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《感情》の育て方

 「感情」の源は「快・不快」という生理的感覚である。胎児は母胎に護られて「快」の感覚を味わっている。(母胎が十分に護れない場合は「不快」を感じるかもしれないが・・・。)その快感は、出生時に妨げられる。産道内での圧迫に堪え、大気中に生まれ出る時には、肺呼吸を始めなければならない。気圧、気温、湿度など、周囲の環境は一変するので新生児は極めて「不安定」な状態に置かれる。その時の感覚は、ほとんど「不快」で占められるだろう。今までとは違う、というストレス(緊張)を感じる。新生児はこれまでの「安定」を求めて泣く。不快感は泣くことによって強化される。寒い、暑い、空腹だ、気持ちが悪い、といった生理的感覚を不快感として意識するようになる。その不快感が親の介護によって取り除かれると、快感に変わり、「安定感」「安心感」が生まれる。その快感は「いい気持ち」「おいしい」といった感情の源である。不快感が取り除かれずに持続すると、「イライラ」感を経て「怒り」あるいは「恐怖」に発展する。
 子どもの泣き声は、それらの「感情」を微妙に表現している。新生児の「オギャー、オギャー」という反射的な発声は、やがて「アーン、アン、エーン、エン」に変わる。それは、当初の漠然とした不快感が、意識的な「イライラ」感、「怒り」「恐怖」に発展する経過を表している。親は、子どもの泣き声を聞いて、子どもの状態を推察できるようになる。
 感情を豊かにするためには、まず、この漠然とした不快感を、「イライラ」「怒り」「恐怖」という明確な「意識」に変化させなければならない。次に、その不快感を無条件に取り除かなければならない。「いい気持ち」「おいしい」といった感情を「意識」化するためである。その感情はやがて、「うれしい」「楽しい」「面白い」に発展し、最後には「好き」という、人間にとって最も重要な感情に到達するのである。
 「好き」という感情は、自分を「いい気持ちにさせてくれる(安定させてくれる)」「おいしいものを与えてくれる」「自分を楽しませてくれる」「自分の気持ちをわかってくれる」相手(対象)に対して生まれる。喜びの源であり「愛着」の感情である。それはさらに「憧れ」「可愛い」「恋慕」という感情に発展する。
 一方、「愛着」という感情が失われると、「淋しい」「つまらない」「甘え」という不快感が生まれる。その状態が持続すると「悲しい」「辛い」という感情に発展する。また、「愛着」(好き)という感情を奪った相手に対して「嫌い」「嫉妬」「敵意」を感じるようにもなる。そしてまた、自分を対象にした「恥ずかしい」という感情も生まれる。 
 要するに、感情の発展(発達)の経過(順序)は以下の通りである。
【不快感】
・不安定感(暑い、寒い、空腹、気持ちが悪い)→イライラ感→「恐怖」→「怒り」→ 《愛着が得られないと》→「不満感」「淋しい」「つまらない」「甘え」→「悲しい」「辛い」(辛抱・我慢)→《愛着が奪われると》→「嫌い」「嫉妬」→「敵意」
・《自分》→ 「恥ずかしい」
【快感】
・安定感(気持ちいい)→《愛着》→「おいしい」→「うれしい」「楽しい」→「面白い」→《相手》→『好き』→ 「憧れ」→「可愛い」→「恋慕」

 感情を豊かにするには、まず、不快感をはっきりと「意識」化することが肝要である。乳幼児は、それを「泣く」ことによって強化する。したがって、思う存分泣かせる方がよい。ただし、その不快感は、必ず取り除かなければならない。そのことによって「愛着」が生まれるからである。初めから、不快感を避けて「安定感」ばかり与えると、それが当然だと感じ、「愛着」は不十分のままに終わる。現代では、子どもが「泣く」ことを制止・抑制する風潮が見られるが、「イライラ感」は持続し「不満感」が高まるおそれがある。
 次に、快感を十分に与える必要がある。その時間は長ければ長いほどよい。最低でも1千時間(1日1時間なら3年間、2時間なら2年間弱)が目安である。快感の中でも「好き」という感情は最も重要であることは前述したが、それを育てるためには「面白い」という感情を育てることが必要である。特に「面白い」と感じさせてくれる『人』が不可欠である。その人との交流(かかわり)を通して、その人を「好き」になる。その人に「憧れる」。その人の模倣をする。《好きこそ物の上手なれ》という言葉どおり、学習の出発点になるからである。 
 最後に、感情を豊かにするには、感情を「教えようとしない」ことである。感情は育てる(感じさせる)ものであり、教えることはできない。悲しい童話(たとえば「かわいそうなぞう」(土家由岐雄)、たとえば「ごんぎつね」(新美南吉))を読んだり、聞かせたりしても、子どもの心中に「可愛い」「可哀想」という感情が育っていなければ、「悲しい」という感情を「感じる」ことはできないからからである。大切なことは、「好き」な《人》がその感情を「伝える」ことである。一緒に本を読みながら、泣いて(笑って)「見せる」ことである。その《人》との共感こそが、感情を豊かにするのである。
 子どもが物を盗まないのは、親に叱られるからである。親は物を盗まないからである。もし、誰も見ていなければ、親が叱らなければ、子どもは盗むかもしれない。親が子どもの「悪行」を叱って、許さない(罰する)ことは当然だが、最も大切なことは、親が被害者に共感して「悲しむ」姿を見せることである。その姿を見たくない、親を悲しませたくない、そうした感情は《情操》に高まる。「真善美」を感じとる《情操》は、情緒の最高段階だと言われている。(昌子武司「情緒障害」)また、自分自身を客観的に見つめられるようになると「恥ずかしい」という感情が生まれる。それもまた《情操》へと高まり、行動のコントロールに寄与するのである。
 したがって、感情を豊かするには、《情操》を目指さなければならない。まさに「情操教育」が取り沙汰される所以だが、そのためには、まず何よりも「喜怒哀楽」といった感情を分かち合う「共感者」が不可欠なのである。それが誰(親、兄弟、友だち、教師、恋人等など・・・)かは、千差万別であろう。いずれでも「好きな人」の存在が不可欠であり、「可哀想」「恥ずかしい」という感情を育てられるか否かが、重要なポイントになると思われる。 (2017.6.15)




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