただ今の「主訴」は何かを、親と「共通理解」(相互確認)しながら、相談活動を進めていくことが肝要である。
・子どもは、まずセラピストに「安心」し、興味をもち、魅力を感じ、(セラピストの)模倣をしようとする、セラピストが「大好き」になり、出会うことを「楽しみ」にする、そのような関係をつくり出すにはどうすればよいか、そのことが問われているのだと思う。
・そのためには、子どもに「接近」しない、「働きかけない」「拘束しない」「強制しない」で、相手の行動を「観察」し、相手からの「働きかけ」を、ひたすら「待ち続ける」ことが有効だと思われる。
⑻スキンシップを重視する育児法や治療法はどのように位置づけられるか。
《所見》
・スキンシップを重視する育児法や治療法は、育児・治療の《原点》である。子どもとの間隔(距離)は最短(最接近)であり、「前庭覚」「触覚」「嗅覚」による、動物的な《相互交渉》が可能になるからである。スキンシップにより、お互いが「最も身近な存在」として「感じ合える」ようになる。
・ただし、その方法を採り入れるためには、細心の注意が必要であろう。子どもの年齢、性別、感覚過敏の程度など、相手にはスキンシップを「拒絶」する権利があるからである。
親、子ども本人の「了解」のもとに行うことが前提である。
⑽このような子どもに、プログラムに従った条件づけ学習指導・訓練を行うことによって異常行動を“矯正”し言語を“習得”させようとするやり方を、どのように評価しうるか。またそれによって成果があがっているという報告の正体をどのように理解すべきか。
《所見》
・そのような報告の一つ(代表例)に、「自閉症治療の到達点」(太田昌孝・永井洋子編著・日本文化科学社・1992年)がある。その「Ⅵ章 認知発達治療の実践 4・認知発達学習の実際」の中で、2つの症例が紹介されている。〈症例1〉では、「運動」「生活習慣」が「年齢並みの伸び」を見せたが、「探索」「言語」は2年間で「6か月分の伸び」 、「社会性」は「6か月分以下」であった。〈症例2〉でも、「運動」は2年半間で「3年分の伸び」を見せたが、「生活習慣」は「1年半分の伸び」、「探索」「言語」は「6か月分の伸び」にとどまり、「社会性」にいたっては、ほとんど伸びが見られなかった。つまり、成果があがったのは「運動」と「生活習慣」に関する能力だけであった。この2例だけで、「プログラムに従った条件づけ学習・訓練」のやり方のすべてを評価することはできないが、いずれにせよ、“矯正”や“習得”の程度には大きなバラツキ(不調和)が見られることは確かである。著者らは「自閉症の本態は治らない。しかし、行動能力の改善は可能である」と主張しているので、それを裏づける証拠資料にはなるだろう。しかし、それが「自閉症治療の到達点」となると、私は肯けない。むしろ「プログラムに従った条件づけ学習・訓練」の《限界点》ではないだろうか、というのが私の理解である。(2014.6.5)



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